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3部 王のピアノと風見鶏
第40話 舞台裏の空気
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思えば、演奏会場の前に到着した時が1番緊張した。待合室は演奏ホールから近い広い部屋で、待っている間、他者の演奏が心を癒した。
「皆さんお上手ですね。リアムは最後から2番目で……」
ノアはそっと顔を寄せて続きを小声で言った。
「ラルフ=ハーマンさんは最後みたい。ここだと誰が誰だかわからないし、みんな演奏前はピリピリしているから、コンクール終わったら話しかけてみよう?」
ノアの呑気なおしゃべりがとても心地よかった。俺は紙を取り出して木炭を走らせた。
曲の名は王がつけた
ノアは俺に名と言葉を与えた
今日はそのお礼をしたい
「お礼なんて、そんな……僕はリアムの友達だよ? 僕は今日自分が演奏するわけでもないのに、とってもとっても嬉しい。リアムとおんなじ気持ちだよ……」
2人手を取りあって、今日というこの日を分かち合う。様々な演奏を聴き、俺はマリーのこどものことを頭の隅に追いやっては、ノアの手を握った。
「リアム」
ノアは俺の手が汗ばんでいることを察したかのように、小声で話しかけてきた。
「僕が塔に来た時に、すごく怖くて……でももう孤児院には帰れないし、アシュレイ様は怖いし、塔には悪魔までいるんだよ?」
悪魔という単語で、ゾッと恐ろしさが背中を這った。
「でも、昔僕によくしてくれたお兄さんがいてね。その人のことを考えてはダメだって思うんだけど、やめられなかった。リアムも、僕や王様への感謝なんて忘れて、本当に自分のしたいようにしてね。コンクールやっぱり出ないって言ったって、僕は全然大丈夫なんだから」
俺は慌てて首を横に振る。するとノアはとても優しい顔で笑った。
俺は、こうやってまた自分のいいようにねじ曲げようと、考えを押し込めていた。思えば、マリーのこどもと王を天秤にかける必要なんてないのだ。俺は今、マリーのこどもが幸せにやっているか気になって仕方がない。
鞭で打たれたりしていないだろうか。泥水を飲んでいないだろうか。腹は満たされているだろうか。寂しい思いをしていないだろうか。そして、マリーのように母を恋しがっていないだろうか。
俺は勘違いしていた。王は俺が去ってしまうのを恐れて黙っているのだと思っていた。しかしそれは違う。王もまた、こどもが失意の闇に震えているなら、助け出してやってほしいと願っていたのだ。だから王はあの話をコンクールまで黙っていようと決めた。今日はなんらかの職につけるかもしれないチャンスなのだ。
俺はノアに手を引かれ、舞台袖に向かう。さっきまでの振り子のように揺れていた気持ちはピンと静まり、一定の方向を向いていた。俺の中の風見鶏がくるっと反転して、舞台の上のピアノに向いている。
ノアに歩行を介助してもらいながら、椅子に座る。またあの不思議な感覚に囚われる。王に初めてこの曲を弾いた時と似ていた。ノアのまつ毛の一本一本がくっきり見える。舞台が明るすぎて客席が見えないのに、一人一人の息遣いが聴こえる。そして、帳を挟んだ貴賓席に王が俺を見つめていることもわかった。
「皆さんお上手ですね。リアムは最後から2番目で……」
ノアはそっと顔を寄せて続きを小声で言った。
「ラルフ=ハーマンさんは最後みたい。ここだと誰が誰だかわからないし、みんな演奏前はピリピリしているから、コンクール終わったら話しかけてみよう?」
ノアの呑気なおしゃべりがとても心地よかった。俺は紙を取り出して木炭を走らせた。
曲の名は王がつけた
ノアは俺に名と言葉を与えた
今日はそのお礼をしたい
「お礼なんて、そんな……僕はリアムの友達だよ? 僕は今日自分が演奏するわけでもないのに、とってもとっても嬉しい。リアムとおんなじ気持ちだよ……」
2人手を取りあって、今日というこの日を分かち合う。様々な演奏を聴き、俺はマリーのこどものことを頭の隅に追いやっては、ノアの手を握った。
「リアム」
ノアは俺の手が汗ばんでいることを察したかのように、小声で話しかけてきた。
「僕が塔に来た時に、すごく怖くて……でももう孤児院には帰れないし、アシュレイ様は怖いし、塔には悪魔までいるんだよ?」
悪魔という単語で、ゾッと恐ろしさが背中を這った。
「でも、昔僕によくしてくれたお兄さんがいてね。その人のことを考えてはダメだって思うんだけど、やめられなかった。リアムも、僕や王様への感謝なんて忘れて、本当に自分のしたいようにしてね。コンクールやっぱり出ないって言ったって、僕は全然大丈夫なんだから」
俺は慌てて首を横に振る。するとノアはとても優しい顔で笑った。
俺は、こうやってまた自分のいいようにねじ曲げようと、考えを押し込めていた。思えば、マリーのこどもと王を天秤にかける必要なんてないのだ。俺は今、マリーのこどもが幸せにやっているか気になって仕方がない。
鞭で打たれたりしていないだろうか。泥水を飲んでいないだろうか。腹は満たされているだろうか。寂しい思いをしていないだろうか。そして、マリーのように母を恋しがっていないだろうか。
俺は勘違いしていた。王は俺が去ってしまうのを恐れて黙っているのだと思っていた。しかしそれは違う。王もまた、こどもが失意の闇に震えているなら、助け出してやってほしいと願っていたのだ。だから王はあの話をコンクールまで黙っていようと決めた。今日はなんらかの職につけるかもしれないチャンスなのだ。
俺はノアに手を引かれ、舞台袖に向かう。さっきまでの振り子のように揺れていた気持ちはピンと静まり、一定の方向を向いていた。俺の中の風見鶏がくるっと反転して、舞台の上のピアノに向いている。
ノアに歩行を介助してもらいながら、椅子に座る。またあの不思議な感覚に囚われる。王に初めてこの曲を弾いた時と似ていた。ノアのまつ毛の一本一本がくっきり見える。舞台が明るすぎて客席が見えないのに、一人一人の息遣いが聴こえる。そして、帳を挟んだ貴賓席に王が俺を見つめていることもわかった。
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