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第50回 切り替え
しおりを挟むあれから一体、どれほどの無我の刻が流れたんだろうか……?
これは決してポエムなどではない。自分を俯瞰的に見ることで無を保つためだ……って、こんなことを考えても熱を感じないってことは……。
俺はなるべく漠然とした意識を保ちながら、徐々に視界を広げるようにして薄目で周囲を確認した。
「…………」
よし、炎はもう跡形もなく消えているし、ボスは仮面を被っている。何より、倒れているはずの虐殺者の羽田京志郎の姿が見当たらない。これは、まさか……。
そのうち、風間も目を細めて周りをキョロキョロと見始めたかと思うと、その視線は羽田が倒れていた場所に釘付けとなった。
「風間さん、やつがいませんね……」
「う、うむっ! いないということは、やつは炎の吐息で火葬されたのではないだろうかっ……!?」
「そうだったらいいんですけどね……」
というか、その可能性も大いにあると思うんだが、どうにも引っ掛かる。これで本当にあの虐殺者が死んだのかと、疑ってかかりたくなるのだ。くたばったのかと思っても、気付けば当たり前の如く背後にいそうな、そんな異様なオーラを持つ男だからな……。
「あんな虫の息状態で消えとるということは、燃やされて骨も残らずに昇天したも同然だろう! 正義漢のわしを真っ二つにしようとしたから、天罰覿面というやつだ。やっほいっ! これで心配事が一つ減ったわい!」
風間は今にも踊り出しそうなほどに喜んでいる。なんかすっかり調子が戻ったな。調子がいいっていうか、かなり切り替えが早い人っぽい。これは是非見習いたいものだ。
ただ、羽田がまだ死んでいない可能性も捨てきれないし、安心はできない。それに、破壊者もこのダンジョンにいるわけだし、裏切り者の黒坂が来ることだってありうる。あいつらに邪魔されないうちに早くボスを倒す必要がある。
ちなみに、そのための準備はもう、整っていた。
「――スウウゥゥッ……」
お、タイミングよくボスの仮面が剥がれて、怒りの顔が登場してきた。このフェーズこそが俺たちにとっては狙い目だ……って、風間がどっかへ行ったと思ったら、羽田の念力で真っ二つにされた大剣を回収しているところだった。
「風間さん、それって……」
「もちろん、これはのー、あの宮本武蔵も真っ青な二刀流というやつだっ!」
「やっぱり……」
宮本武蔵っていう名前はともかく、二刀流は絶対に言うと思った。なんか皹割れちゃってるし大丈夫かと思うが、それでも素手でやるよりはいいか。
っと、カウントダウンの数字が残すところ3秒だ。怒りの顔は、短気っていうのもあるのかすぐに攻撃してくるんだ。
「風間さん、今です!」
「オーケー!」
数字が0になる直前、俺たちはほとんど同じタイミングで跳び上がった。
「オ゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ァァッ……!」
「おっ、今のは手応えありだぞっ……!」
風間が得意顔で両方命中させたわけだが、相当な大ダメージを与えたのか、ボスの反応は俺が叩いたときとは全然違った。痛みを引き摺っているかのような悲鳴なんだ。さすが、腕力の数値が100もあるだけあって強い。
「オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ッ!」
こっちも負けてられるかと、5回連続でダメージを与えてやり、風間とともに着地する。
「佐嶋よ、今のは結構パワフルな動きだったが……もしや、腕力にポイントを少々振っておったのか?」
「はい、そうですよ」
「い、一体いつの間に……」
これこそがボスを倒すための準備だ。もし次に羽田が現れて命を狙ってきたら、全回復したところで意味がないと思うから、俺は羽田に対する挑発を兼ねてレベルを4にして、腕力に10ポイント振っていたってわけだ。
普通に走ったり腹筋したりするだけでもレベルアップクエストは解放されるが、強い意識づけがなければどれだけ訓練しようともカウントされないようになっている。
いくらレベルアップが目的とはいえ、こんなときに俺がランニングを始めるなんて羽田は夢にも思わなかっただろう。意味がわからないこともあって困惑したはずだし、到底無の境地にはなれなかったはずだ
「と、ところで……やはり、佐嶋も報酬のレア武器を狙っておるのか?」
「そりゃそうですよ」
「ぬうぅ、それは奇遇だな、わしもすんごく欲しい……」
風間は武器を破壊されているだけに、かなり切実な様子。
「若いモンには絶対に負けんからなっ!」
「望むところですよ」
相手がスレイヤーとはいえ、この勝負に負けるつもりはない。なんせ、報酬を貰えるのはボスを最初に倒した人限定だからな。もちろん火力では劣るが、その分スピードでカバーして、必ずやレア武器をゲットしてみせるつもりだ……。
◆◆◆
「――ウググッ……」
一階の教室前にある水飲み場にて、全ての蛇口を捻じ曲げて自身のほうへ向け、一心不乱に水を浴びる者――羽田京志郎――の姿があった。
(……熱い……まだ熱いぞ……もう少し【転移】するのが遅れていたら、どうなっていたことか……)
「ウプッ、ウプププッ……!」
羽田はいかにも忌々しそうに顔を歪めたあと、一転して可笑しそうに口元に手を当てた。
(厄日とは、まさにこのことかぁ……。レベルを上げて全回復するには、あと数日足りない。佐嶋ぁ、お前のおかげで目標が一つ増えて嬉しいぞ。なんとしても私の手で芸術品にしてくれる……。これ以上ない最高の死体として仕上げてみせるうぅ……)
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