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しおりを挟む王都へ向かう馬車の旅は、実にゆっくりとしたものだった。結婚式の準備で色々あるはずなのに、こんなにゆっくりでいいのかと問えば、権力者である王弟が問題ないと軽く流す。
離宮での採寸でウェディングドレスも指輪も発注済。結婚式の招待状の手配や料理の打ち合わせなど、本来新郎新婦がやるべき作業は、嘘をついた国王本人が寝食を削って主導しているそうだ。
それでも、城に着けば当日のリハーサルなどで忙しくなるとのこと。ただ、そのリハーサルも、ある程度準備が整わないとできない。故に、急いで行く必要もないと。
それを聞き安心して、王弟とあちこちの街を観光することができた。その間まるで恋人のように扱われ、戸惑い、浮かれ、ドキドキして、貴族として必要な作法や勉強が色々頭から抜けてしまったのではと心配になった。
他にも心配事が芽生えてしまった。
彼は美丈夫だ。元になる容貌が整っている。その上、逞しい。3年前に、女だと見下した相手にドヤ顔を向けられた彼は、騎士団への所属を望んだのだという。しかし、男色に走られては困ると焦った兄に猛反対され、剣術の教師を雇い、身体を鍛えたそうだ。現在、剣術においては、王族の中で一番強いらしい。
そんな彼なので、案の定街を歩けば女性から熱い視線を注がれ、妖艶な女性から露骨に誘われた。その度に彼は顔面蒼白になり、鬼の形相と化していた。嘔吐を必死に堪えていると、どうしても顔が険しくなってしまうのだという。どうも本当に女性がダメらしい。
そんな、自分には向けられたことのない表情を見る度、もしかして自分は女だと思われていないのでは?と不安になる。あるいは、田舎育ちの女なら誰でもいいのでは?と思ってしまう。
そのことを率直に尋ねると、彼は首を傾げた。
「社交界の貴族令嬢も、道中で遭遇した町娘も、媚び売って性的アピールしてきてただろう?育ちは関係ないと思うよ。本人の人間性じゃない?あとは価値観かな」
「そう、それ!価値観ですよ。世の中野心家ばかりじゃないんだから、あらゆる欲望抜きでも王弟殿下を好いてくれる方はいくらでもいたんじゃない?」
「いやいや、媚びを売ってこない貴族令嬢は、王弟っていう身分の高さだけで速やかに距離をとるし、媚びを売ってこない町娘はこちらが明らかにお忍びの貴族だと認識した上で目を逸らす。どちらも、面倒事は御免だって顔を隠さずにね」
遠い目をした彼は、何度も抉られた心の傷を隠すように苦笑した。
「そう───」
「性目的でもなく、単なる興味でもなく、義務感でもなく、真っ向から俺を見据えて啖呵を切ってくる女性は君しかいないと思うから安心して」
いや、だから、もう、それ、珍獣枠では…?
今まで生きてきた環境は、毎日楽しく仕事のことだけを考えていればそれで良かった。馬のことを愛でて、家族と冗談を言い合って、作物を育てるために天候を気にして。それなのに今は、違う。家の事でも、貴族としての振る舞いでも、王弟妃としてどのように振る舞うべきかでもなく、ただ彼という男性のことばかり考えている。
恋心を自覚した途端に、彼から拒絶されるのではという恐怖感が消えない。でももう、あまりに分かりやすくて、とうにバレているのではないかと、怖い。
「そういえば、君があの時乗った馬と、君があの時品評会に出した馬、二頭とも俺が落札したんだ。領でゆっくりできるようになったら乗馬しよう」
彼の中にいる過去のじゃじゃ馬娘と、今の自分は結びつくだろうか。失望されないだろうか。そんな不安を押し隠し、笑う。
「いいけど、私、横乗りはできないわよ?あれ、すっごく怖いんだもの。よく世の中のお嬢様たちはできるわねって感心しちゃう!」
「アリーシャ様も、年相応の女の子なんですね」
侍女が宿の部屋を整えながら笑う。その表情は柔らかい。最初の敵対心や攻撃心が嘘のようだ。一体彼女の中でどんな変化があったのだろう。
「年相応の女の子じゃなかったら何なの?」
「大人びた方だと思っておりました。気を張っていらっしゃったんですね」
図星をつかれて口先を尖らせると、ますます笑われた。
「ねぇ、明日は何を着たらいいのかしら?あまり可愛くすると、拒絶されそうで怖いの。でも、少しは女として見られたいわ。どうしたらいいのかしら」
「───じゅうぶん、女性として扱われているようにお見受け致します。むしろ、あれ以上になると、周囲が目のやり場になりますのでご勘弁下さい」
真面目な顔で頭を左右に振られる。彼女が言うなら、そうなのだろう。そう素直に思えるくらいには、彼女を信頼し始めているらしい。時間と慣れは偉大である。
「ゆっくりお休み下さい」
そう口にした侍女の目は、悩むのも程々にして下さいという、呆れのようなものを含んでいるようだった。
不安な気持ちを抱えたまま、馬車は王都に着いてしまった。
故郷で着ていた服装よりも上質で裾が長いこともあるが、何より気持ちが、緊張が、動きを鈍らせていく。馬車の下で手を差し伸べている王弟の支えを得て、ゆっくり馬車から降りた。見上げる王城は、オレンジとグレーを混ぜたような色合いのレンガで造られている。まるで要塞のようだ。
「兄上に報告するだけだ」
緊張を見越して宥めるように声を掛けられたけれど、いや、その兄上って、王様だよね?国の頂点に立つ偉い人だよね?
そんな戸惑いは置いてきぼりのまま、彼の手に腰を抱かれて歩き出す。───エスコートといえば、男性の肘に女性が手を添えるのが一般的なのに、彼は腰を抱いてくる。最初こそ驚いたが、今では当たり前のようになってしまった。
自惚れそうである。
あと、衛兵を初めとする周囲の視線が凄い。驚きのあまりガン見だ。女装した男を連れているのでは!?と騒ぐ声まで耳に届いている。───失礼な!!
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