ニケの宿

水無月

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第十八話・救助を待つ

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「ぜんぜん情報が集まらねぇ!」

 走りすぎて疲れてきたリーンはいったん立ち止まり、地図を広げる。

 ――広すぎるだろ。この邸宅。

 母屋と離れが迷路だし。なんで土蔵がみっつもあるんだよ。
 他にも、書庫だけでも一般家庭四つ分も面積ある。大半が居住区とはいえ、謎の部屋の多いこと。バツ印が無いので入ってみたが、ずらりと並ぶ棚によく分からないもの――液体の入った瓶の中に浮かぶ肉片のような物体――がびっしりと置いてあったり、見たことのない生物が繋がれてあったり。武器庫に食糧庫。ダンジョンを探検している気分になってくる。
 気になったのは地下室だ。地図では「地下牢」としか書かれていなかったが、近づいてみると嫌な何かを感じ、すぐさま引き返した。たとえバツ印がなくとも、入る勇気はなかっただろう。
 細い通路で繋がっているため、いちいち外に出なくても邸宅内すべてを走り回れるのは嬉しい。
 それはそうと、自分がどこにいるのかも分からなくなってきた。

「うーん? 一度情報部の部屋に戻りたいけど。ここはどこだ?」

 近くの部屋と地図を見比べる。しかし、地図が大雑把なため、現在地が判明しない。
 右手で髪をくしゃくしゃに掻いていると、ぺたぺたと間の抜けた足音が聞こえてきた。

(助かった! 一回、情報部まで連れてってもらおう)

 黒羽織の誰かだと思っていると、やってきたのは、

「あ! 先輩」
「……お前かよ」

 黒とは真逆の色、白髪の巨人だった。がっくりだよ。こいつで見慣れていたおかげでベゴールの巨体に驚くことはなかった。
 フリーは「助かった」と言わんばかりに飛びつこうとしてきた。

「せんぱいいいいっ」
「ああ?」

 もちろん避ける。

「あうっ」

 真横で倒れたフリーを見下ろす。

「なんだお前か。何してんだ」
「なんで残念そうなんですか? 迷ったんですよ~。ここどこ?」
「お前もかよ!」

 迷子が二倍になった。
 ヤンキーのようにしゃがみ、へたり込んでいるフリーの顔を覗き込む。

「ん? 先輩?」
「……」

 じいっと見つめてくる。
 間近に迫った顔にフリーは瞬きした。そして、獲物を捕らえるシャコパンチ並みの速度で腕を出し、リーンを捕まえようとする。

「おあっ!」

 しかし、奇跡的な身のこなしで躱されてしまう。空ぶったフリーはゆらりと起き上がった。

「……先輩?」

 焦ったようにリーンは腕を突き出す。

「動くな! 幻影族がいるから、そいつの変化じゃないよな~と思って、一応見てただけだ動くな!」

 二回言われた。
 拗ねたフリーは頬を膨らませ顔を背ける。

「チッ。なーんだ……。俺とチッスしようと思って顔を近づけたんだと思ったのに」
「このホラー野郎が」

 びしっと一発足元を蹴っておく。

「なあ。ホラー。お前、迷子になったら動くなって言われたのに、なにうろついてんだよ」
「フリーです。じっとしてたんだけど、早くニケに会いたくて、うろうろしちゃったら、余計に迷っちゃって……。ニケ~」

 情けない声を出し、フリーは膝を抱いて座り込んでしまう。リーンは構わず、白い髪の上で地図を広げる。

「机にしてません?」
「おい、机。ここに来るまでにあった部屋で、覚えているのあるか? 今、家畜の餌を置いておく部屋の近くだから」
「フリーです。地図があるんですか? ちょっと見せてください」

 受け取ると、さっと目を通す。大雑把な地図だが、すべての部屋の情報を書き込んでしまうと文字が小さすぎて見えなくなるので、このくらいが限界だろう。
 フリーはひとつ頷く。

「うん。役に立てそうにないですね」
「……はあ。大人しく救助を待つか」

 自分の発言に「救助って」と突っ込みたくなった。フリーの隣(一メートルほど離れて)にリーンも腰を下ろす。

「遠いですよ。ニケみたいに膝の上に座りませんか? さあさあっ」
「あーあ。まずは邸宅内を覚えないとなー。せっかく子分にしてもらえたのに、仕事を教えてもらえるのは遠そうだな」

 愚痴ると、頭の後ろで手を組み廊下で寝転んでしまう。
 華麗に無視されるも、フリーはじっと目を向ける。

「黒い羽織。貰ったんですね」
「ん? ……ああ、まあな。へっ。いいだろ? 星空が写らないんだぜ?」

 黒い羽織を着ていたことを思い出し、自慢するようにフリーに見せびらかす。

「……ふーん」

 それだけだった。フリーは全肯定ボットみたいなところがあるから、てっきり褒めてくれると思ったのに。
 リーンは羽織を広げたまま固まる。
 五秒と見ていなかった。つまらなさそうな金緑の瞳は、そっけなく前を向いてしまう。
 思わずがばりと起き上がる。

「え? それだけ?」
「はい? 何がですか? 俺の身長ですか?」

 膝歩きで一メートルの距離を詰める。

「いやお前、身長はもう十分だろ。じゃなくて! やっと星空が写らない着物をゲットしたんだぞ? もっと褒めろ!」

 ぎゅうぎゅうと白い頬を伸ばす。

「いひゃいっすよ~」
「嬉しそうな顔すんな。お前なあ、俺様がどんだけ嬉しかったか! もっと称えろ喜べ! 宴を始めろ」

 「自分勝手なガキですね……」「長みたいですね! ……あーん。いたいー」というひそひそ声がしたが、二人には届かなかった。
 フリーは大きく腕を広げる。

「じゃあ。お祝いのハグをしてあげます」
「うんまあ、いいや。どう思うかはヒトそれぞれだしな」

 キス待ち顔の後輩から、スンっと離れる。

「なんなんですか。もー! 祝ってほしいのか欲しくないのかどっちですか」
「やかましいわ。お前のハグで喜ぶのはニケさんとキミカゲ様だけだってことを、肝に銘じて魂に刻んどけ」

 揉めていると黒羽織が通りかかったので、情報部へ案内してもらうことが出来た。曲がり角付近で「やべ、こっち来る」「退避退避!」「長、走るのはっや」という声が聞こえたような聞こえなかったような。

「案内してくれて助かりました」
「その尻尾触らせて下さヴッ!」
「こいつは無視してください」

 礼を言っておまけもつれて情報部へ戻ると、先輩方が息を切らして談笑していた。ベゴールは逆さまの書物を開いている。変わった読み方をするものだ。
 まるでずっとこの部屋にいた……ような気配はしなかったが、リーンとフリーは特に気にしなかった。
 先輩方はさわやかな顔でリーンに手を振ってくれる。

「やあ……。はあはあ。リーンさん。休憩かな?」
「はあ、はあ。この邸宅広いもんな。焦らずやるのが吉だぞ」
「お、お茶飲む?」

 女性先輩の淹れてくれたお茶を恭しく受け取る。

「あ。どうも」

 ベゴールはじろっと白い人を睨む。
 包帯で眼球は見えないが、睨まれた気がした。

「で、貴方は何ですか? この部屋は関係者以外入ってほしくないですね」
「……」

 何も言わないフリーに代わり、ふうふうと息で冷ましながらリーンが答える。

「すいません。こいつも迷ったみたいで」
「はあ」

 ベゴールはフリーを観察する。背が高い。入り口でよく角をぶつけるベゴールほどではないにしろ。
 筋肉はさほどないのか、ひょろ長く頼りない印象を受けるが、敵対するときがあれば油断はできない。なにせ雷の魔九来来の使い手だ。……本気で近寄りたくなかったが情報部の長として、こいつが戦っているところを見ておかなくてはならなかった。
 ヒトの形をした雷が暴れているかのような猛攻。だがこいつの恐ろしいところはそこではない。あれだけの力を持っていながら、天狗になっていないところだ。
 まるで、普段は雷のことを忘れているかのように阿呆を晒している。これが恐ろしい。

「……」

 上下逆の書物を閉じる。
 そして、何よりも心惹かれる白い髪。

(はいはい。いいですね。さぞちやほやされているんでしょうね。シンプルにくたばれ)

 観察を終え心の中で盛大に唾を吐いていると、フリーが両手を挙げた。

「風呂場で案内してくれた方じゃないですかあああ」

 やっと思い出せたらしい。

「!」

 リーンがお茶を吹き出しそうになっているのにも気付かず、フリーは突撃する。ベゴールに。

「は、はあっ?」

 心のうちでついた悪口が聞こえたのかと思わず身構えてしまう。そのとき羽織から出した腕がフリーの目に留まる。
 黒い毛で覆われた、竜っぽい腕。

「……っ、……はわわわわっ! そ、その腕は?」

 艶のある毛だ。さらさらなのか。はたまたツンツンしていて触ると痛いのか、これはすぐに確かめなければ‼
 涎を垂らした肉食獣のように目の前に来た白髪に、ベゴールは書物を落としたことにすら気づかず取り乱す。
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