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第5章 辺境の地にて

第86話 窮地にあってようやく明かされる真相

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 助けてくれた神様を騙すという、ちょっとばかり大それた涜神的な事を考えていたオレに対して、幸か不幸かそんな要求はこなかった。

【申し訳ないが、そなたは城壁の中にいるわけではない。魔力の供給は出来るが、それでもこれ以上の手助けは出来ん】

 そうか『神様』と言ってもしょせんは『街の神』だからな。
 たぶん神と呼ばれる中では最下級レベルだろう ―― まあ多神教の神話だと『主神でも歯が立たない地域のボス』みたいな相手もしばしばいるけど、このファーゼスト神はそんな大した存在ではないはずだ。
 城壁に触れていないと『声をかける』ことすら出来ないレベルではしょうがない。

「ならば城壁の中に入ったらどうにかなるんですか?」
【さすがに……それは勘弁してくれないか】

 そりゃそうか。今のオレが城壁の中に入るのは、雪崩のごとく迫る霊体の群れが城壁の中に入ってくる事を意味している。
 そんな事になればファーゼスト市は大混乱になりかねない。
 やっぱり神様といえど、自分の利益が最優先なのは当然なのだろう。
 やはり手助けはあっても、最終的にオレがどうにかせねばならないのか。

 あまりにも苦しく、また厳しい状況にオレの精神は僅かに揺らぐ。
 しかしこの緊急状態でその心の隙は禁物だった。
 オレの心のゆらぎと同じように、魔術の防御にも隙間がほんの僅かだがほころびが生じてしまったのだ。
 まるでところてんのごとく他の霊体から押し出されるかのように、オレの防御を越えて一体の霊体が飛びついてくる。

 しまった?!
 うかつだった!

【うぉぉぉ。これで……これで吾は……】

 こちらに取り憑いた霊体は、腕にからみついて歓喜の声を挙げつつ『何か』を貪り、そしてその代わりにオレに対して別のものを注入しているかのようだ。
 それによりオレの腕には鈍痛が走り、あばたが広がり始めていた。

 くう。ファーゼスト神の助けがなかったら、このときに一気にオレの防御は破られてひとたまりもなく霊体の群れに蹂躙されていただろう。
 どうにか防御を維持しなおして、オレに取り憑いた霊体から受けるダメージは我慢するしかあるまい。

 だがこのときのオレの意識には、何かがボンヤリと見えてきた。

 なんだ?
 これはひょっとしたら、いまオレに憑いているヤツの記憶か何かか?

 このときオレの脳裏に浮かび上がった光景はどこかの湖、いや、せいぜい池ぐらいだろうか。
 さして大きくもないが豊かで清らかなその池は、近隣の人々には潤いをもたらし、小規模ながら農業や漁業で生計を立てる人々には日々の糧を与えていた。
 そしてそこに棲まう精霊はそれに頼って生きる人々の感謝と素朴な礼拝を受け、長い期間 ―― おそらくは百年単位 ―― に渡りその地の人々と同様に貧しくも満たされた日々を過ごしていたのだ。

 しかし数百年後、精霊の棲まう地域は当初とは比較にならないほど人口が増えたが、皮肉にもその結果として用水路などが整備され、小さな池など地元の人間から顧みられなくなり、最後には都市の発展に伴いゴミ捨て場も同然に扱われ、埋め立てられてしまった。
 そしてこの精霊は行き場を失いあてどなくさまよい、次第にその身はあばたに覆われ、澱み、朽ち、そして人間を呪うようになっていった。

 これがいまオレに憑いた霊体の宿した記憶の一部なのだ。

 そうか! ようやく分った!
 こいつらが一体何なのか。
 何を求めているのか。
 どうして疫病の原因になっているのか。

 こいつらは元々は神ないし精霊として、あちこちで崇拝されていた存在だった。
 しかし皮肉にも彼らが庇護してきた地域が発展し、またそれと同時に一神教徒や聖女教会のような組織的な大宗教が広まったために追い払われ、住むところを失ったのだ。
 もちろんその中には『ファーゼスト神』のように形態を変えて他の宗教圏に組み込まれたものもいれば、フレストルの使い魔であるメリアタンのように『道具』にされてしまったものもいるだろう。

 しかしここにいるのは、そこからもまたこぼれ落ちた存在なのだ。
 そしてこいつらはあてどなくさまよっている時にも、自分たちに捧げられた崇拝をそのまま身に宿したままだった。
 しかしなんであろうと澱み、動きが無ければ次第に腐り朽ちていく。もちろん崇拝だって例外ではない。
 そして崇拝が腐れば、当然、それを身に宿していた霊体もおかしくなるはず。
 彼らが人を襲うようになったのは、かつて得られた崇拝を欲しつつ、狂気に駆られて、無理矢理に魔力を奪う事しか出来なくなってしまった結果なのだ。
 そしてその狂った霊体達は、人間から魔力を奪う代わりに自分たちの身に残る『腐った崇拝』を与えるようになった。
 それは狂気に犯されていながら、かつての自分が『崇拝の見返りに人間を助力した』のと同じような感覚なのかもしれない。

 しかしその『腐った崇拝』は霊体にとってはもちろん、人間にも有害に決まっている。
 だからそれを受けた人間はその身を犯され、あばたに覆われて、ウミが吹き出す無残な『疫病』を患ってしまうに違いない。
 一神教徒が支配する地域の境界線の外で『疫病』が広まるのは、意図したものというよりは彼らが支配地域で土着の崇拝を破壊した結果なのだ。
 いや。ひょっとしたら一神教徒の上層部は、それを知っていて自分たちの布教に有利だと考えて放置していたのかもしれない。
 それを大陸西方で何百年も続け、大陸中央部のもう一つの大勢力である組織的な多神教と境界を接した結果、このファーゼストの地には膨大な『病んだ霊体』が集まってしまっていたのだ。

 オレが事態を把握したとき、先ほどまでこちらに憑いていた霊体はようやく離れる。

【おお。感謝するぞ。これで吾はこの世を去ることが出来る】

 オレに憑いていた霊体は、別人ならぬ別の霊体のようになって天に昇っていった。
 どうやら奴さんの体内にあった『毒』は全部オレに押しつけていったらしい。

【見ろ! あやつが今世より解放されたぞ!】
【やはりこの娘こそが我らを救ってくれるのだ!】

 誰が娘だ! いや。それじゃない。
 さっきの霊体が去って行ったのを見て、他の霊体がますます集まってきているのだ。
 こいつらがオレの魔力を得て、その代わりに自分の身に残っていた『澱み腐った礼拝』を押しつける事で、今のように世界を徘徊しては、人間を襲うようなロクでもない霊体の座を脱する事が出来るのなら、オレに殺到するのはむしろ当然である。

 そうだとすれば下町の人たちの避難はもっと進むだろうから、それは少しばかり安心できる要素だ。
 だがいくらファーゼスト神の助けを得ていると言っても、オレにだって当然限界はある。
 このままではすぐにでもオレは連中に蹂躙され、この身も魂も貪り喰われてしまいかねん。
 どうすればいい。

 いや。よく見るとさっきオレに憑いて、去って行った霊体だが、その後について幾ばくかの霊体が一緒に飛んでいっているようだ。

 そうか。この霊体はもともとこの世を追われ、いく当てもなくさまよっているうちに狂気に駆られてしまったのだが、道しるべを示してやれば本来の霊体が行くところに帰って行く事も出来るのだろう。
 ならばその道を示せばオレも霊体も救われる ―― って、シャーマン魔術は使えてもシャーマンの知識の無いオレにはそんな事出来っこないじゃないか。
 もし仮にそれが可能だとしても、オレに向けて殺到している連中を説得など不可能だ。
 それなら幾ばくかでもオレが魔力を分け与えるなり、治癒するなりしてこの世から解放すれば、そいつらに同行していなくなってくれるだろうか。
 だけどそれも難しい。
 さきほどはたまたまオレの心の揺らぎから、一体だけが防御を破って憑いてきたわけだが、次もそんなに都合よくいくとはとても思えない。
 無数の霊体がこれだけ猛烈な勢いで殺到してくる状態では、オレの望むだけの数をさばくなんて不可能だ。

 くそう。アイドルのファンの集いだって、列を作って順序よく並んでいるんだぞ!
 ちくしょう。いまオレが逃げたら、まだ外に残っている下町の人たちは皆殺しにされてしまうだろう。
 もうほとんど八方ふさがりだ。

【待たんか。まだあきらめるのは早いぞ】

 え? この声はまさか?!

【まったく……困った娘じゃのう。老人の言うことは聞くもんじゃと、親から学ばなかったのかのう】
「そうじゃぞ。師匠の言うとおりにしておいたら間違いないんじゃ!」

 オレが思わず振り向くと、そこには霊体の群れから少し離れたところでアカスタと霊体師匠が姿を見せていた。

「え? なんでここに? それにアカスタは大丈夫なの?」

 師匠はともかく生身のアカスタは霊体の群れに襲われないのか?

「それだったら大丈夫じゃ。ワシは師匠から教えてもらった精霊からは見えなくなる魔術をかけておるからのう」

 そりゃ便利だな! それをいますぐ外に残っている下町の全住民にかけてやってくれ ―― と言いたいけどいくら何でもそんなの不可能な事ぐらいオレにだって分る。

【ほう……やっぱりそれがお前さんの本当の姿かえ】
「師匠の言った通り、本当に金色の頭をしておったんじゃな」

 そういえば今のオレは本気を出した結果として金髪になっているが、アカスタ達は全く驚いた様子がないどころか勝手に納得しているようだ。

「気付いていたんですか?」
【霊体であるワシにとって外見など些細な事じゃ】

 オレは魔術で髪を黒く着色していたのだが、どうやら霊体の師匠には見抜かれていたらしい。
 もっとも今の金髪女神モードを『本当の姿』と表現されるのは、正直に言って不本意極まりないけどな。

【それはともかくワシとてお前さんの事が心配だったんじゃよ。何しろワシらは赤い糸で結ばれておる相手じゃからのう】
「だから師匠、あいつはワシのもんじゃ。師匠でも譲らんぞ」

 ええい! こんなところでオレの意志を無視して下らない師弟喧嘩してんじゃねえよ!
 助けてくれないなら、早いところ逃げてくれ。

【落ち着け。ワシにもこれだけの精霊をどうにかする事は出来んが、声をかけて話をするぐらいなら出来る。そうすればひょっとしたらこの連中も少しは落ち着くかもしれんぞ】
「え? それは本当なの?」
【もちろんじゃ。だけどそれほど長くはもたんぞ】
「それで結構です! よろしくお願いします!」

 とにかく今は何であっても助けがもらえるならありがたい。
 本当に助かったなら嫁にはならないけど、触るぐらいなら胸でも尻でも好きなところを選ばせてやるよ!
 オレにとってはそれでも出血大サービスだからな!

 そう思って見ていると、ここで霊体師匠は、オレに襲いかかってくる霊体の群れに何事か話しを始める。
 もっとも例によってシャーマンの知識の無いオレには何のことだか分らない。たぶん『精霊語』とかその類いの何かなんだろう。
 そして少し経つと確かにオレに向かってくる圧力が弱まった気がするぞ。
 だがその結果、アカスタと師匠の周囲にはかなりの数の霊体が集まってきているようだ。
 いくらアカスタの姿が霊体から見えないとしても、何かの拍子で存在に気付かれてしまう危険性はあるだろう。

 ここはこのチャンスを活かすしかない! オレは決意を固めて自分にかけていた霊体への防御魔術を弱める。

【うぉぉぉ! これは吾のものだ!】
【いや! 我こそが先だ!】

 防御の隙をついた霊体が歓喜と熱狂と共にオレに向けて押し寄せてくる。
 だがそれは覚悟の上だ。
 ここで失敗すればオレの命はもちろん、多大な犠牲が出るのは確実だし、下手をすればファーゼストの街そのものに大被害をもたらしかねない。
 オレは自らを奮い立たせつつ、迫り来る霊体へと手を伸ばした。
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