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103 答えはここに

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  午後のテストは集中しきれなかった。

 二葉ふたば先輩に言われた“私が君の居場所になってあげようか”という言葉が頭から離れない。

 そんなつもりは全然なかったのに、こうして言われると揺れ動いてしまう。

 この寂しさから抜け出せるのなら、それもいいのかもしれないと。

 そんな思いが溢れてくる。

 でも、本当にそれでいいのかとも思う。

 こんな気持ちになったことがないから、どう折り合いをつければいいのか分からない。

 ただ、迷っているのだけは確かで。

 凛莉りりちゃんだけと決めていた自分の気持ちがこんなにも脆いものかと、自分が嫌になっていく。

 答えは出ないまま、今日の試験は終わりを迎えていた。


        ◇◇◇


 放課後になる。

 今日もわたしは最後まで残り、そこから帰路につく。

 部活がない放課後の学校はすごく静かだ。

 物音がしない廊下を一人歩く。

 明日は期末試験の最終日で、その後はすぐに終業式。

 夏休みを迎え、凛莉ちゃんと会う事もない。

 そんな日々を一人で過ごせるとは思えない。

 なら、いっそ……。

「――あら、雨月あまつきさん?」

 凛とした声が廊下に通る。

 振り返った先にいたのは金織麗華かなおりれいかだった。

「今日は試験ですのに、随分と帰りが遅いのですね?」

「それは、金織さんの方こそ」

「私は人を待っていたら、こんな時間になってしまいまして……」

 そう言うと金織さんの表情が分かりやすく険しくなる。

 イライラしているのが伝わってきた。

「人って……?」

日奈星凛莉ひなせりりですっ。あの方、放課後は生徒会室に来るよう伝えていたのに、すっぽかしたのですっ」

「あ、そ、そうなんですね……」

 今のわたしが一番話題にしづらい人……。

 タイミングが悪い。

「先日は制服の着こなしが正されて感心していましたのに、いつの間にか元に戻っているではありませんかっ」

「そ、そうですね……」

「雨月さんの促しのおかげで、ようやく学園の生徒としてあるべき姿になったというのに。これは雨月さんをも欺く行為です。信じられませんっ」

「いやいや、そんな……」

 正したのはわたしの影響はあると思うけど。

 崩れたのもわたしのせい……なんだよね。

 言えないけど。

「それで、改めて注意をしようと呼び出したらこの始末です。もう私はどうすればいいのか分かりません」

「は、はぁ……」

 やはり凛莉ちゃんは金織さんの頭を悩ませる存在のようだ。

「あっ、そうですっ」

 ところが急に金織さんは閃いたように手を合わせる。

「どうかしました?」

「これはお願いなのですが、雨月さんの方からお伝えして頂けませんか?」

 嫌な予感がして心臓が高鳴る。

「なにを、でしょう……」

「出来るなら雨月さんの方から、制服を正すよう言って頂きたいのです」

 チラチラと金織さんはわたしの反応を観察している。

「いや、ちょっと、それは……」

「ええ、分かっています。お二人の仲をこじれさせたいわけではありませんから、難しければそこまでは望みません。嫌われ役は私だけで十分ですので」

 そこまで割り切っている金織さんの覚悟もすごいと思う。

「であれば、明日の放課後には必ず生徒会室に来るよう日奈星さんに言って頂きたいのです」

 こんなに腰が低く丁寧に、すごく断りづらい……。

 でもそれは……今のわたしには出来ないことだ。

「きっと雨月さんの言葉なら彼女も従うでしょう。申し訳ありませんが、協力して頂けませんか?」

「いえ、それは、ちょっと……」

 歯切れの悪いわたしに、金織さんは首を傾げる。

「あら、日奈星さんの制服を正してくれた雨月さんなら賛同して頂けると思ったのですが……」

「いや、その、そういう気持ちもなくはないんですけど……」

 その前段階で問題が生じていて、わたしにはどうすることも出来ない。

「日奈星さんと何かあったのですか?」

 煮え切らない態度を見て、金織さんはすぐに勘づく。

「あの……はい」

 言い繕うだけの機転もなく、わたしはただ認めてしまう。

「お二人が珍しいですね。喧嘩でもされたのですか?」

「ああ……まあ……そんな感じです」

「そう……でしたか。そのような時にお願いする内容ではありませんでしたね」

 金織さんはバツが悪そうに自身の金色の毛先をクルクルと指で巻く。

「いつ頃からなのですか?先日お見かけした時は二人とも仲が良さそうでしたが」

「その日の後で、ちょっと……」

「日奈星さんが何かなさったのですか?」

 こういう時に真っ先に凛莉ちゃんを疑うのは、金織さんとの関係性のせいなんだろうけど……。

「いえ、わたしが悪いんです。わたしが嘘をつき続けて、それがバレて怒らせてしまったんです」

「嘘を……。雨月さんが?」

「はい。凛莉ちゃんはそれでわたしのことを信用できなくなったんだと思います。それから話しかけてこなくなっちゃいましたから」

「それは……」

 金織さんは指に巻いた髪を口元に当てて少し考え込むと、すぐに離す。

「そのままで、いいのですか?」

「えっと……でも、もう遅いかなって」

「遅いとは?」

「初めからついてしまった嘘だったので。それを説明するには出会った時の話しからしなきゃいけないですし。そんな嘘で塗り固めた人の話なんて聞きたくもないし、もう信じられないでしょう?」

「ですが、雨月さんの方から話さなければ、この状況は続くのではありませんか?」

「……はい」

「日奈星さんと、そのまま疎遠になってしまっていいのですか?」

 金織さんはきっと心配してくれているんだと思う。

 だけど、はっきりと言葉にされると心が痛い。

「きっとわたしの言葉なんて聞きたくないでしょうし。それに凛莉ちゃんは友達がたくさんいますから、わたし一人いなくなってもどうってことないです」

「……貴女は?」

「わたしは……それでも一緒にいてくれるって言ってくれた人がいたので。その人に甘えればいいのかなって……」

 揺れ動いていく心も、こうして言葉にすると段々と形作られていく。

 きっと、それが正解のような気がしてきた。

「――それでしたら、私がっ」

「え?」

 言葉に熱を帯びて、一歩を踏み出す金織さん。

 けれど、その先から動かない。

 我に返るように唇を噛むと、踏み込んだ一歩を戻していた。

「……いいえ、それでは雨月さんのためになりませんね」

「わたしの?」

 金織さんが何を言っているのか、よく分からなかった。

「雨月さんは、その嘘を悪意の上でついていたのですか?」

「それは……」

 そんなことは決してない。

 最初は自分の状況を受け入れるのも難しかったし、信じてもらえるとも思ってなかったし。

 諦めの感情に近くて、悪意なんてない。

「そうでないのなら、正直に打ち明けてみるべきだと思います」

「打ち明けるって……でも、そんなこといまさら……」

「いまさらだと思っているのは雨月さんだけで、日奈星さんはそうではないかもしれませんよ」

「でも、話そうとしても全然聞いてくれなくて……」

 わたしの手は振り払われ、その場から去り、仲良くできないと告げられた。

「それでも話そうとしてくれる雨月さんを待っているのかもしれません」

「……そんなの、分からないじゃないですか」

「ええ、分かりません。でも、聞いてくれないとも限らないじゃないですか」

「金織さんって、意外に楽観的なんですね」

「それは違いますよ、雨月さん」

 そう言って軽やかに一歩、跳ねる。

 さっきとは違う、寄り添うような金織さんの距離。

 少しだけ悲しそうな表情を浮かべながら、それでも口元は微笑んでいる。

「貴女は今、きっと傷付くのを怖がっているだけです」

「傷つくことを……?」

「ええ、だって雨月さんは他の人で埋め合わせをしたいだなんて思っていないでしょう?」

「それは……分かりません」

「いいえ、雨月さんは日奈星さんとの関係を望んでいます」

 そう断言できる金織さんの根拠が分からない。

「なんで、そんなこと言えるんですか」

「分かりますよ。だって雨月さん……貴女は、どなたの話をしても表情が崩れず瞳も動かないのに、日奈星さんの時だけはすぐに変わりますから」

「……え」

「雨月さんを見ていればすぐに分かる、簡単なことです」

 本当に、どんな観察眼をしているんですか。

「その一緒にいてくれるという方の時も表情と瞳は動いていませんでしたよ。ですから雨月さんの気持ちは決まっているはずなんです」

「でも、わたしはどうしたらいいかなんて……」

 トン、とわたしの胸を指で突いてくる。

「その答えは、心の中ここにありますよ」

「……えっと」

 金織さんにしては、かなり抽象的な答え。

「雨月さんはもっと自分に素直になるべきです」

「そう……ですかね」

「ええ。心の解放を練習するべきでしょうね」

「心の解放?練習?」

「はい、例えばですね。この前お話し頂いた恋人は誰かを私に教える、とか……?」

「ええっ」

 どうしてこの流れで恋愛にっ……?

 金織さんにとっては友人関係のもつれでしかないはずなのにっ。

「ほら、すぐに瞳が瞬いて表情が華やかになりましたよ」

「えっ、あのっ、それって……」

 わたしは凛莉ちゃんの時に表情が変化するって言ってたんだから、もうバレてるってことなんじゃ……。

「ふふっ。図星ですね?」

「あの……気付いてたんですか?」

「良くも悪くも、日奈星さんのことは見ていましたからね。……そして貴女のことも」

「そう、でしたか……」

 さすが金織さん。

 何でも見抜くその眼力には敵いそうにない。

「雨月さんはもっと自分のことを好きになってあげてください。そして、心を開いて本当の自分を見せてあげてください」

「それで、いいんでしょうか……」

 簡単なようで、難しいことだし。

 それで許されるようなことでもないと思うんだけど……。

「変わりますよ、きっと」

 そうして金織さんは指先を胸から放して、去って行く。

 その指先が持って行ってくれたのだろうか、胸の重みは少しだけ軽くなっている気がした。
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