忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛

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第三章「田沼の計らい」

第五話「絵島生島事件」

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 善三や朱音に事情を話し、美鈴の行方を探した文蔵であったがこの日ははかばかしい成果は上がらなかった。

 美鈴の実家に行って聞き込みをしてみたが、特にめぼしい情報は無い。美鈴の実家は太物問屋であるが、それほど大きな商家ではなく、何かの利害関係に巻き込まれたとは思えない。将軍吉宗は倹約令を出しているため、綿製品を扱う太物問屋の業種が何か関連しているのではないかと予想していたのだが別にそんな事は無かった。思い過ごしである。

 両親の証言によると大奥の奉公に上がる前に特定の男と付き合いがあったという事実は無いと言う事だ。婚約相手もいないし、仲の良かった男もいない。そのため両親は美鈴が中臈になる事を喜んでおり、美鈴が失踪したと聞かされて困惑していた。

 その他にも色々と聞き込んでみたのだが、それも特に情報は得られなかった。美鈴の実家周辺もそうだし、裏社会関連もだ。近頃かつて誘拐を繰り返していた囃子の又左に連なる一味が江戸での活動をしていた。そのためそちらの方向でも情報を得ようとして蝮の善衛門と付き合いのあるヤクザ者に尋ねてみたのだが、特にその様な情報は無いとの事だ。もちろん、蝮の善衛門と繋がりのあるヤクザ者は正統派の悪党であり、拐かしや人身売買などという道に外れた悪党とは縁が薄いため、情報網にかかっていない可能性はある。

「と言う事だ。すまんが、解決に繋がる情報は得られなかった」

「いえいえ、分からなかったという事も、重要な情報ですよ。ところで、こちらの方々は?」

 文蔵は実家に戻り、武蔵に本日の成果を報告した。武蔵は残念そうな表情を浮かべたが、予想の範疇であった様だ。文蔵を責めるような様子は無い。それよりも、文蔵が一緒に連れて行った善三と朱音の事が気になる様だ。

「こちらが朱音さん、こっちのでかいのがその兄の善三だ。昔からの付き合いで、今も同心の仕事を手伝ってもらっている」

「ああ、兄上がお世話になった方ですか。服部家当主として、兄上を無事に帰してくれたことにお礼申し上げます」

 武蔵はかつて文蔵が拐かされた後、旅芸人の一座に拾われて命を繋いだ事を聞いている。真っ当な武士である武蔵は見世物小屋とは縁がないため、善三達とは初対面だが、元々感謝の念は持っていた。

「こちらは駄目だったが、そっちはどうだったんだ? 他にも調査していたんだろう」

「残念ながら、美鈴の行方も分からないし、どうやって姿を消したのかも不明なままです」

 結論としては、今日一日で進捗は無かったと言う事だ。

 大奥の上層部は美鈴が正式な中臈となり、将軍の夜伽に呼ばれるのを言葉巧みに誤魔化しているが、単なる時間稼ぎに過ぎない。いつかばれるに決まっている。

「上様に事が露見する前に、何とか事件を解決したいのですが」

「あのさ、よく分かんないんだけど、正直に上様に報告すればいいじゃないさ。そりゃあ怒られるかもしれないけど、後でバレるよりはましじゃん」

 朱音が武蔵に疑問を投げかけた。言葉は少々乱暴であるが、内容は至極もっともである。こうしたものを隠し立てされるのは、上に立つ者は一番癇に障るものだ。

「そうもいかぬのです。拙者は新参者ゆえ詳しくは知りませぬが、以前大奥の出入りで重大な事件が起きたので、大奥も御広敷も事が露見せぬ様に警戒しているのだそうで」

「んん? そんな事があったのか?」

「あ、あたし知ってる。役者の生島新五郎が長持に入って大奥に入って、大奥の偉い人と逢引きしていたんだっけ」

「よくご存じですね。その通りです。それ以来大奥に運び込まれる荷物の点検が厳しくなっているのだそうで」

 文蔵も善三も、江戸を長らく離れていたので江戸の事件には疎い。江戸中を騒がせ、将軍後継者争いにも影響を与えたこの「絵島生島事件」も、彼らにとっては、そういえば聞いた事がある、程度の話である。

 朱音は付き合いのある同世代の娘達からこういった噂話を聞いているのだが、文蔵や善三はそうではない。

「実のところ、生島が大奥に侵入したという事実はありません。御年寄の江島が城の外で生島と遊興に耽ったというのは事実なのですがね。色々と尾鰭が付いた結果長持ちに入って大奥に侵入したとの風説が広まり、その影響で十貫以上の重さの荷物は中身を改める事になったのです」

「はあ、そりゃあ大変だね」

 武家社会の考えに疎い文蔵だが、武士たるもの疑われる事自体が問題であるとの考え方があるのは理解してきている。

「ちょと待った。それじゃあ、大奥に入る荷物は点検するが、出て行く荷物は素通りって事か?」

 こう言いだしたのは善三だ。確かに今の規則の発端となった事件は、大奥への侵入が問題になったので脱出する方は考えられていない。

「むむ。確かにそうですね。しかし、人一人が入っていれば、重さで怪しみそうなものなのですが」

「でも調べてみた方がいいんじゃないか? 怪しい荷物を運び出した奴がいたら、その線から調べれば何かわかるかもしれないぞ」

「分かりました。今日はもう遅いので登城できませんが、明日朝一番で調べてみましょう」

「ああ、俺も同行するとしよう」

 調査に進展は無かったが、新たな手掛かりの可能性が出て来た。次の日は朝早くから行動するので、この日はすぐに解散になった。
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