花のように

月夜野 すみれ

文字の大きさ
上 下
10 / 40
第二章 花曇り

第四話

しおりを挟む
 数日後、件の女性から電話がかかってきた。
 窓をこじ開けようとしたのか、ガラスが割れていたそうだ。
 ストーカーがいなかったのは女性が警察に来た日だけで、その後は相変わらずつきまとっているらしい。
 とりあえず、被害届を出すように言って電話を切った。

「窓が割られたとなると穏やかじゃないな」
「この前のストーカーみたいに、誰かを傷つける前に何とかした方がいいですね」

 そのとき、
「失礼します!」
 制服警官が刑事部屋に入ってきた。
 どこかで見たことのある顔だったが、紘彬は思い出せなかった。
 年齢は二十代半ばくらいか。どこにでもいそうな平凡な顔立ちである。
「何か用か?」
 団藤が訊ねた。

「桜井警部補にお話がありまして」
『桜井警部補』という言葉で思い出した。血刀男を発見した警官だ。
「中澤だっけ」
「中山です。覚えていただけて光栄であります」
 中山は頬を紅潮させて敬礼した。
「覚えてないだろ。名前間違えたんだから」
「あ、そ、そうですね」
「それで? 俺に用って?」
「この前の事件のことで警視総監賞を受けることになったんですが……」
 中山は言いにくそうに切り出した。

「良かったじゃないか」
 紘彬は明るく言って肩を叩いた。
「辞退した方がいいでしょうか?」
 中山は恐る恐ると言った様子で訊ねた。
「なんで?」
 紘彬は不思議そうな顔で訊いた。
「自分は見てただけですから……」
「報告書書くの大変だったろ」
「それは、まぁ……」
「じゃ、手間賃だと思って受け取れよ」
「手間賃!?」

 警視総監賞が手間賃!?

 中山が、この人は正気なのかという目で紘彬を見た。
 黙ってやりとりを聞いていた如月は、閃いたという表情で紘彬を見上げた。

「桜井さん、例の女性のこと、中山巡査に頼んではどうでしょうか」
「そうか。ちょうどいいな」
 紘彬と如月は、片山紀子という女性がストーカーにつきまとわれていることと住所を教え、パトロールの時には特に注意するように頼んだ。
 中山はその女性のことは既に知っていたが、今後はより注意深く見回ってくれるとのことだった。

「如月、今日もうち来るだろ?」
 うちと言っても実際は従弟の家である。
「はい。いつもお邪魔してすみません」
「いいって、いいって。紘一も楽しみにしてるしさ」

 紘彬と如月はいつものように藤崎家につくと、紘一の部屋で遊び始めた。
 紘一の操るロボットが立て続けに銃撃してくる。
 紘彬のロボットは戦闘機形態に変形して上へ逃げた。

「なぁ、兄ちゃん」
「なんだ?」
「新聞で読んだんだけどさ、あいつ、ヤクやってたんだって?」
 あいつというのは血刀男のことだ。
「そうなんだ」
「それってHeってドラッグ?」
「なんで知ってるんだ?」
 Heのことは新聞に出てなかったはずである。
「俺のクラスにやったことがあるって自慢してるやつがいるんだよ」
「高校生が買える値段で売ってるのか?」
 紘彬は訊ねるように如月の方を向いた。
 その瞬間、紘彬のロボットは撃墜された。

 如月は知らないというように首を振った。
 同期の間の情報網にも引っかかってないようだ。

「値段は知らないよ。何でも兄貴が歌舞伎町でホストやってるとかで、ヤクは一通り試したって言ってた。その中でもHeが一番すごかったって。虚勢張ってるだけかもしれないけど」
「そのヤク、高校生の間で出回ってたりしないよな?」
「俺の友達の間ではない。あいつの取り巻きはどうか分からないけど」
「そうか」
「紘一君はそう言うの、興味ある?」
「あるよ」
 紘一はあっさり答えた。
「でも、やらないよね?」
 如月は恐る恐る訊ねた。
「たとえ勧められてもやらないよ。多分ね。でも、興味はある」

「あーーーーー!」
 刑事部屋に如月の悲鳴が響き渡った。
「どうした?」
 紘彬が振り返った。
「カツ丼に納豆が乗ってる」
 如月は恨めしそうに長野トリオの方を見た。

 如月が納豆嫌いなのを知っていてわざと乗せたのだ。
 西日本出身だからか、如月は納豆が食べられない。
 何が面白いのか、長野トリオは隙あらば如月に意地悪してやろうと狙っていた。
 嫌がらせのためだけに職場に納豆を持ってくると言うのもある意味すごい。
 しかもきちんと練ってあった。
 ちゃんと長く糸を引くようにと、わざわざ練ってから載せたようだ。
 その情熱を捜査に向ければ出世も早まるだろうになぜ間違った方向に向けるのか。
 以前、如月が席を外した隙にパソコンにロックをかけたことがあるのだが、あっさり解除されてしまって以来、パソコンには手を出さなくなった。

「納豆食えないのかよ」
「花耶ちゃんだって納豆食うんだぜ」
 飯田達がはやし立てる。
「お前ら小学生かよ」
 紘彬はあきれ顔で長野トリオを見た。
「しょうがないな、俺の蕎麦食え」
 紘彬の言葉に如月は蕎麦をのぞき込んだ。
「つゆが真っ黒……」
 如月が悲しそうに言った。
「なんだ、蕎麦もダメか。そう言えば一緒に立ち食い蕎麦の店に入ったことなかったな」
「すみません。どうしても黒いつゆって苦手で」
「それじゃあ、お前の故郷じゃつけ麺は食べないのか?」
 紘彬は不思議そうに訊ねた。
「食べますよ。でも、うちの方は蕎麦よりうどんですから、つけ麺のつゆは黒くないんです」
 同じ日本なのに出身地によってずいぶん食文化は違うものだと紘彬は感心した。

「まどかちゃんは何?」
「まどかちゃんはやめろ。俺は天丼だ」
「じゃあ、変えてやってくれよ。まどかちゃんは納豆平気だろ」
「蕎麦にしてくれ。今朝歯ブラシが壊れたから納豆は食いたくない」
「力入れすぎだって。歯がすり減ってなくなっちゃうぞ」
 紘彬はそう言いながら団藤に蕎麦を渡した。
「すみません」
 団藤から天丼を受け取りながら如月は恐縮して頭を下げた。
「気にすんな」
 紘彬は納豆を端によけながら答えた。

 如月は子供の頃からいじめられっ子だった。
 そして、正義感の強い友達にいつも助けてもらっていた。
 その友達とは高校は別になってしまったが、如月は小学校から柔道を習い始め、高一の時、絡んできたいじめっ子を投げ飛ばした。
 それ以来、高校ではいじめられなくなった。
 しかし、警察学校へ入ってまたいじめられるようになった。
 警察学校を出て派出所勤務になってからはいじめはなくなった。
 派出所で一緒になった人はベテランの警官で、優しい人だった。
 だが、刑事になって今の署に転属になったらまたいじめられ、そして紘彬がかばってくれている。

 如月の経験から言っていじめられやすい人間はいる。
 しかし、それは紘彬には分からないに違いない。
 紘彬は誰かに悪意など持ったことはないだろう。
 だからいじめる側の気持ちなど理解できないだろうし、かといっていじめられる側になることもない。
 紘彬は誰からも好かれるタイプの人間だ。
 彼の周りには自然と人が集まってくる。如月自身も含めて。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

夜の帝王の一途な愛

恋愛 / 完結 24h.ポイント:809pt お気に入り:85

婚約破棄されるはずの悪役令嬢は王子の溺愛から逃げられない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:56pt お気に入り:231

冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,354pt お気に入り:177

殿下!!そっちはお尻です!!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:63pt お気に入り:133

真面目系眼鏡女子は、軽薄騎士の求愛から逃げ出したい。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,031pt お気に入り:241

殿下、それは私の妹です~間違えたと言われても困ります~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,913pt お気に入り:5,278

お高い魔術師様は、今日も侍女に憎まれ口を叩く。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:532pt お気に入り:120

処理中です...