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逸撰隊
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翌朝、甚蔵は部下を率いて江戸を発った。
役目で江戸を出る事は、火盗改では珍しい事ではない。追っている盗賊が江戸を出れば、当然それを追っていく。しかし、戸来にとってはこれが初めてで、それ故に朝から表情は硬かった。
「なに、やる事は江戸と変わらんさ」
甚蔵は出立前に戸来の肩を叩いてそう言ったが、江戸とそれ以外では、明らかに降り注ぐ血の量は違う。特に浪人や渡世人など破落戸が幅を利かせる上州では尚更の事。血に飢えた狼は、役人だろうが構わずに襲ってくる。
(まぁ、緊張するのは仕方ない。俺とてそうだ)
甚蔵は、部下を率いて中山道を歩みながら、脳裏に愛しい娘の面影を浮かべた。
今朝、四谷坂町の屋敷を出る際、甚蔵は十歳になる愛娘の伊佐と入念な別れをしてきた。その時の表情が瞼から離れないでいるのだ。
甚蔵は、伊佐と二人で暮らしている。甚蔵の両親は早くに亡くなり、妻も伊佐を産んですぐに死んだ。
勿論、厳しいお役目をこなさなければならず、男手ひとつで育てたとはお世辞にも言えない。その点では、屋敷に奉公している者たちには感謝をしてもしきれないが、それでも出来る限りの事はしてきたつもりだ。
伊佐は、おしとやかだった母親に似ず、活発でひょうきんな娘に育った。そんな伊佐であるが、暫く留守にする事を告げると、寂しそうな表情を浮かべ、その瞳にはうっすらと涙で潤んでいた。が、伊佐はすぐにハッとして「お役目、頑張ってね」と笑顔で送り出してくれた。本当は大泣きしたいのだろうが、伊佐は自分なりに理解し、我慢しているのだ。甚蔵の胸の痛みは尋常なものではないう。
それでも、お役目だった。正直、公儀への忠誠など大それた事は頭にないが、賊を一人でも減らす事は、江戸の平穏に繋がり、結果として伊佐の為になる。そう思えば、断る事は出来ない。
(そりゃ、俺とて行きたかないさ……)
笹子の鎌次郎の一味は、中々の武闘派で知られている。年に一度の押し込みでは、人を殺す事も躊躇なくやってのけている連中なのだ。
甚蔵は一刀流中西派を修め、人を斬った事は何度もある。剣に自信はある方だが、それでも万が一があるかもしれない。そうすると、伊佐は一人になってしまう。なので、何が何でも死ねない。卑怯な手を使っても勝つ。それが甚蔵の原動力にもなっていた。
「力み過ぎる事もないが、気を抜くなよ」
隣りを歩く戸来に、甚蔵は声を掛けた。突然の事に驚く戸来に、甚蔵は笑いかけた。
「上州の奴らは気が荒いからな」
中山道を歩んだ初日は、鴻巣宿で一泊し、翌日には倉賀野宿から日光例幣使街道に通って、日が暮れる頃に太田宿に入る事が出来た。
宿は丸亀屋に取った。これは贄からの指示で、協力者とこの旅籠で落ち合う事になっているのだ。
四十路になろうかとする、肉付きのいい女将が応対に現れ、甚蔵が宿帳に名前を記すと、意味深に頷き、「お話は伺っておりますわ」と、奥へと導いた。
誰からの話なのか? 気になるところだが、それは女将に訊くより、これから現れるであろう協力者に訊いた方がいいと思い、甚蔵は何も言わずに後に続いた。
女将に案内されたのは、旅籠とは別棟にある離れだった。そこは八畳の一間で六人の加瀬組には手狭だが、それでも周りを気にせずに済むので、ありがたい配慮と言うべきだろう。
風呂に入り、飯が出された。酒は断った。贄が火盗改の長官となってから、江戸の外へ出馬した際、役目が終わるまでは飲酒を禁じている。
飯は麦飯とシジミの味噌汁、それに豆腐と生卵がついていた。卵はご飯にかける者、汁に入れるもの様々だが、甚蔵は皿に落とし、醤油と混ぜて飲み込んだ。
満腹になると、八畳でそれぞれ大の字になって寝転んだ。贄には、急がずともいいと言われたが、ここ二日は歩き通しで足は棒のようになっていたのだ。按摩でも呼ぼうと、戸来たちが話している。それもいいなと思いつつ、ふと伊佐の顔が浮かんだ。
今頃、どう過ごしているだろうか。身の廻りの事は奉公人がしてくれるし、時々は義理の姉が見に行ってくれる事になっている。甚蔵は両親も兄弟もいないが、唯一死んだ妻の実家とは繋がりがある。
(伊佐の事だ。気丈に振舞っているだろう)
これまで、何度も家を留守にしてきている。お陰で、多少の事には動じない娘に成長した。が、それは寂しさを押し殺した上に成り立っているものだ。それだけは忘れないようにしなくてはならない。
「加瀬様」
襖の向こうから声がした。丸亀屋の女将だ。
「お客様がお見えです」
甚蔵はすぐに身を起し、戸来たちも姿勢を正した。
「会おう。通してくれ」
これが、贄が言っていた協力者だろう。甚蔵は戸来たちに目配せをした。余計な事は口に出すな、という合図だった。
通されたのは、武家の主従だった。若い武士と、甚蔵と同じ年格好の中間。若い武士は細く鋭い眼をしているが、口元には笑みを浮かべている。これは、友愛の笑顔を見せながらも、こちらを見定めようとしている典型的な仕草だ。相手がどんな人間なのか、見極める行為に必死で笑顔がおざなりになっている。それなら最初から、笑顔など作らない方がいい。頭でっかちに多い印象だが、若い武士は頭だけというわけではなさそうで、首や肩を見るとそこそこ鍛えているのはわかる。少なくとも、加瀬組の同心よりは頼りになりそうだ。
一方の中間は、何とも言えない存在感があった。そこにいるだけで意識してしまうような。入ってきて一度だけ眼が合ったが、沈んだ溟い光を湛えていた。誰も俺に近付くな、と言わんばかりの翳り。それは、甚蔵ぐらいに経験を持てば見抜けるというもので、戸来などは〔ただの陰気な男〕と思うだろう。
初めて会った人間を、人相から観察する。これは甚蔵の癖のようなものだった。早くに両親に死なれた甚蔵の周囲には敵か傍観者しかおらず、その中から味方を見極める必要があった。甚蔵の観察眼は、こうして培われたものだった。
二人は、礼儀正しく甚蔵の目の前に座した。戸来たちは二人を取り囲んでいる形になっている。
「私は安牧半太郎と申します。これなるは、伊平次と申しまして我々の密偵を務めております」
「我々とは?」
「ああ、これは申し訳ございません」
と、安牧は懐から印籠を取り出した。〔〇に逸〕の逸撰隊の証である。あまり見たいものではないが、大方そうだろうと思った。
「私は二番組の伍長を務めております。伍長というのは、副組頭のようなもので」
「いや、説明はいいよ。大方の話はうちの長官に聞いている。今回はあんたがたの助っ人だってね」
安牧は表情を変えずに頷いた。
「今、我々は大きな隊務を抱えておりまして、本来は三番組の役目である関八州の治安維持にまで手が回りません。そこで、火盗改の皆様にご助力を乞うた次第でございます」
「あんたらに恩を売る好機とは思ったが、笹子の鎌太郎は火盗改も追っていた獲物なんだ。それに盗賊退治は、本来は俺たちの役目。そう畏まる事もないさ」
皮肉を込めて言ったつもりだが、安牧も伊平次も表情一つ変わらない。多少怒ってくれた方が人間らしいが、こうした所も気味が悪く、そして鼻につく。
「まず話をする前にお伝えしますが、この丸亀屋は隊の協力者ですので安心してください」
「協力者とは、どの程度の?」
「店主夫婦が、逸撰隊の密偵です。特に女将は創設から働いております」
「つまり、女将は隊士というわけか」
「いいえ。密偵は正式な隊士ではありません。隊士になれるのは、選ばれた者のみですから」
「つまり密偵は選ばれし者ではないのかい?」
「そういう事ですね。しかし、隊士への道が無いわけでもありません」
伊平次を横にして、自らを選ばれし人間と平然と言う。そんな安牧に鼻白みながら、甚蔵は頷いた。
「兎も角、此処では安心してください。周囲にも気を配っていますので、盗み聞きも無いはずです」
おそらく女将は忍びであり、この旅籠を拠点にして色々と情報を得ているのであろう。思ったより、逸撰隊という組織は、方々に深く根を張っているのかもしれない。
「それで笹子の鎌太郎だが、奴が弥左衛門と名乗って沢辺村の庄屋をしているという事は既に聞いている」
「ええ、その通りです。しかし、盗賊が庄屋をしているというわけではありません。庄屋が盗賊をしているのです」
「そこが、にわかに信じられねぇんだがな。まぁ有り得ないというわけではないのだろうが」
「加瀬さん、沢辺村は小さな集落なのですがね。代々の庄屋が笹子の鎌太郎を名乗り、村人を手下に使って、年に一度盗みを働く村なのですよ。今の弥左衛門で三代目だそうで」
「三代目。そりゃ、どっぷり賊に染まっているなぁ」
「厳しい生活の足しにする為だと言われております」
つまり、沢辺村は泥棒村という事か。ともすれば、捕物は中々の修羅場になるかもしれない。戸来をはじめ新米同心はあてにならない。そうすると、この二人が肝になりそうだ。
「安牧、それじゃ俺たちの相手は村の全員って事にはならねぇかい?」
「いえ」
と、安牧は言葉を切って、懐から書き付けを取り出した。そこには鎌太郎以下、六人の名が記されている。
「捕縛するのは、ここにある六名の幹部で構いません。目的は、沢辺村を普通の村に戻す事ですから」
「相手が抜いてきたら殺ってもいいんだな?」
「もちろんです。その辺りは加瀬さんの一刀流に期待していますよ」
「かく言う、お前さんはどうなんだい?」
すると、安牧が不敵に微笑む。
「私も、そこそこに使えますよ。一応は逸撰隊士なので」
「そうかい。大方は理解した。ただ、大事な点を忘れていた」
「何でしょう?」
「この話の裏は取れてるんだろうな?」
「ええ。そこは逸撰隊を信じてくださいとしか申し上げられませんね」
「連合した相手に情報の出し惜しみしちゃ、相手の不信を招くぜ」
「加瀬さん、鎌太郎をひっ捕らえて叩けばわかりますよ。それは火盗改の十八番でしょう」
「顔に似合わず憎まれ口を叩く野郎だ」
やはり安牧の表情は変わらない。伊平次という密偵も黙ったままだ。
「明日、沢辺村に近い我々の拠点にご案内します。一応、表向きは博徒の手入れという事で」
「沢辺村にはいつ乗り込む?」
「明後日。急ぐ必要はありませんが、相手は人殺しも厭わぬ凶賊です。しかも村人の中にも賊がいるのです。気を抜きませんように」
二人が去ると、甚蔵は全員を集めた。皆が一様に固い表情をしている。泥棒村という聞いて、虎穴に入るような心地になったのか。
「そう緊張するなって言う方が無理があるのかもしれんが、別に捕物は初めてじゃねぇだろ。前も言ったが、江戸でやってる事は変わらねぇ。ちゃんと俺の声を聞いて指示通り動いてりゃ死にゃしねぇよ」
役目で江戸を出る事は、火盗改では珍しい事ではない。追っている盗賊が江戸を出れば、当然それを追っていく。しかし、戸来にとってはこれが初めてで、それ故に朝から表情は硬かった。
「なに、やる事は江戸と変わらんさ」
甚蔵は出立前に戸来の肩を叩いてそう言ったが、江戸とそれ以外では、明らかに降り注ぐ血の量は違う。特に浪人や渡世人など破落戸が幅を利かせる上州では尚更の事。血に飢えた狼は、役人だろうが構わずに襲ってくる。
(まぁ、緊張するのは仕方ない。俺とてそうだ)
甚蔵は、部下を率いて中山道を歩みながら、脳裏に愛しい娘の面影を浮かべた。
今朝、四谷坂町の屋敷を出る際、甚蔵は十歳になる愛娘の伊佐と入念な別れをしてきた。その時の表情が瞼から離れないでいるのだ。
甚蔵は、伊佐と二人で暮らしている。甚蔵の両親は早くに亡くなり、妻も伊佐を産んですぐに死んだ。
勿論、厳しいお役目をこなさなければならず、男手ひとつで育てたとはお世辞にも言えない。その点では、屋敷に奉公している者たちには感謝をしてもしきれないが、それでも出来る限りの事はしてきたつもりだ。
伊佐は、おしとやかだった母親に似ず、活発でひょうきんな娘に育った。そんな伊佐であるが、暫く留守にする事を告げると、寂しそうな表情を浮かべ、その瞳にはうっすらと涙で潤んでいた。が、伊佐はすぐにハッとして「お役目、頑張ってね」と笑顔で送り出してくれた。本当は大泣きしたいのだろうが、伊佐は自分なりに理解し、我慢しているのだ。甚蔵の胸の痛みは尋常なものではないう。
それでも、お役目だった。正直、公儀への忠誠など大それた事は頭にないが、賊を一人でも減らす事は、江戸の平穏に繋がり、結果として伊佐の為になる。そう思えば、断る事は出来ない。
(そりゃ、俺とて行きたかないさ……)
笹子の鎌次郎の一味は、中々の武闘派で知られている。年に一度の押し込みでは、人を殺す事も躊躇なくやってのけている連中なのだ。
甚蔵は一刀流中西派を修め、人を斬った事は何度もある。剣に自信はある方だが、それでも万が一があるかもしれない。そうすると、伊佐は一人になってしまう。なので、何が何でも死ねない。卑怯な手を使っても勝つ。それが甚蔵の原動力にもなっていた。
「力み過ぎる事もないが、気を抜くなよ」
隣りを歩く戸来に、甚蔵は声を掛けた。突然の事に驚く戸来に、甚蔵は笑いかけた。
「上州の奴らは気が荒いからな」
中山道を歩んだ初日は、鴻巣宿で一泊し、翌日には倉賀野宿から日光例幣使街道に通って、日が暮れる頃に太田宿に入る事が出来た。
宿は丸亀屋に取った。これは贄からの指示で、協力者とこの旅籠で落ち合う事になっているのだ。
四十路になろうかとする、肉付きのいい女将が応対に現れ、甚蔵が宿帳に名前を記すと、意味深に頷き、「お話は伺っておりますわ」と、奥へと導いた。
誰からの話なのか? 気になるところだが、それは女将に訊くより、これから現れるであろう協力者に訊いた方がいいと思い、甚蔵は何も言わずに後に続いた。
女将に案内されたのは、旅籠とは別棟にある離れだった。そこは八畳の一間で六人の加瀬組には手狭だが、それでも周りを気にせずに済むので、ありがたい配慮と言うべきだろう。
風呂に入り、飯が出された。酒は断った。贄が火盗改の長官となってから、江戸の外へ出馬した際、役目が終わるまでは飲酒を禁じている。
飯は麦飯とシジミの味噌汁、それに豆腐と生卵がついていた。卵はご飯にかける者、汁に入れるもの様々だが、甚蔵は皿に落とし、醤油と混ぜて飲み込んだ。
満腹になると、八畳でそれぞれ大の字になって寝転んだ。贄には、急がずともいいと言われたが、ここ二日は歩き通しで足は棒のようになっていたのだ。按摩でも呼ぼうと、戸来たちが話している。それもいいなと思いつつ、ふと伊佐の顔が浮かんだ。
今頃、どう過ごしているだろうか。身の廻りの事は奉公人がしてくれるし、時々は義理の姉が見に行ってくれる事になっている。甚蔵は両親も兄弟もいないが、唯一死んだ妻の実家とは繋がりがある。
(伊佐の事だ。気丈に振舞っているだろう)
これまで、何度も家を留守にしてきている。お陰で、多少の事には動じない娘に成長した。が、それは寂しさを押し殺した上に成り立っているものだ。それだけは忘れないようにしなくてはならない。
「加瀬様」
襖の向こうから声がした。丸亀屋の女将だ。
「お客様がお見えです」
甚蔵はすぐに身を起し、戸来たちも姿勢を正した。
「会おう。通してくれ」
これが、贄が言っていた協力者だろう。甚蔵は戸来たちに目配せをした。余計な事は口に出すな、という合図だった。
通されたのは、武家の主従だった。若い武士と、甚蔵と同じ年格好の中間。若い武士は細く鋭い眼をしているが、口元には笑みを浮かべている。これは、友愛の笑顔を見せながらも、こちらを見定めようとしている典型的な仕草だ。相手がどんな人間なのか、見極める行為に必死で笑顔がおざなりになっている。それなら最初から、笑顔など作らない方がいい。頭でっかちに多い印象だが、若い武士は頭だけというわけではなさそうで、首や肩を見るとそこそこ鍛えているのはわかる。少なくとも、加瀬組の同心よりは頼りになりそうだ。
一方の中間は、何とも言えない存在感があった。そこにいるだけで意識してしまうような。入ってきて一度だけ眼が合ったが、沈んだ溟い光を湛えていた。誰も俺に近付くな、と言わんばかりの翳り。それは、甚蔵ぐらいに経験を持てば見抜けるというもので、戸来などは〔ただの陰気な男〕と思うだろう。
初めて会った人間を、人相から観察する。これは甚蔵の癖のようなものだった。早くに両親に死なれた甚蔵の周囲には敵か傍観者しかおらず、その中から味方を見極める必要があった。甚蔵の観察眼は、こうして培われたものだった。
二人は、礼儀正しく甚蔵の目の前に座した。戸来たちは二人を取り囲んでいる形になっている。
「私は安牧半太郎と申します。これなるは、伊平次と申しまして我々の密偵を務めております」
「我々とは?」
「ああ、これは申し訳ございません」
と、安牧は懐から印籠を取り出した。〔〇に逸〕の逸撰隊の証である。あまり見たいものではないが、大方そうだろうと思った。
「私は二番組の伍長を務めております。伍長というのは、副組頭のようなもので」
「いや、説明はいいよ。大方の話はうちの長官に聞いている。今回はあんたがたの助っ人だってね」
安牧は表情を変えずに頷いた。
「今、我々は大きな隊務を抱えておりまして、本来は三番組の役目である関八州の治安維持にまで手が回りません。そこで、火盗改の皆様にご助力を乞うた次第でございます」
「あんたらに恩を売る好機とは思ったが、笹子の鎌太郎は火盗改も追っていた獲物なんだ。それに盗賊退治は、本来は俺たちの役目。そう畏まる事もないさ」
皮肉を込めて言ったつもりだが、安牧も伊平次も表情一つ変わらない。多少怒ってくれた方が人間らしいが、こうした所も気味が悪く、そして鼻につく。
「まず話をする前にお伝えしますが、この丸亀屋は隊の協力者ですので安心してください」
「協力者とは、どの程度の?」
「店主夫婦が、逸撰隊の密偵です。特に女将は創設から働いております」
「つまり、女将は隊士というわけか」
「いいえ。密偵は正式な隊士ではありません。隊士になれるのは、選ばれた者のみですから」
「つまり密偵は選ばれし者ではないのかい?」
「そういう事ですね。しかし、隊士への道が無いわけでもありません」
伊平次を横にして、自らを選ばれし人間と平然と言う。そんな安牧に鼻白みながら、甚蔵は頷いた。
「兎も角、此処では安心してください。周囲にも気を配っていますので、盗み聞きも無いはずです」
おそらく女将は忍びであり、この旅籠を拠点にして色々と情報を得ているのであろう。思ったより、逸撰隊という組織は、方々に深く根を張っているのかもしれない。
「それで笹子の鎌太郎だが、奴が弥左衛門と名乗って沢辺村の庄屋をしているという事は既に聞いている」
「ええ、その通りです。しかし、盗賊が庄屋をしているというわけではありません。庄屋が盗賊をしているのです」
「そこが、にわかに信じられねぇんだがな。まぁ有り得ないというわけではないのだろうが」
「加瀬さん、沢辺村は小さな集落なのですがね。代々の庄屋が笹子の鎌太郎を名乗り、村人を手下に使って、年に一度盗みを働く村なのですよ。今の弥左衛門で三代目だそうで」
「三代目。そりゃ、どっぷり賊に染まっているなぁ」
「厳しい生活の足しにする為だと言われております」
つまり、沢辺村は泥棒村という事か。ともすれば、捕物は中々の修羅場になるかもしれない。戸来をはじめ新米同心はあてにならない。そうすると、この二人が肝になりそうだ。
「安牧、それじゃ俺たちの相手は村の全員って事にはならねぇかい?」
「いえ」
と、安牧は言葉を切って、懐から書き付けを取り出した。そこには鎌太郎以下、六人の名が記されている。
「捕縛するのは、ここにある六名の幹部で構いません。目的は、沢辺村を普通の村に戻す事ですから」
「相手が抜いてきたら殺ってもいいんだな?」
「もちろんです。その辺りは加瀬さんの一刀流に期待していますよ」
「かく言う、お前さんはどうなんだい?」
すると、安牧が不敵に微笑む。
「私も、そこそこに使えますよ。一応は逸撰隊士なので」
「そうかい。大方は理解した。ただ、大事な点を忘れていた」
「何でしょう?」
「この話の裏は取れてるんだろうな?」
「ええ。そこは逸撰隊を信じてくださいとしか申し上げられませんね」
「連合した相手に情報の出し惜しみしちゃ、相手の不信を招くぜ」
「加瀬さん、鎌太郎をひっ捕らえて叩けばわかりますよ。それは火盗改の十八番でしょう」
「顔に似合わず憎まれ口を叩く野郎だ」
やはり安牧の表情は変わらない。伊平次という密偵も黙ったままだ。
「明日、沢辺村に近い我々の拠点にご案内します。一応、表向きは博徒の手入れという事で」
「沢辺村にはいつ乗り込む?」
「明後日。急ぐ必要はありませんが、相手は人殺しも厭わぬ凶賊です。しかも村人の中にも賊がいるのです。気を抜きませんように」
二人が去ると、甚蔵は全員を集めた。皆が一様に固い表情をしている。泥棒村という聞いて、虎穴に入るような心地になったのか。
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