上 下
156 / 189
触れられる。

10

しおりを挟む
「で、要件はなんだ?」

 甘路の反応は、あんずにとって予想外だった。
 もっと取り乱すだろうと踏んでいたのに、あまりにあっさりした第一声に顔を顰める。

「まさか付き合えとか言うんじゃないだろうな、冗談じゃない、お前と付き合うくらいなら、ゴキブリにキスした方がまだマシだ」
「ハッ……ゴ、ゴキ……!?」

 まさかの発言にあんずは衝撃を受ける。
 今まで男性陣には、散々もてはやされてきた。付き合った先はともかく、まずは見た目を褒められることから始まる。
 それなのにゴキブリ以下なんて、怒りを通り越して屈辱だ。
 
「なに寝ぼけたこと言ってんのよ! アンタみたいな病気持ち、こっちから願い下げだわ!」
「そうか、ならよかった」

 あんずは病院の出入りを見ただけで、甘路の実際の状態を知らない。勝手に身体的な病だと思い込んでいるだけだ。
 相変わらず余裕な甘路に、あんずはショルダーバッグから取り出したスマホを提示する。

「すかした顔していられるのも今のうちよ、こっちはきっちり証拠を持ってるんだから。動画を流されたくなかったら、土下座して。それだけアンタは、あたしのことを怒らせたんだから」

 甘路はその場で、玄関で息巻くあんずを見ていた。
 数秒の静けさの後、甘路はあきれたように深いため息をついた。

「なにを言うかと思えば、てんでガキだな」
「そ、そんなこと言っていいの!? 本当にバラすわよ!」
「言いたきゃ言えばいい、そんなことで潰れる店なら、そこまでだったということだ」

 スパッと言い放った甘路は、少し間を置いてあんずに向き直る。
 あんなに隠したいと思ってきた秘密も、今となれば恐るるに足らず。
 大切な人を得たことで、甘路は真の強さを手に入れつつあった。

「ただ……そんなことをすれば、大好きなお姉ちゃんとの関係は、完全に修復不可能になるけどな」

 あんずの尖った瞳が、みるみるうちに丸みを帯びて揺れる。

「だってそうだろ? わざわざ店まで来て挑発したり、俺たちを尾行して弱みを握ろうとするなんて、よっぽど執着してる証拠だ、嫌いなら放っておけばいいだけだからな」

 甘路はすべてを見破っていた。
 あんずのくるみを意識した言動は、まるでかまってもらいたい子供だと。そしてそれは、行きすぎた甘えの結果ではないかとも。
 あんずはしばし茫然として、スマホを掲げていた手もいつの間にか下げていた。
 ――大好きなお姉ちゃん……?
 甘路の台詞が頭をループする。
 他者に言われて自覚したあんずは、カアッと顔が熱くなった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

あなたの世界で、僕は。

BL / 連載中 24h.ポイント:2,117pt お気に入り:60

この空の下、君とともに光ある明日へ。

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:5

くつろぎ庵へようこそ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:0pt お気に入り:114

別れ話をしましょうか。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:674pt お気に入り:3,040

処理中です...