【完結】指先が触れる距離

山田森湖

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第15話 最後の金曜日

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第15話 最後の金曜日

金曜日の朝、私は特別な気持ちでオフィスに向かった。

来週の月曜日が最後の出社日になる。今日は、この職場で迎える最後の金曜日だった。

「おはようございます」

美咲の挨拶がいつもより少し寂しげに聞こえた。彼女も同じことを考えているのだろう。

「おはようございます。今日も良い天気ですね」

「はい。でも...」

彼女は言いかけてやめた。きっと「でも、もうあまり一緒にこの景色を見ることはない」と言いたかったのだろう。

この一週間、私たちは約束通り、毎日のランチの時間を特別に過ごしてきた。いつものレストランで、いつもより長い時間をかけて、たくさんの話をした。

仕事の話、趣味の話、子供の頃の思い出、将来の夢。今まで知らなかった美咲の一面をたくさん発見できた。

「佐藤さん」

美咲が私のデスクにやってきた。

「はい」

「今日のランチなんですが...いつものレストランではなく、外に行きませんか?」

「外ですか?」

「はい。お弁当を買って、公園で食べましょう。桜は散ってしまいましたが、新緑がきれいです」

「いいですね。ぜひ」

昼休み、私たちはコンビニでお弁当を買い、近くの公園に向かった。先週お花見をした場所とは違う、小さな公園だった。

ベンチに座って、お弁当を広げる。平日の昼間なので、公園には私たちの他に数人しかいない。静かで、穏やかな時間だった。

「緑がきれいですね」

「本当に。桜の花は散ってしまったけど、葉桜も美しいです」

「季節が変わっても、それぞれに良さがありますね」

美咲の言葉に、深い意味を感じた。私たちの関係も、物理的に離れても、新しい良さを見つけられるかもしれない。

「佐藤さん」

「はい」

「横浜での新しい仕事、楽しみですか?」

「正直、不安の方が大きいです。でも、やりがいのある仕事だと思います」

「きっと活躍されますよ。佐藤さんなら」

「ありがとうございます。美咲さんも、僕がいなくなっても大丈夫ですよ」

「そうでしょうか...」

「もちろんです。美咲さんはとても優秀だから」

そんな会話をしながら、私は美咲の横顔を見つめていた。この角度から彼女を見るのも、もうあと数回だけなのかもしれない。

「佐藤さん」

「はい」

「私、言いたいことがあります」

美咲の真剣な表情に、私は少し緊張した。

「はい」

「佐藤さんと出会えて、本当に良かったです」

「僕も同じ気持ちです」

「隣の席に座らせてもらって、毎日お話できて...こんなに楽しい会社生活になるなんて、思いませんでした」

美咲の声が少し震えていた。

「美咲さんがいてくれたから、僕も毎日が楽しかったです」

「本当に?」

「もちろんです。朝のコーヒーを淹れる時間も、お昼のランチも、仕事で分からないことを教え合う時間も...すべてが特別でした」

「私も、そう思います」

私たちは少し沈黙した。言いたいことはたくさんあるのに、うまく言葉にならない。

午後、オフィスに戻ると、同僚の皆さんが私の送別会の準備をしてくれていた。

「佐藤さん、今日の六時から送別会です」

山田さんが声をかけてくれた。

「ありがとうございます」

「美咲ちゃんも参加するからね」

送別会。それは本当にお別れの時間だった。

夕方、私は最後の業務を終えた。引き継ぎ資料も完成し、デスクの整理も済ませた。

「お疲れさまでした」

美咲が声をかけてきた。

「お疲れさまでした。月曜日で本当に最後ですね」

「はい...」

「送別会、よろしくお願いします」

「こちらこそ」

送別会は、いつもの居酒屋で行われた。同僚の皆さんが温かい言葉をかけてくれて、とても感動的な時間だった。

でも私は、隣に座る美咲のことばかり考えていた。彼女も時々、私の方を見ている。

九時頃、送別会は終了した。みんなで外に出て、駅で解散することになった。

「佐藤さん、横浜でも頑張ってください」

「また飲みに来てくださいね」

皆さんに見送られながら、私は美咲と一緒に駅に向かった。

「今日は本当にありがとうございました」

「こちらこそ。素敵な送別会でした」

駅の改札前で、私たちは立ち止まった。

「それでは...」

「はい」

でも、なかなか別れの言葉が出ない。

「月曜日、また」

「また月曜日に」

美咲が改札を通って行く。私もそれに続こうとした時、彼女が振り返った。

「佐藤さん」

「はい」

「指先が触れる距離...素敵な言葉でした」

そう言って、彼女は小さく手を振った。

電車の中で、私は今日一日のことを振り返った。最後の金曜日、公園でのランチ、そして送別会。

来週の月曜日で、本当にこの日々は終わる。でも、美咲との関係が終わるわけではない。

指先が触れる距離から、もっと深い関係へ。物理的に離れても、心の距離は変わらない。

そう信じながら、私は家路に着いた。月曜日という、新しい始まりの日を迎えるために。
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