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8章 ひとつの時代
ひとつの時代#6
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「不躾を承知の上で、私からも言わせてください。藤原の家が特別だということは存じております。交際を続ける上で、この先誰かの悪意に晒されることもあるかもしれません。理月さんに向く悪意や批判の全てを私が引き受けることは出来ないでしょうが――半分は僕が背負います。辛い思いをしたとしても、すぐに笑わせてみせます。理月さんは私にとって、かけがえのない大切な人です。どうか、お願いします」
昴がまっすぐ父にぶつけた言葉が嬉しくて、じわりと心が温まる。父はちらりと昴に視線を向けて、口を開いた。
「君は理月を必ず幸せにすると言っていたが……君と交際することで、理月が不幸になるだろうという想像はつかなかったか?」
父の声音は、怒りも悲しみも呆れも感じない。どう思っているのかわからない。だから怖くなる。昴は肩をびくつかせ、動揺しているように見えた。
「っ……父さん! 昴を責めるのは止めてください! これは僕の問題です!」
「違う。さっきも言ったけど、りっちゃんは悪くない。君のことを本当に思うのなら身を引いた方が良いのかも、って思ってたし。君が跡継ぎとして生きるなら、僕の気持ちは実っちゃいけないんだろうってことも想像付いてた」
「そんなことない!」
昴に向けて声を荒げたのは、初めてだった。昴を選んだのは自分であって、自己責任だ。守られるお姫様なんかじゃない。
「だけど、今はもうそんなこと思ってないよ。僕を選んでくれたからには、何が何でも幸せにする。――とにかく、僕が誑かしたので、理月さんは一切悪くありません。僕が必ず責任を取ります」
「昴に責任はありません。いえ、これは――二人で決めたことです。昴だけを責めるのは止めてください」
父に顔を向け、眉を寄せて進言する。父に対しても初めて、反抗らしい反抗をしたかもしれない。視線の先の父は、いつも通り眉を少し寄せた、不機嫌そうに見える表情をしていた。一文字に結ばれた父の口が、ふっと開く。
「責めているわけではない。今は、昔と比べてずっと良い時代になっただろう。藤原の家も、父が――おまえの祖父が亡くなって、ひとつの時代が終わった。もう、古い時代の支配は私で終わりだ」
なんと言われるのかと思っていたら、返ってきた言葉があまりに意外で目を丸くした。
「……理月は、藤原の家は好きか? この際、言えないようなことはもう無いだろう。本音で話してくれていい」
続いた言葉もさっぱり意図がわからない。先ほどまでの怒りが困惑に変わり、迷いながら口を開く。
「好きかと聞かれますと……難しいところです。ですが、嫌いとも言い難いです。私に与えられた責務で、私を形作った環境なので……情がある、のだと思います」
「そうか」
それだけ言うと、父は一旦口を噤んだ。一体なんなんだ、と思い、ちらりと昴に目を向けると、昴もさっぱりわからないと言った顔でちらりとこちらに視線を向けた。
「私はこの家が嫌いだった」
そんなカミングアウトに、ぽかんと間抜けに口が開く。
「父が亡くなってから、憑き物が落ちたように感じた。もう良いんだと、肩の荷が下りたんだ。私が父としておまえを守ってやらなければならなかったのに、私は父が亡くなるまで『父の子ども』のままだったと、思い知った」
父は自嘲するように薄く笑った。なんと言って良いのか言葉に詰まり、口が開けない。
「……理月はピアノが好きだったろう。日向くんを見るおまえを見て、それを思い出した。あの時、辞めさせてしまってすまなかった。許してくれ、などとは言わない。許さなくていい。現に私は父が亡くなるまで、父を許せていなかった」
「父、さん……」
どうにか口から絞り出せたのは、それだけだった。戸惑いと、喜びと、悲しみみたいな。綯い交ぜになった、なんとも言えない気持ちだ。
「私はおまえにとって、良い父親であれなかった。今更父親面などされたくないだろう。だが――おまえのことは、私が守ろう。理月が家を継ぎたいと言うのなら、任せたい。煩わしい諍いに巻き込まれないよう、こちらで手を回す。継ぎたくないと言うのなら、それも構わない。おまえの自由に、好きにしなさい」
父の口ぶりから、かつて父も同じような目に遭ったのだということは分かる。具体的なことは、分からないけれど。父は多分、昔からずっと言葉が足りていない。戸惑いの中、じわじわと喜びが追い付いて、胸が震えた。
「僕は……父さんが許してくれるのであれば、継がせていただきたいと思っています。良いとか悪いとか、関係なく、僕は昔からずっと……父さんのことを、尊敬しています」
心からの本音だ。確かに、世間一般的に見たとき良い父親ではなかったと思う。けれど怖がりながらもずっと、父を尊敬していた。
「私は尊敬されるような器ではない。おまえの方が、私よりずっと強い。では、今後も跡継ぎとして考えるが、考えが変われば言いなさい。――日向くん、理月を頼む」
「はい。必ず理月さんを幸せにします。これからも生涯、理月さんの傍に居させてください」
ちらりと昴に視線を向けた父に釣られ、隣の昴に目を向ける。昴は大真面目な顔でまっすぐ父を見つめて言い切った。
「ああ。私に言えることは、これだけだ。もう行きなさい」
「――はい。父さん、ありがとうございます」
「認めてくださり、ありがとうございます」
父に礼を言い、執務室を後にする。退室する際、父は椅子を回転させて窓に身体を向けていたから、どんな表情をしているか分からなかった。
昴がまっすぐ父にぶつけた言葉が嬉しくて、じわりと心が温まる。父はちらりと昴に視線を向けて、口を開いた。
「君は理月を必ず幸せにすると言っていたが……君と交際することで、理月が不幸になるだろうという想像はつかなかったか?」
父の声音は、怒りも悲しみも呆れも感じない。どう思っているのかわからない。だから怖くなる。昴は肩をびくつかせ、動揺しているように見えた。
「っ……父さん! 昴を責めるのは止めてください! これは僕の問題です!」
「違う。さっきも言ったけど、りっちゃんは悪くない。君のことを本当に思うのなら身を引いた方が良いのかも、って思ってたし。君が跡継ぎとして生きるなら、僕の気持ちは実っちゃいけないんだろうってことも想像付いてた」
「そんなことない!」
昴に向けて声を荒げたのは、初めてだった。昴を選んだのは自分であって、自己責任だ。守られるお姫様なんかじゃない。
「だけど、今はもうそんなこと思ってないよ。僕を選んでくれたからには、何が何でも幸せにする。――とにかく、僕が誑かしたので、理月さんは一切悪くありません。僕が必ず責任を取ります」
「昴に責任はありません。いえ、これは――二人で決めたことです。昴だけを責めるのは止めてください」
父に顔を向け、眉を寄せて進言する。父に対しても初めて、反抗らしい反抗をしたかもしれない。視線の先の父は、いつも通り眉を少し寄せた、不機嫌そうに見える表情をしていた。一文字に結ばれた父の口が、ふっと開く。
「責めているわけではない。今は、昔と比べてずっと良い時代になっただろう。藤原の家も、父が――おまえの祖父が亡くなって、ひとつの時代が終わった。もう、古い時代の支配は私で終わりだ」
なんと言われるのかと思っていたら、返ってきた言葉があまりに意外で目を丸くした。
「……理月は、藤原の家は好きか? この際、言えないようなことはもう無いだろう。本音で話してくれていい」
続いた言葉もさっぱり意図がわからない。先ほどまでの怒りが困惑に変わり、迷いながら口を開く。
「好きかと聞かれますと……難しいところです。ですが、嫌いとも言い難いです。私に与えられた責務で、私を形作った環境なので……情がある、のだと思います」
「そうか」
それだけ言うと、父は一旦口を噤んだ。一体なんなんだ、と思い、ちらりと昴に目を向けると、昴もさっぱりわからないと言った顔でちらりとこちらに視線を向けた。
「私はこの家が嫌いだった」
そんなカミングアウトに、ぽかんと間抜けに口が開く。
「父が亡くなってから、憑き物が落ちたように感じた。もう良いんだと、肩の荷が下りたんだ。私が父としておまえを守ってやらなければならなかったのに、私は父が亡くなるまで『父の子ども』のままだったと、思い知った」
父は自嘲するように薄く笑った。なんと言って良いのか言葉に詰まり、口が開けない。
「……理月はピアノが好きだったろう。日向くんを見るおまえを見て、それを思い出した。あの時、辞めさせてしまってすまなかった。許してくれ、などとは言わない。許さなくていい。現に私は父が亡くなるまで、父を許せていなかった」
「父、さん……」
どうにか口から絞り出せたのは、それだけだった。戸惑いと、喜びと、悲しみみたいな。綯い交ぜになった、なんとも言えない気持ちだ。
「私はおまえにとって、良い父親であれなかった。今更父親面などされたくないだろう。だが――おまえのことは、私が守ろう。理月が家を継ぎたいと言うのなら、任せたい。煩わしい諍いに巻き込まれないよう、こちらで手を回す。継ぎたくないと言うのなら、それも構わない。おまえの自由に、好きにしなさい」
父の口ぶりから、かつて父も同じような目に遭ったのだということは分かる。具体的なことは、分からないけれど。父は多分、昔からずっと言葉が足りていない。戸惑いの中、じわじわと喜びが追い付いて、胸が震えた。
「僕は……父さんが許してくれるのであれば、継がせていただきたいと思っています。良いとか悪いとか、関係なく、僕は昔からずっと……父さんのことを、尊敬しています」
心からの本音だ。確かに、世間一般的に見たとき良い父親ではなかったと思う。けれど怖がりながらもずっと、父を尊敬していた。
「私は尊敬されるような器ではない。おまえの方が、私よりずっと強い。では、今後も跡継ぎとして考えるが、考えが変われば言いなさい。――日向くん、理月を頼む」
「はい。必ず理月さんを幸せにします。これからも生涯、理月さんの傍に居させてください」
ちらりと昴に視線を向けた父に釣られ、隣の昴に目を向ける。昴は大真面目な顔でまっすぐ父を見つめて言い切った。
「ああ。私に言えることは、これだけだ。もう行きなさい」
「――はい。父さん、ありがとうございます」
「認めてくださり、ありがとうございます」
父に礼を言い、執務室を後にする。退室する際、父は椅子を回転させて窓に身体を向けていたから、どんな表情をしているか分からなかった。
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