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第5章 解雇

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それはまるで水中に沈んだ時のようだった。
空気穴から鈍い音が聞こえ、鼓膜を微かに震わすが、それは何の意味も持たない振動でしかなかった。

――水中と宇宙は何となく似ているような気がする。宇宙に放り出されたらこんな感じなのだろうか?

そんなことをボンヤリ考えながら、ガラスの蓋の向こうに見える人たちを、暗黒の世界に追いやるように目を瞑った。

視覚がクローズされると途端に嗅覚が鋭くなる。花々の甘い香りに酔いしれそうだ。確かに、花粉症を患っていたらひとたまりもない環境だ。

――それにしても、何て良い香りなんだろう。

私は料理に影響を与えるであろう、移り香のある香水みたいなものは着けたりしないが、不快な印象を他人に与えたくないから体臭や口臭には、普段から気を付けている。だからだろう。他人の匂いにも凄く敏感だった。

さっき西園寺オーナーが顔を近付けたとき、とても良い匂いがした。あの香りを嗅ぐのは、富美乃様たちと食事をしたときに続いて二度目だった。

――今日も、富美乃様がいらっしゃるから着けているんだ。

そのことも吹き出しから知った事実だった。あの香りは彼が十六歳の誕生日に富美乃様から贈られたものだった。

『貴方も大人の男性として、少しずつエチケットを身に付けなくっちゃね。この香りは私が綾時さんをイメージして特別に作ってもらったの。だから、貴方だけの香りよ』

富美乃様に恋する西園寺オーナーには、それが『貴方だけの特別よ』と聞こえたようだ。それ以来、その香りをずっと纏っているみたいだ。
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