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キスのお題
掌には懇願のキス
しおりを挟む「十間くんが……」
その名前を出すとき、意識的にか無意識にか、比奈は優しげに目を細める。
恋人にそんな甘ったるい顔をさせるクソガキが、俺は嫌いだ。
「どうしたんです、辰史さん」
「いや、別に」
不機嫌を誤魔化そうとして、まったく誤魔化せていない自分も嫌いだ。普段は嫌になるほど鋭いくせに、こういうときばっかり不思議そうに首を傾げてみせる。そういう比奈の鈍さも嫌いだ――断じて、比奈のことは嫌いじゃないが。
「あきらのやつ、真面目に働いてるみたいだな」
「ええ。頑張り屋ですからね、十間くん。緑さんにも見込まれているんですよ」
「ふうん。そりゃ、将来有望だ」
心にも思ってないことを言って、俺は鼻を鳴らした。子供じみてるな。とは、自分でも思う。知人たちから余裕のなさを指摘されるまでもないのだ。それでも比奈のことに関しては、一分一秒だって涼しい顔でやり過ごせない。
「辰史さん。もしかして、なにか怒っています?」
「なにか怒っています? だって?」
なにか。なにか――と、きたもんだ。こんなやり取りはもう何十回、何百回も繰り返したってのに、お前は俺がどうして怒っているのか分からないってんだから。
じとりと睨めば、比奈は慌てて付け足した。
「いえ、まったく理由が分からないというわけではないんですが――」
「ですが?」
「辰史さん、女性にも嫉妬するんですから。今回は誰のことで怒っているのかなって」
……女にまで嫉妬するような狭量で悪かったな。
しかも、今回はって。いちいち嫉妬する俺も悪いのかもしれないが、すっかり慣れきってる比奈もどうなんだ。ああ、もう。
むすっと口を引き結ぶ俺の手に、比奈がそっと掌を重ねた。
「黙らないでくださいよ、辰史さん」
困った顔で言いながら、指先で手の甲をなぞってくる。優しく、まるで愛撫でもするように。どくんと一つ鼓動がはねた。
おいおいおい、こういうときばっかり卑怯だろ。
「その手には乗らないぞ、比奈」
慌てて体ごと引こうとする俺の手を掴んで、比奈が唇を寄せる。俺の扱いをよく心得ている卑怯な恋人は、そのまま俺の掌にちゅっと音を立てて口付けた。
「ねえ、辰史さん。わたし、辰史さんと喧嘩なんてしたくないんですよ」
触れ慣れた優しい唇に、聞き慣れた甘い声に、流されまいという俺の決意は容易く折れてしまう。あー……俺、怒ってたんだけどなあ。
「だって、お前があきらのことをあんまりにも好きなのが悪い」
「保護者的立場ですよ、わたし」
「面白くないもんは面白くない。ガキって妙に情熱的だし」
「それを言うなら辰史さんほど情熱的な人もいないと思うんですけど……」
「俺は情熱的なんじゃなくて、ロマンチストなんだよ」
「って、自覚あったんですね」
そりゃまあ、夢見がちで思い込みが激しいとはよく言われるからな。
俺の掌をもてあそんだまま微笑む比奈に、俺もつられて笑ってしまう。
「なあ、もっかいキスしてくれよ。比奈。今度は掌じゃなくて、ここがいい」
やっぱり子供じみているよなと思いながらもねだれば、比奈は一つ頷いて俺の唇に軽く触れるだけのキスを落とした。
END.
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