琥珀糖とおんなじ景色

不来方しい

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第二章 ふたりの出した勇気

07 偶然の約束

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 相澤さんは笑っている。涙を流す僕を眺めながらの食事は、さぞ滑稽だったろうに。美味しかったねと言われ、その一言に救われた。
 帰り際、彼はまたねと声をかけて近所まで送ってくれたが、またなんてあるのだろうか。本来なら、彼との関係を考えると食事会自体おかしな話なのに。
 店を閉めるまではまだ時間がある。祖母との会話もそこそこに、残り数時間の店番は僕がすることにした。
 横切る人は僕に気づいて手を振ってくれたり、店の中に入ってくれる人もいた。季節の過ぎた桜餅を買ってくれた。近所の人たちは、僕の性癖を知っていても普通に接してくれる人が大半だ。陰で何か言っていても、大人の対応で上辺だけでもよくしてもらいたい。僕も喧嘩腰になりたくないし、悲しみにも浸りたくない。
「いらっしゃいませ」
 語尾が消え失せるほど小さくなってしまった。僕と目を合うと、彼は分かりやすいほどに目を逸らす。そこまでしなくても、と思うが、彼と同じ反応をしてしまうのは仕方ない。すべて僕のせいだ。
「…………どうぞ」
 なかなか入ろうとしないかつて親友だった人は、僕に声をかけられると渋々中に入ってきた。
「豆大福四つ」
 頼まれてきたのだろう。無愛想に言葉を散らし、優君はそっぽを向いた。
 ビニール袋に入れて渡すと、指先が触れた。過去に高鳴った感情はもうない。それどころか、この人は違うと警鐘を鳴らしている。
「ありがとうございました」
 お釣りを渡すと、彼は不機嫌を隠そうともせず店を後にした。
 もし……僕が告白なんてしなければ、彼と友達のままでいられただろうか。違う高校や大学に歩んでも、社会に出ても、お酒を飲み交わす間柄でいられただろうか。
 たらればの話なんてらしくない。後悔しても遅い。彼だってからかわれ、同性に告白された男として、嫌な思いを抱えて生きていくのだ。
 どら焼きも売れ、今日は店を閉めた。
 部屋に起きっぱなしだった端末には、二つメールが届いていた。
──今日はとても楽しかった。今度、クマ牧場に行かない?
──クマ牧場に行くの? いいないいな!
 ほぼ同時期にメールだ。片方は相澤さんで、もう片方は遠山さん。
──遅れてしまい、ごめんなさい。店番をしていました。クマ牧場なんてあるのですか? クマがいっぱいですか?
──なぜあなたが知っているのですか。
 どちらにもメールを返した。気づくと遠山さんに乗せられている気がする。
──クマがいっぱいだけど、クマしかいないよ。でも場所が遠いから、泊まりになる。
 泊まりと書いている。何度読み返しても、宿泊だ。さすがにこれは、良くない。何が良くないのかというと、ひとり百面相状態となってしまう。彼は僕を意識しなくても、僕は無理だ。彼は恋愛対象になる。
──ごめん。遠いし、動物園にする? 動物園にもクマいるし。
──相澤さん、泊まりは僕が意識してしまいます。気持ち悪くてすみません。でも遊びに行きたいので、動物園には行きたいです。
 彼は僕の性癖を知っているし、下手に隠す必要はない。ありのままの気持ちを送った。返事が来たが、お目当ての人ではなかった。
──相澤先輩が落ち込んでるけど、なんて送ったの?
──もしかしてお仕事中なんですか?
──そうだよー。今は休憩中だけどね。クマ牧場のサイト見てる。
「嘘でしょ……」
 思わず声に出てしまった。思いつきではなく、まさかわざわざ調べてくれていたのか。今さら行きたいなんて送れない。どうしよう、どうしようと、クマのように部屋をうろうろした。
──よし、なら動物園にしよう。俺も早とちりした。ごめんね。
──こちらこそ、ありがとうございます。相澤さんとお出かけしたいのは本当です。クマ、寝てないといいな。
──ゴリラ、ライオン、トラは就寝率が高いからね。起きてたこと見たことがないよ。
──分かります。実はぬいぐるみ説が僕の中でありますから。
──相澤先輩、ちょっと元気が出たよー。
 相澤さんのメールに交じって、遠山さんからも来た。
──相澤さん、もしかしなくても今日はお仕事でしたか?
──どうして知ってるの?
──遠山さんからメールが来てます。
 僕が送った以降、相澤さんからも遠山さんからもメールが来なくなった。休憩時間を終えて、今は仕事中だろう。
 フェードアウトしたいと思っていたが、こんなにメールもしていてご飯も行く中になって、友達になってもいいのではと錯覚する。社会人と学生の間に、友達関係なんて存在するのか謎だけれど、相澤さんの考えは読めない。誘ってくれるのは、少なくとも嫌がっていないとは思う。
 いろいろ考えていたら、いつの間にか寝落ちしてしまっていた。どこかに行ってしまった端末を探し、僕はご飯を食べに囲炉裏の間に入った。廊下から良い匂いがしていたが、今日は雑炊とぬか漬けだ。
「今日実家に行ってくるね」
「なんで?」
「蓮の誕生日だから、プレゼントを届けに行こうと思って」
 見慣れない袋が隅にある。
「僕が行ってこようか?」
「藍が? 大丈夫?」
「平気」
 家族に会いたいから行くわけではない。祖母が行くと、必ず小言をもらい受けて帰ってくるのが耐えられないからだ。気にしない素振りをしても、落ち込んでいれば僕には分かる。蓮は必ず祖母を怒鳴る。それだけは絶対に許せない。
 学校前に実家に寄った。朝の時間帯は忙しないので誰かと鉢合わせになることは避けられない。車に乗ろうとする父の姿だ。
 僕は横をスルーして、扉を開けた。事前に書いておいた手紙は「おばあちゃんから蓮に」と書いた、実にシンプルなものだ。誰でも分かるように玄関の真ん中に陣取らせ、すぐに退散した。
 車に乗り込もうとする父がいる。僕がやってきたことに不審に思っているのだろう。鍵を差したままで呆然としているが、横を通っても声をかけなかった。それはお互い様で、それが一番良い方法だ。
 ゲイであることで父を苦しめた僕、家を追い出されそうになっても一つも庇う声をあげなかった父。互い違いに思いが交差してしまい、悪い意味で歯車が合致した関係。元々僕の家は母が権力を握っている。仕方なくても、当時は庇って欲しかった。
 講義室で席に着いて、ようやくひと仕事を終えた気がした。祖母を庇えたという身勝手なヒーロー気取りでも、僕は気持ちを強く持てた。多分、祖母は喜ばない。でも譲れない。

 今日は店は開けていない。田んぼの前で佇む家は、物悲しく見えた。
「ただいま」
「藍…………」
 物悲しいのは家ではなく、祖母だ。
「今日、蓮に誕生日おめでとうって言ってくれた?」
「まさか。あっちだって言われたくないだろうし。玄関に置いてきただけ」
「お母さんからうちに来たのよ。どうして声をかけていかなかったのかって」
「身勝手な言い分は僕と同じだね。いちいち小言を聞きたくないからだよ」
 結局母がうちに来て祖母に当たり散らしてしまったのなら、僕のヒーロー気取りも意味がなかった。
「藍から、自分で買ったって言って渡して欲しかったのよ」
「…………なにそれ。おばあちゃんがお金を出して買ったものを? 意味分かんない。言われるまで僕が渡すなんて考えもしなかったのに」
 悲しそうな顔をさせるつもりなんてなかったのに、僕も止まれない。車だけではなく、気持ちだって急ブレーキはかからない。
「無理やり仲を取り持とうとしなくていいよ。もう手遅れなんだ。僕はあの人たちの思った通りの人生は歩めないし、言いなりにもなれない。大学を卒業して社会人になって、貯金しておばあちゃんを温泉旅行に連れていってあげる。僕の夢なんだ」
 怒ってもいいし、言い争いになってもよかった。なのに、僕の頭を撫でるだけで笑ってくれた。余計惨めになる。子供で譲らないのは昔からで、譲ってしまうと僕は僕でいられなくなってしまうから。
 夕食は珍しくカルパッチョが出た。何気に好きだったりする。祖母が作るなんて珍しいが、鼠色の雲がかかったような夕食だった。喧嘩を撒き散らした僕が悪い。
──こんにちは。夕食は食べた?
──こんにちは。食べました。珍しくカルパッチョが出たんです。相澤さんは?
──豚肉を茹でて食べたよ。冷凍うどんがあったけど、夜だし炭水化物は我慢した。
 おかしくて遊び心も加えたくなった。クマが子クマをいいこいいこと頭を撫でている絵文字も添付して送ってみた。
──癒された。仕事も頑張れそう。
──うどんは明日の朝はどうでしょう? 僕の家の朝食は、汁物がメインの日も多くあります。うどんとか、お茶漬けとか雑炊とか。
──藍君は料理するの?
──ほとんどおばあちゃんがしますが、和食であれば教えてもらっています。最近は湯豆腐を作りました。
──すごい。あれって作れるものなんだ……。
「嘘でしょ……」
 まさかの反応だ。相澤さんって卵かけご飯でも感動してくれる人なのかもしれない。
──俺、ろくに卵も割れる自信がない。
──今度、よければお弁当作って行きましょうか? この前のお礼も兼ねて。
──ぜひ! 俺、手料理に飢えてる。
 メールを送りつつ、ノートパソコンでは『冷めても美味しい料理』と検索し、ごまんと出る料理を片っ端からチェックした。こういうときは、洋食より和食だ。煮物は時間が経てば味が染み、冷たくても美味しく食べられる。
「卵焼き、煮物、おにぎり、唐揚げ、んーと……、」
 気合いを入れすぎていても、かえって迷惑になるだろう。あなたに本気ですと思われても、気味悪がられる。どうしたものか。
 手が込んでいて迷惑にならない弁当とは、なかなか難しい。
──相澤さんの好きな食べ物はなんですか?
──何でも食べるよ。
 一番困る回答だ。僕が作ると煮物が多くなるし、どうしても茶色が多くなる。かといってカレーやオムライスなど単品料理は栄養が偏る。結局、困ったときは祖母に頼るしかない。
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