召喚巫女の憂鬱

リコピン

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第一章 突然始まった非現実

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7. 

どのくらいの距離を歩いたのかはわからないけれど、森を抜けた時にはまた日が落ちかけていた。ほとんど丸一日歩き続けたことになる。

歩く速度は私のペースに合わせてくれていたし、途中、食事のための休憩や、それ以外にも何度か短い休憩を挟んでくれたから、歩き通しというわけではなかった。それでも、専門学校に進んでからは、運動することなんてほとんど無かった身には、十分こたえた。

前を歩いていたヴォルフが立ち止まって、振り返る。

「…少し先に小さな集落がある。ギルドや宿は無いが、今夜の寝床くらいは確保出来るはずだ」

首を傾げて、理解出来ていないことを伝える。ヴォルフの視線が、私の足元に落ちた。さすがに、履き物まではヴォルフのものを借りるわけにもいかない。草履で歩き続けた結果、鼻緒で擦れた指からは血がにじんで、足袋を汚している。

「…靴がいるな」

言って、ヴォルフが背を向けて屈んだ。

「乗れ」

『え?』

その仕草が、私を背負おうとしているように見えて、戸惑う。

「ここからは魔獣の不意打ちも無い。乗れ」

目線で促されて、その背に手を伸ばす。普通だったら、この年で背負われるなんてとても抵抗があるけれど。疲れ過ぎていて、羞恥心を感じる余裕がなかった。

大人しくおぶわれてしまえば、ヴォルフが重さを感じさせない身軽さで立ち上がって歩き出す。力強さに感心しながら、彼が歩く心地好い振動に身を任せば、疲れているせいもあって、直ぐに眠気に襲われた。

ダメだ起きていないと、背負ってもらってるんだからと必死に耐えたつもりだったのに。気がついた時には、見知らぬ小屋の藁の上に寝かされていた。

周囲を見回してみても、ヴォルフの姿が見えない。真っ暗な小屋には、明かりが一つぶら下げられているだけ。床もなくて、地面に直接敷かれた藁の山の上に居ることに気づく。

ヴォルフはどこだろう?ここがどこかなんてわからないし、置かれた状況もわからない。それでも、

―ヴォルフが居てくれれば、恐くないのに

膝を抱えて、丸くなる。 

突然、ギッと音を立てて小屋の戸が開いた。

『ヴォルフ?』

小屋の小さな明かりでは、入り口まで光が届かない。無言のまま小屋の中へ踏み入ってきた人間のシルエットしか見えない。だけど、あれは、

―ヴォルフじゃない

「ハッ!ガキじゃねえか!」

嘲るような響きをもって聞こえた声は、野太い男のもの。どら声に、身がすくんだ。

「白銀の冒険者様が後生大事に抱えてきた女だから、どんなもんかと思やぁ」

ズカズカと奥まで踏み込んできた男が目の前で立ち止まり、真上から見下ろしてくる。その顔に浮かんでいる表情の不快さに、寒気がした。

「あぁ?怯えてんのか?お前の男は、この小屋借りる条件に、裏山のジャイアントボア狩りに行ってるからな。しばらくは戻ってこねぇよ」

男がしゃがんで、顔を近づける。

「なぁにが『手助けは無用』だ。白銀だか何だか知らねえが、よそもんが偉そうに。そう簡単にヌシをやれりゃあ、俺達だって苦労はしねぇんだよ!」

男の呼気から、酒の臭いがした。ギラギラと光る眼差しが、時たま焦点を失う。

「…馬鹿が。一人で調子にのりやがって」

目の座った男の声が、低くなった。

「あいつが死にゃあ、お前はこの村のもんだ。誰かに下げ渡されちまう前に、味見してやるよ」

男が下品に笑う。

「なぁに、気に入りゃあ、俺がもらってやる。せいぜい楽しませろ」

こちらに手を伸ばす男の、太い指が視界に入り、反射的にそれを避けようとした、瞬間―

「グアッ!」

潰れた声をあげた男が横に吹っ飛んで、何かに激しくぶつかった音を耳が拾う。突然、視界から消えた男に唖然として視線を上げると、

「…無事か?すまなかった」

こちらを見下ろすヴォルフと目が合った。それだけで、体から力が抜け、深い安堵に涙が込み上げてくる。

「…もう、大丈夫だ。少し待っていろ」

部屋の奥、壁際に倒れこんでいる侵入者の方へ顔を向けたヴォルフが、その男へと近づいていく。男は気を失っているのか、ヴォルフに襟首を掴まれても、ピクリとも反応しない。そのまま、男を片手でズルズルと引き摺ったヴォルフが、小屋の戸を開けると、男を外へと放り出した。

藁の上に座り込んだまま、一連の流れを茫然と眺めているしか出来ずにいると、ヴォルフが傍へと戻ってきた。

「屋根のある場所で休ませてやりたかったが、一人にするべきではなかったな」

何かを言いながら屈んだヴォルフに、いきなり足首を掴まれた。

『え!?ヴォルフ!?』

「…薬を手にいれた」

寝ている間に、草履と足袋は脱がされていて。

ヴォルフの手が素足に直接触れる。血だらけだったはずの足が綺麗になっているから、血や泥も洗ってくれたんだろう。ありがたいけれど、そう考えると―

怪我に触れないようにそっと持ち上げられた足。じっと見つめられて、羞恥に顔が染まる。

「…深い傷は無いな。腫れも無さそうだが、感染を塞ぐために薬を塗っておく。痛むぞ」

『!痛い』

傷口に冷たい軟膏が塗られた。傷にしみる痛みに、思わず弱音がこぼれる。歩いている間の方が、よっぽど痛かったはずなのに、気が緩んでいる今は、我慢が出来なくなっているみたい。恨めしげに視線を上げてヴォルフを見れば、その口元が、微かに緩んでいる気がする。

「痛むと、言っただろう?」

『…ヴォルフ?』

彼の声が笑いを含んでいるように思えて、その表情を確かめようとヴォルフの顔をじっと見つめる。

「…悪かった」

『…』

やっぱり、どこか楽しそうな気がするヴォルフは、だけどそれ以上は何も言わずに薬を塗ってくれた。

つい先ほど、見知らぬ男に襲われかけて、今は男の人にひざまずかれている。私の日常からはかけ離れていると、そう思うのに。

何でだろう?取り乱すこともなくいられるのは。感覚が麻痺してしまっているのかもしれないけれど。でも、多分、これだけ安心していられるのは、きっと、少なからず、目の前のこの優しい人のおかげ。




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