政略結婚した夫の恋を応援するはずが、なぜか毎日仲良く暮らしています。

野地マルテ@2月27日『帝国後宮録』発売

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あんなに恐れていたのに

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 ──最低だ。

 嫉妬にかられて夫を怒鳴って追い出してしまった。
 私はあんなに恐れていたのに、彼が出ていってしまう日を。

 もうこれで、イリーナや他の愛人たちの元へ行ったまま、エルンストは帰ってこなくなってしまうかもしれない。鼻の奥が痛くなり涙が出てくるが、自業自得だ。私が帰ってくるなと言ったのだから。

 彼に投げつけた枕を拾い、顔を押しつけて、声を押し殺して泣いた。精神的に弱い私には最初から無理だったのだ。夫の恋を応援するような結婚は。家のためになりふりかまわず話を受けてしまったが、今は後悔しかない。

 エルンストははじめて会った時から良いひとだった。頭の先から爪の先まで凍るように緊張した私に、とてもやさしく接してくれた。打ち解けるのに時間はかからなかった。まるで昔からの知人のように思えた。

 すぐにエルンストに好意を持ったが、それと同時に女性からモテるのも納得した。男性の友人すらいたことがない私とも、簡単に仲良くなれるのだ。大勢の貴族や大商人に囲われる生活を送る人気女優を射止めたのも当然だと思った。

 本当はずぶずぶと本能の赴くまま、エルンストのことを好きになりたかった。彼を素直に慕うようになりたかった。でもいずれやってくるであろう別居生活を思うと、どうしても心に歯止めをかけたくなった。

 ──この人は愛人がいる人だ。公然と愛人を囲うために、弱みがある女とあえて結婚するような卑劣なひとだ。

 エルンストに嬉しいことを言われたり、されたりするたびにその事を思い出し、なんとか彼を睨みつけた。しかし一度傾いた心は立て直せない。毎日与えられる優しい言葉に、心がとろけてしまいそうになる笑顔に、私はすぐに抗えなくなった。

 愛人ほんめいがいると分かっていても、エルンストのことが好きになってしまった。

 つらい、かなしい。せっかく政略結婚した相手を本当に好きになれたのに。まだ新婚なのに、どうしてこんなに泣かなければならないのだろう?

 トントンと部屋がノックされた。もしかして彼が帰ってきたのだろうか? いや、そんなはずはない。でも、と落ち着かない胸を押さえて、返事をしながらその戸を開けた。

「モーリス……」

 扉の前にいたのはエルンストの腹心の家令、モーリスだった。夫の兄の代からこのチェコヴァ家に仕える彼は、細い目をさらに細めて私に微笑みかけてきた。

「マフローネ様、ご報告がございます。少しお話を聞いて頂けますでしょうか?」





 ◆






「追加支援金……⁉︎」
「ええ、エルンスト様がお決めになったのですよ。マフローネ様のご実家、ブライ家の財政は未だにお辛い状況だと伺っております」

 モーリスが用意した証書には、私の実家、ブライ領の年間税収額の約三倍の金額が刻まれていた。

「そんなの……」

 聞いていなかった。知らなかったこととはいえ、私はなんという態度を夫に取ってしまったのか、最低すぎて言葉にならなかった。

「マフローネ様はよくやってくださっていると、我が主人は喜んでおりますよ」
「でも、昨夜私はイリーナさんのことを聞いてしまったわ」
「イリーナ・ハイゼル様のことですか?」
「ええ。つい最近、彼女に声をかけられたことがあって……」

 イリーナの名前を出した途端、モーリスの表情が曇った。

「男は妻から愛人の名を聞きたくないものだと、そう私は助言しましたよね?」
「ええ、でも」
「なりません。今後もイリーナ様をはじめ、色々な女性があなたの元に来るかもしれませんが、エルンスト様に相談してはいけません」
「どうしてですか?」
「何度も申し上げておりますが、男はそういう生き物だからです。エルンスト様はたくさんの愛を持っている方ですから、たくさんの女性を愛でますし、大切にします。しかし女性同士の争いは好みません」

 そういうものだろうか。うちの実家の父は母と二十五年前に縁を結び、それ以来母一筋だ。私とすぐ下の弟の年齢が七つも離れているのでよく誤解されるのだが、実家の母は後妻ではない。
 どちらかといえば仲睦まじい両親の元育った私は、当主に愛人がいる家庭の事情はよく分からなかった。
 しかし無類の女好きである当主に二代に渡って仕えてきたモーリスがこう言っているのだ、真実なのだろう。

「そうですか……」
「マフローネ様だって、ご実家を助けたいのでしょう? エルンスト様のご機嫌を損ねるような発言は謹んでくださいね」
「……はい」
「愛人のことは一切聞かない、私から説明されたことも言わない。これは正妻として当然のことです。あなたはただ、エルンスト様から与えられる愛ににこにこと応えていればよいのです。そうすれば、ご実家の安泰は保たれます」

 はじめからそういう約束だった。結婚話が上がった段階でモーリスからしっかり説明を受けていた。それでも求婚を受けるかと聞かれ、私は実家のために頷いた。

 あの頃はこんなにもエルンストのことを好きになるとは思わなかったし、愛人に嫉妬する自分の醜い姿も想像できなかった。

「どうしてもお辛いことがあれば、私がいつでも相談にのりますから」
「ありがとうございます」

 モーリスは目を細める。彼も嫌な役回りだと思っているだろう。

「ここだけの話ですが」
「はい?」
「私だって、納得いってません。夫婦なのだから、妻が夫の浮気に怒っていいと思っておりますよ」
「モーリス……」
「ですがね、エルンスト様は『金で買った妻なのだから』と、マフローネ様が愛人について話されるのを嫌がるのです。ぜったいに口にさせるなと私に言うんですよ、まったく嫌になります」

 金で買った妻だから、発言も制限させる。最低だと思うが、私も金につられてエルンストと結婚したのだ。
 腹をおさえて、黙って頷くしかなかった。
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