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7 王立書庫と、古文書顧問の仕事
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アストリア王立書庫は、思っていた以上に静かな場所だった。
高い天井まで届く書架がいくつも並び、巻物や写本、分厚い帳簿がぎっしりと詰め込まれている。
足音を吸い込む厚い絨毯に、本の紙をめくる音と、時おりペン先が走る音だけが混ざる。
(……落ち着く)
サーシャは、割り当てられた机に腰を下ろしながら小さく息を吐いた。
机の上には、既に何冊かの古い巻物と、北方地方の地図、それに真新しいノートが用意されている。
どれも、今後の彼女の仕事に必要なものだ。
「こちらが本日分の、北方関連の資料です」
茶色の髪をきちんと後ろで束ねた男が、そっと巻物の束を追加で置いた。
書庫長補佐のミヒャエルと紹介された人物だ。
「サーシャ顧問、何か必要な資料があれば、わたしや他の書庫員に遠慮なく言ってください。“どこかで見たことがある”程度の情報でも、われわれが探し出せるかもしれませんので」
「ありがとうございます。頼りにさせていただきますわ」
サーシャはにこやかに礼を言った。
書庫員たちは、最初こそ「よそから来た令嬢」に戸惑っていたが、彼女が手早く巻物を整理し、重要な箇所にしおりを挟み、読みながら別のノートに内容を整理していく様子を見て、すぐに態度を変えた。
「本当に全部読むんですね……」
若い書庫員のひとりが、感嘆混じりに呟いたのを耳にしたのは、初日の昼頃だった。
「必要なところだけ、ですわ」
サーシャは笑って返しながら、古い税記録の帳簿に目を走らせる。
「“神々の涙”と関係していそうな記述だけを抜き出していますの」
「それがどこにあるか、わかるんですか?」
「完全には。ただ──」
サーシャはページの端を指で軽く叩いた。
「この国の古い言い回しや、信仰の変遷を追っていくと、“特別な水”や“燃える石”に関する話が、ある時期を境に一気に増えているのがわかるんです」
「燃える石……」
「ええ。たとえば、こちら」
さっきとは別の巻物を広げ、そこに書かれた一節を指でなぞる。
「“災厄の年、北の丘にて、地より黒き油の涙あふれ出で、人々はそれを灯しに用いた”」
若い書庫員は目を丸くした。
「……本当に、書いてある」
「この“黒き油の涙”が、先日の碑文に出てきた“神々の涙”と同じものだと仮定すると、記述の多い地域と、ほとんど出てこない地域がありますわよね」
サーシャは、机の横に広げた地図を示した。
アストリア北部の地図には、既にいくつもの小さな印がついている。
「神殿の記録に“聖なる泉”とある場所、税記録に“灯り用の特別な油”とある村、それから、洪水に関する古い報告書にだけ、なぜか“黄の火が地を焼いた”と書かれている地点。これらを重ねると──」
いくつかの印を指で結ぶ。
「このあたりの丘陵地帯が、最も可能性が高くなりますわ」
ミヒャエルが、地図を覗き込みながら頷いた。
「これは……以前、ルドルフ様が“水源が不安定で開発に向かない”と判断された地域ですね」
「水が多い土地は、油やガスが地表に染み出す位置とも重なりやすいんです。……古王朝期の地質に関する記録も、あとで確認しておきますわ」
「はい、すぐ持ってこさせます」
ミヒャエルは軽く頭を下げて、足早に書庫の奥へと消えた。
サーシャはその背中を見送ってから、ふとペンを置いた。
(本当に、仕事なのね)
古い文字を読み、意味をつなぎ合わせ、仮説を立てる。
カンタブラ王国では、夜更けにこっそりやっていた遊びのような作業だ。
今は、それに対して堂々と日中から時間を使っていい。
むしろ、使わなければ職務怠慢になる。
(こんな日が来るとは、思わなかったわ)
思わず小さく笑みが漏れる。
そんな時、書庫の入り口から小さな騒ぎが聞こえた。
高い天井まで届く書架がいくつも並び、巻物や写本、分厚い帳簿がぎっしりと詰め込まれている。
足音を吸い込む厚い絨毯に、本の紙をめくる音と、時おりペン先が走る音だけが混ざる。
(……落ち着く)
サーシャは、割り当てられた机に腰を下ろしながら小さく息を吐いた。
机の上には、既に何冊かの古い巻物と、北方地方の地図、それに真新しいノートが用意されている。
どれも、今後の彼女の仕事に必要なものだ。
「こちらが本日分の、北方関連の資料です」
茶色の髪をきちんと後ろで束ねた男が、そっと巻物の束を追加で置いた。
書庫長補佐のミヒャエルと紹介された人物だ。
「サーシャ顧問、何か必要な資料があれば、わたしや他の書庫員に遠慮なく言ってください。“どこかで見たことがある”程度の情報でも、われわれが探し出せるかもしれませんので」
「ありがとうございます。頼りにさせていただきますわ」
サーシャはにこやかに礼を言った。
書庫員たちは、最初こそ「よそから来た令嬢」に戸惑っていたが、彼女が手早く巻物を整理し、重要な箇所にしおりを挟み、読みながら別のノートに内容を整理していく様子を見て、すぐに態度を変えた。
「本当に全部読むんですね……」
若い書庫員のひとりが、感嘆混じりに呟いたのを耳にしたのは、初日の昼頃だった。
「必要なところだけ、ですわ」
サーシャは笑って返しながら、古い税記録の帳簿に目を走らせる。
「“神々の涙”と関係していそうな記述だけを抜き出していますの」
「それがどこにあるか、わかるんですか?」
「完全には。ただ──」
サーシャはページの端を指で軽く叩いた。
「この国の古い言い回しや、信仰の変遷を追っていくと、“特別な水”や“燃える石”に関する話が、ある時期を境に一気に増えているのがわかるんです」
「燃える石……」
「ええ。たとえば、こちら」
さっきとは別の巻物を広げ、そこに書かれた一節を指でなぞる。
「“災厄の年、北の丘にて、地より黒き油の涙あふれ出で、人々はそれを灯しに用いた”」
若い書庫員は目を丸くした。
「……本当に、書いてある」
「この“黒き油の涙”が、先日の碑文に出てきた“神々の涙”と同じものだと仮定すると、記述の多い地域と、ほとんど出てこない地域がありますわよね」
サーシャは、机の横に広げた地図を示した。
アストリア北部の地図には、既にいくつもの小さな印がついている。
「神殿の記録に“聖なる泉”とある場所、税記録に“灯り用の特別な油”とある村、それから、洪水に関する古い報告書にだけ、なぜか“黄の火が地を焼いた”と書かれている地点。これらを重ねると──」
いくつかの印を指で結ぶ。
「このあたりの丘陵地帯が、最も可能性が高くなりますわ」
ミヒャエルが、地図を覗き込みながら頷いた。
「これは……以前、ルドルフ様が“水源が不安定で開発に向かない”と判断された地域ですね」
「水が多い土地は、油やガスが地表に染み出す位置とも重なりやすいんです。……古王朝期の地質に関する記録も、あとで確認しておきますわ」
「はい、すぐ持ってこさせます」
ミヒャエルは軽く頭を下げて、足早に書庫の奥へと消えた。
サーシャはその背中を見送ってから、ふとペンを置いた。
(本当に、仕事なのね)
古い文字を読み、意味をつなぎ合わせ、仮説を立てる。
カンタブラ王国では、夜更けにこっそりやっていた遊びのような作業だ。
今は、それに対して堂々と日中から時間を使っていい。
むしろ、使わなければ職務怠慢になる。
(こんな日が来るとは、思わなかったわ)
思わず小さく笑みが漏れる。
そんな時、書庫の入り口から小さな騒ぎが聞こえた。
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