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ハネムーントレイン

76.偽物のダイヤ

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 新婚旅行二日目、早朝。
 王都から三百キロほど離れた大きな街に列車は停車していた。
 地球ならば東京から仙台ほど。新幹線であれば二時間もせず走行できる距離だが、観光列車としては無難なペースである。
 観光列車用線路の隣に作られた何本かの線路には、物資を運搬するため貨物列車が忙しなく行き交っている。
 数秒間だけカーテンの向こう側を何かが物凄いスピードで通過していくため、僅かに部屋が暗くなる。音は聞こえないが、こんなに朝早くから稼働しているということは、貨物列車は一晩中走り続けているのかもしれない。
 景色や料理を楽しみながら優雅に走り、大きな駅でどっかり居座りのんびりと出発の時を待つ、そんな贅を尽くしたクルーズトレインが如何に特別であるかが分かる。
 王都を発つギリギリまで王城で仕事に追われていた真紘は、ゆったりとした時間の流れに慣れず、未だにふわふわとした気分でいた。

 早く起きてもやらねばならぬ仕事もなく、ただ隣にいる重盛の尻尾で手遊びに耽る。
 昨晩も先に寝てしまったため、重盛が何時に寝たのか分からないが、気持ち良さそうに寝息を立てているため起こす気にはなれなかった。
 すっかり目が覚めてしまった真紘はもぞもぞと上半身を起こし、重盛が起きないようにそっと頬を撫でた。
「ふふっ、可愛いね」
 シュッとした鼻筋や、きりっと上った眉は、間違いなくカッコいい部類に入る。垂れた目尻も閉じられているため睫毛の長さが際立っていた。
 そんな自分より大きく逞しい男を可愛いと思う日が来るとは、感慨深いものだ。
「ほっぺもモチモチ、気持ちいい」
 もう少しこのまま気持ち良く寝かせてやりたい気持ちと、早く目を覚ましていつものように抱きしめ返して欲しい気持ちで板挟みになり、真紘は背中を丸めて額や頬に口づけていく。
 いよいよ唇に触れようとした瞬間、重盛はくぐもった声を漏らした。
 真紘は慌てて顔を離し、銀色の髪をなんとなく手で梳く。
「あ、起きた?」
「おはよ……」
「おはよう、重盛。出発まであと六時間くらいあるけど、街に出てモーニングでもする? それともラウンジで何かもらって来ようか?」
「今はもうちょっとこうしてたい……」
 重盛は目を閉じた状態で真紘の太ももを探し当てると、そこに頭を乗せてひょこひょこと耳を動かした。
「細いのに柔い」
「ガリガリって言われるのかと思ったのに」
「骨が当たるのは頭の置き場所が悪いんだって。待てよ? 誰かに膝枕してガリガリって言われたことあんの? 場合によっては俺泣いちゃうかも」
「膝枕なんて重盛以外にしたことないよ! それよりも新婚旅行も始まったばかりなのに、こんな怠惰でいいの? これじゃ家にいるのと変わらないんじゃ……」
「今日の街は王都とそう変わらないし、行きたいところないっしょ? それにこの部屋、防音に特化してるだけあって真紘ちゃんの鼓動とか吐息とか微かな音まで堪能できて最高なんだもん、いい匂い、心臓もとくとくいい音、出たくない……」
「まさか生命活動を褒められるとは思っていなかったな。どうせなら自発的な言動を褒めてほしいよ」
 真紘は左手で重盛の頭を撫でながら、右手をオーケストラの指揮者のように振って光の粒子を描いていく。
 くるくると布団は捲りあがり、カーテンが開く。
 朝日が射しこむ窓の向こう側には、青空と天辺を白く染めた大きな山が見えた。
「んえ~まぶしい」
「ほら、見て重盛、いい天気。せっかく初めて来た街なんだから、手を繋いで朝の散歩くらいしようよ。これも新婚旅行っぽいでしょう?」
「でも俺、結構前からめちゃくちゃテンション上がってる……」
「そうなの? テンション上がってる割には声が低いけどって、ちょっ、うわあああ……っ!!」
 重盛はごろりと転がり、体の向きを変えて真紘の腰元に鼻を擦りつけた。
 予想もしていなかった行動に悲鳴を上げながら真紘は腰を引いて重盛の顔を押しのけた。
「やぁ、やめ……」
「その怒り方はまんざらでもないやつじゃん?」
 目を細めてにっと笑った重盛は上体を起こした。
「もう朝だよ……。昨日だって僕が寝落ちするまで、あ…ちょっと……むぅっ」
 いつの間にか腰と肩を抱かれ、鼻先がちょんと触れ合う。
 互い以外を映していない瞳は、昨晩の事情を思い出させるには十分で、熱がじくじくとぶり返してきた。
 いとも簡単にベッドに沈められた真紘は、射貫くような視線に耐えきれずふいっと顔を背けた。
「ホントに出かける?」
「……かわいくない誘い方だね」
「えー数分前まで可愛い可愛いって言ってくれてたじゃん」
「……数分前って?」
「俺が寝てるのをいいことに、真紘ちゃんてば、ちゅっちゅ、ちゅっちゅっていっぱい悪戯してたのも知ってんだぞ」
「ひ、ひどいよ! 起きてたんだ、いじわる!」
「むしろ好きにさせてやろうって超我慢してたんだから褒めて」
「スケベ!」
「わははっ、そのスケベと結婚したのは真紘ちゃんだもんねぇ」
 頬を膨らませて涙目で睨んでも重盛には褒美でしかなく、さらに上機嫌になるだけであった。
 こんなに天気も良く、新しい街に着いたというのに、自室に引きこもってベッドから一歩も出ないなんて何たるや。二ヶ月もいちゃついていれば多少は慣れるものだが、形だけの抵抗をしながら、明るい部屋でベッドに縫い付けられて喜んでいるのだからばつが悪い。
 新婚ならばこれくらい当たり前なのだろうか、と真紘は額や頬に落とされる口づけを受け入れながら思考する。
 しかし、いつまで経っても重盛の唇は口元に帰ってこない。
 どうやら真紘が寝ていた重盛にしたルートを丁寧に再現しているらしいと気付いたのは、餅を食むように頬をムニムニと吸われてからだった。
「もう、本当に狸寝入りだったんだ」
 真紘が苦笑いを浮かべると、重盛は尻尾をぶんぶんと振った。
「タヌキだぁ? 俺は可愛いキツネよ?」
「そういう事じゃない」
「ぶっちゃけると真紘ちゃん可愛いことしてんなぁと思って様子見てたら起きるタイミング逃し続けた、わはは!」
「寝かせてあげたいなとは思ってたけど、そんなことなら早く起きてほしかったよ」
「ごめんって」
「だめ」
 真紘は重盛の首に腕をまわしてぐっと引き寄せる。
 思いの外、力が強かったのか重盛は珍しくバランスを崩して真紘を下敷きにするようにして崩れた。
 全身が隙間なくぴったりと重なる。
 真紘がうっそりと笑みを浮かべると、重盛の耳のタフトがタンポポの綿毛のようにぼわっと広がった。
 それに気分を良くした真紘はより耳元に近づき、囁く。
「重盛のせいで出かけたくなくなっちゃった……。責任取ってくれるよね?」
「~~ックゥ、めちゃくちゃ責任取る!!」
「おお、声大きいな」
「キスしていい?」
「今さら聞くの? 僕は無許可で色んなところにちゅーしたから咎められるのかな?」
「真紘ちゃんに限り、未来永劫無許可でどこでもオッケー」
「じゃあ僕も、重盛に限り恥ずかしくないところなら」
「そこはどこでもって言えよ」
「いひひっ」
 真紘は悪戯な笑みを浮かべて、べーっと舌を出した。


 ソファーに引っ掛かっているだけのパジャマを回収する重盛を眺めながら、真紘は肌触りの良いリネンに包まれている。
 停車していた列車は既に動き出していた。
「二度目のおはようだね。流石に寝すぎた……」
「おはよう真紘ちゃん。せっかく早起きしたのに、二度寝に付き合ってくれてサンキューね。喉乾いた? 水持って来たから飲んで」
 布団から右腕だけ出すも、そっと手を握られるだけ。ダンスをする時のようにもう片方の手が背中に差し込まれ、壊れ物を扱うよう優しく丁寧に起こされる。
 さらに蒸しタオルまで用意されていて、真紘は顔、首、背中を清められていった。
「はぁー……また介護されてる」
「ふふん、ヒロじい、気持ち悪いところはないですか?」
 鼻歌を奏でながら嬉々と世話をする重盛に対して怒る気力もなく、ないよ、と真紘は返した。
 いつの間にか用意されていた襟シャツとオーバーサイズの薄紫色のニット、ネイビーのスラックスは、昨日と違って落ち着いた雰囲気で、さらに体から力が抜けた。
 諦めてだらんと脱力した真紘は、体力の差が憎いと呟く。
「こればかりは体力の問題じゃないんじゃね? だって俺達他の人より体力も魔力もあるわけだし」
 差し出されたコップにはストローまで刺さっている。
「気遣いの鬼……」
「ふふん、惚れた?」
「惚れたというか惚れ直したというか、ここまで来ると職人技?」
「真紘職人なので」
「じゃあ僕は松永職人にならないと……」
「そこは重盛職人って言えやい」
 実りのない会話をしながら真紘は昼間の姿に整えられていく。
 重盛はグレーに白と紺が差し色で入ったノルディック柄のセーターに、黒のスラックス。
 もし異世界に召喚されず、大学生になっていたらこんな格好をして学校に通っていたのだろうかと想像が膨らむ。
 地球にいた頃は今よりも暗い茶髪であったが、ピアスも開いていた。
 元々大人っぽい雰囲気の重盛は新入生に見えなかったかもしれない。
「君は地球でも恐ろしくモテただろうな」
「え、なに?」
「今日のコーディネートが大学生っぽいなと思って。あのまま進学していたら今こうして隣にいれなかったかもって少しだけ寂しくなっちゃった」
「真紘ちゃんてば甘えん坊の寂しん坊じゃん。心配すんなって、どこにいても絶対隣にいたよ。俺、真紘ちゃんの志望大学第一希望から第三希望まで知ってるし、最終的には仲良くなってた」
「僕の進路知ってたって、どうして?」
「普通に志水真紘君はどこ志望ですか~って進路指導の先生に聞いたら教えてくれた」
「まさかの正攻法だ。あの学校の個人情報保護の方針はどうなっているんだろう。僕も君の国語の答案用紙勝手に見せてもらったから何とも言えないけど」
 手を繋いで散歩デートはできなかったが、部屋でまったりは堪能できた。これも大学生っぽいだろう、と重盛は笑う。
 だらしないよ、と口にしながら真紘は重盛の二の腕に額を擦り付けた。
 甘えん坊の寂しん坊もその通りだ。
 今も広い客室にも関わらず、常に体の一部が触れ合っている。
 なんとなくで大学に進学しても結末はハッピーエンドに変わりなかったが、異世界に来て良かったと真紘は思った。
 きっと今が最も早い二人の再会ではじまり。
 ふぁんふぁんと揺れる尻尾を両手で抱きしめると、ぐうぅと重盛の腹が鳴った。


 重盛の作り置きの料理を食べてしまうのはまだ惜しく、真紘と重盛は軽食をつまむためウンジへと足を運んだ。
 昼の時間も過ぎていたため、ラウンジにいる乗客は二人だけ。
 真紘と重盛はテーブルを挟んで向かい合い、山盛りのサンドイッチを平らげ、食後のデザートを楽しんでいた。
 重盛は昨晩お披露目されたダイヤモンドの方をチラチラと見ては気まずそうな顔をする。
 そんなに婚約指輪のことを気にしているのだろうか、と真紘は首を傾げた。
「ダイヤ気になる?」
「えっ、なんで?」
「ずっと見ているから、婚約指輪のこと悩んでいるのかなと思って……」
「指輪は昨日も話してた通り、結婚指輪を買った店でもいいし、この旅行先で何か思い出になるものを選べたらとか色々考えてたけど――」
 周りをキョロキョロと見渡した重盛はわざわざ真紘の隣の席に移動して耳打ちした。
「あのダイヤモンド、多分ダイヤモンドじゃないと思うんだよね」
 えっ、と漏れそうになった声をなんとか飲み込む。
 後方で作業をしている乗務員にすら届かない二人だけの会話。
 重盛をじっと見つめれば、彼の言葉が冗談でないことは一秒もせずに理解できた。
「どうしてそう思ったの?」
「昨日も微かに臭ったんだけど、あの箱からすっごい甘ったるい臭いすんの。今日は昨日と比べものにならないくらい濃い。ラウンジだから誰かの香水の匂いかなと思ってたんだけど、今もこの距離で結構薫って来る」
「気付かなくてごめんね。大丈夫?」
 背中を撫でて顔を覗き込むと、重盛は真紘のせいじゃないのにと笑った。
 しっかり確認したいと立ち上がる重盛に導かれてダイヤモンドが展示されているケースの前まで来る。
 昨日見たダイヤモンドとの違いが分からず、真紘には何も変わらないように思えたが、重盛の眉間の皺が増えたため、目の前にある宝石が偽物であることが分かった。
 ダイヤモンドを守るケースを持ち上げてみようとしてもびくともしない。
 僅かな魔力の残滓を感じ取った真紘は、一先ず魔力を流してみることにした。
「開けごま……なんちゃって、そんなので開くわけないよね」
 カチャカチャ――ガコンッ!
 幾つもの鍵が外れて、ずっしりとしたケースの蓋が持ち上がった。
 重盛と真紘は顔を見合わせる。
「さっすが真紘ちゃん、開錠するイメージができれば鍵も開けられちゃうんだ。開けごまって最強の呪文だな。このまま世紀の大泥棒にもなれるんじゃね?」
「な、ならないよ! どうしよう、本当に開いてしまうとは思わなかった……」
「開いちゃったもんは仕方ないじゃん。ちょっとダイヤ見てみようよ」
 重盛がダイヤに手を伸ばした瞬間、紺色のスーツを着たジョルジュがラウンジに入って来た。
「こんにちは、本日はいかがお過ご……って、えええええ!?」
 涼しい顔から一転、眼鏡に収まらないほど目を見開いたジョルジュは絶叫した。
「申し訳ございません!」
「俺が開けてって頼んだんです、ごめんなさい」
「い、いえ」
「あのさ、ジョルジュさん、このダイヤモンド本物? イミテーションに替えたりした?」
「していません!」
 小走りで駆け寄って来たジョルジュはさらに目を凝らしてケースを覗き込み、唸り出した。
 白い手袋をポケットから取り出し、ダイヤモンドを持ち上げて光に翳す。
 キラキラと光るそれは、素人の真紘から見ても明らかにダイヤモンドとは違う光り方をしていた。
 五感のするどい重盛には殊更おかしく見えていたのだろう、と真紘は納得する。
「やっぱり? 昨日と今日のダイヤが明らかに違う光り方しててさ、気になって確かめようとしたらケース開いちゃったんだ」
「本当にごめんなさい」
「最初から開いていたのですか?」
「僕が軽い気持ちで開けようとしたら、こう、カチャっと……」
 なんて事のないようにもう一度上げ下げして見せる真紘に絶句するジョルジュは、ダイヤモンドを保護しているケース自体がとても高価なもので、施された魔法を開錠の方法を知らない者が破ることはほぼ不可能なはずだと頭を抱えた。
 なんでも開錠には複数の属性の魔力を流す必要があるため、属性の違う魔石を何個も消費するのだという。
 重盛はジョルジュの肩を叩く。
「大丈夫だって、真紘ちゃん以外でこんなことできる人いないからさ。それでも俺達は盗ってないぜ。身体検査してもらってもいい。てか犯人がいるなら開錠できる人間に限られるよね? ジョルジュさん以外で開けられる人って?」
「開錠できるのは、車掌のヴンサン、私の執事のラン、そして私の三人だけです。しかし、犯人はヴンサンでもランでも、勿論お二人でもないと思っています。こちらをご覧ください、先ほど私の部屋のドアに挟まっていました」
 ジョルジュは胸ポケットから一枚のカードを取り出した。
【わたしの大切なものを奪ったベレッタ家、代償を払ってもらおう 明日の朝を楽しみにしていなさい 怪盗アンノーン】
 カードを受け取った真紘は、文字を指でつうっとなぞる。
「ジョルジュさんはこのカードを受け取ってラウンジに様子見に来たってわけね」
「はい。アンノーンが宝石専門の怪盗であることは周知の事実ですから、このダイヤモンドだろうと思いました」
「うーん、ですがこれはアンノーンからの予告状ではないと思います」
 真紘は首を振り、カードをジョルジュに返した。
「なぜですか?」
「僕達は以前、アンノーンが絡む事件に携わったことがあります。その際に王城の書庫で今までの事件の報告書と予告状を見てきました。そして本人にも会っています。この予告状は騙るにしてもあまりにもお粗末です。今までの予告状は王城とギルドに保管されていますが、今回の予告状は新聞から得た情報だけで作られたように見えます。少なくとも今回乗車している方々は、普段から王城の書庫に出入りすることができる家柄のため、犯人である線は薄いかと。乗務員の皆さんを疑えというわけではないのですが……」
「これは俺でも分かる。アンノーンの予告状は始めに犯行時間がきて、その次に狙う宝石の名前、最後に頂戴します~で締めくくる。これはテンプレから逸脱しすぎなんだよなぁ。盗るぞって気概より嫌な思いさせるぞって感じの予告状っぽい」
「そうだね。新聞にも載るほどの有名な怪盗のネームバリューをただ上乗せしただけって感じがするよ」
「怪盗の仕業ではなければ一体誰の……」
 ダイヤモンドには及ばずとも、ケースに戻された偽物の石はゆらゆらと怪しく七色の光を反射していた。
 再びアンノーンと対峙することになるのか心がざわついたが、杞憂に終わった。
 アンノーンの魔法で苦しんでいた重盛を思い出し、真紘は眉間に皺を寄せる。
 リドレー男爵邸の事件の後も二度、アンノーンの犯行が新聞の一面を飾った。どちらも貴族の屋敷から珍しい宝石が盗まれ、不正が暴かれている。
 悪徳貴族を成敗するのは良いことだが、やっていること自体は窃盗であり、到底その行いを肯定する気にはなれないし、真紘は何より重盛を傷付けたことは許せずにいた。
 自分のことならば執着しないが、愛する者のこととなれば別問題である。今だって見出しで踊るアンノーンという文字を見ただけで紙面を破り捨てたいくらいだ。
「もしかして偽アンノーンの犯行も新聞に載るんじゃ――」
「昨日の今日で?」
「予告状から察するに、ベレッタ家への復讐でダイヤモンドを盗んでいるんだよね。確かに高価なものだけど、大打撃かと言われると資産家であるベレッタ家にとってはそうでもないんじゃないかな? ジョルジュさん、ベレッタ家としてはどうですか、一番嫌なことはこのクルーズトレインの門出に水を差されることではないですか?」
「そうですね、シンボルである宝石を盗られたとなれば、列車内の防犯面の問題にも繋がりますし、富裕層向けの商売としては痛手になります。復讐としては十分かと思います」
「もし盗まれたことが今朝の朝刊に載っていれば、王都にいる友人から通話用の魔石に連絡が来ると思います。念のため後ほど友人に確認してみますが、犯行を無事に成功させた犯人が既に新聞社に情報を売り、ジョルジュさんの部屋にカードを置いたとするならば、予告状通り【明日の朝】に怪盗アンノーンの仕業として新聞に載ってしまうでしょう」
「一体どうすれば……。王都にいる両親にこのことを話して記事が表に出ないよう差し止めてもらうしかないのでしょうか。ですが、心労がたたり倒れた両親にこれ以上負担をかけるわけには……」
「う~ん、ヴンサンさんや執事さんを疑いたくはないけど、一回話を聞いてみるのもアリじゃね?」
「そうですね、分かりました。私がヴンサンとランをラウンジに連れて来ますので、お二人はこちらでお待ちください」
 小さなため息を吐いたジョルジュはまた小走りで隣の号車へ移っていった。

 ジョルジュを見送った後、真紘はまっぽけから赤い巾着を取り出した。赤は勇者っぽいという単純な理由で野木が自分で選んだ色である。
 野木とは最近まで直接会って話すことの方が多かったため、久しぶりの通話だ。
 魔石に魔力を込めると、すぐに応答があった。
「もしもし、野木君? 今大丈夫?」
『おー大丈夫。真紘君一人? もしや新婚旅行も早々にアニキと喧嘩でもした?』
「してないし、ラブラブだし!」
『げっ、一緒にいたんすか! ひでーよ真紘君!』
「返事をする前に話し続けるから……。それより聞きたい事があるんだけど、野木君は今日の新聞読んだ?」
『新聞……?』
 野木は自室のテーブルの上をガサゴソと漁っているようで、声が少し遠くなった。
『ああ、読んでた。アテナ様がこの世界を知るには新聞が一番いいってオススメしてくれてさ、毎日レビィ様が届けてくれるんだ。意味不明なとこも解説してもらえるからめっちゃ助かってる』
「じゃあさ、アンノーンの情報なんて載っていたら覚えているよね?」
『アンノーンってあの怪盗? 年明けに一回新聞で見てから今日まで載っていなかったと思うけど、なんかあった?』
 列車内で起きた騒動を説明すると、野木はふむっと少し考え込んだ。
 重盛も難しい顔をして、野木に語り掛ける。
「あのさ、別にお前に新聞社に掛け合って偽アンノーンの記事を差し押さえてくれとか頼んでるわけじゃねーぞ。民事不介入が警察っていうか王騎士の基本じゃん。それに野木はアテナばーちゃんに近すぎる。王様の臣下が裏で一部の貴族のために動いてたなんて後から広まったら、ばーちゃんに迷惑をかけることになるだろ?」
「そうっすね……。俺はとりあえず何社か当たって、どこの会社に偽アンノーンの情報がリークされてるのか調べてくるっす」
「ありがとう野木君! でも今日は仕事じゃないの? 大丈夫?」
「今日は休みだから大丈夫。真紘君とアニキは真犯人を見つけて、その本人に虚偽の情報でしたって新聞社に訂正させてください。最後にちゃんと訂正されたか俺が確認するんで。それくらいならアテナ様に迷惑かかんないと思うんだけど……どうっすかね?」
「賛成」
「んじゃ、どこの新聞社か分かり次第連絡します」
 野木と重盛の会話を聞きながら、真紘は目を輝かせ両手で口元を覆っていた。
「どしたん、真紘ちゃん」
「王城でも何度も目の当たりにしていたけれど、最近の野木君すごく頼もしくなったなと思って、僕も頑張って真犯人見つけてみせるからね!」
「んん~? 最近野木に対して甘くない? カッコいいのは重盛君だけで良くない?」
『いいじゃないっすか! 俺だって褒められたい。真紘君の友達なんすから』
「と、友達……っ! 嗚呼、僕、今すぐ野木君に会いたくなってきた!」
「のーぎぃーッ! 帰ったら覚えてろよ……。真紘ちゃんの親友は俺だけだったのに! うわーん!」
『なんでオレが怒られるんすか!? あんた旦那でしょ、それで満足してくださいよ!』
「だって真紘ちゃんの全部が欲しいんだもん!」
「やだな、ちょっと抱き着かないで、重盛ってば恥ずかしいよ……。午前中だってあんなに……ちょっと!」
「全然足りない。ほら、もっとこっち来て……」
「んあっ、だ、だめ…っ!」
 ガサゴソと電話越しで何をしているのやら。
 野木は耳を塞ぐわけにもいかず、片手で目を覆った。
『あのう、もう電話切っていいっすか、つーか切りまーす』
 プツンと一方的に通話を切断した野木は、鏡に映るげっそりとした自分と目が合った。
「バカップルのために貴重な休日を潰す俺って……。時の神様、見てますか? 何卒、俺にも良縁をお恵みください……」
 野木は丸めた新聞で頭をポカポカと叩きながら、新聞社の場所を聞くためにレヴィの執務室へと向かった。


 通話を終えた後も重盛は駄々をこねていた。
 真紘に抱き着くようにしてヤダヤダと頭を振る。
「いいじゃないか、僕に同世代の友人が一人くらいいても」
「オンリーワンなのが嫌なの! それに最近のあいつ、何を話しても真紘ちゃんの味方するし相思相愛感すごい!」
「相思相愛って、友達なんだから、それは単純に気が合うだけしょう? あー分かった! 自分の友達を取られたと思って拗ねているんだね? 心配しないで、今後も野木君と遊ぶ時は重盛も誘うから」
「ちっがうわ! 俺はダーリンですが、親友でもあるので、何かあったら一番に俺のところに来てほしいの!」
「それは分かってるし、実際にそうしてるじゃないか。今回は二人そろって王都を離れているんだから、野木君に頼むしかないだろう? むしろ何でもかんでも重盛に頼りっぱなしで、面倒にならないのかなって心配なくらいなんだけど……」
「なるわけない! なったとしたらそいつは俺の偽物!」
 ぎゅうぎゅうに抱き着かれた状態で真紘は目を伏せて唸る。
「あのね、同世代の恋愛が絡まない友人って僕にとっては貴重なんだよ。野木君は僕のことを恋愛対象として絶対に好きにならないし、僕もならない。重盛にはどうしたって友情とは別の触れ合いを求めてしまうから、勿論親友であることに変わりはないんだけど、旦那さんとしての意識が強いんだ。お願い、ダーリン? 野木君と、大事な友達との交流すること、許してほしいな」
 やんわり拘束を解いて、重盛の背中を撫でる。
 野木に嫉妬するのは今に始まったことではないが、真紘がこんなにも野木と打ち解けているとは思っていなかったようだ。
 王城で働いていた二ケ月はほとんど野木と共に行動していたので、距離が縮まっていてもおかしくはないというのに。
 それでも一番は重盛だと伝えているつもりだ。
 真紘のこととなるとどこまでも自信がなくなる夫を甘やかすために今度は自分から抱き着いてみる。
「俺、束縛激しくてウザい……?」
「うーん、片思い歴が長いほど愛が重いって考え方は、少し」
「だってぇ……朝起きて真紘ちゃんがいると未だに夢かな、俺死んだのかな、ここは天国かなって思うんだもん」
「百年後も同じこと言ってたらチョップするよ」
「え、百年は言い続けていいんだ。慈悲深ぁ……」
 何度目か分からない自分の方が愛が重いという言い争いは、車両の扉が開いた音で幕引きとなった。

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