ラジオの向こう

諏訪野 滋

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第三章 パーティシペーション

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 その日の放課後。校舎の最上階、四階の端にある小さな一室。扉の上の黒い小さな表札には、生徒会室、と無個性なフォントで表示してある。私は胸に手を当てると、意を決して扉を引き開けた。

「会長、遅くなりました!」

 木目調の机の向こう側に座って書き物をしていた女子生徒が、優雅な動作でこちらに顔を上げた。彼女は光沢のある長い黒髪を後ろに払うと、涼やかな笑顔を私に向ける。

「いらっしゃい、八尋さん。別に集合時間なんてないんだから、ゆっくり来てよかったのに」

 白倉さんの声を聞いた途端に、私は自分の頬が緩んでしまうのを意識せざるを得ない。照れ隠しに一度頭を下げると、私は入り口ごしに生徒会室の中を観察してみた。

 中央に置かれた机は、スチール脚がついたありふれた組み立て式の長机を二つつなげたものだ。各面にそれぞれパイプ椅子が置かれてあり、白倉さんは資料と思しきファイルが詰め込まれた本棚を背にして、一番奥に座っている。きっとそこが会長席なのだろう。
 分厚いクッションに囲まれた椅子や豪華なマホガニー製の高級机といった社長室のような調度を想像していた私は、少し拍子抜けした。しかし考えてみれば、これらの簡素な備品たちがかえって白倉さんが指揮する生徒会の実行部隊的な性格を表しているようで、これはこれで妙に説得力がある。もとより、自ら光を放つがごとき彼女には装飾華美は似合わない。
 左手にある広い窓から射してくる午後の陽光が机や床にコントラストをつけて、無機質な部屋に有機的な色彩を与えている。右手の壁には、使い込まれてはいるがきれいにぬぐわれた大型のホワイトボードが設置されていた。そしてその奥には、小さな片開きのドアが見える。生徒会室の奥にもう一部屋あるのだろうか。

 白倉さんは手元のノートを閉じて立ち上がると、私に椅子をすすめた。

「八尋さん。そんなところに立っていないで、とりあえず座ったら? まだ金澤くんも来てないし、お茶でも入れてあげるから」

「え、ちょっと。そんな事、生徒会長にはさせられません。お茶っ葉と急須きゅうすって、どこにあります?」

「遠慮なんかいらないわよ。私は二年目だから、この部屋には慣れてるしね。それにほら、あなたの大好きなポテトチップスもあるわよ」

 白倉さんは収納棚の扉を開けると、中からポテトチップスの袋を取り出して、笑いながら振ってみせた。それがのり塩味、しかも特大Lサイズだったのは嬉しいけれど。

「あの、誰からそんな情報を」

「先日お邪魔した時に陸くんが言ってたわよ。姉さん、ラジオとお茶とポテトチップスがあれば、一生部屋に引きこもって生きていけますって」

「……私の個人情報が今後一切漏れないように、帰ったら文字通りに口封じをしておきます」

 白倉さんは、さもおかしそうに笑った。

「あはは。物騒なこと言わないで、とにかく食べて機嫌を直してくれると嬉しいわね。生徒会に大した権限はないっていうのはこの前話したと思うけれど、多少の生徒会費というものはあって、それについては裁量権があるのよ。だからお茶菓子くらいは自由に買えるってわけ。まあ、役得ね」

 そう言いながら白倉さんは手際よくポットから急須にお湯を注ぐと、三個のカップを机の上に置いた。三人分、か。白倉さんはどうやら、金澤くんがここに来ることを信じて疑っていないらしい。私はお言葉に甘えることにして、彼女の斜め隣の席に座った。カップから立ち上る湯気を吹きながら、私は横目で白倉さんを見る。

「始業式での新役員の挨拶、緊張しました。やっぱり私、話すのは苦手です」

 ため息交じりの私の言葉に、ぱりりと噛んだポテトチップスの残りを指でつまんで振りながら、白倉さんはきれいな猫目で笑った。

「いやいや。八尋さん、なかなか堂々とした自己紹介だったじゃない。ちょっと驚いたわよ」

「本当ですか。実は自分でもそうかなって。なんだか、誰かと面と向かって話すよりも、不特定多数に向けて話す方がまだ落ち着いていられるみたいです」

 白倉さんはうなずくと、チップスのかけらを口に放り込んだ。

「それにね。みんな、あなたが思っているよりもずっと好意的というか、納得してたような顔してたわよ。あなたそれ、自分で気付いていた?」

「え、そうなんですか」

 大舞台慣れなどしていない私は、聴衆の反応を観察できる余裕があるはずもない。さすが白倉さん、場数を踏んでいるだけのことはある。

「最初に会った時も言ったけれど、もう少し自己評価が高くてもいいと思うんだけれどね。八尋さんを押しのけて書記になれるような人なんて、うちの学校にはいないんだから」

 いやあ、と私は照れ隠しに頭をかいた。我ながら単純ではあるけれど、士は己を知る者のために死す、というではないか。司馬しばせんの史記・刺客列伝における予譲よじょうの名言だ。

「まったく、会長はほめて伸ばすタイプの上司ですねえ。それじゃあ早速、生徒会の仕事始めといきますか。手始めに、私は何を」

「そうね。いままでのやり方を踏襲とうしゅうするとすれば、最初は昨年度の議事録のチェックかな。ちょっと多いけれど、どうかな?」

 そう言って白倉さんは後ろの棚から分厚いファイルを一冊取り出すと、私の前に置いた。私はそれをぱらぱらとめくってみて、少し困ってしまう。上目遣いに白倉さんを見た私に、彼女は苦笑しながら肩をすくめた。

「あなたの言いたいこと、わかってるわよ。昨年の書記だった若宮わかみやさんも、決して凡庸な子じゃなかったんだけれどね」

「いえ、人には人のやり方がありますから」

「謙遜しなくていいわよ。八尋さんのフォーマットですべてやり直してくれていいから」

 私はうなずくと、改めて手元の議事録に目を落とす。申し訳ないけれど、そこにある内容はただの箇条書きの羅列に過ぎない。検討すべき議題、それに対する討論と結論に至る過程、そして実行した結果とそれに対する分析。これらがきちんと整理されて初めて、資料として保存する意味がある。後で検証した時にそれを反省材料として活かすことが出来なければ、議論そのものには何の価値もない。議事録とは、単なるボイスレコーダーではないのだ。

「わかりました。後の学年に引き継げるように、議事録の『型』を作ってみせます」

 大見得を切ってしまったけれど、これはやりがいのある仕事だ。一度優れたテンプレートを作ってしまえば、それは恐らく容易には変わらないだろう。自分がこの学校に在籍したあかしが残るというのは、存外うれしいものなのだな、と私は初めて気付いた。ただの通りすがりで終わるはずだったこの私が、存在証明を欲するようになるなんて。

「あの。ありがとうございます、会長」

「どうしたの、改まって。お礼を言うのは私の方じゃない、期待してるわよ」

「二週間で仕上げます。それに議事録に加えて、各委員会の予算の収支もまとめておきます」

「うわ、凄いやる気……」

 あきれたような表情の白倉さんに、私は少し意地悪な質問をしてみた。

「で、会計の方はどなたでしょう」

「え、会計?」

「そうです。使途しとの内訳についての明細報告と、領収書やレシートとを照合しなければなりませんので」

 白倉さんは満面の笑みで、私を指さした。

「……そんなことだと思いました。終業式の日、私と金澤くんの二人しか勧誘していませんでしたよね、確か」

「八尋さんには、書記の仕事だけじゃ役不足かなって。会計、兼ねてもらってもいいかな? お・ね・が・い」

 まったくこの人、正気か。ネットなんかで調べてみたのだけれど、生徒会の人数って、十人程度はいるのが普通らしいじゃないか。それが三人って。

「高く評価していただけるのはありがたいですけれど。去年は確か、会計の人も別にいましたよね」

「今期は少数精鋭で行くって、私決めたから。でもそうか、受験があるのに、八尋さんにはちょっときついかなあ」

「愚問です。ていうか、そんなこと言って、私をあおってますよね」

「えへ、ばれたか。でも正直、こなせるのであれば書記と会計は兼任してもらった方が何かと都合がいいのよね。余計な報連相ほうれんそうの手間が省けるし」

 確かに彼女の言う通りだ。それに加えて私の場合、他人と意思疎通を図るよりも自分の中だけで完結させた方が気持ち的に楽だという事情もある。それは決して良くないことだ、とわかってはいるんだけれど。

「会長の思惑通りというのはちょっとしゃくですけれど、私も同意見です。では、肩書きは書記のままですが、会計も務めさせていただきます。ポテトチップスも、私の裁量で何味か決めてもいいですよね?」

 私の精一杯の嫌味に、白倉さんは澄まして答えた。

「のり塩味ばかりじゃなくて、たまにはコンソメ味もお願いしたいところだけれど。書記兼会計殿」

 私たちは顔を見合わせると、同時に笑い出した。
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