『ひとり歩く山の道』
拡張型心筋症と診断されて5年。隆介は焼津アルプスを再び歩くことを決意した。玄関の下駄箱から山歩きの靴を取り出すと、亡き妻・三津子との思い出が蘇る。植物を愛し、「自然は最高の芸術家よ」と語っていた彼女。玄関脇には、三津子が育てていたシャクナゲが今も静かに咲いている。
5年前、三津子を失った直後の山歩きは、ただ寂しさから逃れるためだった。だが今は違う。病と向き合い、残された時間の大切さを知った今、同じ一人旅でも心は孤独ではない。むしろ、三津子が愛した自然の息吹に触れることで、深い充足感を覚える。
花沢の里から満観峰へと続く道で、ツワブキの黄色い花を見つける。「秋の山を照らす小さな太陽ね」。三津子の言葉が耳元でよみがえる。頂上からの眺望は5年前と変わらず、駿河湾、富士山、南アルプスの山々が美しく広がっていた。
下山途中、隆介は静かに微笑む。これが最後の山歩きになるかもしれない。でも今、この瞬間は、何物にも代えがたい宝物となった。家に戻り、夕暮れの中で咲くシャクナゲを見上げながら、「また来られるといいな」とつぶやく。それは願いであり、祈りであり、そして新たな決意でもあった。
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