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6 思わぬ任命
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「古文書……顧問……」
「昔の書物や碑文を読み解き、その意味を我々に説明してくれればいい。それが、結果として今後の政策や開発に生きるのなら、なお良し、というところだ」
仕事内容を聞いて、サーシャの胸が少しだけ高鳴る。
(書庫にこもって古文書を読むのが仕事……)
カンタブラ王国では、夜中にこっそり書庫に忍び込んで古い本を読んでは、「そんな暇があったら政務の準備をしなさい」と注意されたものだ。
その「趣味」が、今度は正式な職務になるというのなら――。
「報酬は、王立の学者と同等とする。住まいも城下に部屋を用意した。足りない物があれば遠慮なく言うといい」
「過分なお取り計らい、痛み入ります……!」
本心からの言葉だった。
レオンハルト王は、そこでふと表情を改める。
「それと、ひとつだけ聞いておきたい」
「はい」
「君はこの先、カンタブラ王国に戻る気はあるか?」
サーシャは瞬きをした。
てっきり、触れられないままになると思っていた問いを、真正面からぶつけられた。
「戻りたいと言うのなら、我々は君を縛るつもりはない。国外追放という扱いでもないからね。ただ……」
レオンハルトはちらりとルドルフを見てから、サーシャに視線を戻した。
「我々としては、できれば長くここにいてほしいと思っている」
ルドルフが、僅かに喉の奥で息を飲む気配がした。
自分の胸の内を、サーシャはゆっくりと探る。
(戻る、か……)
カンタブラ王国の王宮―― 「優秀でいなさい」とだけ言われ続けた家。
婚約破棄の場で自分を笑った貴族たち。
そこに戻る未来を思い描いてみる。
すると、体のどこかがきゅっと硬くなるのがわかった。
(……いいえ)
サーシャは小さく首を振った。
「今のところ、そのつもりはございません」
はっきりと言葉にしてから、自分でも少し驚く。
「カンタブラ王国にいた頃にもわたくしには“役目”がありました。けれど、それは“わたくしが望んで選んだ役目”ではなかったと思います」
ゆっくりと、言葉を選びながら続ける。
「こちらでのお仕事は、わたくし自身が興味を持って学んできたことに、価値を見出していただいた上でのお話です。ですから……今は、この役目を選びたいと考えております」
謁見の間に、少しだけ静かな空気が流れる。
最初に口を開いたのは、フリードリヒだった。
「それでこそ、だ」
どこか満足げな声だった。
「“戻る場所がないから仕方なく”ではなく、“自分で選んでここにいる”と言ってくれるなら、我々も胸を張って君に頼れる」
「まったく、弟に先を越されたね」
レオンハルト王が苦笑する。
「ありがとう、サーシャ。君の選択を歓迎する」
「……こちらこそ、ありがとうございます、陛下、殿下」
自然と頭が下がった。
「ルドルフ」
「はっ」
「君の見込んだ通りの人材だったようだね。あとは、仕事で返してもらうといい」
「光栄です、陛下」
ルドルフが一礼する。その横顔は、いつもよりわずかに誇らしげだった。
謁見が終わり、謁見の間を後にする途中で、フリードリヒがサーシャに歩み寄ってきた。
「グロースベルク嬢」
「はい、殿下」
「これから先、カンタブラ王国と我が国の関係は、少なからず変わるだろう。その過程で、君の名が出ることもあるかもしれない」
サーシャは、静かに頷いた。
「覚悟はしておきます」
「そうしてくれ」
フリードリヒは、ふと口元を緩めた。
「ただひとつ、忘れないでほしい。ここでは君は、“家に無理を押しつけられた娘”ではなく、“我が国の王立顧問のひとり”だということを」
「……はい」
胸の奥に、じんわりと温かいものが広がった。
別れ際、フリードリヒは小さく肩をすくめて付け加えた。
「兄上も言ったが、本当に、あの国はよく手放したものだ。我々にとっては、ありがたい話だがね」
その言葉に、サーシャは初めて、ほんの少しだけ笑った。
(――そう。手放したのは向こうで、拾ったのはこちら)
その事実が、少しだけ心強かった。
◇
謁見の間を出ると、廊下の向こうでルドルフが待っていた。
「お疲れさまです、サーシャ」
「……思ったより、緊張しましたわ」
「よくやりました。陛下も殿下も、あなたを気に入られたようです」
ルドルフはそう言ってから、少しだけいたずらっぽく言葉を継いだ。
「これで堂々と、あなたに仕事を山ほどお願いできますね」
「そこは、ほどほどになさってくださいませ」
思わず返した言葉に、ふたりの間に小さな笑いが生まれた。
こうしてサーシャは、アストリア王立書庫の「古文書顧問」として、新しい日々を歩き始めることになる。
「昔の書物や碑文を読み解き、その意味を我々に説明してくれればいい。それが、結果として今後の政策や開発に生きるのなら、なお良し、というところだ」
仕事内容を聞いて、サーシャの胸が少しだけ高鳴る。
(書庫にこもって古文書を読むのが仕事……)
カンタブラ王国では、夜中にこっそり書庫に忍び込んで古い本を読んでは、「そんな暇があったら政務の準備をしなさい」と注意されたものだ。
その「趣味」が、今度は正式な職務になるというのなら――。
「報酬は、王立の学者と同等とする。住まいも城下に部屋を用意した。足りない物があれば遠慮なく言うといい」
「過分なお取り計らい、痛み入ります……!」
本心からの言葉だった。
レオンハルト王は、そこでふと表情を改める。
「それと、ひとつだけ聞いておきたい」
「はい」
「君はこの先、カンタブラ王国に戻る気はあるか?」
サーシャは瞬きをした。
てっきり、触れられないままになると思っていた問いを、真正面からぶつけられた。
「戻りたいと言うのなら、我々は君を縛るつもりはない。国外追放という扱いでもないからね。ただ……」
レオンハルトはちらりとルドルフを見てから、サーシャに視線を戻した。
「我々としては、できれば長くここにいてほしいと思っている」
ルドルフが、僅かに喉の奥で息を飲む気配がした。
自分の胸の内を、サーシャはゆっくりと探る。
(戻る、か……)
カンタブラ王国の王宮―― 「優秀でいなさい」とだけ言われ続けた家。
婚約破棄の場で自分を笑った貴族たち。
そこに戻る未来を思い描いてみる。
すると、体のどこかがきゅっと硬くなるのがわかった。
(……いいえ)
サーシャは小さく首を振った。
「今のところ、そのつもりはございません」
はっきりと言葉にしてから、自分でも少し驚く。
「カンタブラ王国にいた頃にもわたくしには“役目”がありました。けれど、それは“わたくしが望んで選んだ役目”ではなかったと思います」
ゆっくりと、言葉を選びながら続ける。
「こちらでのお仕事は、わたくし自身が興味を持って学んできたことに、価値を見出していただいた上でのお話です。ですから……今は、この役目を選びたいと考えております」
謁見の間に、少しだけ静かな空気が流れる。
最初に口を開いたのは、フリードリヒだった。
「それでこそ、だ」
どこか満足げな声だった。
「“戻る場所がないから仕方なく”ではなく、“自分で選んでここにいる”と言ってくれるなら、我々も胸を張って君に頼れる」
「まったく、弟に先を越されたね」
レオンハルト王が苦笑する。
「ありがとう、サーシャ。君の選択を歓迎する」
「……こちらこそ、ありがとうございます、陛下、殿下」
自然と頭が下がった。
「ルドルフ」
「はっ」
「君の見込んだ通りの人材だったようだね。あとは、仕事で返してもらうといい」
「光栄です、陛下」
ルドルフが一礼する。その横顔は、いつもよりわずかに誇らしげだった。
謁見が終わり、謁見の間を後にする途中で、フリードリヒがサーシャに歩み寄ってきた。
「グロースベルク嬢」
「はい、殿下」
「これから先、カンタブラ王国と我が国の関係は、少なからず変わるだろう。その過程で、君の名が出ることもあるかもしれない」
サーシャは、静かに頷いた。
「覚悟はしておきます」
「そうしてくれ」
フリードリヒは、ふと口元を緩めた。
「ただひとつ、忘れないでほしい。ここでは君は、“家に無理を押しつけられた娘”ではなく、“我が国の王立顧問のひとり”だということを」
「……はい」
胸の奥に、じんわりと温かいものが広がった。
別れ際、フリードリヒは小さく肩をすくめて付け加えた。
「兄上も言ったが、本当に、あの国はよく手放したものだ。我々にとっては、ありがたい話だがね」
その言葉に、サーシャは初めて、ほんの少しだけ笑った。
(――そう。手放したのは向こうで、拾ったのはこちら)
その事実が、少しだけ心強かった。
◇
謁見の間を出ると、廊下の向こうでルドルフが待っていた。
「お疲れさまです、サーシャ」
「……思ったより、緊張しましたわ」
「よくやりました。陛下も殿下も、あなたを気に入られたようです」
ルドルフはそう言ってから、少しだけいたずらっぽく言葉を継いだ。
「これで堂々と、あなたに仕事を山ほどお願いできますね」
「そこは、ほどほどになさってくださいませ」
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