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熱砂に消え行く

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 ぱたん、と扉がしまる。
 スハール王国の王太子と、スハール王国初の女性騎士の一人が出ていったばかりの扉を見つめ、ファイサルはどかっとソファーに身を投げ出すように深く座り込んだ。

「あんなん後だしじゃんけんやん。ずるいわぁ、ずるいわぁ」
「ファイサル様、お茶のお代わりは如何いたしますか」
「ん、もらってもええ?」

 客人用の茶器を片付けると、むくれっ面のファイサルに従者のナージーがお茶のお代わりを支度する。
 その間にもひどく残念そうにファイサルはソファの上でだらけながらぼやいた。

「あーあー、ドストライクやったんやけどなぁ」
「仕方ありません。ご本人の意思は最初から固かったでしょう」
「だからといって、婚約打診してきといて『実は別の人と婚約してるので』ってのはないやろ!」

 とうとうソファに寝転がり、足をバタつかせ始めたファイサルをナージーが嗜める。ファイサルは面白くなさそうに天井を見上げた。
 つい今しがたまでいたレオナードとアンジェ。
 彼らの話を思い出す。
 レオナードがアンジェを伴い、ファイサルに割り当てられた客室にやってきて開口一番に言ったのは、婚約打診の撤回だった。
 ファイサルはレオナードの主張を思い出す。

『大変申し訳ありませんが、こちらの手違いでファイサル様にご迷惑をおかけしてしまいました。ご存じとは思いますが、彼女は次の春に正式に設立する女性騎士団の騎士団長を任命することになっています。それに伴い今は伏せているのですが、彼女には婚約者がおりまして、いずれは婚約発表するつもりでした。それがどうや手違いで情報が錯綜し……宰相がファイサル殿との婚約と早とちりしてしまったようでして』

 にこやかに話していたレオナードの隣で、居心地悪そうに小さくなっていたアンジェを思い出す。
 当然ファイサルはあっさり返されてしまった手のひらに不満がなかった訳じゃない。それこそ宰相から打診された時はまんざらでもなかったのだから、余計に。
 でも、アンジェが心からそれを望んでいないだろうことは易々と想像ができてしまった。
 よくも悪くもアンジェを自分の元に手繰り寄せたかったファイサルは、この短い滞在期間の間にアンジェという人となりをそれなりに知ってしまった。
 真面目で、剣の腕が素晴らしく、芯の強い少女。
 何度口説いたって目先の欲になびくことはなく、情に訴えれば少しは揺らぐものの、筋が通らないことは決して良しとしない。
 ファイサルは半眼で天井を睨み付けていると、ナージーがひょいっと顔を覗かせた。

「婚約の件に関しては同情いたします。スハール王国も一枚岩ではないようでしたし、アンドレア様はどちらかといえば王太子殿下の派閥の方なのでしょう。さ、お茶はこちらに」
「そんなん言われたらしょーもないけど~~~!」

 テーブルにお茶を置いたナージーの方を見ながら、ファイサルがぐだぐだと愚痴る。
 ナージーはその様子を見ながら、少しだけ意外に思った。
 ファイサルがアンジェに執心していたことは知っていたが、ここまで綺麗に話が纏まった後も未練がましく言葉をこぼすとは。
 いつもならそれなりに気に入ったものでも、失ったらあっさりしているファイサルだ。それがここまで執着していたというのなら、ナージーも静観しないで主人の望むままに段取りするべきだったかと再考した。
 本来ならファイサルがアンジェを欲しいと言った時点で、ナージーはこちら側にアンジェを率いれるように段取りをするつもりだった。
 だがそれを断り、ファイサルが「己で口説くから手だし無用やで」と言っていた手前、主人の言葉通りに何もしなかった。

「……アンドレア様は残念でしたが、今回の件で、ハレムに心強い後ろ楯が得られたのは大きいのではありませんか」
「まぁなー。ナージーの言うとおりやけど」

 ごろりと仰向けからテーブルの方へと身体を向けたファイサルは、頬杖をついて白い湯気の上がるテーブルの紅茶を見つめた。

 レオナード王太子がアンジェとの婚約打診を取り下げるのと引き換えに提示したものは二つ。
 一つ目は、先日の歓迎パーティ時の襲撃者の始末について。
 一時は実行犯に逃げられたものの、恙無く足取りをたどり、実行犯を捕らえたとの報告。指示をした貴族と合わせて処分をどうするか尋ねられた。幾つか情報を聞き出したが、元々頭の弱い貴族だったからかさほど有益な情報は無かったのでスハール王国に処分を任せることにした。
 そして二つ目。スハール王国として、ネフシヴの次期王であるファイサルと友好関係を結びたいという話。そのためにファイサルのハレムがあるオアシス都市との交易路の確保が打診された。
 これまでスハール王国とはオアシスの一部としか取り引きがなく、これ以上の拡大もスハール側が望んでいなかった。その暗黙の了解が撤廃され、さらに交易路の拡大をしてくれるというのならば、砂に埋もれるばかりのネフシヴのオアシス都市が少しでも延命しうる可能性が高まる。
 人が増えれば増えるほど、開拓が進むのは間違いない。これは間違いなくネフシヴにとって有益な交渉だった。

 ファイサルはそれらをつらつらと思い返すと、ひょいっと体を起こした。
 ナージーが淹れた紅茶を掴んで、ぐいっと飲む。
 ティーカップの中身を飲み干すと、ファイサルはポツリと呟いた。

「アンジェ……嫁になって欲しかったなぁ……」
「今回は常にも増して未練がましいですね。……どこがそんなにお気に召されたのです」
「全部。ぜーんぶや」

 ファイサルはそう言うと、アンジェと出会った瞬間を思い出す。
 魔獣蔓延る森のなか、愛鳥を追いかけて緑の茂みから飛び出した黒髪の少女。
 抱き止めた体は軽く、緑の眼差しは強く、そして何より気配が清廉だった。
 王族であるなら誰しもそうだと思うが、腹に一物ニ物抱えてる人間をを幼い頃から数多く見てきた。瞳のにごり具合を見れば大抵看破できるものだが、アンジェのその凛とした眼差しは、ファイサルが久しく拝んでこなかったものだった。
 出会ってすぐは警戒されていたこともあるのか、身の上についてはぐらかされてしまい、二度と合うことはないだろう出会いを勿体ないと惜しんだけれど、それがまさか騎士として再会するとは思いもしなかった。
 ファイサルがアンジェを嫁にしたいと思ったのはいつだっただろうか。
 まだたった数日前の事だけど、もう既に思い出として霞んでいきそうだ。
 確かあれは、アンジェを連れて城下へ降りた時だった。
 騎士としてファイサルの護衛として付いていたアンジェが、甘いものの毒味の際にちょっと嬉しそうにしていたのに気がついた。
 そこからはファイサルがあえて甘い物ばかり買い食いして、アンジェに毒味させた。まるでそれは小動物の餌付けのようで、嬉しそうに頬張るアンジェが可愛くてしょうがなかった。仕事だからと澄まし顔をしていても滲み出るその嬉しそうな雰囲気は、ファイサルとしても与え甲斐があって、隙あらばついついおやつを貢いでしまっていた。
 そして実際に騎士としてその役目をこなしていたアンジェは、出会った時に腕に覚えがあると言っていた通り、その細腕で悪漢を打ちのめす程の実力者だったことを証明した。ファイサルはその差が衝撃的だった。
 強くて可愛い、騎士の少女。
 自分の理想に近い嫁候補なのではと思った瞬間、アンジェにプロポーズしてしまった。
 確かに急ではあった。出会ってまだ数日でプロポーズなど、ロマンがなかったかもしれない。だが欲しいと思った時が買い時だと知っているファイサルはそんなこと気にもしなかった。
 それからはアンジェに猛アタックしたものの、逆に避けられてしまう日々。それでも外堀を埋めてやろうと会いに行く度に根気強く話しかけ、また口説いた。
 結果、歓迎パーティの事件で上手い具合に手に入りそうだと思ったのに……結局は、手に入り損ねてしまった。
 紅茶をテーブルに戻したファイサルが、またソファに寝転ぶ。仰向けで、目元に腕をやって視界を塞いだ。

「ファイサル様、悔やむぐらいなら何故打診された時に婚約を即答しなかったのですか。即答していればまだ手に入ったかもしれませんよ」
「ナージーの言う通りなんやけどな……それやとアンジェ、悲しそうな顔しそうでなぁ」

 アンジェは頑なに結婚を拒んでいた。それは誰に対してもだったし、その根底には「騎士になれない」「憧れの人の背中が追えない」という強い願いもあった。
 なんとなくだけれど、ファイサルはそれがアンジェをアンジェたらしめる絶対条件のようなものに思えて、それを奪ったら最後、ファイサルが欲しかったアンジェとは違うものになるのではと本能的に悟っていた。
 だからこそ、沈黙を貫いて。
 矛盾するこの気持ちに、ファイサルは肺が空っぽになるまで息を吐いた。
 これが俗に言う、惚れたら負け、というやつなのかもしれない。

「……にしても、アンジェの内密の婚約者があの赤毛騎士団長とかなんの陰謀や。というか、あの歓迎パーティ、あの時点で婚約決まっとたんか??」
「婚約の噂はここ三日くらいでしょうか。ですが以前より、アンドレア様がユルバン第三騎士団長に憧れているという話や、逆にユルバン第三騎士団長がアンドレア嬢に対して特別目をかけているというような話があったようです」
「はぁん! もー、そんなん負け戦やないかい! あーもー、アンジェの馬鹿ぁ! 赤毛騎士団長のドアホ!」

 癇癪を起こすかのように、再びソファでじたばたする。
 思う存分八つ当たりぎみにソファで暴れたファイサルは、やがてぱたりと手足を脱力させると、拗ねるようにソファの背の方へと顔を向ける。

「……切ないわぁ」

 アンジェは愛とか恋とかに興味がなさそうだった。
 だからもっともらしい理由を並べて口説いていたのに、全然なびいてくれなかった。もしそうやって理性的な口説き方ではなく、もっと情熱的に、もっとドラマティックに愛を乞うていたら、彼女はなびいてくれていただろうか。
 そんな過ぎたことが後から後から押し寄せる。
 ファイサルはネフシヴの王子だ。ハレムを持ち、次期王位継承者でもある。
 今まで妃になりたいと言ってきた打算的な女達を篩にかけてきたファイサルだが、ただ一人、望んだ女を手に入れることができなかったというのは非常に不本意で───胸をいっぱいに詰まらせる何かがあった。
 ナージーが囁くかどうかの小さなファイサルのぼやきを耳聡く聞き取ったが、何も言わない。そっとしておくべきだと判断したのか、足音なく移動すると、部屋の角でこちらの様子をきょときょとうかがっているジャーヒルの世話へと戻る。

「ファイサル様。して、出立はいつになさいますか」
「んー……。交易路の話を詰めときたいしなぁ。でもまだ嫁探しも終わっとらんし……かといって滞在伸ばして親父殿に叱られたくもないなぁ……」
「一度、ジャーヒルを飛ばして旅の期限延長を打診してみてはいかがでしょう。今回の功績があれば許可が降りるやもしれません」
「せやな」

 ナージーにそう言われ、ファイサルは億劫そうに身を起こした。それからナージーに紙とペンをもらうと、さらりと文をしたためる。
 インクが乾くのを待ってる間に、ナージー小指ほどの小さな筒をファイサルに渡す。ファイサルはその筒の上部をパカッと取り外すと、したためた文を丸めて収めた。
 その筒を持った状態で、ファイサルは指笛を鳴らした。部屋に少しだけ響くほどの音量の音に反応して、ジャーヒルが羽ばたく。
 ばさりと翼を広げた赤銅色の鷲は、器用にファイサルの腕に停まった。ファイサルは邪魔にならないように注意しながら、ジャーヒルの体に筒を縛り付ける。

「よっし、ジャーヒル、仕事やで。長旅やけど、気張りや」

 声をかけながらファイサルは立ち上がり、窓へゆっくりと近づいていく。
 ジャーヒルに肉を食わせると、その腕を窓の外へと差し伸べた。

「ジャーヒル、親父殿から文の返事をもらって、ここに戻って来ぃ。お前が戻るまでわしらはこの国に居るからな。安心して行ってこい」

 ジャーヒルがちらりとファイサルに念押しするかのように視線を向ける。人の言葉を完全に理解しているらしいジャーヒルは一声勇ましく啼いてみせると、力強く羽ばたく。
 空へと舞い上がり、赤銅色が青色に吸い込まれていく。
 ジャーヒルを見送ったファイサルはその青空を眩しそうに見つめた。
 もし、次があるのならば。

(今度はもっとなりふり構わんと、口説いてやろか───)

 ネフシヴ王国は熱砂の国。
 沸き上がる泉が干上がるまでの刹那の瞬間のようなはずの恋ではなく。
 いつかきっと永遠になるための運命に出会いたい。
 そのためにファイサルは旅をしているのだから。

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