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第四十九話 宰相の私室と禁断の祭壇
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オルダス宰相の私室周辺から発せられる、冷たく計算高い悪意の波動。
レティシアの鋭敏な感覚は、確かにそれを捉えていた。
宰相オルダス・フォン・ヴァレンシュタインは、皇帝ルイードの最も信頼する腹心の一人であり、ヴァリス帝国において絶大な権力と影響力を持つ人物だ。
その彼が、皇太子を呪い、帝国を混乱に陥れようとする黒幕であるなど、常識的に考えればあり得ないことだった。しかし、レティシアが感じる悪意の気配は、あまりにも強く、そして明確だった。無視することはできない。
「ナタリア、オルダス宰相の私室の周辺を、少し探ってみたいの。何か、不自然なものがないかどうか…」
レティシアは、信頼する侍女ナタリアにだけ、その意図を打ち明けた。
ナタリアは、妃殿下のただならぬ様子と、その瞳に宿る強い決意を感じ取り、驚きながらも静かに頷いた。
「かしこまりました、妃殿下。ですが、くれぐれもご無理はなさいませんように。オルダス宰相は、宮中でも特に影響力の強いお方です。万が一、何か誤解が生じれば…」
「分かっているわ。だからこそ、慎重に行動しなければならない。でも、もし彼が本当に…クリストフ様を苦しめている元凶だとしたら、決して見過ごすわけにはいかないの」
レティシアの言葉には、揺るぎない覚悟が込められていた。
二人は、人目を避けるように、オルダス宰相の私室がある西翼の回廊へと向かった。
宰相の私室は、皇宮の中でも特に厳重な警備が敷かれている一角にあり、普段は侍従や衛兵以外の者が近づくことは滅多にない。
レティシアは、自身の気配を消すように、静かに、そして注意深く進んだ。
宰相の私室の扉は、重厚な木で作られ、精巧な彫刻が施されていた。
扉の前には、微動だにしない二人の衛兵が立っている。当然、中へ入ることは不可能だ。
レティシアは、扉に意識を集中させ、そこから漏れ出てくる「気配」を探った。
やはり、扉の向こう側から、あの冷たく淀んだ悪意の波動が、微かに、しかし確実に感じ取れる。
(この部屋の中に、何かがある…)
レティシアは確信した。しかし、どうすれば中を確かめることができるだろうか。
彼女が思案に暮れていると、ふと、宰相の私室に隣接する、普段は使われていない小さな書庫の存在に気づいた。
そこは、古い地図や記録が保管されているだけの、忘れられたような部屋だった。
「ナタリア、あの書庫なら、あるいは…」
二人は衛兵の目を盗み、音を立てないように書庫の扉を開けた。
中は薄暗く、埃っぽい匂いが充満している。書庫の奥の壁は、宰相の私室と接しているはずだ。
レティシアは壁に耳を当て、内部の音を探ったが、何も聞こえてこない。
しかし、壁に手を触れた瞬間、彼女は再び、あの悪意の波動を、今度はより強く感じ取った。まるで、壁の向こう側から、闇の力が染み出してくるかのように。
「この壁の向こうに…何か秘密が隠されているのかもしれないわ」
レティシアは、壁を注意深く調べ始めた。すると、壁の一部分が、他の場所とは僅かに質感が異なり、よく見ると、巧妙に隠された細い継ぎ目があることに気づいた。
「ナタリア、ここを…!」
二人は力を合わせ、その部分を押してみた。
すると、ギシリという低い音と共に、壁の一部が静かに内側へと開き、人が一人通れるほどの隠し通路が現れたのだ。
通路の先は、真っ暗だった。
レティシアは一瞬ためらったが、クリストフの顔を思い浮かべ、勇気を振り絞って一歩を踏み出した。
ナタリアも、不安を隠せない表情ながら、妃殿下を守るように後に続く。通路は狭く、湿った空気が漂っていた。
数メートル進むと、微かな光が前方から漏れているのが見えた。それは、隠し通路の出口のようだった。
息を殺し、慎重に出口から内部を覗き込むと、そこは宰相の私室の奥に設けられた、さらに別の隠し部屋のようだった。
部屋の中央には、黒曜石で作られたような不気味な祭壇が置かれ、その上には、見たこともない奇妙な紋様が刻まれた道具や、動物の骨のようなものが並べられていた。
そして、部屋の壁には、おびただしい数の呪符のようなものが貼られ、床には複雑な魔法陣のようなものが描かれている。
空気は重く淀み、甘く腐ったような、不快な匂いが漂っていた。そこは、明らかに、何らかの禁断の儀式を行うための場所だった。
(これは…! なんて邪悪な場所なの…!)
レティシアは全身に鳥肌が立つのを感じた。
この部屋こそが、彼女が感じていた悪意の源なのだ。
オルダス宰相は、この場所で、闇の精霊を呼び出し、クリストフを呪うための儀式を行っていたに違いない。
その時、祭壇の上に置かれた一冊の古びた書物が、レティシアの目に留まった。
それは、黒い革で装丁され、不気味な銀色の留め金で閉じられた、禍々しい雰囲気を漂わせる書物だった。
表紙には、理解不能な古代文字で、何かが記されている。
レティシアは本能的に、その書物が、この部屋で行われている儀式と深く関わっていることを感じ取った。
「ナタリア、あの書物を…」
レティシアが小声でナタリアに指示しようとした、まさにその瞬間だった。
「…何者だ?」
低い、威厳のある声が、隠し部屋の入り口の方から響いた。
振り返ると、そこには、驚きと怒りの表情を浮かべたオルダス宰相その人が立っていたのだ。
彼は、レティシアたちが隠し通路から現れたことに気づいたのだろう。
その手には、抜き身の短剣が握られていた。
「皇太子妃殿下…それにナタリアとか。このような場所に、何の御用かな? まさか、盗み見とは…感心できんな」
オルダス宰相の目は、普段の穏やかなそれとは全く異なり、冷たく、爬虫類のような光を宿していた。
レティシアは、彼の全身から発せられる、圧倒的な悪意の気配に、息を詰まらせた。
彼こそが、黒幕。
その確信が、恐怖と共に彼女の胸を貫いた。
「宰相閣下…あなただったのですね。クリストフ様を苦しめ、帝国を混乱に陥れようとしているのは…!」
レティシアは、恐怖を押し殺し、毅然とした態度で宰相と対峙した。
ナタリアは、震えながらもレティシアの前に立ちはだかり、彼女を守ろうとする。
「フフフ…ようやくお気づきになられたか、聖女殿。いかにも、全ては我が計画通り。クリストフ皇子は、我が手によって、いずれ闇に完全に染まり、我が意のままに動く人形となる。そして、このヴァリス帝国もまた、我が支配の下にひれ伏すのだ!」
オルダス宰相は、もはや本性を隠そうともせず、歪んだ笑みを浮かべた。
その顔は、もはや人間のそれではなく、何か得体の知れない、邪悪な存在のように見えた。
絶体絶命の状況。
レティシアは、クリストフがいない今、自分自身の手で、この強大な悪意と対峙しなければならないことを悟った。
彼女の聖女としての真の力が、今まさに試されようとしていた。
宰相がゆっくりと短剣を構え、二人に向かって歩み寄ってくる。
その背後で、禁断の祭壇が、不気味な光を放ち始めた。
レティシアの鋭敏な感覚は、確かにそれを捉えていた。
宰相オルダス・フォン・ヴァレンシュタインは、皇帝ルイードの最も信頼する腹心の一人であり、ヴァリス帝国において絶大な権力と影響力を持つ人物だ。
その彼が、皇太子を呪い、帝国を混乱に陥れようとする黒幕であるなど、常識的に考えればあり得ないことだった。しかし、レティシアが感じる悪意の気配は、あまりにも強く、そして明確だった。無視することはできない。
「ナタリア、オルダス宰相の私室の周辺を、少し探ってみたいの。何か、不自然なものがないかどうか…」
レティシアは、信頼する侍女ナタリアにだけ、その意図を打ち明けた。
ナタリアは、妃殿下のただならぬ様子と、その瞳に宿る強い決意を感じ取り、驚きながらも静かに頷いた。
「かしこまりました、妃殿下。ですが、くれぐれもご無理はなさいませんように。オルダス宰相は、宮中でも特に影響力の強いお方です。万が一、何か誤解が生じれば…」
「分かっているわ。だからこそ、慎重に行動しなければならない。でも、もし彼が本当に…クリストフ様を苦しめている元凶だとしたら、決して見過ごすわけにはいかないの」
レティシアの言葉には、揺るぎない覚悟が込められていた。
二人は、人目を避けるように、オルダス宰相の私室がある西翼の回廊へと向かった。
宰相の私室は、皇宮の中でも特に厳重な警備が敷かれている一角にあり、普段は侍従や衛兵以外の者が近づくことは滅多にない。
レティシアは、自身の気配を消すように、静かに、そして注意深く進んだ。
宰相の私室の扉は、重厚な木で作られ、精巧な彫刻が施されていた。
扉の前には、微動だにしない二人の衛兵が立っている。当然、中へ入ることは不可能だ。
レティシアは、扉に意識を集中させ、そこから漏れ出てくる「気配」を探った。
やはり、扉の向こう側から、あの冷たく淀んだ悪意の波動が、微かに、しかし確実に感じ取れる。
(この部屋の中に、何かがある…)
レティシアは確信した。しかし、どうすれば中を確かめることができるだろうか。
彼女が思案に暮れていると、ふと、宰相の私室に隣接する、普段は使われていない小さな書庫の存在に気づいた。
そこは、古い地図や記録が保管されているだけの、忘れられたような部屋だった。
「ナタリア、あの書庫なら、あるいは…」
二人は衛兵の目を盗み、音を立てないように書庫の扉を開けた。
中は薄暗く、埃っぽい匂いが充満している。書庫の奥の壁は、宰相の私室と接しているはずだ。
レティシアは壁に耳を当て、内部の音を探ったが、何も聞こえてこない。
しかし、壁に手を触れた瞬間、彼女は再び、あの悪意の波動を、今度はより強く感じ取った。まるで、壁の向こう側から、闇の力が染み出してくるかのように。
「この壁の向こうに…何か秘密が隠されているのかもしれないわ」
レティシアは、壁を注意深く調べ始めた。すると、壁の一部分が、他の場所とは僅かに質感が異なり、よく見ると、巧妙に隠された細い継ぎ目があることに気づいた。
「ナタリア、ここを…!」
二人は力を合わせ、その部分を押してみた。
すると、ギシリという低い音と共に、壁の一部が静かに内側へと開き、人が一人通れるほどの隠し通路が現れたのだ。
通路の先は、真っ暗だった。
レティシアは一瞬ためらったが、クリストフの顔を思い浮かべ、勇気を振り絞って一歩を踏み出した。
ナタリアも、不安を隠せない表情ながら、妃殿下を守るように後に続く。通路は狭く、湿った空気が漂っていた。
数メートル進むと、微かな光が前方から漏れているのが見えた。それは、隠し通路の出口のようだった。
息を殺し、慎重に出口から内部を覗き込むと、そこは宰相の私室の奥に設けられた、さらに別の隠し部屋のようだった。
部屋の中央には、黒曜石で作られたような不気味な祭壇が置かれ、その上には、見たこともない奇妙な紋様が刻まれた道具や、動物の骨のようなものが並べられていた。
そして、部屋の壁には、おびただしい数の呪符のようなものが貼られ、床には複雑な魔法陣のようなものが描かれている。
空気は重く淀み、甘く腐ったような、不快な匂いが漂っていた。そこは、明らかに、何らかの禁断の儀式を行うための場所だった。
(これは…! なんて邪悪な場所なの…!)
レティシアは全身に鳥肌が立つのを感じた。
この部屋こそが、彼女が感じていた悪意の源なのだ。
オルダス宰相は、この場所で、闇の精霊を呼び出し、クリストフを呪うための儀式を行っていたに違いない。
その時、祭壇の上に置かれた一冊の古びた書物が、レティシアの目に留まった。
それは、黒い革で装丁され、不気味な銀色の留め金で閉じられた、禍々しい雰囲気を漂わせる書物だった。
表紙には、理解不能な古代文字で、何かが記されている。
レティシアは本能的に、その書物が、この部屋で行われている儀式と深く関わっていることを感じ取った。
「ナタリア、あの書物を…」
レティシアが小声でナタリアに指示しようとした、まさにその瞬間だった。
「…何者だ?」
低い、威厳のある声が、隠し部屋の入り口の方から響いた。
振り返ると、そこには、驚きと怒りの表情を浮かべたオルダス宰相その人が立っていたのだ。
彼は、レティシアたちが隠し通路から現れたことに気づいたのだろう。
その手には、抜き身の短剣が握られていた。
「皇太子妃殿下…それにナタリアとか。このような場所に、何の御用かな? まさか、盗み見とは…感心できんな」
オルダス宰相の目は、普段の穏やかなそれとは全く異なり、冷たく、爬虫類のような光を宿していた。
レティシアは、彼の全身から発せられる、圧倒的な悪意の気配に、息を詰まらせた。
彼こそが、黒幕。
その確信が、恐怖と共に彼女の胸を貫いた。
「宰相閣下…あなただったのですね。クリストフ様を苦しめ、帝国を混乱に陥れようとしているのは…!」
レティシアは、恐怖を押し殺し、毅然とした態度で宰相と対峙した。
ナタリアは、震えながらもレティシアの前に立ちはだかり、彼女を守ろうとする。
「フフフ…ようやくお気づきになられたか、聖女殿。いかにも、全ては我が計画通り。クリストフ皇子は、我が手によって、いずれ闇に完全に染まり、我が意のままに動く人形となる。そして、このヴァリス帝国もまた、我が支配の下にひれ伏すのだ!」
オルダス宰相は、もはや本性を隠そうともせず、歪んだ笑みを浮かべた。
その顔は、もはや人間のそれではなく、何か得体の知れない、邪悪な存在のように見えた。
絶体絶命の状況。
レティシアは、クリストフがいない今、自分自身の手で、この強大な悪意と対峙しなければならないことを悟った。
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