悪役令嬢の兄に転生した俺、なぜか現実世界の義弟にプロポーズされてます。

ちんすこう

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27【俺の記憶】

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 宮殿の広大な敷地を覆った影は、一見すると雲のようだった。
 けれど上を見上げて、俺は今日一番――いや、この世界に来て最大の声を上げた。


「あれっ……ええええええ!!?」


 影の正体は雲――ではなく。

 巨大な蛇の腹だった。

 丸々と肥え太った腹から、鉤爪のついた手が四本生えている。
 その肩のところから蝙蝠のような羽が左右に伸びて、庭園に覆いかぶさっていたのだ。

「あれはなんだ!?」

 貴族たちは悲鳴を上げて次々に席を立つが、誰も逃げ出そうとしない。下手に動くと狙われかねないからだろう。
 天に向かって咆哮を上げた怪物が、勢いよく顔を振り下ろして、宴席にいた人たちを視線で一舐めした。

 茶褐色のうろこに金の瞳。
 その中の黒く細長い瞳孔が俺たちを見据えて、前に張り出した口が大きく裂ける。
 血色をした口内には象の牙に似た歯が、二本ずつ上下に伸びていた。
 奴はそこから蛇の舌をチロチロと出して、再度いななく。
 その衝撃で頭の黒い角とサイドの硬そうな耳がぶるりと震えた。

 うん。
 蛇っていうか、竜だよね。これ。


「し、死んだ!!!」
「落ち着いて兄ちゃん、生きてるよ!」


 ラスボスはドラゴンですなんてRPGじゃ定番の展開だけど、ゲーム画面を見るのと実際に対峙するのじゃあ訳が違う。
 臨場感はんぱないっていうか、無理ゲー感すごくない?

「こんなバケモン、アニメじゃ見たことねえぞ……!」

 竜は広げた翼を一度縮めて、また開く。それだけで庭の芝生が揺れた。

「これが改変を重ねた結果ってことか」

 いつのまにかそばに来ていた奏が、俺を後ろ手に庇いつつ剣を抜く。
 それを見て目を剥いた。


「お前っ、どうするんだ? まさか」

「倒すしかないよね。
 あいつが話の辻褄を合わせるために投入された刺客なら、狙いはたぶん――兄ちゃんだよ。
 ユーリ・ホワイトハートは、結婚式の場面にいちゃいけない。
 存在を抹消するために、アレは兄ちゃんを狙ってくる」


 奏が言ったとおり、竜は他の人たちには目もくれず俺を睨み据えた。
 ギョロリと爬虫類っぽい瞳が動いて俺がすくみ上がっている間に、奏は駆け出していた。


「奏!!」


 何かの魔法を使って、式用の黒い革靴の下に風を起こす。エンジンを地面に向かって吹かしたように、黒いタキシードが宙に浮いた。
 吼えて腕を振りかぶってきた竜を剣でいなして、その腕の上を駆け上がる。


「ゆうは殺させない!」


 逆上した竜が激しく腕を振るが、奏は器用にかわして空に留まる。

 家一個分くらいはありそうな怪物を恐れもせず、うまく渡り合っている弟を見て、感心半分恐れ半分の気持ちになる。
 どうしてそんな風に立ち向かえるんだ。

 化け物は雷のような声を上げて、巨体で暴れ回った。


「っ!」

「奏!」


 でたらめな動きの間に鉤爪が突き出されて、奏の肩を裂く。
 爪が肉に触れる寸前にそこだけ防御陣が張られて、怪我は防がれたが上等な生地は無残に引きちぎられた。

 ――一瞬、肩が削がれたと思った。


「奏、やめろ!」


 心臓に冷水をぶっかけられた気分になって、俺は無意識のうちに叫ぶ。


「危ないって! お前が死んじまう!」


 相手の腕は四本ある。そのぶん攻撃が繰り出されてくる方向が特定しづらく、予測から漏れた分が容赦なく奏に襲いかかった。
 それでも奏は退くことなく剣を振るい、魔法を使う。
 敵の攻撃すべてを防ぎ切ることはできず、そのうち身体も傷つけられはじめた。


「だめだ!」


 とっさに飛び出そうとしたが――なにかに体を抑えられた。


「っ何すんだよ!」


 背後を振り向くと、エドワードが俺を捕らえている。


「離せ! あいつが危ねぇんだぞ!」


 だが、俺の肩を掴む力は緩まなかった。
 暴れる体は強く引き止められていて、ギシギシと服が軋む。


「奏がどうなってもいいのかよ!」


 怒鳴ると、冷えた声が俺を突いた。


「武術の心得もないあなたが行って、どうされます」
「……っ!」


 ……そうだ。
 こいつは俺がユーリじゃないってこと、知ってるんだよな。もちろん、俺には武術も魔法も使えない。
 行ったところで奏のようには戦えないから、助けに向かっても足手まといになるだけだ。
 だけど、そうだけど。


「でもっ! どこに弟を見捨てる兄貴がいんだよ!」
「奏様の気持ちを考えてください」
「奏の……?」


 エドワードは手の力は緩めないまま、硬い声で続けた。


「あの方ははじめから、あなたのことだけを考えてらっしゃいました。
 あなたを救うにはどうしたらいいのか。
 あなたがいない世界なら生きる意味もない、と」


 奏は傷付きながら、なお怪物と戦っている。
 時折竜がのたうち、赤い口から火を噴くと、火の粉が俺に降りかかる前に冷却魔法を使って氷の屋根を作った。


「あなたを想う彼の声が聞こえたからこそ、私はあなた方を計画への参画者に選んだのです。
 あのカイ・ウィングフィールドなら、ユーリ様を生かしてくれると」


 エドワードは苦い表情で上を見上げた。
 その先には、常に俺を守るための行動をとっている奏がいる。

 あいつは……最初からそうだった。
 あの、屋敷の大階段から俺が滑り落ちたときから。
 俺を抱き留めて、守ってくれた。
 デイビッドに捕まったときも助けに来た。
 奏はいつも、この世界で俺を救ってくれたんだ。


「そうまでしてあなたを生き延びさせたいという彼の気持ちを、踏みにじってはなりません」

「……それでも」


 エドワードの腕にそっと手を置いて、外させる。

 奏の魔力も無尽蔵ではないらしく、作り出せる魔法陣の大きさが少しずつ小さくなってきている。
 不安定な足場を飛び交いながら鉄製の剣を振り続けているので、さすがに息が上がってきていた。


「……一人にしない、と約束した」


 振り向いて、エドワードに尋ねる。


「一時的でもいい、俺に魔法を使えるようにしてくれないか」
「それは」
「そういう魔法、使えるか?」
「……使えます」


 答えたが、エドワードは渋っていた。
 それはそうだろう。ユーリを守るための計画なのに、ユーリの体が死んでしまっては本末転倒だ。
 俺は伏せられた目を見つめて、頭を下げる。


「頼む!」

「ユ、ユーリ様」

「聞いてくれ。このままじゃ奏が死ぬ。そうすりゃ、次は俺たちだ。
 ヒーローが勝てない相手に俺が勝てるわけないんだから、どのみちユーリは死ぬ。
 運命を変えたいなら、守りに入っちゃだめだ。
 そんなオチが嫌なら、元のシナリオには絶対にないことを――カイとユーリの共闘を、しないか!」


 エドワードは沈黙する。
 その間にも奏に命の危機が迫っていて、気が気じゃなかった。


「――エディ!!!」


 突然、喉奥から言葉が上がってくる。

 その瞬間に、彼の愛称を叫んでいた。
 はっと息を呑む音がする。


「……坊っ、ちゃん」


 それを聞いて、顔を上げると――眉を寄せて目をすがめる、切なげなエドワードの姿があった。


「……承知しました」


 頷くと、彼の指が素早く陣を描いて、俺の胸に押しつけられる。
 途端に体の底から力が湧いてきて神経の先まで広がっていった。


「これは……?」

「私の魔力を流して、ユーリ様の身体に眠る記憶を一時的に引き出しています。大したことはできませんが、奏様のアシストくらいは可能でしょう」

「わかった! さんきゅな!」


 試しに『飛べ』と念じると、足が地面から離れ、少しずつ浮上していく。おぼつかない足取りだが、慣れてくると上昇スピードも上がっていった。
 不安そうなエドワードを置いて空を飛び、奏のもとへ向かう。
 奏は噛み付いてくる竜の口に剣を挟み、押し返そうとしているところだった。
 今にも力負けして食いつかれそうな、瀬戸際だ。


「奏――――」


 あと少しでその横に並べそうだった直前に。


「!?」


 怪物のうなじがバクリと裂け、顔の後ろからもう一つ竜頭が飛び出した。
 『噛まれる』と知らせる前に新しい頭が風を切って、奏の元に向かっていく。
 こっちの口はサメのように数十本の細かい牙が揃い、犬歯の部分が長く伸びていた。
 上下の顎が奏の胴体を挟み、その長い牙が体を貫く。


「奏ェ!!」


 上がる血飛沫に目を見開いた。

 エドワードに増強してもらった腕を振り上げ、竜の鼻先を殴りつける。竜が怯んで口を離し、奏の体が宙に投げ出された。


「奏!」


 ――――落ちる。

 ――――落ちる。奏が。


 こめかみが引き攣り、ドクドクと体内の血が巡り出す。

 伸ばした手が奏の手を掴み、俺も一緒に落下していく。


 ――行かせない。

 お前を絶対に、一人にはしない。
 愛する俺の弟を、死なせない。


 ふと思う。
 同じことがも起こった、と。


 ゆっくりと、しかし着実に地面に近付いていきながら、奏の体を引き寄せて俺の腕の中に抱きこむ。
 二人は、俺を下にしてそのまま落ちていった。

 ――同じだ。

 思うと同時に、大量の映像が頭に流れ込んでくる。


 真っ黒に塗り潰されていた母親の顔にヒビが入り、モザイクが割れる。
 そうすると金切り声の女性の悲鳴が再生され、絶望にまみれたあの人の表情がはっきりと瞼の裏に映し出された。


 そうだ。


 俺はあの日――


 ――奏と一緒に、死んだんだ。


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