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18 執着
「クリストフが、男爵令嬢を調べ始めたようだ」
ヴァレリアンは、作業のついでとでも言うように、書類を眺めながら、さらりと告げてきた。
「は?」
「青紫色の瞳をした女性を、探し始めたそうだぞ」
その発言に、倒れそうになる。
誰のせいで、見つかるようなことになったのか。ヴァレリアンは椅子から足を出して、偉そうに組んだ。
その足、蹴り付けたい。
トビアが流しちゃう? と問うてくるが。本当に、流して、窓から落としてやりたい衝動に駆られる。
「子爵令嬢の遺体が見つかり、葬儀も執り行われた。それなのに、未だ子爵令嬢が生きているのだと、世迷言を口にしているそうだ。周囲の者たちは、クリストフの気が狂ったのではないかと噂している。どこで聞きつけたか、青紫色の瞳を持つ男爵令嬢が、自分の婚約者だと」
「それって、」
「執着されているな」
「絶対、パーティに参加したせいじゃないですか!!」
ラシェルの叫びに、ヴァレリアンは素知らぬ顔をする。
クリストフが、青紫色の瞳をした男爵令嬢を探し始めた。アーロンが遺体を持って王宮へ戻り、その後葬儀も行われたにも関わらず。
そんな真似をし始めたのは、ひとえにヴァレリアンがラシェルを社交界に連れて行ったからではないか。
「どう責任とってくれるのですか!?」
「それで、提案だ」
どんな提案だ。無かったことにできるのか。言葉を待つと、ニッ。といたずらっ子のような笑顔を見せる。
「婚約するのはどうだろうか?」
「はい?」
「良い提案だと思わないか?」
「誰が、誰とです」
「君と、私以外にいるか?」
にこやかな笑顔を向けられたが、その顔引っ叩きたい。
「あり得ません! お断りです! 絶対、反対!!」
「そこまで喜んでくれるとは、嬉しいよ」
「喜んでいません!!」
しばらく部屋に引きこもり、ほとんど姿を現さなかったため、公爵夫妻暗殺の事実に、余程苦しんでいるのだろうと、少しでも心配したのがバカみたいではないか。
引きこもっている間、そんなことを考えていたかと思うと、呆れてものが言えない。
「私を囮にする気ですか?」
「なんのことだ。好意的に、いかがかなと、君の意見を聞こうと思ったのだ」
「お断りします」
なにが好意的だ。好意的に、囮にしたい相手と婚約したいだけだろう。
そもそも、ミシェルは男爵令嬢だ。公爵が男爵令嬢を娶るなど、他の者たちは反対する。
「ドヴォス男爵が、なんと言うか!」
「安心しろ。ドヴォス男爵にはすでに話は入れてある。夫妻とも、喜んでくれたぞ。良かったな」
「意見を聞こうと思った意味あります!?」
「聞こうと思っただけだ」
「この野郎」
「令嬢にあるまじき言葉が聞こえたが、気のせいだろうか。婚約式はいつでもいいだろうか。問題はないしな」
「ありますよ! ありますでしょう!? そもそも、ドヴォス家は男爵ですよ? あなたの身分は公爵ではありませんか! 身分の差があり過ぎますし、いえ、そんなことより、その思考はどうかと思いますが、いかが思われますか!?」
「いかがと言われてもな。もう決めたから、そのつもりでいてくれ」
どんなつもりだ。
ヴァレリアンは嫌な感じに笑顔で、ラシェルの反応を見ている。
すでに男爵夫妻に許可を得ているとすれば、ヴァレリアンはきっと二人を脅したのだろう。偽物を公爵家に働きに出した。罪は問わない代わりに、婚約を承諾しろ。そんなことを言ったに違いない。
ドヴォス男爵は血の気が引いただろう。断る理由もなく、二つ返事するしかない。
頭が痛くなってきた。
ミシェル・ドヴォス男爵令嬢と、ヴァレリアン・ブルダリアス公爵が婚約。どんな話だというのか。冗談にしても程がある。
ヴァレリアンは完全に、ラシェルを囮にする気だ。
「いい根性をされているようですね」
「君ほどではないけれどな」
ああ言ったら、こう言う。この男は、ラシェルを囮にして、両親の仇でもうつつもりか。
ああ、もっと早く、この地から逃げていれば良かったのだ。素性に気付かれた時点で、さっさと去っていれば良かったのに。
側に控えるコンラードを睨み付けると、小さく首を左右に振る。諦めたような顔をしないでほしい。
「そう睨むな。それにしても、他国でのパーティに参加した女性を、瞳の色が同じだからといって、子爵令嬢が生きていると断定するか? どうしてそのような思考になるのか、聞いてみたいものだ」
それは同感である。ヴァレリアンもふざけたような言い方をするが、さすがに常軌を逸すると、肩をすくめた。
「遺体が出て葬式を終えた。もう子爵令嬢は死んだことになった。それなのに、なお生きていると断言するとは、君が精霊を持っていると知っているからか?」
「クリストフは知りません」
「では、随分な執着心だな」
それが執着だとしたら、何に対する執着なのか。執着するならば、それ以外のところでも発揮してほしかったものだ。
王妃の行動を確かめるために、ラシェルをパーティに連れて行った。そこに同国の人間がいたとしても、ラシェルだと分かる者は、ほとんどいない。令嬢たちが隣国のパーティに出席することはないのだから。
そうだとしたら、本当に瞳の色だけで判断し、生きていると考えたのだろう。
「君が城で嫌がらせを受け、王妃から追い出されたことは気にもせず、死んだ途端、クリストフ主導で君の捜索を始める。ならばもっと早く手助けして、最悪の事態を想定すべきだっただろうが、失ってから気づくものかもしれないな」
それは、自分のことを言っているのだろうか。
ヴァレリアンは自嘲するように笑う。
失った人の悲しみはわからない。ラシェルにそこまで大切な者はない。クリストフのことは若気の至りのようなものだ。
今後、ああいった男には引っかからないように気をつけよう。それだけである。だから、もういっその事、全て忘れて、何もかも関わりを消し去りたいだけなのに。
「だから婚約しようと言っている」
「一緒に地獄に落ちろと?」
「はは。ひどい言われようだ」
その通りだろう。ヴァレリアンは公爵とはいえ、相手は王妃。この国の王の妃である。しかも王はいるのかいないのか、存在は薄く、政治を行っているのは王妃のような現状。それに対抗しようとするのは構わないが、人を巻きこまわないでほしい。なんのために、あの場所から離れる手立てを探していたと思っているのか。
ラシェルは王妃の怒りを逆手に、逃げおおせた。あのままであれば、平穏無事で過ごせる予定だったのに。
クリストフが青紫の瞳の女を調査をしはじめれば、王妃は鼻につくと、その相手の素性を確かめてくるだろう。
寒気しかしない。
これは新しい勤め先を探さねばならないようだ。
すぐにサイラスに連絡しよう。この国はもうダメだ。この際また街で働いてもいい。
「急に婚約者がいなくなったら、うっかり誰かに話してしまうかもしれないな」
「脅す気ですか?」
「そうならないためにも、この城でゆっくりしてくれ。婚約者どのを部屋に案内しろ。今日から、メイドの仕事は必要ない。君は、俺の婚約者だからな」
ヴァレリアンはそう言って、ラシェルを部屋から追い出した。
断る隙がない。いや、断われるわけがなかったのだ。
「コンラードさん。男爵令嬢と婚約は、公爵の立場として、いかがなものかと思いませんか!?」
かくなる上は、周囲から説得してもらうしかない。部屋を案内しようとしたコンラードに訴えると、すいっ、と視線を逸らされた。お前もか、コンラード。
「申し上げにくいのですが、ヴァレリアン様は一度決められたら、梃子でも動かないのです」
「そこを、説得されないと。たった一人の公爵家の方ですよ? 皆さんも、反対されたはずです。私が婚約者になることが、どれだけ危険なことか、お分かりでしょう!?」
ミシェル・ドヴォス男爵令嬢。その名前だけならまだいい。だが、実情は子爵令嬢。王太子殿下の元婚約者候補だ。
王妃の思惑で、ラシェルが婚約者候補であったことは、話でしか出ていない。子爵令嬢の名前は出ていても、顔は明らかになっていない。ラシェルを知っている者は、ほんの一握りだ。
だからといって、表に出れば、いつか気づかれる時が来る。
クリストフほど斜め上から、ミシェル・ドヴォスがラシェルだと思う者は、早々いないだろうが。
さすがに瞳の色が同じだからと言って、馬車ごと激流にのまれた女が、生きているとは、普通は思わない。
だが、もしも王太子殿下の婚約者候補が、死んだふりをして別人になりすまし、公爵の婚約者となったとでも噂されれば、ヴァレリアンの噂はさらに地に落ちるだろう。ただでさえ、引きこもりの公爵と言われているのに。
「なので、どうかと思います!」
断固、阻止してほしい。阻止すべきだ。
しかし、コンラードは申し訳なさそうにするだけ。
「あなたを婚約者にすることで、あなたをお守りすることもできるでしょう。ただの男爵令嬢であれば、王妃が手を下すことは可能ですが、ヴァレリアン様の婚約者であれば、王妃は簡単には手を出せません」
「それは、そうかもしれませんが」
ただの男爵令嬢であれば、男爵家にスパイでも放って、簡単に暗殺してきそうだ。
公爵家。ヴァレリアンほど警戒していれば、本棟にいる間、それなりに危険は回避できる。メイド長のようなことはあっても、いきなり後ろからグサリとはならないはずだ。できるならば、ヴァレリアンがやられている。
メイドではなく、婚約者としてこの城に滞在することになれば、確かに王妃は手を出しにくいだろうが。
(婚約者になれば、守れるって言っても、どちらにしても地獄しか待っていない気がするんだけれど?)
「ヴァレリアン様はミシェル様、ラシェル様を、気に入っていらっしゃるのも事実です。他の女性とは、違うからでしょうか。話をしていて、あのように楽しそうになさるのは、初めて見ました」
「クリストフと同じこと言わないでください」
「そ、いえ、まあ、そうでしたか。えー、」
誤魔化し方が下手すぎるのだが。気に入った女を囮にするなら、クリストフより畜生である。
コンラードはそうではないのですが、と呟きながら、部屋を案内した。
「どうぞ、こちらのお部屋です」
「うわ……」
ラシェルは、感嘆と、呆れを混ぜたような声を漏らした。
部屋が、豪華すぎる。
公爵の婚約者として相応しい部屋というべきか。部屋は広く、窓からの眺めも良い。豪華だが華美すぎない、趣味の良い調度品たち。ラシェルに贈られた、ドレスや装飾品も収められている。
あの時から、婚約を決めていたのではないか?
「ヴァレリアン様の婚約者として、十分な物を揃えております。何か足りなければ、お知らせください」
そんなものはいらないから、隣国で働くツテでもくれないだろうか。
ヴァレリアンは、作業のついでとでも言うように、書類を眺めながら、さらりと告げてきた。
「は?」
「青紫色の瞳をした女性を、探し始めたそうだぞ」
その発言に、倒れそうになる。
誰のせいで、見つかるようなことになったのか。ヴァレリアンは椅子から足を出して、偉そうに組んだ。
その足、蹴り付けたい。
トビアが流しちゃう? と問うてくるが。本当に、流して、窓から落としてやりたい衝動に駆られる。
「子爵令嬢の遺体が見つかり、葬儀も執り行われた。それなのに、未だ子爵令嬢が生きているのだと、世迷言を口にしているそうだ。周囲の者たちは、クリストフの気が狂ったのではないかと噂している。どこで聞きつけたか、青紫色の瞳を持つ男爵令嬢が、自分の婚約者だと」
「それって、」
「執着されているな」
「絶対、パーティに参加したせいじゃないですか!!」
ラシェルの叫びに、ヴァレリアンは素知らぬ顔をする。
クリストフが、青紫色の瞳をした男爵令嬢を探し始めた。アーロンが遺体を持って王宮へ戻り、その後葬儀も行われたにも関わらず。
そんな真似をし始めたのは、ひとえにヴァレリアンがラシェルを社交界に連れて行ったからではないか。
「どう責任とってくれるのですか!?」
「それで、提案だ」
どんな提案だ。無かったことにできるのか。言葉を待つと、ニッ。といたずらっ子のような笑顔を見せる。
「婚約するのはどうだろうか?」
「はい?」
「良い提案だと思わないか?」
「誰が、誰とです」
「君と、私以外にいるか?」
にこやかな笑顔を向けられたが、その顔引っ叩きたい。
「あり得ません! お断りです! 絶対、反対!!」
「そこまで喜んでくれるとは、嬉しいよ」
「喜んでいません!!」
しばらく部屋に引きこもり、ほとんど姿を現さなかったため、公爵夫妻暗殺の事実に、余程苦しんでいるのだろうと、少しでも心配したのがバカみたいではないか。
引きこもっている間、そんなことを考えていたかと思うと、呆れてものが言えない。
「私を囮にする気ですか?」
「なんのことだ。好意的に、いかがかなと、君の意見を聞こうと思ったのだ」
「お断りします」
なにが好意的だ。好意的に、囮にしたい相手と婚約したいだけだろう。
そもそも、ミシェルは男爵令嬢だ。公爵が男爵令嬢を娶るなど、他の者たちは反対する。
「ドヴォス男爵が、なんと言うか!」
「安心しろ。ドヴォス男爵にはすでに話は入れてある。夫妻とも、喜んでくれたぞ。良かったな」
「意見を聞こうと思った意味あります!?」
「聞こうと思っただけだ」
「この野郎」
「令嬢にあるまじき言葉が聞こえたが、気のせいだろうか。婚約式はいつでもいいだろうか。問題はないしな」
「ありますよ! ありますでしょう!? そもそも、ドヴォス家は男爵ですよ? あなたの身分は公爵ではありませんか! 身分の差があり過ぎますし、いえ、そんなことより、その思考はどうかと思いますが、いかが思われますか!?」
「いかがと言われてもな。もう決めたから、そのつもりでいてくれ」
どんなつもりだ。
ヴァレリアンは嫌な感じに笑顔で、ラシェルの反応を見ている。
すでに男爵夫妻に許可を得ているとすれば、ヴァレリアンはきっと二人を脅したのだろう。偽物を公爵家に働きに出した。罪は問わない代わりに、婚約を承諾しろ。そんなことを言ったに違いない。
ドヴォス男爵は血の気が引いただろう。断る理由もなく、二つ返事するしかない。
頭が痛くなってきた。
ミシェル・ドヴォス男爵令嬢と、ヴァレリアン・ブルダリアス公爵が婚約。どんな話だというのか。冗談にしても程がある。
ヴァレリアンは完全に、ラシェルを囮にする気だ。
「いい根性をされているようですね」
「君ほどではないけれどな」
ああ言ったら、こう言う。この男は、ラシェルを囮にして、両親の仇でもうつつもりか。
ああ、もっと早く、この地から逃げていれば良かったのだ。素性に気付かれた時点で、さっさと去っていれば良かったのに。
側に控えるコンラードを睨み付けると、小さく首を左右に振る。諦めたような顔をしないでほしい。
「そう睨むな。それにしても、他国でのパーティに参加した女性を、瞳の色が同じだからといって、子爵令嬢が生きていると断定するか? どうしてそのような思考になるのか、聞いてみたいものだ」
それは同感である。ヴァレリアンもふざけたような言い方をするが、さすがに常軌を逸すると、肩をすくめた。
「遺体が出て葬式を終えた。もう子爵令嬢は死んだことになった。それなのに、なお生きていると断言するとは、君が精霊を持っていると知っているからか?」
「クリストフは知りません」
「では、随分な執着心だな」
それが執着だとしたら、何に対する執着なのか。執着するならば、それ以外のところでも発揮してほしかったものだ。
王妃の行動を確かめるために、ラシェルをパーティに連れて行った。そこに同国の人間がいたとしても、ラシェルだと分かる者は、ほとんどいない。令嬢たちが隣国のパーティに出席することはないのだから。
そうだとしたら、本当に瞳の色だけで判断し、生きていると考えたのだろう。
「君が城で嫌がらせを受け、王妃から追い出されたことは気にもせず、死んだ途端、クリストフ主導で君の捜索を始める。ならばもっと早く手助けして、最悪の事態を想定すべきだっただろうが、失ってから気づくものかもしれないな」
それは、自分のことを言っているのだろうか。
ヴァレリアンは自嘲するように笑う。
失った人の悲しみはわからない。ラシェルにそこまで大切な者はない。クリストフのことは若気の至りのようなものだ。
今後、ああいった男には引っかからないように気をつけよう。それだけである。だから、もういっその事、全て忘れて、何もかも関わりを消し去りたいだけなのに。
「だから婚約しようと言っている」
「一緒に地獄に落ちろと?」
「はは。ひどい言われようだ」
その通りだろう。ヴァレリアンは公爵とはいえ、相手は王妃。この国の王の妃である。しかも王はいるのかいないのか、存在は薄く、政治を行っているのは王妃のような現状。それに対抗しようとするのは構わないが、人を巻きこまわないでほしい。なんのために、あの場所から離れる手立てを探していたと思っているのか。
ラシェルは王妃の怒りを逆手に、逃げおおせた。あのままであれば、平穏無事で過ごせる予定だったのに。
クリストフが青紫の瞳の女を調査をしはじめれば、王妃は鼻につくと、その相手の素性を確かめてくるだろう。
寒気しかしない。
これは新しい勤め先を探さねばならないようだ。
すぐにサイラスに連絡しよう。この国はもうダメだ。この際また街で働いてもいい。
「急に婚約者がいなくなったら、うっかり誰かに話してしまうかもしれないな」
「脅す気ですか?」
「そうならないためにも、この城でゆっくりしてくれ。婚約者どのを部屋に案内しろ。今日から、メイドの仕事は必要ない。君は、俺の婚約者だからな」
ヴァレリアンはそう言って、ラシェルを部屋から追い出した。
断る隙がない。いや、断われるわけがなかったのだ。
「コンラードさん。男爵令嬢と婚約は、公爵の立場として、いかがなものかと思いませんか!?」
かくなる上は、周囲から説得してもらうしかない。部屋を案内しようとしたコンラードに訴えると、すいっ、と視線を逸らされた。お前もか、コンラード。
「申し上げにくいのですが、ヴァレリアン様は一度決められたら、梃子でも動かないのです」
「そこを、説得されないと。たった一人の公爵家の方ですよ? 皆さんも、反対されたはずです。私が婚約者になることが、どれだけ危険なことか、お分かりでしょう!?」
ミシェル・ドヴォス男爵令嬢。その名前だけならまだいい。だが、実情は子爵令嬢。王太子殿下の元婚約者候補だ。
王妃の思惑で、ラシェルが婚約者候補であったことは、話でしか出ていない。子爵令嬢の名前は出ていても、顔は明らかになっていない。ラシェルを知っている者は、ほんの一握りだ。
だからといって、表に出れば、いつか気づかれる時が来る。
クリストフほど斜め上から、ミシェル・ドヴォスがラシェルだと思う者は、早々いないだろうが。
さすがに瞳の色が同じだからと言って、馬車ごと激流にのまれた女が、生きているとは、普通は思わない。
だが、もしも王太子殿下の婚約者候補が、死んだふりをして別人になりすまし、公爵の婚約者となったとでも噂されれば、ヴァレリアンの噂はさらに地に落ちるだろう。ただでさえ、引きこもりの公爵と言われているのに。
「なので、どうかと思います!」
断固、阻止してほしい。阻止すべきだ。
しかし、コンラードは申し訳なさそうにするだけ。
「あなたを婚約者にすることで、あなたをお守りすることもできるでしょう。ただの男爵令嬢であれば、王妃が手を下すことは可能ですが、ヴァレリアン様の婚約者であれば、王妃は簡単には手を出せません」
「それは、そうかもしれませんが」
ただの男爵令嬢であれば、男爵家にスパイでも放って、簡単に暗殺してきそうだ。
公爵家。ヴァレリアンほど警戒していれば、本棟にいる間、それなりに危険は回避できる。メイド長のようなことはあっても、いきなり後ろからグサリとはならないはずだ。できるならば、ヴァレリアンがやられている。
メイドではなく、婚約者としてこの城に滞在することになれば、確かに王妃は手を出しにくいだろうが。
(婚約者になれば、守れるって言っても、どちらにしても地獄しか待っていない気がするんだけれど?)
「ヴァレリアン様はミシェル様、ラシェル様を、気に入っていらっしゃるのも事実です。他の女性とは、違うからでしょうか。話をしていて、あのように楽しそうになさるのは、初めて見ました」
「クリストフと同じこと言わないでください」
「そ、いえ、まあ、そうでしたか。えー、」
誤魔化し方が下手すぎるのだが。気に入った女を囮にするなら、クリストフより畜生である。
コンラードはそうではないのですが、と呟きながら、部屋を案内した。
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「うわ……」
ラシェルは、感嘆と、呆れを混ぜたような声を漏らした。
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トリノはペコリと頭を下げる。反論なんて、とうにあきらめた。
この世界は、魔法と剣が支配する王国《エルデラン》の北方領。名門リドグレイ伯爵家の屋敷には、魔道具や召使い、そして“偽りの家族”がそろっている。
彼女――トリノ・リドグレイは、この家の“戸籍上は三女”。けれど実態は、召使い以下の扱いだった。
「キッチン、昨日の灰がそのままだったわよ? ご主人様の食事を用意する手も、まるで泥人形ね」
「今朝の朝食、あなたの分はなし。ねえ、ミレイア? “灰かぶり令嬢”には、灰でも食べさせればいいのよ」
「賛成♪ ちょうど暖炉の掃除があるし、役立ててあげる」
三人がくすくすと笑うなか、トリノはただ小さくうなずいた。
夜。屋敷が静まり、誰もいない納戸で、トリノはひとり、こっそり木箱を開いた。中には小さな布包み。亡き母の形見――古びた銀のペンダントが眠っていた。
それだけが、彼女の“世界でただ一つの宝物”。
「……お母さま。わたし、がんばってるよ。ちゃんと、ひとりでも……」
声が震える。けれど、涙は流さなかった。
屋敷の誰にも必要とされない“灰かぶり令嬢”。
だけど、彼女の心だけは、まだ折れていない。
いつか、この冷たい塔を抜け出して、空の広い場所へ行くんだ。
そう、小さく、けれど確かに誓った。