【完結】指先が触れる距離

山田森湖

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第12話　桜の下で

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第12話　桜の下で

土曜日の午後、桜は見事に咲いていた。

私は公園の入り口で美咲を待ちながら、満開の桜並木を眺めていた。平日の不安な気持ちは消え、今日は心が軽やかだった。

「お待たせしました」

振り返ると、薄いピンクのワンピースを着た美咲が立っていた。桜の花びらと同じ色で、とても美しい。

「いえ、僕も今来たところです。きれいに咲きましたね」

「本当に。まるで雲のようです」

私たちは桜並木を歩き始めた。土曜日の午後ということもあって、多くの人がお花見を楽しんでいる。家族連れ、カップル、友人同士。みんな桜に魅せられて、穏やかな時間を過ごしている。

「ここで写真、撮りませんか？」

美咲が桜の木の下で立ち止まった。私は携帯電話を取り出した。

「どうぞ」

「一緒に撮りましょう」

美咲の提案で、私たちは並んで写真を撮った。桜の花びらが舞い散る中で、二人で過ごす時間。それは確実に特別なものだった。

公園の奥には小さな池があった。池のほとりのベンチに座って、私たちは桜を眺めながら話をした。

「桜って、はかないですよね」

美咲がつぶやいた。

「そうですね。だからこそ美しいのかもしれません」

「一年に一度だけ、こうして満開になって...そしてすぐに散ってしまう」

彼女の横顔を見ていると、何かを考え込んでいるような表情だった。

「何か考え事ですか？」

「昨日の人事異動の話を思い出していました」

「ああ...」

「桜も人との出会いも、いつかは終わりが来るんだなって」

美咲の言葉に、私の胸が少し痛んだ。確かに、すべてには終わりがある。でも、それを今考える必要があるのだろうか。

「でも、散った後には新しい葉が出てきます。終わりは、新しい始まりでもあるんです」

「そうですね...」

「それに、美しい思い出は心の中に残ります。桜を見る度に、今日のことを思い出すでしょう」

美咲が私の方を向いた。

「今日のこと、覚えていてくださいますか？」

「もちろんです。ずっと」

その時、風が吹いて、桜の花びらが舞い散った。まるで雪のように、私たちの周りに舞い踊る花びら。

「きれい...」

美咲が感嘆の声を上げた。私も同じ気持ちだった。でも、私にとって一番美しいのは、桜の花びらに囲まれた美咲の笑顔だった。

池のほとりを歩いていると、屋台が出ているのが見えた。

「何か食べませんか？」

「いいですね」

私たちはたこ焼きと桜餅を買って、再びベンチに座った。桜餅の桜の葉の塩味が、春らしくて懐かしい。

「美味しいですね」

「桜餅って、この時期しか食べませんね」

「季節限定だからこそ、特別に感じるのかもしれません」

会話をしながら、私は美咲の手に注目していた。桜餅を丁寧に食べている小さな手。その手にもし触れることができたら...

「佐藤さん」

「はい」

「もし、私が異動になったらどうしますか？」

突然の質問に、私は戸惑った。

「美咲さんが異動ですか？」

「可能性の話です。もし、離れ離れになってしまったら...」

私は少し考えてから答えた。

「連絡は取り続けたいです。今の関係を大切にしたいから」

「今の関係？」

「はい。美咲さんとの時間は、僕にとってとても大切なんです」

美咲の頬が少し赤くなった。

「私も...佐藤さんとの時間が、とても大切です」

その言葉を聞いて、私の心は大きく動いた。彼女も私と同じ気持ちでいてくれるのだ。

夕方になって、桜はライトアップされ始めた。昼間とは違った幻想的な美しさがある。

「夜桜も素敵ですね」

「昼間とは全然違う表情ですね」

私たちは再び桜並木を歩いた。ライトアップされた桜の下で、多くのカップルが写真を撮っている。その光景を見ていて、私は自分たちもそんなカップルの一組のように見えるのだろうかと思った。

「佐藤さん」

「はい」

「今日は本当にありがとうございました」

「僕も楽しかったです。来て良かった」

公園の出口に着いた時、美咲が振り返った。

「また来年も、一緒に桜を見ることができるでしょうか？」

その質問には、深い意味が込められているような気がした。来年も一緒にいられるだろうか、という願い。

「ぜひ、一緒に見ましょう」

「約束ですか？」

「約束です」

美咲は嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見ていると、来年と言わず、ずっと彼女と一緒にいたいと思った。

駅で別れる時、美咲が小さな桜の花びらを私に渡した。

「今日の記念に」

「ありがとうございます」

花びらを受け取る時、私たちの手が触れた。今度は、お互いに意図的だった。少しだけ長く、手を重ねていた。

「また月曜日に」

「はい、また月曜日に」

家に帰る電車の中で、私は桜の花びらを見つめていた。今日の美咲との時間、桜の下での会話、そして最後の手の触れ合い。

指先が触れる距離から、手を重ね合う関係へ。少しずつだが、確実に変化している。

でも、人事異動の話が気になる。もしかしたら、私たちに残された時間は限られているのかもしれない。だとしたら、もっと積極的になるべきなのだろうか。

窓に映る自分の顔が、いつもより真剣に見えた。桜の季節は短い。でも、その短さゆえに美しい。

私たちの関係も、今このかけがえのない時間を大切にしなければならない。

桜の花びらを大切にしまいながら、私は月曜日を待ち遠しく思った。また彼女に会える日を。

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