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1章

6直感

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 陵瑜りょうゆと名のった男は、放浪気味に実家の商家の手伝いをしているのだと、自身の事を説明した。西の朔眉さくび国へ買い付けに行き、たまたまその地で頼まれた品を渡南の町に運ぶ仕事を引き受け、急ぎ走っている際に霊月山のふもとの街道で、倒れた霜苓を見つけたという事らしい。
銀鉤ぎんこう国の上弦じょうげんに家があるからな。一旦そちらに帰ろうかと思っていたのだが……もしどこか行く当てがあるのならば送っていくぞ?」
 そう言われて霜苓は冷やした手ぬぐいを目の上から少しだけ持ち上げる。まさか自分が初対面の……否、他の人間の前で涙を流すことが有ろうとは、思いもしていなかったため、胸の内は複雑だ。
 出来ることならばこのまま助けてもらった礼を告げ、「さようなら」と行きたいところではあるのだが……。
 手持ちの解毒剤を飲んだからとて、今すぐ珠樹を抱いて動き出すことが出来るかといえば、それは難しい。
 せめてあと1日ほど時間が有れば随分と回復するだろうが、そうなると、郷からの追手が近づいてくる可能性は高い。
 彼に手を貸してもらうのが良策だ。
「行くあてはない……この子と一緒に静かに過ごせる場所を探そうと思っている。だから一緒に連れて行ってほしい。国境まででも構わない、とにかく今は霊月山からすこしでも離れたい」
「霊月山ね……」
 意を決して告げれば、陵瑜は何か含みがあるように呟き、霜苓の脇で霜苓の黒髪を弄び、キャッキャと笑っている珠樹に視線を移す。
「国境まで連れて行くのは構わない。霊月山から離れたいと言うことならば、南国の南の果てまででも連れて行ってやる。しかし……珠樹の父はどうしている……頼る事はできないのか?」
 問われて霜苓は肩を竦める。
「この子の父親の所在は分からない……恥ずかしい話、私もどんな男だったのか覚えがない。ひどく酔っている時の事だったから……」
 霜苓記憶に残る珠樹の父親の情報は本当に少ない。一つは銀鉤国の人間で……軍職にあるものであるということ……。そして珠樹と同じ深い緑色の瞳を持つことくらいだ。
 霜苓の言葉に陵瑜は何を思ったのだろうか、整えられた太い眉をわずかに下げて苦笑した。きっと馬鹿な女だと思われたに違いない。仕方がない、霜苓自身もそう思っているのだから。
「ただ、この子の父は恐らく銀鉤国の人間だから……同じ血を持つ国で育つ方がいいのかもしれない」
 パタパタと機嫌よく手足を動かす珠樹を引き寄せ、丸く傷一つない額に頬を寄せる。甘く柔らかい乳の香りが、霜苓の心を落ち着ける。
「同じ血……か……。父親を、探そうとは思わないのか?」
 陵瑜の問いに、「まさか!」と笑う。
「探してどうする? たった一晩、酒の勢いで関係を持っただけの男に何を期待する? 実際探し出したところで、相手にとっては、この子が本当に自分の子どもだと信じられるとは思えない。もしかしたら妻子があるのかもしれない。子どもを盾に妻や妾になるような女に成り下がる気はない!」
 狭い郷育ちの霜苓だが、任務で下働きとして潜入した地方の高官の邸などではそんな話を多く見聞きしてきた。いくら高官の家族となろうとも、自分を殺し、男に縋って生きる事しかできない彼女達を、不憫で不自由なものだと、他人事のように思っていた。
 しかし、珠樹をつれて逃げる事を考える内に、自分自身だって、郷の掟に縛られ、自分を殺し、血に拘って生きている事に気付かされた。
 もう、そんなものに翻弄されるのは御免だ。特に、珠樹にはそんな思いをさせたくない。
「なるほどな……そうか、分かった」
 霜苓の強い思いを感じたのか、陵瑜は一つ息を吐くと、自身の膝をポンと叩いて、立ち上がる。

「とにかく先を急いだほうがいいのだな? 夕には出発するが、その身体で馬車は乗れそうか?」
「問題ない。すまないが、とても助かる」
 素直に頷くと、「そりゃあ良かった」と陵瑜は端正な顔をくしゃりと崩して笑い、部屋を出て行く。どうやら出発の準備をしに行くらしい。どうして、見ず知らずの人間が、ここまで霜苓達に良くしてくれるのかは分からない。だが、彼自身からにじみ出る人の良さと、無害な気配はなぜか霜苓を安心させる。それは全て感覚的なものであるが、感覚を磨いて生きて来た霜苓にとってそれも重要な判断材料でもあるのだ。


 

 
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