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本編
35 賽は投げられた(Alea jacta est) 【side イヴァン】
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アナスタシア嬢に輿入れを打診したのは、いろいろな打算の結果だった。
わざわざ一国の王たるアレクセイが(性格的にはアレだが、対外的には有能な為政者だ)俺に女性を勧めるのは、よほどの理由だろうと判断した。国を継ぐ予定もないし、特段好いた女性もいない身だ。あいつに恩を売っておいて損はないだろうと思ったんだ。
公国の第二皇子という立場は楽なものだ。皇太子である兄のように多くの義務や制限もない。身体を鍛えるのが好きだったので騎士団の一員として生活することも許されている。
デメリットは皇族の身分目当てで言い寄る女がいるくらいだ。勤務先にまで押し掛けるのは勘弁してほしい。あと旅先の寝所に忍び込むのも。
だから今回の件は自分にとって悪くない話だった。婚約することで余計なアプローチが減って、周囲も静かになると思ったから。それに加えて権力争いのない隣国の女性を娶ることで、皇太子の座を脅かす気がないことのアピールになるから。
「イヴァン、義母上と同じ聖ルーシから妃を迎えると聞いたよ。おめでとう。」
食事の席で、兄から言葉をかけられた。もう話が届いているらしい。口に入れたレモンタルトを咀嚼し終えてから礼を言った。
「ありがとうございます。俺ばかり好き勝手して申し訳ありません。」
「いいや、イヴァンは私の分まで自由でいてほしいからね。義母上も喜ぶよ。」
「あとは父に許可を貰ったら先方へ使いを出そうかと思っています。」
ミハイル皇太子は第二皇妃の息子で、俺の異母兄にあたる。おっとりとした性格で俺のことも可愛がってくれる、やさしい兄だ。筆頭皇妃の息子である俺を皇太子に担ぎ上げたい勢力もあるなか、変わらずに接してくれるのはありがたい。父のような威厳もアレクセイのようなカリスマ性もないが、臣下が彼のために尽力したいと思わせる、何かを持っている。
そんな兄を支えるためにも、俺は強くなりたい。それ以上に、兄の負担になりたくない。そのためにも騒動の種は早めに潰すに限る。
夜会で見かけたアナスタシア嬢に一目ぼれしたことにして、さっそく婚姻の準備を進める。彼女の父である大神官からは速攻で受諾の返事が来た。父も「好きな女性と結婚するのであれば。」と祝福してくれた。
大丈夫、俺だって女性に興味がないわけではない。よほどひどい性格でない限りは誠意をもって相手を慈しむ気持ちはある。あれだけの見目麗しい美少女だ。文句もない。
甘いもの好きな男性への理解があれば、なおいいんだが。砂糖菓子をひとくち齧りながら、そんなことを考えた。
おかしな事態になったのは、乗り気だったはずの大神官側から急に『婚姻の打診はなかったことにしたい』という連絡を受けてからだった。一度受けた縁談を、しかも皇族との話を断るのはよほどのことだ。何があったのかと思っていたら、今度はアレクセイから衝撃的な一言を告げられた。
「召喚??」
俺の知らない間に神殿の連中が手を回したらしい。なんてことをしてくれたんだと思うが、魔力重視のこの国では魔力目当ての召喚は暗黙裡に行われている。隣国の聖ルーシ王国では久しく禁術になっているが、本人の承諾も得ていたであろうことを考慮すると、わが国では取り締まる術はない。
とにかく、異世界からの魂を召喚して融合させてしまったのであれば仕方がない。特に彼女の中身に惹かれたわけではないので、そのまま娶ることに問題はない。
「魂が混じってしまっても俺は全く構わないぞ。アナスタシア嬢さえ頷いてくれれば、妃としていつでも迎え入れる準備はある。」
それに対して、アレクセイは歯切れの悪い返事をした。
「いや・・・それが事情が変わってしまったんだ。私が彼女を側妃にする。」
どうしてそんなことになったんだと詰め寄ると、アナスタシア嬢に懸想している男がいるとのこと。しかも相手が我がいとこ殿と、あのルー・レイスティアだと聞いて仰天した。どう考えても女にハマる性格じゃない。しかも側妃に迎えた後、2人に共有させるという。何を馬鹿なことをと諫めたが、なぜ駄目なのかは理解できないようで不満げな顔をした。
「どうしてこんな簡単なことがわからないんだろうな。」
アレクセイの美しい金髪をくしゃりと撫でる。くすぐったそうにする姿は、ただの聞き分けがない子供だった。
とはいえ、こちらとて皇帝からの承認を得て準備を進めているんだ、途中で中止しましたとはいかないのもわかるだろうと、本人に直談判しに行くことをしぶしぶ了承させた。
・・・・・・そして、今に至る。
こんなに神々しいまでの美少女だっただろうか。正直、以前は遠目から「美しい少女だな」と見た程度なので印象は薄い。この外見に異世界の魔力付きときたら、アレクセイが手放したくなるのも頷けた。
金色の瞳が、俺を見つめた。射抜かれたようにからだが動かない。言葉が出ない。
先ほど告げられた「国を捨てでもしない限りは婚姻は難しい」「将来的には下賜される可能性がある」という言葉を反芻する。一生気楽な第二皇子として生きていくのか、立場を捨ててアレクセイの麾下に入り自分の実力を試すのか。中身をよく知らない女ひとりのために国を捨てる選択は難しいと軽く聞き流していたが、彼女を目の当たりにして気持ちがぐらぐら揺らぐ。
(なんだ、甘い香りがする?)
馴染みがあるレモネアの香りとは別に、ふしぎと甘い香りがするのに気づいた。たぶんアナスタシア嬢からだが、香水とは違う匂いだ。今まで嗅いだことがない匂いに気を取られてぼーっとしてしまった。
あまい、あまーい香り。砂糖菓子よりも、チョコレートボンボンよりも濃厚で甘やかな香りに頭がくらくらする。
「対価として私は君を愛してあげるし満足させてあげる。」というアレクセイの非常識な発言を聞いて、はっと我に返った。
「おまえなあ、、、もうちょっと違う言い方があるんじゃないか?」
思わず口から言葉が出る。アレクセイの不用意な発言につっこむのは別に俺の役目じゃないが、他にいないんだから仕方ない。
俺以上に女性の気持ちがわからないであろうこの男は、人の気持ちに配慮することが恐ろしく不得手だ。どんなに有能な王で美しい外見をしていても、どこか心が欠けていて、彼女が傷つく可能性には気づかないんだ。
しかし予想に反して、アナスタシア嬢は傷ついた様子もなく、淡々とアレクセイに確認をしていた。
「・・・わかりました。将来はともかく、今は陛下の言うとおりにします。」
まさかその発言が出るとは思わず、彼女を凝視した。やけになっているわけではなさそうだ。どのような考えでこの結論にたどり着いたのかに興味が出た。
(彼女と親しくなって話をしたい。もっと知りたい)
――俺は欲張りだから、国も兄も捨てず、彼女も手に入れたいんだ。まだ婚約という束縛が有効であるうちに。彼女を、逃がしたくないと強く願った。
わざわざ一国の王たるアレクセイが(性格的にはアレだが、対外的には有能な為政者だ)俺に女性を勧めるのは、よほどの理由だろうと判断した。国を継ぐ予定もないし、特段好いた女性もいない身だ。あいつに恩を売っておいて損はないだろうと思ったんだ。
公国の第二皇子という立場は楽なものだ。皇太子である兄のように多くの義務や制限もない。身体を鍛えるのが好きだったので騎士団の一員として生活することも許されている。
デメリットは皇族の身分目当てで言い寄る女がいるくらいだ。勤務先にまで押し掛けるのは勘弁してほしい。あと旅先の寝所に忍び込むのも。
だから今回の件は自分にとって悪くない話だった。婚約することで余計なアプローチが減って、周囲も静かになると思ったから。それに加えて権力争いのない隣国の女性を娶ることで、皇太子の座を脅かす気がないことのアピールになるから。
「イヴァン、義母上と同じ聖ルーシから妃を迎えると聞いたよ。おめでとう。」
食事の席で、兄から言葉をかけられた。もう話が届いているらしい。口に入れたレモンタルトを咀嚼し終えてから礼を言った。
「ありがとうございます。俺ばかり好き勝手して申し訳ありません。」
「いいや、イヴァンは私の分まで自由でいてほしいからね。義母上も喜ぶよ。」
「あとは父に許可を貰ったら先方へ使いを出そうかと思っています。」
ミハイル皇太子は第二皇妃の息子で、俺の異母兄にあたる。おっとりとした性格で俺のことも可愛がってくれる、やさしい兄だ。筆頭皇妃の息子である俺を皇太子に担ぎ上げたい勢力もあるなか、変わらずに接してくれるのはありがたい。父のような威厳もアレクセイのようなカリスマ性もないが、臣下が彼のために尽力したいと思わせる、何かを持っている。
そんな兄を支えるためにも、俺は強くなりたい。それ以上に、兄の負担になりたくない。そのためにも騒動の種は早めに潰すに限る。
夜会で見かけたアナスタシア嬢に一目ぼれしたことにして、さっそく婚姻の準備を進める。彼女の父である大神官からは速攻で受諾の返事が来た。父も「好きな女性と結婚するのであれば。」と祝福してくれた。
大丈夫、俺だって女性に興味がないわけではない。よほどひどい性格でない限りは誠意をもって相手を慈しむ気持ちはある。あれだけの見目麗しい美少女だ。文句もない。
甘いもの好きな男性への理解があれば、なおいいんだが。砂糖菓子をひとくち齧りながら、そんなことを考えた。
おかしな事態になったのは、乗り気だったはずの大神官側から急に『婚姻の打診はなかったことにしたい』という連絡を受けてからだった。一度受けた縁談を、しかも皇族との話を断るのはよほどのことだ。何があったのかと思っていたら、今度はアレクセイから衝撃的な一言を告げられた。
「召喚??」
俺の知らない間に神殿の連中が手を回したらしい。なんてことをしてくれたんだと思うが、魔力重視のこの国では魔力目当ての召喚は暗黙裡に行われている。隣国の聖ルーシ王国では久しく禁術になっているが、本人の承諾も得ていたであろうことを考慮すると、わが国では取り締まる術はない。
とにかく、異世界からの魂を召喚して融合させてしまったのであれば仕方がない。特に彼女の中身に惹かれたわけではないので、そのまま娶ることに問題はない。
「魂が混じってしまっても俺は全く構わないぞ。アナスタシア嬢さえ頷いてくれれば、妃としていつでも迎え入れる準備はある。」
それに対して、アレクセイは歯切れの悪い返事をした。
「いや・・・それが事情が変わってしまったんだ。私が彼女を側妃にする。」
どうしてそんなことになったんだと詰め寄ると、アナスタシア嬢に懸想している男がいるとのこと。しかも相手が我がいとこ殿と、あのルー・レイスティアだと聞いて仰天した。どう考えても女にハマる性格じゃない。しかも側妃に迎えた後、2人に共有させるという。何を馬鹿なことをと諫めたが、なぜ駄目なのかは理解できないようで不満げな顔をした。
「どうしてこんな簡単なことがわからないんだろうな。」
アレクセイの美しい金髪をくしゃりと撫でる。くすぐったそうにする姿は、ただの聞き分けがない子供だった。
とはいえ、こちらとて皇帝からの承認を得て準備を進めているんだ、途中で中止しましたとはいかないのもわかるだろうと、本人に直談判しに行くことをしぶしぶ了承させた。
・・・・・・そして、今に至る。
こんなに神々しいまでの美少女だっただろうか。正直、以前は遠目から「美しい少女だな」と見た程度なので印象は薄い。この外見に異世界の魔力付きときたら、アレクセイが手放したくなるのも頷けた。
金色の瞳が、俺を見つめた。射抜かれたようにからだが動かない。言葉が出ない。
先ほど告げられた「国を捨てでもしない限りは婚姻は難しい」「将来的には下賜される可能性がある」という言葉を反芻する。一生気楽な第二皇子として生きていくのか、立場を捨ててアレクセイの麾下に入り自分の実力を試すのか。中身をよく知らない女ひとりのために国を捨てる選択は難しいと軽く聞き流していたが、彼女を目の当たりにして気持ちがぐらぐら揺らぐ。
(なんだ、甘い香りがする?)
馴染みがあるレモネアの香りとは別に、ふしぎと甘い香りがするのに気づいた。たぶんアナスタシア嬢からだが、香水とは違う匂いだ。今まで嗅いだことがない匂いに気を取られてぼーっとしてしまった。
あまい、あまーい香り。砂糖菓子よりも、チョコレートボンボンよりも濃厚で甘やかな香りに頭がくらくらする。
「対価として私は君を愛してあげるし満足させてあげる。」というアレクセイの非常識な発言を聞いて、はっと我に返った。
「おまえなあ、、、もうちょっと違う言い方があるんじゃないか?」
思わず口から言葉が出る。アレクセイの不用意な発言につっこむのは別に俺の役目じゃないが、他にいないんだから仕方ない。
俺以上に女性の気持ちがわからないであろうこの男は、人の気持ちに配慮することが恐ろしく不得手だ。どんなに有能な王で美しい外見をしていても、どこか心が欠けていて、彼女が傷つく可能性には気づかないんだ。
しかし予想に反して、アナスタシア嬢は傷ついた様子もなく、淡々とアレクセイに確認をしていた。
「・・・わかりました。将来はともかく、今は陛下の言うとおりにします。」
まさかその発言が出るとは思わず、彼女を凝視した。やけになっているわけではなさそうだ。どのような考えでこの結論にたどり着いたのかに興味が出た。
(彼女と親しくなって話をしたい。もっと知りたい)
――俺は欲張りだから、国も兄も捨てず、彼女も手に入れたいんだ。まだ婚約という束縛が有効であるうちに。彼女を、逃がしたくないと強く願った。
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