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出会い、僕から

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    地下鉄で忘れたあれを無事に回収した日から二日後、僕はこの地方最大の駅に繋がる駅ビル内の喫茶店にいた。
    
    二日前の夜、僕の心に伸し掛かる全ての悩みが解決したかに思えた時、僕は小さな異変に気が付いた。
    
    いや、それは異変というには小さすぎる事だった。
    
    その異変とは、小さなメモ紙が回収出来たあれに挟んである事だった。
    
    改めて回収出来たあれと挟まれていたメモ紙をテーブルの上に並べて置いた。

    メモ紙を手に取り、開いて再度読み返してみる。

    『はじめまして。私、あなたの忘れ物を届けた者です。あ、名前は唐澤といいます。お礼を要求する訳じゃないけど、お話ししたいです。PS多分、怪しい者じゃないです』

    最後に携帯電話の番号が書かれている。

    これを見た時、質が悪い悪戯かと思った。それまでの僕なら気にも止めずに無かったものとして流していた事だろう。

    椎名さんからあんな話しを聞いた日に、このメモ紙を見た。

    奇妙な巡り合わせが、普段なら動くはずのない、僕の心を少しだけ動かした。

    その結果としてここにいる。

    自分自身が現在に至っている理由わけについて思いを巡らせていると、注文していたモカコーヒーが運ばれて来た。

   ウエイトレスは、素敵な薫りのコーヒーを感じのいい笑顔を添えて、僕の前に置いてくれた。

     僕は、コーヒーを飲む際は砂糖は入れず、ミルクだけ入れる事にしている。

 「コーヒーはブラックで飲むのが一番」

    コーヒー好きにしてみたらそう言うところだろうが、僕はこの飲み方が好きだ。

    コーヒーにミルクを注いだ瞬間の、漆黒のコーヒーにミルクの乳白色が溶け込むのを見ると、何故か気持ちが落ち着くから。

    カップを口許に近付けてみる。すると奥深い薫りが鼻孔を擽る。

    一口付けてみたら、僅かな酸味が口の中に広がる。

    最初の一口に満足してカップを受皿に置く時、『カチャン』と鳴った。
    
    その時、僕の席の正面に見えるドアの『カチャ』と開く音が重なる。

     カップを置いた瞬間、視線を手元から入口のドアに向ける。
    
    店に入って来たその人が、店内を見回している姿が目に入った。

    先程僕にコーヒーを運んでくれたウエイトレスが「お一人様ですか?」と声を掛けたその時、僕と視線が交わる。

    「あ、いえ、待ち合わせなので」そうウエイトレスに答えると、その人はこちらへ近づいて来た。

    スキニージーンズに長袖カットソー、その上にを羽織り、肩に大きめのトートバックを掛けたその人は僕のテーブルの横で立ち止まった。

    「来てくれて嬉しいです。この席いいですか?」
  
       緊張しているのか、少し高いがよく通る声が聴覚を刺激する。
    
    その声は紛れもなく、二日前の夜聞いたものと同じだった。

    僕は座ったまま、顔を向け見上げる。
    
    「唐澤さん、ですか。どうぞ」席を勧めると横に荷物を置いて、僕の正面に座る。

    その人の顔を最初に見て目に止まったのは、左頬のフェイスペインティング?らしいハートマークだった。

    それって何?と思っていると、唐澤と名乗ったその人は、二重瞼のはっきりした瞳で数瞬僕を見詰めている。

    「くふっ」

    急に口角を上げて、堪えきれない様に笑いを洩らした。

    僕は一瞬「何の笑い?」と思い、正直少し引いた。

    「あは、ああ、ごめんなさい。約束してくれたけど、来てくれないんじゃないかって思ってたから。来てくれて良かった。本当に」

    慌てて片手で口許を押え、笑いを噛み殺しながら謝っている。

    それを見ながら僕は「笑いを洩らした後じゃ遅いし、そもそも何で笑うの?」と思考回路は疑問符だらけだ。
   
     そんな僕の疑問に答えるように言葉を続ける。
      
    「私、人と話す時っていつもこんな感じなんで、すみません。何か人と一緒にいるの楽しくて」
    
    「あ、いや、大丈夫。でもちょっと驚いたかな」

     まあ、変わってるけど悪い人じゃなさそうだ。

    ただ間違いなく言えるのは、僕と同じ分類カテゴリーの人じゃない、ということ。

     そう分析していると、また新手を繰り出してきた。

    「あはは、大丈夫じゃないですよ。私がキャッチセールスの人だったらどうするんですか?」

    「キャッチセールス?え、そうなの?」
    
    「見えます?」前のめりに顔を寄せて見詰めてくる。

    「……どうかな」

    「そこは否定すべきでしょ。って言うか私がキャッチセールスだったら吉橋さん終わってますよ?」

     初対面の人とこんな風に話している自分に少し驚いた。

    そんなことだから、横に立って注文を聞く頃合いを窺っているウエイトレスにも気付かずにいた。

    「ご注文がお決まりでしたら、伺いますが」会話の間が空いたところで、するりと間に入ってきた。
    
    ウエイトレスに促され、唐澤さんはメニューを捲っている。

    「あ、これ、ミックスベジタブルジュースお願いします」と健康を気遣うような注文をした。
    
    「体を気遣ってるんですね」

    メニューをパタンと閉じる唐澤さんを見ながら言った、僕に対しての唐澤さんの返事はちぐはぐだった。

    「ん?ふふ、自給自足しないとね」
    
    「自給自足?」僕の疑問に答えることなく、マイペースに逆に質問で返される。
    
    「吉橋さんは?何飲んでるんですか?」

    「え?あ、コーヒーですけど。モカとか好きなんで……」

    あまり積極的に話すことがない僕は、珍しく乗り気でコーヒーという飲み物の素晴らしさを語ろうとした。するとまたも話しを切り返された。

    「コーヒーとか苦くって、私はちょっと無理かな。あ、そうだ聞きたいことあったんだ」

     「吉橋さんの下の名前って何ですか?ほら、拾った手帳にはR.YOSHIHASHIとしか書かれてなかったから……あ、先に言わないと失礼ですよね」

「私、真坂です。字で書くと真っ直ぐな坂で、唐澤真坂からさわまさか

    へぇ、変わった名前だな、と思ってたら何か思い付いたように「あっ」と声を洩らして口をポカンと開けて続ける。
    
    「待って。言わないで。私、当てますから」
    
    そう言って、片手で頬杖を突くとガラス越しに通路を行き交う人々を眺めながら考え始めた。
    
    そこへ先程注文されたミックスベジタブルジュースが運ばれてきた。ウエイトレスは変わらない好感の持てる笑顔を見せているが、唐澤さんは気付かずに考え込んでいる。暫くして答えを見つけたのか、急にこちらを振り向く。
    
    「あっ、あ、ジュース来てる。えーと、Rだからリョウ、じゃない?」
    
    「はずれ、です」
    
    「違うかぁ、うーん」言いながらストローをグラスに刺して朱色の液体を吸い上げる。
    
    「うん、美味しい。じゃあ、リクかリクトとか、どう?」
    
    「リクルートみたいだね。違うよ」
    
    「じゃあ、リュウ!」
    
    「近いね。ニアピン賞あげるよ」
    
    「リュウイチ?」
    
    「ブー、はずれ」
    
    「リュウタロウだ!」
    
    僕は無言で両手の人差し指でバツ印を作る。
    
    「じゃあ、リュウノスケ?」
    
    「…………」無言で唐澤さんに視線を返す。

    「え?当たり?当たりなの?リュウノスケかぁ、どんな漢字なの?」

    「芥川龍之介と同じ龍之介」
    
    「へぇ、龍之介、龍之介かぁ。くふっ」

    唐澤さんは僕の名前を聞くと、最初に言葉を交わした時のように、堪えきれないとばかりに笑いを洩らした。
    
    僕は「またか」と思った。

    会った瞬間に笑い、名前を聞いた途端にまた笑うのは失礼なんじゃ?と思った。

    でも、不思議と嫌な気分にはならなかった。

    「可笑しい?そんな変な名前かなぁ」
    
     「いや、変じゃないよ。思ったより男らしいって言うか、芯が強そうだなぁって」
    
    口許を弛めて言うその顔は、何故か嬉しそうに見えた。

    「私なんて、真っ直ぐな坂だよ?変な名前でしょ?」

    「……そんなことないよ。坂道を真っ直ぐに登ってほしいって……ご両親の願いが込められてる……んじゃないかな」

    僕の言葉を聞いて唐澤さんは、一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに穏やかな笑みを溢した。

    それは、僕の中である人の符号と重なる。

     「そう思うでしょ?でもさ、坂には登りと下りがあるんだから、下り坂を転がり落ちるって捉え方もあるでしょ?まあ、子供の頃は違う名前の由来もあるんじゃないかって思ったけど」

    「違う由来?」

    何気なく訊いたけど、唐澤さんは「あはは、何でもないよ。うん」と外の通路を向き、横顔を見せる。

    唐澤さんの横顔を何となく見ていたら、今日呼び出された本題を思い出した。危うく互いの名前の話しで、忘れるところだったが、まだ唐澤さんの言っていた『話したいこと』を訊いていない。

    「あの、この前メモに書いてた『話したいこと』って……」と本題に入ろうとした。ところが……。

    「ん?お礼の要求のこと?」こちらを向いてキョトンと、間の抜けた表情を見せる。

    「え?要求しないって書いてなかった?」

    ちょっと慌てる僕を楽しげに見て笑いながら「あはは……ふふっ、まあ半分はそうだけど、ちょっとはお礼してほしいかな」口角を上げて僕を見返す。

    そうしながら唐澤さんは僕の方、ある一点を見詰めている。何処を見てるんだ?視線を追っていくと僕の左手を見てる?唐澤さんの意図を測りかねていると、唐澤さんの右手が動いた。

    「……そう……そこ」やはり、僕の左手を指差しながら言う。

    僕はその言動に心が揺れた。

    人を指差さすのはやめて、と思った瞬間、唐澤さんは決定的な一言を放つ。

    「それって……自傷行為あれだよね?」

    僕は何の前触れもなく、一番知られたくないところを突かれ一瞬、ビクンッとした。

    だって、今は腕時計を着けていないのだから、僕の左手首のあれ・・と言ったら一つしかない……。何で知ってる?どうするつもり?僕の心中を疑問と不安が満たす。

    僕の僅かな動揺を感じ取ったのか、二重瞼の透き通るような瞳で僕を見る。そして、小さく一度頷いた。

    それは「大丈夫だよ」と囁いているようだった。

    そして、唐澤さんの次の行動に胸の鼓動は早くなった。

    長袖カットソーの左腕を捲ると、白く細い左手首を見せる。

    そこには、僕の左手首にあるものと同じ痕があった。ただ、違う点が一点。唐澤さんのそれは痕が薄く、かなり前にしたものらしいこと。

    「それって……どういうこと……?」白い手首を見て、自分に覚えがある行為にも関わらず、嫌悪の念が湧いてきた。

    「どうって、こういうことだよ。つまり、貴方と私は同じ……。色んな意味で同じってこと……」捲っていた袖口を元に戻しながら、静かに呟く。

    僕には唐澤さんの本意が分からない。

    「……同じ……同じだとして、どうしたいの?」僕を見詰めている気配は感じながら、顔は上げられず訊いた。

    「私達は、もっと近い間柄になるべきだと思う」思いがけず、強くはっきりした唐澤さんの言葉に再び動揺した。

    「私達は今日初めて会ったけど、私達は同じ……分かるでしょ?私達はお互いを補い合う為に巡り逢ったんじゃないかな……」

    唐澤さんの言葉は静かだけど、ほのかに熱を帯びているのが伝わってくる。

    何も言えずに俯いていると、同じ人とは思えない明るく、張りのある声が僕の背中を押す。

    「もう、覚悟を決めないとぉ!貴方が変わる為にも必要だし、私が取り戻す為にも……」


    僕は、困惑した。当たり前だ。こんな状況に陥ったことなどないのだから。数瞬の間、僕は迷った。解答のない問題に直面したように。結果として、僕は多分、自分の気持ちとは一致しない選択をした。

    「色々ありがとう。でも大丈夫……。手帳を届けてくれたのは、感謝してます。それじゃ」

    伝票を握り締め、席を立とうとした僕の手を唐澤さんの白い手が包む。しっかりと握る手から唐澤さんの体温が伝わってきた。

    席を立ち、傍らを過ぎようとする僕の鼓膜に唐澤さんの声が響いた。

    「ええっ?あっ、と行っちゃうの?……あの、お礼……忘れてませんか………?私、一緒に行きたいところがあるの。次の日曜日、午前十一時にこの駅のステンドグラス前で待ってます。待ってますから」

    唐澤さんの声を後ろに置いて、店を出ると足早に通路を歩く。歩きながら、僕は自分に訊いていた。

    「僕はどうしたらいい?」


    

    





    
    

    
   
   



    

 

    

    
    


    
    

  

 

    


    


    

    

    
    



   


   

    
   

    
   

    
    

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