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第7話 出来る秘書官は敗北する

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「おい、クロヴィス。リサに何を言おうとしたんだ?」
「何だっていいだろう」

 クロヴィスの執務室には怒鳴り声が響いていた。

 アベル・コデルリエ。クロヴィスの出来る秘書官である。

 アベルの母は王宮の女官であった。その後、侯爵夫人となっても、なお王都に残っていた。見かねた王妃殿下が声をかけ、クロヴィスの乳母になり、なお王宮にいた。
 そして、クロヴィスが親の手をはなられてからは王宮の女官長をしている。

 ようするにアベルとクロヴィスは乳兄弟で、兄弟以上の何かがある。

 その後、アベルの父親が亡くなると、兄を後継者として残しながらもクロヴィスについていく覚悟をした。
 ところがクロヴィスが大学に行くとなり、アベルの家で一騒動があったためにアベルもともに隣国に行くことになった。

 大学ではクロヴィスは研究に、アベルは勉強と使節団としての仕事に追われ、第2王子の補佐官が助けを求めたために第二王子の残業に明け暮れていた。

(っまったく、俺を使うんじゃねぇーー!と言いたいところだが、これもリサのためと思おう)

 そして、アベルはメリッサの騎士(ナイト)である。

 隣国に渡ることになった時、アベルはさすがに反対した。
 お前はどこまで先に行くつもりだ!と叫んでやりたかったが、その頭脳は活かすべきなものだとも思っている。

 が、仕事が出来すぎる時点で国外に追い出すべきだっただろう。
 少なくともこの国にとって、彼は危険過ぎる。

 しかし、執務室で仕事をしているだけの仕事場は……

(平和、だねぇ……)

 大学だったら誰かから必ず死臭がしていたし、まさに地獄のような場所だった。
 必ず誰かがなにかに追われていて、あそこはもう、人が生きるような場所では無いとアベルは記憶してる。

 そんな場所とは違い、ものすごい速さでダイヤの瞳をもつ王子は仕事をしている。

「終わった」

 書類の山がいつの間にか綺麗に立てて置かれた時、その山からクロヴィスが顔をだす。
 まるで何かに追われるように仕事をしたクロヴィスだったが、その手がピタリと止まった。

「お前にメリッサのところに行かせるのでは無かった」
「ん?」

 心底悔しそうにするクロヴィスをニヤニヤしながらアベルは見る。

(うん。やっぱりこいつ人間だな)

「メリッサに何を喋った?」
「ん?何も。そんなに行きたかったのなら自分が行けばよかっただろう」

 アベルは哀れみを込めてクロヴィスをみる。

(おお、怒っている。うん、怒るよな)

 一瞬、クロヴィスのダイヤモンドのような鋭い瞳に背筋が凍ったものの、ここで敗退するほどアベルは弱くない。
 そもそも、こんなところで敗退していたらクロヴィスをからかうことなど出来るはずも無いのだが。

 そもそも5年間、クロヴィスに帰るという思考は無かったようだ。
 それが、メリッサの噂を聞いた瞬間に帰ると言い出すとは――

(やっぱり、俺があっていたじゃないか⁉)

 9年前、いやもう少し前からクロヴィスがメリッサを気になっていたのは知っていた。
 もはや、メリッサにあるアベルの感情は――
 すごい、の一言である。

「残っていろと仕事を置いって行ったのは誰だ⁉」
「う~ん。誰でしょうねぇ」

 アベルはわざとらしく目をそらす。
 こういうのも、主が怒る姿を見るための演技である。

(クロヴィスが怒るのは面白いからな)

 これはアベルでなきゃ出来ない芸当であると言えるだろう。

「アベル。お前な……」

 こっちもわざとらしく溜息をつく。
 そんな二人を見て、そそくさと補佐官たちは出ていった。
 アベルはそれを横目で確認して、口を開いた。

「でも、リサは本当に何かと規格外だよね。もう大学の卒業資格を取っていたなんて……」

 さすがにアベルもそれには驚いた。
 この主、クロヴィス以上の天才だったからだ。
 なのに……

(おかしい)

 きっと、クロヴィスも気づいてるはずだ。

「アベル」
「なんだ?」
「……どう思った?」

 真剣な表情で問うてくるクロヴィスの質問にはきちんと答えなければいけない気がした。

「綺麗になっていた。それこそ、"妖精姫"の名に恥じないくらい」
「そうだな。あの頃と変わらず翡翠色の瞳が澄んでいて安心したが、アベル」

 これ以上無いくらい真剣なのだが、

(惚れちゃった、か。また、物好きな)

 アベルの興味のある点は少しずれている。

 しかし、アベルも物わかりの悪い秘書官ではない。

「おかしい、そう思ったんだろ?リサが何故あそこまで父を恐れている」

 おかしいと思う。
 少なくとも、メリッサは大切にされるべき人間なのだ。
 そして、王家も大切にするべきところなはず、なのに――

「聞くべきだったか?」
「いや、俺もきいた。答えてはくれなかったよ」

 あの、後悔に染まった顔を見ると辛くなった。
 どこか人を突き放すような、拒絶するような態度。
 なぜ、あそこまでなる。
 あの表情豊かな子が何故、"機械人形"と呼ばれる故になったのか。

 それとも……彼女ののために、王家のために作られた"機械人形"と言われる故になったのだろうか。

 まだ14だと言うのに一体その目に何を秘めているのだろう。

 クロヴィスもアベルも溜息をついた。

「……に王家は"賢姫"を一度ならず二度までも失ったのだろう……」

 アベルの口から出たその一言にクロヴィスはハッとなる。
 自分の口から漏れた一言にアベルもハッとなって自分の記憶メモリーの中からを探し出した。

 19年前、起きたこと。
 まだ、アベルもクロヴィスも小さかったが大きくなってからも少なからずそれを耳にした。
 "第一王子の愚行"であり、"王国最大の損失"とまで言われた事件。
 王家に、この国のために生まれた"賢姫"を冤罪で手放し、不当な理由で罪を着せた。
 結局、罪は残ったのか、どうだったか。

「19年前、か……。アベル、調べられるか?」
「ああ、もちろんだ」

 アベルは主に向かってしっかりとうなずいた。
 もっともこの主は――

「知ってそうだな」
「だいたい、予想はつく。お前もだろう」

 何枚も上手を行っているような人なのだが。

「それとアベル」
「なんだ?」
「その辺からのクラヴェル家を調べられるか?」
「分かった」

 抜け目がない、アベルは心からどう思う。
 ある意味、敵に回してはいけない人である。

 もっともメリッサは――

(彼女のほうが何枚も上手で、強いだろうな……。さすが、リサ!)

 重度のメリッサ教のアベルはもはや、メリッサが神か何かになっているだろう。

 あの完璧な微笑み、凛とした表情。それはメリッサのにふさわしいものだとアベルは思う。
 そして、時々見せるはにかみながら笑顔になるのはもう、"妖精姫"それに間違いない。
 誰にもまけなく、誰も右に出るものがいないくらいの美貌。
 完璧なシルバーの髪に翡翠色の澄んで輝いている瞳。
 それは"天使"と言っても過言で無いくらいに可愛くて美しい。

(メリッサは全く気づいていないのがまた、可愛いんだな。天然、うん!メリッサは天使だな)

「おい。何を考えている」

 アベルがニンマリ笑っていたのを見咎めたクロヴィスは機嫌の悪い凍るような声でアベルに言う。

 ――氷の王子。

 メリッサは覚えていないが、それを一番知っているのはメリッサなはずなのだ。

 心の中でクロヴィスに同情しながらも顔から笑顔は外さない。
 ひたすらからかうのがアベルにとって一番楽しいことなのだからだ。

「ん?何にも。何?考えられたくないことでもあるのか?クロヴィス」

 笑ってアベルはクロヴィスに向かって問いかけた。

「ある。お前はメリッサのことを考えるな」
「何で?」
「尺に触るからだ。文句があるか?」

 真面目な顔をして言ったクロヴィスの言葉にアベルは吹き出した。

(真面目、純粋(ピュア)すぎて……見てられないな……。おかしすぎる)

 もはや笑いをこらえる気もおきないくらいにアベルはひたすら笑う。
 背中に殺気を感じても笑い続ける。

「おい。何故笑うんだ?」
「ここは笑わないと行けないでしょう。我が君。と冗談じゃないぞ?クロヴィス。これは笑うべきところだからな」
「は?意味わからないけど笑うな!」

 不機嫌に眉を寄せるクロヴィスのことを笑いを転げながらがらもちょっとした哀れみを込めて見つめる。

(お前は色々苦労するが良いんだ!この変人王子……)

 アベルは心からそう思った。
 人の心配を他所に恋人ごっこなど、付き合っていられるかーー!!!

(まったく、俺を巻き込むんじゃねぇーーー!!!)

 アベルは殴り込みたい気分だったが、そうしたらメリッサが悲しむので泣く泣くやめることにする。

「ところでクロヴィス。大学行くんだろう?良いじゃないか」
「黙れ。お前に用などない」
「つれない人だな……なあクロヴィス」

 アベルはニンマリ笑うと少し黙って口を開く。

「ついて行っても良いか?」

 まあ、リサとクロヴィスの会話は面白そうである。
 もっとも、恥ずかしくなりそうなので心から許しを望んでいるわけでは無いが。

「良いと言うとでも思うか。……まぁ、ムカつくが良いだろう」

 が、アベルは固まった。
 こいつの口からそんな事が出るなんてありえない。
 お前、自分の感情にもう少し向き合え、と言いたいところだがそれも言えない。
 恥ずかしくて言えるはずもない。
 
 とにかく殺気立っているクロヴィスのことをむやみに怒らせるのでは無いことは身を持って知っている。 

「っは?……いい。俺、行かないから二人で楽しんで行ってくるといい」
「そうだな。ところでリサは何が好きだと思う」
「……自分で考えろ」

(っていうか、俺を巻き込むな!もう知らないぞ……。だいたい、誰のせいでこうなったと思っているんだよ……)

 秘書官は嘆いた。

 しかし、それは自分のせいである。

 主人をからかった秘書官は敗北した。

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