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第五章 花筏
第一話
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「どうせ歌舞伎町に来るならきれいなお姉ちゃんがいる店がいいんだけどな」
紘彬がいつもの調子で言った。
「石川の兄はホストだそうですから客以外は野郎ばかりかと」
「そうだよなぁ。この時間じゃ、客は来てないだろうしなぁ」
紘彬はぼやきながら歌舞伎町を歩いていた。
昼間の歌舞伎町は、明るい日差しに照らされて、饐えた臭いのする通りやビルのボロさが晒されていた。
毎朝、町内会の人達が掃除をするのでゴミはほとんど落ちていない。
路地から出てきた三毛猫が、紘彬達を見て一瞬立ち止まった後、道を横切ってビルとビルの隙間に入っていった。
歌舞伎町は昼間でも大勢の人が行き交っている。
カラオケやゲームセンター、映画館などに来ているのだ。
紘彬と如月は石川信介を探しに来ていた。
母親が連絡先も勤め先も知らないというので、紘一が言っていた「歌舞伎町でホストをしているらしい」という言葉を頼りに、ホストクラブを回って聞き込みをしているのだ。
新宿警察署から貰ったホストクラブのリストの長さを見るとげんなりする。
「あーあ、歌舞伎町に来るのがイヤだから今の署にしてもらったのに」
「今の署にしてもらったってどういうことですか?」
「元警視総監の父親が俺の曾祖父ちゃんと同じ部隊でさ、知り合いだったんだよ。その人に頼んだ」
「部隊って戦争の……」
「そ。曾祖父ちゃん、南方の方に行っててさ、そこで一緒だったんだって。その人も昔警察に勤めててさ、俺にも警官になれって良く言ってたんだ」
勤め先のリクエストを聞いてもらえるほどだとしたら紘彬は警察上層部にかなり強力なコネがあるという事だ。
そうだとしたら、どうしてキャリアから外れる事になったのだろうか。
少々の不祥事なら揉み消してもらえそうなものだが。
如月がその点を訊ねると、
「揉み消してくれたから首にならなかったんだよ。俺は別に首でも良かったんだけどな」
明るい口調でとんでもないことを言う人だ。
「俺、出世したいなんて思ってないし」
それは前から知っている。
「だいたい、警視総監にでもなってみろよ。命狙われたりするんだぜ」
怖いよなぁ、等と腕を組んで言っている。
警視総監は警察のトップで、たった一人しかいないんだからまずなれませんよ。
と言おうと思ったが、紘彬はキャリアだったのだから、如月より近いところにいたことは確かだ。
「自分は早く警部補になって、故郷に転勤したいですけどね」
「確かに家から通えると楽でいいよな」
「自分の場合、左遷されて派出所勤務にでもならない限り家から通うのは無理ですよ」
「故郷で警官になりたいなら何で東京でなったんだ?」
「地元の警官採用試験に落ちてしまいまして……次に採用試験があったのが東京で……」
如月は恥ずかしそうに小声で言った。
「落ちてもすぐにまた受けられるのか?」
「はい。試験の日程は都道府県ごとに違いますし、年に何度かあるところもありますから場所にさえこだわらなければ、年に何回か受けられるんですよ」
「それで東京の警官になったのか。その割には訛りないな」
「訛ってるといじめられるんですよ」
「ひでぇな」
本気で不快そうな口調で言った。
「仕方ないですよ」
如月は苦笑した。
訛りが違うといじめられるのはどこにでもあることだ。
如月の小学校に埼玉から転入してきた子も、標準語を話すという理由でいじめられていた。
「堂々とお国言葉しゃべれよ。俺方言好きだぜ」
「桜井さんだって標準語話してるじゃないですか」
「俺のは標準語じゃなくて東京弁。だからお国言葉だよ」
東京弁がお国言葉というのは今イチぴんと来なかった。
「江戸の言葉とは違うんですか?」
「下町の言葉はあんまり変わってないかもしれないけど、うちは下町じゃないからな」
「江戸時代は侍だったんですよね?」
「そうだけど、だからって、拙者、桜井紘彬でござる、なんて言わないだろ、今時」
それもそうだ。
「じゃあ、世が世なら桜井さんはお殿様ですか」
「道場主だぞ。殿様が道場主なんかするわけないだろ。一介の武士だよ」
「なるほど」
そんな話をしているうちに次のホストクラブに着いた。
「藤崎くん、子猫の貰い手、ついた?」
紘一が次の授業のノートと教科書を鞄から取り出していると、花咲が話しかけてきた。
「一匹だけ貰われてった。残り二匹はまだ」
ラッキー!
花咲の方から話しかけてきてくれるなんて。
「じゃあ、今日家に行っていいかな? 子猫の写真撮って貰い手募集のチラシに載せたらどうかと思って」
「いいよ」
紘一は信じられないという面持ちで花咲を見た。
夢じゃないよな。
花咲の方から家に来たいなんて言ってくれるなんて。それもお邪魔虫抜きで。
「如月さんには足向けて寝られないな」
「え?」
「いや、なんでもない」
紘一は慌てて手を振った。
「歌舞伎町にホストクラブっていくつあるんだよ」
歩き回ってうんざりした顔で紘彬が言った。
「正確な数知りたいですか?」
「……いい。次は?」
「あそこみたいです」
地図と首っ引きになっている如月が灰色のビルを指した。
紘一は夢見心地で歩いていた。
小柄な花咲は紘一の肩くらいまでしかなかった。
横を見ると花咲のつむじが見える。
何となくシャンプーのいい香りがする……ような気がする。
明治通り沿いにあるファーストフード店の角を曲がり、坂を下っていった。
坂を下りきって住宅街に入っていくと、自分の家の前に人相の良くない男が三人、立っているのが見えた。
紘一は足を止めた。
男達がこちらを向いた。
殺気立った様子で近付いてくる。
男の一人に見覚えがあるような気がしたが、誰なのか分からなかった。
紘一はかばうように花咲の前に立った。
「お前が藤崎紘一か」
「そうですけど。どなたですか?」
「お前に殺された石川信雄の兄だよ!」
信介はそう言うとポケットから飛び出しナイフを出した。残り二人の男達も続いてナイフを構えた。
背後で花咲が息をのんだ。
とっさに花咲を逃がそうと左右を見回したが、二人の男が後ろに回り込んできた。
紘一は手振りで花咲を民家のカーポートの車と塀の間に入れると、その前に立った。
花咲の逃げ道を塞ぐことになるが、紘一が倒されない限り攻撃を受けることはない。
男達の狙いは自分のようだから花咲を逃がすことも考えたが、囲まれているし、人質に取られると困る。
鞄を地面に落としながらさりげなく尻ポケットから自分のスマホを出すと、後ろ手に花咲に渡した。
「俺の従兄に電話して。桜井紘彬。出なかったら如月風太」
男達に視線を向けたまま言った。
紘一は上着を脱いで右手に持つと腰を落とした。
左側の男が最初に仕掛けてきた。
ナイフを構えたまま突っ込んでくる。
紘一がよけると男の体が泳いだ。
右側の男と信介が続けざまに攻撃してきた。
紘一は右手に持った上着を右側の男のナイフに叩き付けて巻き付け、思い切り引きよせながら、ナイフを持った信介の右手を蹴り上げた。
信介のナイフが飛ばされた。
上着を巻き付けた男の襟首を掴むと背負い投げで地面に叩き付けた。
最初の男が体勢を立て直して斬りかかってきた。
突き出された腕をとって引き寄せると、背負い投げをかけた。
紘彬がいつもの調子で言った。
「石川の兄はホストだそうですから客以外は野郎ばかりかと」
「そうだよなぁ。この時間じゃ、客は来てないだろうしなぁ」
紘彬はぼやきながら歌舞伎町を歩いていた。
昼間の歌舞伎町は、明るい日差しに照らされて、饐えた臭いのする通りやビルのボロさが晒されていた。
毎朝、町内会の人達が掃除をするのでゴミはほとんど落ちていない。
路地から出てきた三毛猫が、紘彬達を見て一瞬立ち止まった後、道を横切ってビルとビルの隙間に入っていった。
歌舞伎町は昼間でも大勢の人が行き交っている。
カラオケやゲームセンター、映画館などに来ているのだ。
紘彬と如月は石川信介を探しに来ていた。
母親が連絡先も勤め先も知らないというので、紘一が言っていた「歌舞伎町でホストをしているらしい」という言葉を頼りに、ホストクラブを回って聞き込みをしているのだ。
新宿警察署から貰ったホストクラブのリストの長さを見るとげんなりする。
「あーあ、歌舞伎町に来るのがイヤだから今の署にしてもらったのに」
「今の署にしてもらったってどういうことですか?」
「元警視総監の父親が俺の曾祖父ちゃんと同じ部隊でさ、知り合いだったんだよ。その人に頼んだ」
「部隊って戦争の……」
「そ。曾祖父ちゃん、南方の方に行っててさ、そこで一緒だったんだって。その人も昔警察に勤めててさ、俺にも警官になれって良く言ってたんだ」
勤め先のリクエストを聞いてもらえるほどだとしたら紘彬は警察上層部にかなり強力なコネがあるという事だ。
そうだとしたら、どうしてキャリアから外れる事になったのだろうか。
少々の不祥事なら揉み消してもらえそうなものだが。
如月がその点を訊ねると、
「揉み消してくれたから首にならなかったんだよ。俺は別に首でも良かったんだけどな」
明るい口調でとんでもないことを言う人だ。
「俺、出世したいなんて思ってないし」
それは前から知っている。
「だいたい、警視総監にでもなってみろよ。命狙われたりするんだぜ」
怖いよなぁ、等と腕を組んで言っている。
警視総監は警察のトップで、たった一人しかいないんだからまずなれませんよ。
と言おうと思ったが、紘彬はキャリアだったのだから、如月より近いところにいたことは確かだ。
「自分は早く警部補になって、故郷に転勤したいですけどね」
「確かに家から通えると楽でいいよな」
「自分の場合、左遷されて派出所勤務にでもならない限り家から通うのは無理ですよ」
「故郷で警官になりたいなら何で東京でなったんだ?」
「地元の警官採用試験に落ちてしまいまして……次に採用試験があったのが東京で……」
如月は恥ずかしそうに小声で言った。
「落ちてもすぐにまた受けられるのか?」
「はい。試験の日程は都道府県ごとに違いますし、年に何度かあるところもありますから場所にさえこだわらなければ、年に何回か受けられるんですよ」
「それで東京の警官になったのか。その割には訛りないな」
「訛ってるといじめられるんですよ」
「ひでぇな」
本気で不快そうな口調で言った。
「仕方ないですよ」
如月は苦笑した。
訛りが違うといじめられるのはどこにでもあることだ。
如月の小学校に埼玉から転入してきた子も、標準語を話すという理由でいじめられていた。
「堂々とお国言葉しゃべれよ。俺方言好きだぜ」
「桜井さんだって標準語話してるじゃないですか」
「俺のは標準語じゃなくて東京弁。だからお国言葉だよ」
東京弁がお国言葉というのは今イチぴんと来なかった。
「江戸の言葉とは違うんですか?」
「下町の言葉はあんまり変わってないかもしれないけど、うちは下町じゃないからな」
「江戸時代は侍だったんですよね?」
「そうだけど、だからって、拙者、桜井紘彬でござる、なんて言わないだろ、今時」
それもそうだ。
「じゃあ、世が世なら桜井さんはお殿様ですか」
「道場主だぞ。殿様が道場主なんかするわけないだろ。一介の武士だよ」
「なるほど」
そんな話をしているうちに次のホストクラブに着いた。
「藤崎くん、子猫の貰い手、ついた?」
紘一が次の授業のノートと教科書を鞄から取り出していると、花咲が話しかけてきた。
「一匹だけ貰われてった。残り二匹はまだ」
ラッキー!
花咲の方から話しかけてきてくれるなんて。
「じゃあ、今日家に行っていいかな? 子猫の写真撮って貰い手募集のチラシに載せたらどうかと思って」
「いいよ」
紘一は信じられないという面持ちで花咲を見た。
夢じゃないよな。
花咲の方から家に来たいなんて言ってくれるなんて。それもお邪魔虫抜きで。
「如月さんには足向けて寝られないな」
「え?」
「いや、なんでもない」
紘一は慌てて手を振った。
「歌舞伎町にホストクラブっていくつあるんだよ」
歩き回ってうんざりした顔で紘彬が言った。
「正確な数知りたいですか?」
「……いい。次は?」
「あそこみたいです」
地図と首っ引きになっている如月が灰色のビルを指した。
紘一は夢見心地で歩いていた。
小柄な花咲は紘一の肩くらいまでしかなかった。
横を見ると花咲のつむじが見える。
何となくシャンプーのいい香りがする……ような気がする。
明治通り沿いにあるファーストフード店の角を曲がり、坂を下っていった。
坂を下りきって住宅街に入っていくと、自分の家の前に人相の良くない男が三人、立っているのが見えた。
紘一は足を止めた。
男達がこちらを向いた。
殺気立った様子で近付いてくる。
男の一人に見覚えがあるような気がしたが、誰なのか分からなかった。
紘一はかばうように花咲の前に立った。
「お前が藤崎紘一か」
「そうですけど。どなたですか?」
「お前に殺された石川信雄の兄だよ!」
信介はそう言うとポケットから飛び出しナイフを出した。残り二人の男達も続いてナイフを構えた。
背後で花咲が息をのんだ。
とっさに花咲を逃がそうと左右を見回したが、二人の男が後ろに回り込んできた。
紘一は手振りで花咲を民家のカーポートの車と塀の間に入れると、その前に立った。
花咲の逃げ道を塞ぐことになるが、紘一が倒されない限り攻撃を受けることはない。
男達の狙いは自分のようだから花咲を逃がすことも考えたが、囲まれているし、人質に取られると困る。
鞄を地面に落としながらさりげなく尻ポケットから自分のスマホを出すと、後ろ手に花咲に渡した。
「俺の従兄に電話して。桜井紘彬。出なかったら如月風太」
男達に視線を向けたまま言った。
紘一は上着を脱いで右手に持つと腰を落とした。
左側の男が最初に仕掛けてきた。
ナイフを構えたまま突っ込んでくる。
紘一がよけると男の体が泳いだ。
右側の男と信介が続けざまに攻撃してきた。
紘一は右手に持った上着を右側の男のナイフに叩き付けて巻き付け、思い切り引きよせながら、ナイフを持った信介の右手を蹴り上げた。
信介のナイフが飛ばされた。
上着を巻き付けた男の襟首を掴むと背負い投げで地面に叩き付けた。
最初の男が体勢を立て直して斬りかかってきた。
突き出された腕をとって引き寄せると、背負い投げをかけた。
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