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気づき

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 リハーサルが終わり、稽古場を出る。
 桜典様は近くのカフェにいると連絡が来ていたので向かう。カフェに入り桜典様を見つけたとき、同時にそばに同年代の女性を見つけた。
 思わず声をかけるのを躊躇ったのは、お二人が仲良さそうに会話していたからだ。

 笑顔で会話する桜典様を見て、新鮮さ覚えたのと同時ににわかに寂しさを感じる。テンポよい会話運びは、私に対して語るときのような言葉を選ぶような雰囲気はない。
 女性全般が苦手なわけではないし、きっと相手次第で、桜典様は楽しく過ごせるのだろう。

 私の役目はあくまでも一時的なものだ。桜典様の日常生活の交友関係に踏み込むのは無粋だと思う。
少し様子を見よう、と思ったとき、視線がこちらに向いた。

 私が、あ、と小さく声を漏らしたのと、桜典様がこちらに手を振ったのはほぼ同時だ。
「蛍都、こっち」
 と私を呼び寄せると、女性もこちらを向く。
 栗色の瞳がこちらを見て、私は邪険にされることを想像した。好意を寄せている者同士であれば、私の存在は邪魔になる。
 そういう場面に出くわした経験は多い。
 しかし意外にもその瞳は好奇心に染まる。え?と私は思う。

「椎月蛍都さんでしょ?噂の」
「はい?」
「桜典の」
 何か言いかけたのを、桜典様が諫める。
「果林」
「はいはい。私は浅香果林。桜典とは大学の同じサークルなの」
 浅香果林様は、データベースに名前を見つけてた。思い人候補だ。

「お初にお目にかかります。椎月蛍都と申します」
「様付けはすごいね、桜典ごときが」
「ごときって言うな」
「仲がよろしくて良いですね。桜典様が女性と楽しく会話をされているのは、初めて拝見しました」
「そんなキャラなの?」
「桜典様は女性が苦手なのかと思っておりましたが、お相手次第のようですね。果林様とはとても楽しそうです」
「莱都は、蛍都にどんな風に言って聞かせたんだよ?」
「桜典様は女性経験がおありではないので、振る舞いを指南し、その機会を……」
「いや、全部言うなよ」
 と桜典様が焦った調子で言うので、果林様がくすくすと笑う。

「本当じゃん、桜典は一途だもんね。機会があっても、本命しか無理とか贅沢なことを」
 仄めかすようなことを言うので、桜典様は、
「その話はいいから」
 と言うのだった。
「もし、撮影のときに手がいるなら言って。先輩達もほとんどが椎月さんのファンだし」
 と言うのだ。
「オレだって」
 と言いかけて、桜典様は口をつぐむ。

「私もファンなの、椎月さん」
「ありがとうございます」
「体当たりな感じがいい、濡れ場もNGなしだし。激しい絡みもあり。同い年なのにすごいと思う」
「おい、果林」
 桜典様が咎めるニュアンスで言うけれど、
「NGなしです」
 と私は念を押す。
 桜典様が小さくため息をつくのが分かった。

 その後、果林様と別れて、私たちは駅前広場にいた。
 映像のイメージ共有と言う割りに、桜典様は端的だ。
「走ってオレから逃げてくれ。捕まったらひどいことされると思って、必死に逃げて欲しい」
「ひどいこと、とは?」
「想像しろよ、その辺は。オレから何されたらイヤなのか」
「ありません、イヤなことは。どんなことも受け入れます」
「受け入れるなよ」
「でも、ご依頼なので。必死に逃げます」
「じゃあ、今日はここから、試してみよう」
 と言って桜典様はゴープロカメラを構えて、早速カウントを取りはじめる。

 リハーサルでの着替えやフィッティングのために動きやすい恰好をしてきたので、幸い走るのに支障はない。けれど、随分と急だとは思う。
 ただ、ちゃんと逃げろよ、イヤなことするからな、と言う桜典様の声が弾んでいるので、こちらも自然と楽しくなった。

 スタート、と桜典様が言ったとき、昔、鬼ごっこをしたことを不意に思い出す。お二人と何か話した記憶が浮かんできたけれど、容赦なく追いついてくる桜典様の存在を背後に感じ、思考を止めた。
 とにかく、逃げる。それが今のご依頼だ。


 その夜、桜典様と撮影した映像を観て、お互いの第一声は「尺が長すぎる」だった。
 そして疲れましたね、と言い合う。スタミナ負けを期して最終的に、私は桜典様に捕まった。2時間にわたる鬼ごっこに、疲労困憊状態だったのだ。
 時間やゴールを決めて取るべきだったな、と桜典様は反省点を述べていた。

「なぜ鬼ごっこだったのですか?」
「蛍都と言えば走っているイメージなんだ。小学校の頃、うちの前をランニングしていただろ?それに昔」
「鬼ごっこしたこともありましたよね?御三家と護衛家で」
「よく覚えてるな」
「思い出しました。先日の大学でのチェイスで」
「そうか」
 と桜典様は言う。

 隣り合って座っていた桜典様は、映像を止めて不意にこちらに向きなおって来た。
「それで」
「はい」
「されたらイヤなこと、考えといた?」
「その話は、有効だったのですか?」
「勿論」
「思いつきません。私にNGはありませんから。何でもおっしゃってください」
「あり得ない提案は断って欲しいんだ。蛍都がイヤなことは、二度としない」

「あり得ないことは、なにもありません」
 と私が言えば、目をじっと見つめてきて、
「この前。オレとした、あれは?」と聞いてくる。あれ。
 桜典様が少しはにかみながら聞いてくるので、分かった。
 桜典様の表情に、少しだけ私の心も動く。

「イヤではありません」
「嘘だ。演技だったろ。決死の演技だ」
 そう言われて、一瞬心がスッと寒くなった。
 気づかれていたの?
 けれど、取り繕う言葉は既にある。

「桜典様のご依頼は演技でした。甘く声を上げ、お名前を呼ぶ。恋人の演技でしたよね?」
「そうだな、この演技だ」
 桜典様はそう言い捨てて、端末からプロジェクターを操作する。
 即座に聞こえてきた声に、耳を疑った。そして、画面の中ではラブシーンが始まりを迎えている。

 俯瞰の絵のままで写し出されたのは布を纏っただけの私だ。当然衣装だけれど、どの角度から見ても、際どく見えるように、演出上の調整をしていた。

「な、なぜ」
 私は言葉を失う。
 どうしてこれが桜典様の手元にあるのか、分からない。

「記録していた当時の劇団メンバーから映像を買い取ったんだ。蛍都の劇団時代で一番評価の高かった芝居だ」
『百年の祝福』。
 ある一家の趨勢を描いた年代物だ。私の役割は狂言回しのジプシーだった。

 何をしても気分良く演じられずに、自棄になっていた時期でもある。優等生的な演技だと評価されることが多く、突破口が欲しかった。だから、当時唯一自分が自分の手で手に入れたものを、そのままぶつけてみた。
 評判はとてもよく、体当たりの演技を評価され、劇団外からの舞台のオファーが増えたのだ。

「オレはこれを観に行ったよ。だから、この前のあれが演技だって知ってる。名前を差し替えているだけだ」
「観に来てくださっていた?」
 桜典様は頷いた。驚きと同時に喜びがやって来る。

「蛍都は知らなかったと思うし、眼中になかったと思うけどな。毎回行ってる」
「本当ですか?嬉しいです!」
 手を掴んでしまうと、桜典様はうろたえる。身体を引いて逃げ腰になるのが分かった。画面の中の私は艶めかしい声をあげている。
 私自身はそれを聞いても何とも思わない。ただ、桜典様はそうではないご様子だ。チラチラと画面をうかがっていた。

「場を染めるってのをはじめて見た。嫉妬したよ。同い年の蛍都が剥き出しのエネルギーをこうやって出せるんだって」
「これは、認めたくはないですが、恐らく。柳典様のおかげです。叶わなかったから、良かった」
「良かった?」
「このときのこれは、私の復讐なんです。思いが成就しなかった、過去の自分への復讐です」
 私の言葉に、そっか、と桜典様は言う。

「でももう、復讐は終わりだろ。今日、兄さんと実際に触れた。映像の中ならそれも出来る。蛍都はもう過去に復讐する必要はない」
「触れた?ああ」

 柳典様の吐息を思い出し、そわそわと胃の当たりが落ちつかなくなった。
 触れたと言えば触れたことになるのか、と今になって気づく。あんな距離感で触れたことは、なかった。
そのとき、桜典様が手を引いて、「でも、今蛍都はオレといる」と言うのだ。
 少し怒っているようにも見える。

「濡れ場の演技のパターンはこれだけか?」
「脚本に沿った内容なら他にもいくつもあります。ただ、基本的に私はリードする側を求められるので、リードされているこの場面は逆に珍しいです」
 私は画面の中の、相手役のリードに任せている私を見る。

「知ってるよ。同性同士のも見たことがある。舞台の演技では」
「ありがとうございます」
 クライマックスのような声を上げるスクリーンの中の私を、桜典様はチラッとうかがう。
「演技じゃない蛍都が見たい」
 桜典様の言葉の意味は分かった。
 けれど、それは、とても良くない妥協だと思う。

「桜典様は思いを寄せる方と、思いをとげなければ。この依頼は続いてしまいます。私との不本意な」
「蛍都は不本意か?」
「え?」
「オレといるのがイヤでたまらないなら、この依頼はやめよう。蛍都が断らないなら、こっちから断る」
「桜典様?」
「ごめん、知ってたんだ。兄さんと蛍都が肉体関係にないことは。ひどい経験をしただろうことも」
「なぜ?」
「それは、言えない。それなのに蛍都に依頼した。オレは」
 桜典様は言葉を飲み込む。

「オレのことがイヤなら、やめよう。関係を強要してるのと変わりない。この依頼は、オレにも先が見えないんだ。やめた方がいい」
 私は首を横に振った。
「桜典様のことは、イヤではありません。このご依頼が、桜典様のためにならない、と思っただけです」
「ためにならない?」
「桜典様が私との不本意な経験に妥協点を見出して、本当にお好きな方を求めるのをやめたなら。今後もそんな風に、妥協で飛びつくのは良くない教育だと思います。桜典様には、本当にお好きな方と結ばれていただきたいです」

 私の言葉に桜典様は切なそうに眉根を寄せるのだ。そして、か細い声で、
「辛いな」と呟く。
「桜典様?」
「母親でも父親でもないんだ。蛍都に教育されるいわれはない」
「そうですよね、すみません。私ごときがおこがましいです。桜典様がおイヤならば、兄に交代します」
「しない」
「え?」
「オレが蛍都の演技を剥ぎ取る。本音を出せ、蛍都。これは依頼じゃない、ただの命令だ」

 桜典様の本来怜悧な眼差しが不安そうに見えるのは、なぜ?
 命令と言う強い言葉に不似合いな表情だ。
「剥ぎ取る?」
「蛍都はオレの前ではいつも丁寧でそつがない。これが仕事であり、演技だからだ。全部剥ぎ取って、剥き出しの部分が見たい」
「それは、もう、仕方ありません。私たちの関係は端から……」

「やらせろよ、蛍都」
 耳元にそう囁いてくる。
 声は焦りが滲む震え方をしていた。桜典様らしくない言い方だ。
 どこか偽物の言葉のように思えた。スクリーン中の私の出番は終わっている。

「愛しい人との一夜のご依頼は?」
「継続だ」
 迷いのある目をしたまま、桜典様は両掌で私の頬を包み、唇にキスをしてくる。

 触れるのにも迷うのに、こうして少し手は震えているのに、口づけて来る桜典様のことが私には分からない。
 演技しているのは、桜典様の方なのではないの?と思う。
「兄さんのこと、考えてろよ。昼間、兄さんと触れ合ったときのあの顔、自分では知らないだろ?あれが蛍都の本音だ」
「演技です、あれは」
「嘘つきだな」
 身体を寄せてきて、桜典様の手が布の上から強引に両腿の間に触れてきた。
 痛い、と思ったけれど、口にしない。

「痛い、離して欲しい、と言えよ。じゃなきゃ、今すぐに、慣らさずに入れる」
「それでも、構いません」
「だとするなら、逆を行く」
 と桜典様は言う。

 意味が分からずに、私が桜典様の顔を見つめていたら、今日はオレが教育するよ、これはきっと蛍都のイヤなことだ、と桜典様は言った。
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