逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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逸撰隊

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 翌日、丸亀屋を出発した。
 案内をするのは伊平次で、安牧は夜明けと共に先発したのだという。

「せめて、何処に行くかってだけ教えてくれ」

 日光例幣使街道をそのまま進むと思ったが、伊平次の足が街道を外れた。伊平次を足を止めると、

「あちらでございます」

 と、言って小高い山を指さした。

「山?」
新田金山にったかなやまと申します」
「逸撰隊は、山塞を築いているとは思わなかったな」
「いえ、あの山には慈光宗の本山がございまして、そちらを宿所にしております」
「ああ、最近流行りのあれか」

 慈光宗と言えば、江戸城内外で流行っている宗派だった。教義はよく知らないが、現在の仏教界ではその威勢はよく耳にする。
 元々は甲州で始まったものだが、江戸で慈光宗が広がったのは、江戸城内からだった。門主・智仙ちせんの実姉が、筆頭御年寄の松島局まつしまのつぼねだったのだ。
 松島局の権力を背景にした勧誘で大奥女中を中心に信仰が広がり、今は亡き御台所・倫子ともこすら深く帰依し、その後押しもあって智仙は家治と昵懇の仲となり、上州新田郡に二千石の寺領を拝領するまでになった。
 その倫子が亡くなり、昨年の二月に将軍世子であった家基が夭折した際には、智仙は気落ちした家治を支えて慰めたという。
 最近では、江戸市中でも慈光宗の小さな寺が増えて来た。贄によれば、智仙は頻繁に家治に呼ばれているらしく、老中・田沼意次などは警戒しているようだが、智仙は政事まつりごとに関する事は一切口を出さず、それどころか何かあれば関八州に点在する寺院を宿所として提供している。勿論、そこに何の見返りも求めていない。そうしら姿勢が、家治に気に入られているのだという。

「逸撰隊は、慈光宗と近しいのかい?」
「さぁ、私はただの密偵でございますので」
「ただの密偵ね」

 逸撰隊の密偵なのだ。ただの、などという事は有り得ない。先導する伊平次の背中は、がら空きのようで隙が見当たらない。それよりも目を引くのは、この男が発する圧だ。安牧と並んでいる時などは、一体どちらが主人なのかわからないほどの風格がある。
 新田金山の麓に近付くにつれ、人の姿が目立つようになった。特に目を引くのは、金剛杖を手に白衣はくえを纏った巡礼者の列だ。一人だけという事もあれば、三人四人と連れ立っている事もある。それはまるで、富士講や熊野詣のような様相だった。
 ただ、人の流れは巡礼者だけではない。百姓や行商人、大八車を押す人足の姿まである。人そして物流が、日光例幣使街道から外れた新田金山へと流れているのだ。それは、新たな町の誕生を思わせる異様な活気を、甚蔵は感じた。
 暫く進んだのち、甚蔵の目の前に広がったのは、立派な門前町だった。門徒やその家族、巡礼者を相手にする店々が集まり、門前町が出来上がったのだろう。他には寺小屋や養生所、通りの奥に目を向ければ長屋まである。
 人通りも多い。巡礼者だけでなく、駆けまわる子供の姿もあった。噂には聞いていた。慈光宗本山のお膝元は、大層な賑わいだと。しかし、その規模は甚蔵が想像した以上だった。

「以前は大金村だいきんむらという寒村でした」

 ぽつりと、伊平次が呟くように言った。

「今では、この規模と賑わいです。金山御坊かなやまごぼうと呼ばれています」
「まるで、石山本願寺のようだな」

 そう言った甚蔵を窘めたのは、戸来だった。口の前に一本指を立てる。伊平次の表情は変わらない。甚蔵は軽口ぐらいと思ったが、戸来は若さに似合わず、その辺は慎重だった。

「加瀬さん」

 背後から声を掛けられ、振り向くと安牧が立っていた。
 安牧の傍には、若い坊主が付き従っている。慈光宗の僧侶だろうか。甚蔵と眼があると、若い坊主は合掌して頭を下げた。

「出迎えようと思いましてね」
「そりゃどうも。それで、そこの坊様は?」

 甚蔵が坊主に目を向けると、安牧が紹介した。

「我々の案内と世話をしてくださる、山江坊円兼やまえぼう えんけん殿です」

 歳は二十半ばから後半。安牧と変わらなそうだが、剃髪しているので若くも見える。色が白く、軟弱な印象が強い。

「お待ちしておりました。ようこそ、金山御坊へ」

 円兼は穏やかな表情で、甚蔵たちを迎えた。声色も仕草もゆったりとしている。

「初めて来るが、立派なものだね。想像以上だ」
「巡礼者も来ますが、出家して暮らしている者も大勢おりますから。これも御仏の導きというものでしょうか。さっ、まずは本山堂にご案内いたします」

 甚蔵の道案内は、伊平次から円兼に変わった。安牧もついて来ているが、伊平次はいつの間に消えていた。気配もなく消えるのはやはり只者ではない。
 門前町を抜けると、道は山道の階段に変わった。山肌には、小さな僧坊がいくつもある。そして女たちの姿。赤子を背にして、洗濯を干しているし。信仰の山には相応しくない光景である。

「別に女人禁制というわけではないのですよ」

 甚蔵の視線を察してか、円兼が言った。

「慈光宗では、ある程度の修行を積めば肉食妻帯が許されるのです」
「なるほど。そいつはまるで……」

 そこまで言って、甚蔵は口を噤んだ。慈光宗の総本山で、他宗の名を口にしては、また戸来に注意される。それが甚だ癪であり、そこまでして言いたい軽口でもない。
 点在する僧坊を幾つも過ぎると、傾斜はかなり厳しいものに変わった。

「おい、こんな山の上にいたんじゃ、いざという時に困るんじゃねぇのかい?」

 甚蔵が先を進む安牧に声を掛けると、涼しい顔をこちらに向けた。

「宿所は下にありますよ。本山堂には、挨拶だけですから」
「そうかい。だが、別に俺は巡礼に来たわけじゃねぇんだけどね」

 甚蔵の嘯きが円兼の耳に入ったのか、笑いながら

「加瀬様、巡礼者は麓の阿弥陀会堂あみだえどうに参拝しますので、本山堂まで来る事は滅多にございませんよ」

 と、言った。

(そういう意味じゃねぇよ)

 甚蔵は鼻を鳴らし、来た道を振り返ってみた。そこからは、門前町だけでなく関東一円を望む事が出来る。甚蔵に釣られてか、戸来たちも振り返り、暢気に感嘆の声を挙げている。

(こりゃ、まるで山塞だな)

 今まで歩いてきた途中には、草に覆われているとはいえ堀切があり、山肌には古い石垣も露出している。僧坊など見ようによっては曲輪のようでもある。田沼意次が全国津々浦々に目を光らせている今、このような物々しい構えを造れるはずがない。とすると、戦国の御世の遺構というものか。
 しかもそれを過ぎると、石垣造りの寺門まであった。ただの寺にこんなものが必要なのだろうか。

「ここでございます」

 本山堂は、山の中腹でも西端の拓けた場所にあった。山頂の方にも伽藍が見えるが、とりあえずはこれ以上登らなくても済む。それだけで、甚蔵は安心した。今年で三十五。安牧や戸来たちのように元気ではない。
 本山堂は、慈光宗の威勢を見せつけるかのように、立派なものだった。
 総瓦の四脚門を抜ければ、まず目に入るのが並ぶようにして建っている、大きな伽藍。円兼が、右が御影堂で左が本山堂と説明した。また境内には経蔵や太鼓楼、また茶室のような離れもある。
 まず甚蔵たちは書院の一間で待たされ、その後に安牧と二人だけが円兼に呼ばれた。門主の智仙に会うのかと思ったが、今は江戸にいて不在らしい。
 通された客間で待っていたのは、尼僧だった。開け放たれた障子の外を、眩しそうな目で見ている。朝から良く晴れていて、午後の光が紅葉の赤を輝かせていた。

妙秀尼みょうしゅうに様、お客様をお連れいたしました」

 円兼が畏まって言うと、尼僧は外に向けた顔をこちらに向けた。
 皺が深い、老いた尼だった。身体も随分と小さい。歳の頃はわからないが、七十に届くかどうかだ。

「これはこれは、ようおいでになってくれました」

 妙秀尼は居住まいを正すと、深々と頭を下げた。

「わたくしは、妙秀尼と申します。ここでは慈嵩小師じすうしょうしなどと大層な名前を貰って、門主の留守を預かっております」
「初めてお目にかかります。私は逸撰隊二番組伍長、安牧半太郎と申します。この度は、我々へのご助力、深く感謝を申し上げます」

 今まで飄々としていた安牧が、力み過ぎる挨拶をした。緊張しているのだろうか。安牧らしくないとも思うが、これがこの男の一面なのだろう。続いて、甚蔵が姓名と役目を簡単に名乗った。

「話はこれなる円兼に聞いております。民の平穏に繋がる事でしたら、金山御坊はどのような協力も惜しみません」
「ありがとうございます。妙秀尼様のお心遣い、局長・甲賀三郎兵衛に代わってお礼申し上げます」
 
安牧が平伏したので、甚蔵も倣った。幾ら年上とは言え、安牧の尼僧への気遣いは度が過ぎている。思わず、力を抜けよと肩を叩きそうになるほどだ。

「神仏の怖畏を知らぬ凶賊の跳梁は、こんな山の上で暮らしていても耳に入るものです」
「それは、我々が力が及ばぬ故にございます。何と申していいのか」
「安牧殿、ご公儀はよくやってくださっていると思います。それでも掬い取れぬものもあるのは確か。その為にあなた方が奔走されているのでしょう。頭を下げるのはわたくしの方です」
「斯様に言ってくださるとは、望外の喜びでございます」
「金山御坊も広がるばかりで、人も日に日に多くなっているとか。商いが盛んなのは良いのでしょうが、胡乱な輩が増えないか心配もしております」
「確かに。最近では、太田宿から当地に宿場町を移すという話もあるようで」

 日光例幣使街道の太田宿を、金山御坊に移すという話は初耳だった。確かに規模やこれからの勢いを考えれば、あり得る話ではある。
 だが、妙秀尼は安牧の発言に首を振った。

「それは噂ですよ。宿場町を御坊に移すなど、とんでもない話です。仮にそうなれば、太田宿で暮らす多くの人の生活を奪ってしまいます。金山御坊は、信仰の拠り所であればよいのです」

 結局、妙秀尼との面会は挨拶程度で大した話もせずに終わった。笹子の鎌太郎について踏み込んだ話があると思っていたので、妙に拍子抜けだった。

「お前さん、あの尼僧にえらく気を使っていたな」

 本山堂を出ると、甚蔵は安牧捕まえて訊いた。

「ああ、加瀬さんはご存知ないのですね」
「何が?」
「妙秀尼様は、門主の姉上なのですよ」

 そこまで言われて、甚蔵はピンときた。妙秀尼は智仙の姉という事は、あの尼僧が現将軍・家治の乳母にして、かつて絶大な権力で大奥に君臨した、筆頭御年寄・松島局だったのだ。

「なるほどね」

 甚蔵はひとり納得し、麓までの山道を降りて行った。
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