4 / 7
04
しおりを挟む「マリヴェル、ロレシオとは相変わらず仲良くしてるの?」
モンシプール家の東屋。私は薔薇園のど真ん中で、モンシプール侯爵夫人──ロレシオの母親と向かい合っていた。
ロレシオの母である侯爵夫人は、彼と同じ虹彩を私に向けてくる。その瞳は隠しきれない好奇心でらんらんとしていた。
「な、なかよく……⁉︎」
昨夜と今朝のことを思い出して、かかかーっと頭の上から湯気が出そうなほど赤くなってしまった。頭以外の肌を隠す、かっちりとしたドレスを着てきたが、もしかして情事がバレてしまったのだろうかと思わず胸元や首すじに手をやってしまった。
それをみた侯爵夫人はぽっと頰を赤らめる。
「もしかして、一線越えちゃったの⁉︎」
「違います!」
──嘘じゃない。ロレシオも最後まではしていないと言っていた。実際私の股からは何も出てこなかったので本当だろう。
生々しい想像をして、ますます恥ずかしくなってきた。
どうしてロレシオの母と会う前日に彼と呑んでしまったのか、前後不覚に泥酔するほど呑んでしまったのか、本当に後悔した。落ち着いて商談など出来やしない。
「どこまでいったの? もう付き合ってる?」
「付き合ってません!」
付き合って……いるのだろうか。結婚しようと言われて承諾してしまったから、一応婚約者になるのだろうか?
しかしながら目の前の夫人はそのことを知らない。ロレシオが実家の相続権を捨ててうちの家督を継ごうとしている事をまだ知らないのだ。
何をどこまで言ってよいものか。夫人は近々知ることになるとは思うが、きちんと場を設けてご両親が揃った状態でロレシオから告げてもらったほうがいいのは明白だ。
とりあえずこの場はごまかすことにした。私は貼り付けたような笑顔を浮かべ、鞄の中から新作ドレス生地のサンプルを取り出した。もうさっさと商談に入ろう。今日は恋話をしに来たのではない、新作ドレスの打ち合わせに来たのだ。
「私のことはもういいですから! それよりもサンプルを……」
「ぜったい何かあるでしょう~? ロレシオはうちに寄り付かないから、あなたから息子の安否を聞くことしか出来ないのよね」
しかし夫人の関心はそれない。紅茶のカップを傾けながら、彼女はたおやかに微笑む。ロレシオとよく似た容貌をもつこの夫人は、社交界の花と呼ばれていた。今でも貴族の御夫人たちのボス的立ち位置に君臨している。
私は幼いころから『将来はロレシオの妻に……』なんてこのモンシプール夫人から事あるごとに言われていて、そのたびに震え上がったものだ。
私がこの方の立ち位置に登る事など絶対にあり得ないと思ったからだ。
──私はあなたのお母様みたいにぜったいなれない。だからあなたの妻にはなれません!……なんて、ロレシオにはっきり言ってしまったこともあった。
「私はロレシオに嫌われてるでしょう? もう、マリヴェル頼みなのよ」
「モンシプール夫人……」
「他人行儀ねえ。お母様って呼んでくれていいのよ?」
冷や汗が止まらなかった。夫人は一番のお得意様だが、一番苦手な顧客でもあった。
◆
「母に会った?」
「ええ……」
「何故?」
「商談、仕事です」
その日の夜、ロレシオは私が暮らす工房の一室に現れた。あれから顔を合わせずに帰ってしまったため、フォローをしに来たのだと彼は言う。本当に真面目だと思う。
私がロレシオに遊ばれただなんて思うわけがなかった。どこの世界に七年間も求婚し続けた相手の愛を疑う人間がいるというのだ。
私はモンシプール侯爵夫人に会ったことをロレシオに報告した。
「バレちゃったかもしれません」
「ふん、母上は下世話な女だからな。気にすることはないよ、マリヴェル」
自分の母親の話になると、彼はいつも不機嫌になる。彼のご両親は私にはとても優しいが、嫡子である彼には大層厳しいご両親であったらしい。
子どもの頃のロレシオは、ご両親から叱られるたびにうちに逃げてきていた。彼の下には弟が三人いるが、私よりも歳が下で年齢が離れている。しばらく一人っ子だったのでなおのこと厳しく躾けられたのだろう。
その影響か、彼は嫡子だが家を離れている。もう七年も実家の敷居を跨いでいないというのだから心配になる。
私が彼の求婚を受け入れられなかったのも、『嫡子なのに両親と不仲』というのもある。不仲なご両親との仲を取り持つのなんて面倒この上ない。
今でさえ、近況報告をさせられて困っているのだ。
「マリヴェルには苦労をかけるよ」
「モンシプール侯爵夫人はいちばんのお得意様ですからねえ」
そう、私のドレス商の仕事がうまくいっているのも夫人の力が大きかった。うちの実家領では養蚕から布地の生産までを行っている。私は王都の工房を買い取って自領で作った布を使い、貴婦人が着るドレスを職人に作らせているのだが、営業はもっぱら私の仕事だった。
ロレシオの母、モンシプール侯爵夫人はとにかく顔が広かった。私に顧客となる貴族を山ほど紹介してくれたのだ。
そんな恩もあり、私はロレシオの母親を無下に出来ないのである。
「はやくうちの両親を説得しないとな。ま、私は家に寄り付かない嫡子だし、相続権を放棄したところで問題はないだろうが」
「そうでしょうか……。あなたのご両親も、ご兄弟も、あなたのことを心配していたわ」
私がモンシプールの屋敷を訪ねると、わらわらと彼のご家族が現れる。ロレシオは実家を厭うているが、彼の家族はいつも彼のことを心配している。
「クリスもラーシェンもレニーも……『兄様はお元気でしょうか?』『兄様とお話しがしたい』といつも言ってますよ」
ちょうど彼らの学校が休みの時期なのだろう、ロレシオの弟三人ともが屋敷にいた。私のことを『姉様』と呼び、とても可愛いのだが、やはりロレシオは良い顔をしない。
「まったく、モンシプール家は困るな。マリヴェルとの距離感を考えない。常識のない家族で申し訳ないな。いつも書面で注意しているのだが……相続権の放棄を申し出る時に、今後はマリヴェルになれなれしくするなとキツく言っておこう」
「別に私は……、家族のように接してくださるのは嬉しいですよ」
夫人のように男女仲を詮索されるのは困るが、基本的には悪い人たちではないのだ。彼の弟たちは皆可愛らしくて良い子だし、彼の父親であるモンシプール侯爵も落ち着いた紳士でいつも私のことを労ってくれる。
正直、ここまでロレシオが実家を嫌う意味が分からなかった。
「マリヴェルはすごいな。懐が広い。私はどうにもあの生温い家族関係が苦手だ」
とロレシオは眉尻を下げる。彼は昔から個人主義だった。誰とでも親しくなれるが、けして深い関係になろうとはしない。
私と別居婚でもいいと言い、共働きを受け入れてくれるだけの事はある。彼はドライなのだ。
その事を少しだけ寂しく思う。結婚したらもっとたくさん一緒にいたい。
そう提案したらロレシオはどう思うだろうか? 存外にうっとおしい女と思われて、嫌われてしまったらと思うと、言えそうになかった。
応援ありがとうございます!
1
お気に入りに追加
2,303
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる