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しおりを挟む1 一番目と二番目の男
辺境と呼ばれる地方の、小さな街。
周囲には隣国との国境である山脈が連なり、森と畑ぐらいしかないその街に、一人の騎士が住んでいた。
意志の強そうな目に、後ろに向けて撫で付けられた金色の髪。美形と言って差し支えない顔つき。そんな容姿もあって、街を守る騎士として人々からの人望も厚い。
もっとも、その実「騎士」とは名ばかりで、揉めごとが起これば仲裁し、事件が起これば解決する、警察と裁判官と文官を一緒にした、いわば地方公務員のような存在だ。
実際、街ではたいした揉めごとも事件も起こらない。何かあるとすれば時折魔獣が出没する土地を見回るぐらいであり、都会勤めの騎士達から馬鹿にされても仕方のない仕事内容であった。
それでもその騎士、ハンス・スエラーは、けっして人に羨ましがられることのないこの地味な仕事に、誇りと喜びを感じていた。
そんな、ある日のこと。
「ハンスさん! 大変じゃぁ!」
ハンスの詰める駐在所に、市場を取り仕切っている老人が飛び込んで来た。
駐在所は街にある唯一の公共施設なのだが、その実態はブロックを積み上げただけのボロ屋だ。
固めた地面に直接置かれたオンボロな執務机が一台あるきりで、寝るスペースすらない。そのため、ハンスはこの街に一つしかない宿屋で寝泊りをし、朝になると駐在所に出勤するという日々を送っていた。
執務机に向かっていつものように書類を書いていたハンスは、飛び込んで来た老人のあまりに切迫した様子に顔を上げる。
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「そ、それがその、なんとも説明しにくいんじゃが、見てもらったほうが早いとは思うんじゃけども……一言で言うとなんというか、生きた魔獣を市場で売っておる男がいるんじゃ!」
「はぁっ!?」
老人の言葉に、ハンスは顔を顰めた。
魔獣を売り買いするというのは、まあ、ないことではない。普通の動物よりも強力な魔獣は、扱い方次第では非常に役に立つからだ。とはいえ、魔獣はたいていが凶暴で、かつ様々な能力を持っている。そんなものを生きた状態で売り買いするなど、こんな田舎の街では滅多に有ることではない。
大きな街の剣闘場であれば話は別だろうが、逆に言えば、そのような特殊な生業の人々にしか需要はないのだ。
老人の説明だけを聞いても意味がわからないと判断したハンスは、早速現場に向かってみることにした。
件の市場につくと、そこには異様な光景が広がっていた。
頭に一本の角と、下顎に巨大な牙を生やした猪型の魔獣「チャージボア」が、前足と後足をツタで縛られて地面に転がっているのだ。
それも一匹や二匹ではない。総計二十匹ほどはいるだろうか。
その前には、奇妙な格好の男が座っていた。
整髪料か何かでガッチリと髪を固めているらしく、前髪が妙な具合に前方へ突き出ている。髪も目も真っ黒で、どちらもこの国では珍しい。ズボンと上着が一体になったような服装も、ハンスには見たこともないものだった。
その男は両手に板切れを抱えていた。そこにはこんな文字が見えた。
『いのしし うります』
周囲に群がる人々は、かなり警戒して男を遠巻きに眺めている。普通ならいたたまれない気分になりそうなものだが、男の方は全く気にした様子がない。
呆気にとられていたハンスだったが、意をけっして男に近付き声をかけた。
「あの、君」
「あ、いらっしゃい。イノシシどっすか? めっちゃ新鮮っすよ」
「うん。新鮮、っていうか、生きてるっていうか。いや、それ以前に君、これイノシシに見えるの?」
確かに、チャージボアは猪型の魔獣だ。体長が四メートルを超えていて、牙の長さは一メートルほどありはするが……。
ハンスに指摘されて、男はチャージボアを振り返った。
「ええ!? コイツ、イノシシじゃねぇんすか? そういえば、すんげぇ牙生えてんなぁ」
「そうだな」
ハンスは頭を抱えそうになった。とにかく、この男をどうにしかなければならないと、ハンスの頭の中で激しく警鐘が鳴り響く。なんにしても、まずは男の身元を確かめなくてはならない。
「まあ、ここは自由市だから、何を売ってもいいんだけどね。君、何処から来たの?」
「はあ。なんつーか、良くわかんないんすけどね?」
男の話は、要約すると次のようなものだった。
酪農を営んでいる実家で手伝いをしていたら、いつの間にか知らない山の中にいた。
仕方がないのでふらついていると、この猪達に襲われた。死ぬかと思ったが、「のうぎょうこうこう」という場所で得た知識が役に立ち、猪達を生け捕りにすることに成功。
それを担いで歩いているうちに村を発見。猪は邪魔だったので、ひとまず村の外の林に転がしておいた。
村人に道を尋ねてみたところ、どうもここが自分の知っている土地とは違う場所だとわかった。
途方に暮れている男に、農家の人達が食べ物を分けてくれ、折角だから捕まえたという猪を街で売ってみたらどうか、と提案してくれたのだという。
「いや、マジあの村の人達には感謝っすわ。俺、あそこに行かなかったら確実に死んでたっすもん」
あっけらかんと笑う男に、ハンスは頭痛がした。村にその猪を担いで入らなかったのは、不幸中の幸いだろう。もしそのまま入っていたら、大混乱が起きていたはずだ。
「そうか。つまり、君は迷い人なんだな」
「はぁ。まあ、迷子っすね」
「折角やんわり表現したのに。まあ、いいだろう。とりあえず、このチャージボアは危険なんだ。解体するか何かして欲しいのだが」
「ほんとすんませんっした! 解体できる場所かなんか、貸してもらえるとありがたいんすけど」
ハンスは少し考えると、思い立ったように一つ頷いた。
「そうだなぁ。駐在所の裏を使っていいぞ。あそこなら井戸もあるし」
「マジすか! 有難うございます! じゃあ、早速運ぶんで、場所教えてもらえますか!」
男はやおら立ち上がり、チャージボアの方へ歩き出した。そういえば、この男はどうやってこれらを運んで来たのだろうか。
ハンスは男の様子をしばらく見守り、目をむいた。
男は両手両肩を使い、チャージボアを持ち上げると、合計四匹を軽々と担ぎ上げたのだ。
「でっけーんで、ちょっとずつはこぶしかねぇーんすよ」
「あ、うん。そうね」
ぎりぎりでそう答えることができたハンスの精神力は、かなりのものであると言わざるを得ないだろう。
数時間後、男はチャージボアを解体して、無事市場で売り切った。
男曰く、こういった作業は「のうぎょうこうこう」で習っていたので得意なのだという。
肉を売り終わった後、ハンスは男にさらに詳しい事情聴取を行った。
男の話によると、彼は「にほん」という国から来たのだという。残念ながらハンスはその国名を聞いた覚えがなかったので、かなり離れた国だろうと伝えた。
少しの間うな垂れていたものの、すぐに気を取り直したように顔を上げた。そして、帰る目星がつくまで、この街で暮らしたいと言い出したのだ。
こういうとき手助けをするのも、ハンスの仕事である。
男はケンイチと名乗った。正確にはヨシダ・ケンイチというのだそうだが、当人はケンイチと呼んでほしいという。
早速ハンスは、ケンイチにできる仕事を探し始めた。最初に目を付けたのは、チャージボアを持ち上げたバカ力だ。それを活かして、力仕事をやればいいと考えたのである。だが、そう上手くはいかなかった。
片手で巨大な魔獣を持ち上げる怪力は、相手が魔獣でなければ発揮できないようなのだ。普段のケンイチの腕力は、村の力自慢程度でしかなかったのである。
どうしたものかと悩むハンスに、ケンイチは自分がやっていた仕事をやれないものだろうかと提案した。魔獣を家畜として育てられないか、というのだ。
この提案に、ハンスはなんとも言えない複雑な表情を浮かべた。魔獣と言えば、人間にとっては、大きな脅威である。それを人間の力でたやすくどうにかできるものだろうか。
だが、常識外のケンイチの力が有れば、できないものではないかもしれない。なにより、ケンイチ自身が「おそらくやれる」と強く主張しているのだ。
根拠はあるのか、と尋ねるハンスに、ケンイチはこう答えた。
「俺、自分のステータス見られるみたいなんすよ。それ見たらなんか、魔獣使いって書いてあんすよね!」
ステータスという言葉は、ハンスにも聞き覚えがあった。
ゲームなどで使う、能力を数値化したものを指す言葉のはずだ。
しかし、自分のステータスが目に見えるなどという話は聞いたことがない。
もしかしたら、ケンイチの脳は困った状態になっているのかもしれないと思ったハンスだったが、そういうこともあるのかもしれないと思い直した。そもそもケンイチの存在自体が、常識から外れたものなのだ。
ハンスは悩んだ末、人里離れた場所でなら、とケンイチの提案を許可した。
喜び勇んだケンイチは、街から二時間ほど離れた山の中で野宿しながら、一週間でそこを切り開いてしまった。
それから街の大工達に頼んで小屋を建てて貰うと、そこに住み込んで熱心に働き始めたのである。
毎日山や森を駆けずり回り、チャージボアや牛型の魔獣に加え、狼型の魔獣なども次々手懐けていく。そして数ヵ月後には、ほんとうに魔獣の牧場を作り上げたのである。
「いや、マジ最初に行った村と、街と、あとハンスさんのおかげっすよ! 皆に会わなかったら俺マジ今ごろ野垂れ死んでたっすよ!」
ハンスが巡回に行くたび、ケンイチは嬉しそうにそう話した。
(いや。別にお前一人でも生きてたと思うぞ)
そう思いながらも、けっしてそれは口にしないハンスであった。
ケンイチが牧場で牛型魔獣の乳とチーズ、チャージボアの生ハムを売り出してから、数ヵ月がたった。本人のがんばりもあり、ケンイチはすっかり地域に認められる存在となっている。
また、そんな、ある日――。
ハンスの駐在所に、血相を変えた村人が走りこんで来た。
「た、大変だハンスさん! なんか凄い治療師の人が村に来てるんだ!」
尋常でないその様子に、ハンスが表情を引き締める。
「治療師? 魔法のほうのかい?」
「そうなんだ!」
この世界には、二種類の治療師がいた。一方は、薬の知識や外科手術の技術を持つ、いわゆる医者である。もう一方は、魔法の力で傷や病を癒す、回復魔法使いであった。
ただし、人体に直接作用を及ぼす魔法は高度であり、使える者は非常に少ない。そのため、大半が王都などの都会に住んでいるか、貴族に囲われたりしている。こんな辺境になど、滅多にいないのだ。
「なるほど。そりゃ珍しいなぁ」
「いや、それだけじゃないんですよ。ごく僅かなお金と食料だけで、治療をしてくれるんです! そりゃあもう凄い人気で、家の爺さんも長年の腰痛が治ったって大喜びなんです!」
これはおかしいと、ハンスは眉を顰めた。魔法での治療は、その効果に比例してかなりの対価を要求されるのが常識である。一体、どういうことなのだろうか。
それを確かめるために、ハンスは早速現場へ足を向けた。
件の村に到着したハンスの目に飛び込んで来たのは、長い列を作る村人達の姿だった。その先頭にいるのは、奇妙な服を着た少年だ。
黒い上着に、黒いズボン。上着には金色に輝く凝った細工のボタンがついており、なかなか高級そうに見えた。
ただ、それを身に着けている当人は、実に地味な外見である。この国では珍しい黒髪黒目だが、それ以外は人ごみに紛れたら二度と見つけられそうにないほど特徴がない。
「君。君は治療師かな?」
「へ? あ、き、き、騎士? 本物の騎士の人ですか? やっぱりもうここは日本じゃないんだ。そして、地球でもないんだ……もーだめだぁああ!!」
「え、なにが?」
いきなり泣き崩れ、地面に突っ伏す少年。ハンスは困惑しながらも、今は話ができる状態ではないと判断し、周りにいた人達に事情を聞くことにした。
なんでも、少年は突然山の中から現れたのだという。そして、今と同じように地面に突っ伏してひとしきり泣き喚いた後、何かを吹っ切ったように近くにいた村人達を魔法で治療し始めたのだそうだ。
驚く村人達に、少年はこう言った。
「僕は怪我や病が治せるようなんです。その代わりといってはあれなんですが、よければ食べ物を分けてくれませんか?」
回復魔法と言えば、貴族や戦争のためのものというのがこの国での常識だ。
その見返りが食べ物だけでよいのならと、村人達は大いに喜んだのだった。
「んで、ほかにも治療を受けたい人がいたら、何人でも治すって言うんだ。お礼は何でもいいからって。そしたらまあ、この有様だよ」
村人は、少年の周りを指差した。沢山の人だかりと、お礼の品々が堆く積まれている。ハンスは頷いた後、再び少年の近くへ歩み寄った。
「なあ、君。君は『にほん』から来たのか? もしかして、『のうぎょうこうこう』という言葉を知っているんじゃないかな?」
その問いかけに、少年は弾かれたように顔を上げた。凄まじい勢いで這い寄ると、ハンスの体にしがみつく。
「その言葉をどこで!? 僕以外にも日本から来た人がいるんですか! 会わせてください! どこにいるのか教えてくらあいぃいい!」
「わかった! おちつけ! わかったから!」
涙と鼻水を垂れ流しながら叫ぶ少年を何とか引き剥がし、ハンスは少年を同じ日本から来たという、ケンイチのところへ案内した。
少年を見たケンイチは、驚いたように声を上げる。
「あんだ。学ランじゃねぇの。この辺にもあんだなぁ」
「ガク……、ぼ、僕はこの辺の人間じゃないんです! 地球の、その、日本から来たんです!!」
「ああ? そうなんだべか? 俺はアレだ、北海道の方にいたんだけどよぉ。アンタどの辺だ?」
「僕はその、と、と、東京の……う、うわぁあああああ!!」
話している内に、何かが込み上がって来たらしく、再び泣き崩れる少年。その勢いに、ハンスもケンイチもぎょっとして一歩後ずさった。
「なん、ハンスさん、どうしたんすかコイツ」
「いや。山の中から出て来たとかでな。『にほん』から来たというから、おそらくケンイチと同じ場所なんじゃないかと思うんだが」
「ナルホド。たぶん同じ国っすよ。俺以外にもいたんすねぇ。帰りかた知ってっかな、コイツ」
とりあえず少年の気を落ち着かせようと、ケンイチは牛型魔獣の乳を振る舞った。
「あ、ありがとうございます……」
「で、君は『にほん』から来たということで、間違いないんだね?」
「はい。ここからすごく遠い……っていうかたぶん、異世界にある国です」
「「いせかい?」」
スドウ・キョウジと名乗った少年の言葉に、ハンスとケンイチは首を傾げた。
「異世界って。マジでか。またトッピョウシもねぇこと言うなぁ」
「突拍子もないって。逆に聞きますけど、角が生えたイノシシとか、六本足の牛とか、地球にいるんですか」
「……あ、いねぇ」
「気がつくのおそっ!」
キョウジの話をまとめると、どうも二人は違う世界から迷い込んで来てしまったらしい。
「そーいえば、この辺り電話ねぇなぁと思ってたんだけど。いっくら田舎でもテレビねぇのもアレだよな言われてみりゃぁ」
「だから気がつくのおそっ!」
「うーん。君達の力を考えれば、有り得ないとも言い切れないが……」
ハンスは二人の会話に、唸りながら腕を組んだ。普通であれば、異世界から来たなどお笑い種だろう。だが、ケンイチの能力を考えればどうだろうか。魔獣だけに効果を発揮するような力など、聞いたことがない。キョウジにしても、とても回復魔法が使えるようには見えなかった。
回復魔法というのは、何年も厳しい修業を積み、さらにその中でも、特に人体に対する深い知識や経験を得たごく一部の魔法使いだけが会得できる秘術なのだ。
とてもではないが、キョウジにそんな知識や経験があるようには見えない。村で使っていた回復魔法を見る限り、それこそ「異世界から来た」という方が納得できる。
ハンスがそれらを説明すると、キョウジは絶望したような表情で机に突っ伏した。
「やっぱり駄目なんだ……ここは地球じゃないんだ……もう元の世界には帰れないんだ……」
「まあ、しゃーねぇーよ。死んでねぇだけいいじゃねぇの」
「確かに、そうかもしれませんけど……」
「お前もあれだべ? 最初に行った村で、飯食わしてもらったりしたろ?」
「は、はい。すごく助かりました。死ぬかと思ってましたし。もしかして、ケンイチさんもですか?」
「おお。まあ、だから何かお礼しねぇーとなぁと思って、牧場やったり何やったりな。もうあれだ、特にハンスさんには、俺ぁ頭上がんねぇーからよぉ。この牧場だって、いろいろ手伝ってくれたり、万が一のためにって泊り込みで魔獣見張ってくれたりしてな。卸す場所も話を付けてくれたりよぉ。村の衆にも、街の衆にも。借りを返すつもりが、また借りになってってなぁ」
しみじみと語るケンイチに、ハンスは照れ隠しなのか顔をしかめた。
ケンイチの言葉を聞くうち、キョウジの表情が徐々に真剣なものへ変わっていく。
「そうですよね。いきなり山から下りて来た得体の知れない僕に、ごはんをくれたんですよね、村の人達……。帰れないなら帰れないで、お礼しなくちゃいけませんよね……」
「おお。一宿一飯の恩ってやつだべな」
「一宿はしてないですけど。そうですよね。日本人ですもんね。僕も」
「おお。そーだよな。日本人だもんな。困ったときに助けてもらったら、一生忘れんな、ってな」
ハンスには良くわからなかったが、「日本人」というのは、そういう価値観を持っているものであるらしい。
結局、キョウジはケンイチの牧場で暮らしながら、ハンスの巡回について回る形で治療師として働くことになった。
僅かな対価で治療してくれるキョウジの存在は、まともな医者が近くに存在しないこの地方では、とても重宝がられた。それまで物知りな老人が作った煎じ薬や、行商人の持って来る高価なポーションなどに頼るしかなかったため、尚更である。立場上はケンイチの牧場に雇われている、獣医という扱いだった。しかし、実際はこの地方唯一の治療師であった。
「お礼をしようと行くたびに、ごはんをもらったりするんですよ。この間なんて、寒いだろうからって服まで貰って……僕、全然お礼できてないのに。こんなに良くしてもらったのなんて、初めてで。もう、なんて言っていいのか……」
ハンスは牛型魔獣の乳を飲みながら号泣するキョウジを見て、「もしかしたらコイツは、乳で酔えるのかもしれない」と半ば本気で思ったのだった。
キョウジがやって来て、数ヵ月。
彼は、最近では医学書を読み漁る傍ら、村に伝わる薬草や煎じ薬などの研究をしていた。回復魔法に頼るだけではなく、何とか医者の技能も身につけようとしているらしい。治療師としての立場がものを言うのか、各村にある秘伝の薬とやらを教えてもらえるようになっていた。今ではオリジナルのポーションなども作れる。
二人とも、大分生活が安定してきていた。
ハンスの仕事もこれと言って変化もなく、のんびりとしたものだ。
またまた、そんな、ある日――。
血相を変えた村人が、ハンスの駐在所に飛び込んで来た。
「た、大変だハンスさん! 村に魔獣が下りて来て、えらい騒ぎになってたんだけど、山からすげぇ怪力な女の子が来て、退治してくれたんだよ! なんか気がついたらこの辺にいたとか、自分は『にほん』って国から来たとか言っててさ! こりゃハンスさんに来てもらわねぇとってことになったんだ!」
激しく嫌な予感がするハンスだったが、彼の仕事は街の治安を守ることである。
近くの壁に立てかけてあった剣を引っ掴むと、急いで駐在所を飛び出した。これらの出来事が、彼の身に降りかかる受難の、ほんの序章だとは、ハンス自身、全く予想もできぬことであった。
2 三番目の少女
ハンスは目の前で繰り広げられる奇妙な状況に、なんとも言えない表情のまま固まっていた。
それも仕方ないだろう。
三メートルを超えようかというオークが、年の頃は十二、三歳の少女からぼこぼこに殴られていたのだから。
髪と目の色は、案の定黒だ。髪は背中まで真っ直ぐ伸ばされており、一ヵ所だけ高い位置で横結びにされている。服装も独特だ。ダブッとしていながらも手首がきゅっと引き締まった長袖に半ズボン。特殊な布地で作られているのか、全体的に鮮やかな赤色をしており、妙につるつるとした質感をしていた。
「打つべし! 打つべし! 打つべし! 打つべし! 無駄ムダ無駄ムダむだムダァ!!」
「ご、ごめっ! ごめんなっ! ごめんなさいっ! ゆるしてっ!」
オークは涙目になって謝り倒しているが、少女は一切聞く耳を持たない。容赦なく顔を張り飛ばし、時々胸や肩を乱打し続けている。そのあまりの的確な攻撃に、騎士であるハンスも戦慄を覚えた。
周りを見渡すと、そこはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図といった有様である。少女に殴り倒されたであろうオークとゴブリンが、ぼろぼろになって倒れているのだ。合計で三十を超すそれらの魔物達が、うめき声を上げながらのた打ち回っている。そんな魔物達に、少女は嬉々とした表情で追い討ちをかけていた。それは、ハンスの中にある常識を完全に逸脱した光景であった。
「何が起こっているんだ……」
ハンスのそんな呟きをよそに、オークをぼこぼこに殴った少女はゆっくりと立ち上がり、拳を天へ突き上げた。その顔は、何やら大きなことを成し遂げた乙女の表情である。
「うぉぉおおお!! 自分の拳が真っ赤に燃えるっす! 敵を倒せと悶えて叫ぶっすー! 一! 二! 三! ファイヤー!!」
もしここに日本人の徳の高い格闘オタクの方がいたとしたら、いろいろと突っ込みを入れるところだろう。だが、残念なことにそんな人はこの場にはいなかったのである。
応援ありがとうございます!
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