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09.蛇足 01(レイモンド視点)

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俺の名前はレイモンド・スワロウ。
シュライク王国の大公家出身だが、二年前に国許を離れ、アードラー帝国の文官として働いている。帝国には立身出世を夢見てやって来たのだが、役人登用試験に運良く滑り込むことは出来たものの、主な業務内容が雑用ばかりで情けない限りであった。

祖国では神童と持て囃されていたのに世界は広いことを思い知り、最初は落ち込んだ。しかし、今はコツコツと与えられた仕事をこなして、少しでも評価に繋がるように、せっせと取り組む毎日を過ごしている。

それもこれも全ては初恋の女性――シルヴィア・ダック侯爵令嬢の為。祖国で不遇に晒されている彼女と約束したのだ。俺の立場では彼女を守ることも出来ず、かといって全てを捨てて一緒に逃げ出すことも出来ず、不甲斐ないばかりな有様だった。

王子妃になることを決められていた彼女を連れ出せば、ただでは済まされない。一族郎党から領民まで、ことごとく犠牲になるのは想像に難くない。それにシルヴィア嬢はキャメロンの代わりに公務を行うことを望まれていた。王族が使い勝手が良く優秀な彼女を手放すわけが無かった。彼女もそれが分かっていたからこそ、『婚約破棄をされたら』と不確定な要素を前置きした上で、あの日の会話になったのだ。

しかし、元より生活力に乏しく世間知らずの二年前の俺では、彼女に多くの苦労をさせてしまったことだろう。シルヴィア嬢が、約束通り俺に連絡をしてくれるかは分からないけれど、その日の為に精進しなければならない。いや、彼女が悲しむ姿を想像することさえ辛いから、どうかキャメロンが彼女を愛する未来が来ることを願うしかない。


そんなある日、俺が働いていた職場に近衛騎士の制服を身にまとった男達が現れた。皇族を守護することが御役目である近衛騎士達が、行政府の隅にあるこの巡回騎士の詰所に来るなんて、俺が知る限り一度も無い。しかも今日はシーニュ王国から皇帝陛下の花嫁になる王女殿下がやって来る日である。詰所の騎士達は花嫁を迎えるパレードに出払っているこの忙しい日に、近衛騎士が一体何の用があってやって来たのか。

「庶務のレイモンド・スワロウはいるか?」
「……レイモンド・スワロウは私です」

まさか自分の名前が呼ばれるとは思わず、情けない声が出そうになるのを僅かばかりの胆力で堪えて、どうにか返事をした。後に付いてくるように指示をされて従ったのだが、通路を歩く俺を見る周囲は『お前、一体どんな悪さをしたんだ』とばかりに白い目で見てくるが、誓って俺は無実である。

近衛騎士達は行政府を抜け、この国の最も権力が集中する王城へと足を進めて行く。何だろう。俺は知らない間に誰かに陥れられて、冤罪でも掛けられているのだろうか。いや、この二年でしてきたことといえば、王都の警備をする巡回騎士達の給与の計算や巡回する場所や時間帯の当番を決めたり、騎士団で使用する武器・防具の管理や修繕の依頼、その他諸々を報告する為の文書の作成など。万が一、俺が横領していたとしても、帝国の重鎮が政を行う場所に引き出されて処罰されるような規模にはならないと思うのだが。

やがて通されたのは王城にある控えの間の一つで、そこにはアードラー帝国の宰相閣下であらせられるグレーゴル・ヴァルト様がいらした。

「そなたがシュライク王国のレイモンド・スワロウか」

戸惑いながらも返事をしたが、宰相閣下はジッと俺の顔を見つめている。有象無象の役人でしかない俺が、宰相閣下に名指しで呼び出されるなんて、シュライクで何かがあったのかもしれないとさえ思えてきた。

「小国とはいえ大公家の子息だと聞いていたが、下級役人のするような仕事にも不平不満も言わず、真面目によく働いていると報告を受けている」
「……お褒めに預かり光栄です」
「属国の者が帝国で身を立てるというのは嫉妬されることも多く、反感を買いやすい。登用試験に受かっただけで、舞い上がる愚か者も少なくない中、そなたは周囲からの評判もなかなか良い」
「身に余る御言葉、有難く存じます」

頭の中では祖国で戦争が起きたか、クーデターでも起きたのかとか悲惨な想像をして、更にシルヴィア嬢の安否まで意識が及んだと言うのに、宰相閣下が口にされたのは俺に対する賛辞であった。

「今はまだ組織の基本的な仕事を覚える段階だ。そして成果を上げ、いずれは中枢で帝国民としてアードラーの為に働くよう努めなさい」

『帝国民として』という言葉は、仕事の成果によっては俺が帝国の市民権を得る資格があることを示唆している。
思いもよらなかった言葉に自分の頑張りを認められたことが嬉しくて仕方がなかった。同時に、どうしてわざわざ王城に呼び出して、そんな話をされるのか分からず困惑した。折を見て、行政府にある宰相閣下の執務室にでも呼び出せば良かったのに、王城と言う表舞台に連れ出す必要など無いのではないだろうか。

「ふむ。そのように取るに足らないことで呼び出すとは、一体どういう了見だとでも言いたげな顔だな」
「め、滅相もございません。しかし、御忙しい閣下が私のような者を呼び出す意図が分からず……」

感情を読まれてしまうなんて情けない。今後、大きな仕事を任された時に、このような体たらくでは上手くいくはずがない。まだまだ精進が足りない。

「そなたの考えている通り、頼みがあって呼んだのだ」

どんな難題を課せられるのか、口を引き結び、じっと閣下の言葉を聞き入った。

「これから皇帝陛下が国賓と会見する。その時、そなたも参列するのだ」
「か、会見にですか!?」

今日この日に皇帝陛下が御会いする人間を考えれば、シーニュ国王夫妻と婚約者でいらっしゃるオデット第二王女殿下。その会見に俺も立ち会うと言うのか。

「そうだ。そこで陛下に声を掛けられるだろうから、正直に答えるのだ」
「私に陛下が御声をッ!?」

大陸で最も高貴で偉大なジークフリート・アードラー皇帝陛下は、基本的に下々の者の前に出ない。拝謁出来るのは帝国貴族と他国の王族や外交団などに限られている。だから俺も新年の儀で民衆の前に御顔を見せる機会にしか見たことがない。にも関わらず、御目通りが叶った上に直接御声を掛けられるなんて、破格の扱いではないだろうか。正直、嬉しさよりも不信感が勝る。

そうしてヴァルト宰相閣下の後ろについて辿り着いたのは王城の正門で、城下の者達が花嫁となる女性を一目見ようと集まっていた。見知った騎士達が、民衆を押し止めようとしているのが見える。

既に大臣達は集まっていて声を潜めて何事かを話していたようだったが、俺の姿を見つけて、ジロリと目線を向けられる。場違いなのは分かっているが、緊張で震え上がりそうだった。どうにか会釈をしてやり過ごそうとしたのだが、苦情を言われることはなかった。むしろ『お前も大変だな』とでも言わんばかりの表情で、ますます意味が分からない。

やがて沢山の荷物を積んだ馬車の行列と共に、一際豪奢な馬車が止まる。そうして侍女や騎士達が集まって支度を整えると、中から誰かが降りて来た。

「シーニュ王国、アルフォンス・シーニュ国王並びにフロランス・シーニュ王妃、オデット・シーニュ第二王女殿下の御入城にございます」

係の者の声で、大臣らのお喋りは一切止む。
花嫁の母国であるシーニュ王国といえば美しい国民が多く、流行の最先端であることを国威にしているような国だ。シーニュで作られた素晴らしい生地や新しい意匠などを帝国に取り入れることは有意義であると考えての結婚なのだろうか。

国王夫妻は美しい民の頂点に立つ者に相応しい容姿をしていた。反対に、オデット王女殿下はヴェールで顔を隠していて不自然に感じる。美しいドレスを身にまとっているというのに、どこか異質だ。シーニュには未婚の女性は顔を隠すような文化でもあっただろうかと考えるが、思い当たらない。

「遠路遥々ようこそいらっしゃいました」

恭しく頭を垂れる宰相閣下や大臣らに倣い、俺も頭を下げる。そうして皇帝陛下との会見の為に、国王夫妻と王女殿下を案内するのだが、その会場となる部屋に足を踏み入れた瞬間、俺は内心首を傾げた。この部屋は皇帝陛下が国賓を招く謁見室ではなかった。扉の装飾は美しく、豪奢な内装はシュライク王国の謁見室よりも素晴らしいのだが、いざという時に帝国貴族家の当主達が一堂に会するには狭過ぎる。王城の規模からいって、客間と言ったところだろうか。

促されるまま部屋の端に立つ。だが、やはり大臣達ばかりで出迎えに相応しい人数でもない。
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