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触れられる。

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 突然の告白に、甘路は息を止めた。
 くるみの口からこぼれた、ずっと言えなかったこと。
 確かに死を望んで、当てもなく彷徨った記憶。

「甘路さんと出会ったあの日、あんずが大企業に就職が決まって、母に『もうアンタはいらない』って言われて……なんだかもう、全部どうでもよくなってしまって……ぼんやりしていたら、いつもと違う電車に乗っていて、気づけば……ドゥートンの前にいました。それで、最期くらい、美味しいものを食べようって」

 くるみは落ち着いた口調で、時折言葉に詰まりながら話した。
 甘路は驚きながらも、納得いく部分があった。
 くるみが店に入ってきたあの時、甘路は洋子から「今にも死にそうなお客様がいます」と聞いた。
 それで甘路は、試作品を出すことにしたのだ。店側の不備のお詫びよりも、そちらの方が原動力になったかもしれない。
 その辛さを自分が作ったスウィーツで、少しでも癒すことができないかと考えたのだ。

「でも、甘路さんのケーキを食べたら……死ぬのがもったいなくなりました。こんなに美味しいものがあるなら、まだこの世で、生きてみたいって」

 くるみはふっと、固くなっていた表情を崩した。
 甘路は眩しさに目がくらむ。
 なんという殺し文句だろう。
 くるみはこう言っているのだ。
 あの時、考え直せたのはあなたのおかげだと。
 あなたの洋菓子は、人の命を救うことができるのだと。

「私みたいな人間にこんなこと言われても、なんの価値もないかもだけど、世界がどんな評価をしても、私の中では甘路さんが一番です。どんな結果でも、待っていま――」

 乱暴にぶつかった熱に、くるみの言葉が遮られる。
 なにが起きているのかわからない。唇から伝わる甘路の温もりに、考えるより先に溺れそうだった。
 名残惜しそうに離れたかと思うと、頬を包んでいた手が背中に移動する。
 甘路は絡みつくように、力強くくるみを抱きしめた。

「ありがとう、くるみ……今までで一番、嬉しい言葉だ」

 耳元に響く囁きは、スウィーツよりもずっと甘い。
 くるみは甘路のたくましい背中に、そっと両手を添えた。嘘のように幸せな時が、壊れてしまわないように。
 ――甘路さん、私、難しいことはわかりません……ただ、甘路さんのそばにいられたら嬉しいんです……それだけで、涙が出そうなくらい――……。
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