令嬢は闇の執事と結婚したい!

yukimi

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第3話(1) 闇の書庫

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 侯爵家の家族の世話役にはそれぞれ侍従や侍女が付いており、一日の間で執事と直接関われる時間は限られていた。

 しかし、初日の再会が日暮れまでお預けだったかというとそうでもない。
 来客があった際には部屋まで案内役をしてくれたし、食堂での昼食や午後に他家の令嬢を招いて開いた茶会ではミーナと一緒に横の壁際で控えていてくれた。今日は引き継ぎの関係で執事代理のノイグも一緒にいたが、今後は一人でやっていくことになるだろう。

 特に茶会では、白壁が映える昼の貴賓室にて、シルエットも美しい執事服のシドがコロコロと静かな音を立てて台車を運んできたのを見て心躍った。
 台車には金の装飾が入った白地の茶器とケトル、茶葉の入れ物、そしてそれを囲うようにペチュニアの花が添えられ、一歩踏み出すたびに前髪で隠れる青藍の瞳との対比が美しかった。

 もちろん大した会話はできない。執拗に目を合わせてアイコンタクトを取ろうなんてもっての外だ。けれど、若干わずらっているフィリアにとってはワクワクの種であった。

 夕方には書庫で会える。彼の正体が騎士かどうかそれとなく聞き出すセリフを一日中練っていたのは言うまでもない。



 侯爵家の書庫は城の北、地下一階にひっそりと存在していた。

 日暮れの刻を過ぎ、フィリアはミーナを供につけ、赤絨毯の敷かれた長い廊下に意気揚々と現れた。

 突き当たりにある階段の前にシドが一人で待っているのが見えた。
 まだ夕焼けの残滓が照らす中、姿勢よく立っている姿はどこからどう見ても忠実な執事であり、それ以外の何者でもない。

 フィリアは色白の顔に大輪の華を咲かせ、無意識に手まで振ってしまった。
 彼女の方は午後から着替えをし、胸下で絞った白色のドレスに薄いレースの肩掛けを羽織り、残光に輝く白銀の長髪は後ろに結い上げてなぜか余所行きの様相である。なまじ見目が良い為、傍から見れば夕映えする純白の聖女のようにも見えただろう。候爵令嬢が書庫へ行く為だけに気合を入れているのは少々異様であり、意味深でもあることだ。ミーナも周囲をちらちらと見遣って気を揉んでいる。

 シドは少し驚いた表情を見せつつも、見てはいけない物を見たかのように目を逸らして通常通り執事の儀礼でもって一礼を返してきた。そして反応はそれだけだった。次に顔を上げた時には昼間と同じように薄い唇は軽く結ばれ、凛々しく整った眉の下で、燃えているようにも見える青藍色の瞳はただ真っ直ぐにフィリアへ向けられていた。赴任初日の彼はそれをフィリアの日常的な振る舞いと受け取ったのかもしれない。

「お待たせ、さあ行きましょう」
「はい、足元にお気をつけ下さい」

 合流してすぐにシドが白手袋の片手を差し出してくれた。フィリアがにっこり笑って手を添え、二人で狭い石造りの階段をゆっくりと降りて行く。侍女はその後ろに続いた。

 初めて触れた手は、手袋ごしでも温かい。
 フィリアの指先を親指でしっかりと握る力は強すぎず弱すぎず、こういうことに慣れているのか、執事は一段一段を上品な所作で慎重に進んでくれた。
 その横顔は、相変わらず真剣で真面目そうだ。

「今日一日、この城で初めてのお仕事はどうだった? 慣れないことばかりで疲れたでしょう」

 フィリアがニコニコしながら訊ねると、シドは振り向いた。釣られたのか、さっきより表情が柔らかい。

「いえ、まだ疲れてはおりませんよ。確かに慣れないことが多いのも事実ですが、ここの従僕たちは優秀な者が多いので随分助けられています。私もこれまでの経験がありますからすぐに慣れると思いますよ」
「まあ、経験が……あなたの立場は本当に大変ね……」

 ナルス高原の屋敷で屋敷守とかいう経験だろうか。その裏では影の騎士として様々な戦闘を経験してきたはず……。
 城の大勢を騙せても、フィリアを騙すことなどできないのだ。

「ミーナは書庫が嫌いでしょ。外で待っていてね」
「は、はあ、大丈夫でしょうか、お嬢様……」
「大丈夫よ、私は以前、何度も入ったことがあるもの、書庫の中は平気よ」
「はぁ……」

 そういうことじゃなくてと、後ろをついてきたミーナの方は困り果てていた。
 侯爵家の書庫は広く、明かりが入らないためとても暗い。彼女は一度中へ入って迷子になったことがあるので確かにトラウマがある。しかしながら現在は、今日来たばかりの執事と女主人を二人きりにすることの方がよほど心配でならなかった。シドは執事としては有能そうだ。怪しいところも見当たらない。しかし、内面がどんな人間なのかがまだよく分からない。フィリアは一度賊に襲われているし、可能性は低いがシドが刺客の類だったら一大事である。けれど、無理に邪魔するのも憚られた。

 ミーナは農家の出で、幼い頃からこの城で女中として働いていたところをフィリアに気に入られ、数年前に侍女へと昇格した。主人には大恩があるし、「シドは信頼できると出た」と言い張る令嬢の占いを根拠もなしに否定すれば、自分への信頼は地を這うより低く落ちていくだろう。当たっているかどうかに関係なく。

 三人が踊り場まで降りたところで眼下に大きな木製の二枚扉が現れ、守衛が一人で扉番をしているのが見えた。
 結局何も言えないままのミーナをそこで待機させ、フィリアとシドは備え付けのランタンを一つずつ借りて頑丈な鍵を解錠させた。

「シド、うちの書庫は蔵書が多いから、奥の棚から順に二手に分かれて調べましょう」
「承知致しました」

 ギギと音を鳴らして扉を開けると、あの、古いインク独特のにおいがたちこめる陰気な室内は異様なほど真っ暗闇に包まれていた。広過ぎる為、二灯のランタンの明かりだけでは奥がどこまで続いているのか分からないほどだ。まるで古い絵物語に登場する“黒の魔道師”でも潜んでいそうなほどの不気味さである。

 以前、バゼルや父やその侍従や前の侍女など複数の人とたくさんのランタンを使って入っていたフィリアは急激に恐怖を覚え、我知らずシドの袖を掴んだ。

「ほ、ほ、ほらね、信じられないくらい真っ暗でしょう。ミーナが怖がって逃げ出すわけよ……ちょ、ちょっと、シド、離れないで、近くにいてちょうだい」
「大丈夫でございますか」

 ランタンを掲げ、フィリアの顔を覗き込んできたシドは、整った眉を寄せて少々心配そうな色を滲ませていた。

 貴賓室の茶会では、シドの手前、他家の令嬢達よりもひと際淑女らしく慎ましやかに振る舞っていたから、ここまで腰の引けた娘に変わるとは思いもしなかっただろう。

 彼の目には初めて対面した時の鷹のような気負いはそれほど感じられない。ただ、やたらと思いやりの感じられる、フィリア好みの端整な顔が近付いてきたから慌てふためいた。

「だ、だ、大丈夫よっ」

 顔がちょっと赤くなってしまったが、暗いから気付かれなかったと思いたい。
 結局、片手にランタン、もう片方の手で執事服の袖を掴んだまま、フィリアはシドに連れられて書庫の奥へと入って行った。目ぼしい棚の前に到ると、もはや単独行動などあり得ず、彼が選んで開いた本を横から覗き始める有様だった。


<つづく>
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