聖なる王女はベッドの上で帝国を救う

梵天丸

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第五十一話 戦場への旅路と聖騎士団の誓い

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クリストフ皇太子行方不明の報は、帝都ヴァレンディアに衝撃と共に広がり、民衆の不安をさらに煽った。
オルダス宰相の反逆と、それに続く東部戦線での皇太子の危機。
ヴァリス帝国は、建国以来最大の国難に直面していると言っても過言ではなかった。
しかし、そんな絶望的な状況の中、一条の光として立ち上がったのが、聖女にして皇太子妃であるレティシアだった。

皇帝ルイードは、レティシアの固い決意を受け入れ、彼女を東部戦線へ派遣することを決定した。
もちろん、それは苦渋の決断だった。
レティシアは帝国の希望ではあるが、同時にまだ若く、戦場の過酷さを知らない。
しかし、彼女の持つ聖なる力と、クリストフへの深い愛情、そして何よりも彼女自身の強い意志が、皇帝の心を動かしたのだ。

レティシアの護衛には、帝国でも屈指の勇猛さを誇る「聖騎士団」が選ばれた。
聖騎士団は、代々、神殿と皇室に仕え、高い信仰心と卓越した武勇を兼ね備えた騎士たちで構成される特別な部隊だ。彼らは、聖女であるレティシア妃殿下を護衛し、皇太子殿下を救出するという使命に、命を賭して臨む覚悟を決めていた。
騎士団長を務めるのは、実直剛健で知られるベネディクト将軍。
彼は、かつてクリストフの武術の師でもあり、皇太子への忠誠心は誰よりも篤い人物だった。

出発の準備は迅速に進められた。
レティシアは、華美なドレスを脱ぎ捨て、動きやすい簡素だが気品のある旅装束に身を包んだ。
腰には、父王から贈られた短い護身用の剣を差している。
彼女の顔には、不安の色は微塵もなく、ただ静かで強い決意だけが浮かんでいた。
侍女のナタリアも、妃殿下のお側に仕えることを強く願い、旅の供を許された。
彼女の存在は、レティシアにとって大きな心の支えとなるだろう。
出発の日、皇宮の広場には、聖騎士団の騎士たちが整然と隊列を組んでいた。
彼らの鎧は朝日を浴びて輝き、その瞳には揺るぎない忠誠心と使命感が宿っている。
レティシアは、皇帝ルイードと、集まった廷臣たちに見送られながら、愛馬に跨った。

「レティシア殿、クリストフを…そして帝国を頼む」

皇帝は、レティシアの手を握り、力強く言った。
その目には、父親としての深い愛情と、為政者としての苦悩が複雑に交錯していた。

「陛下、必ずや、クリストフ様をお救いし、無事にご帰還いたします。そして、帝国の土を、闇の力に穢させはいたしません」

レティシアは、馬上から深々と頭を下げた。
その声は、凛として美しく、聞く者の心を奮い立たせる力強さがあった。

「聖騎士団、出陣!」

ベネディクト将軍の号令一下、聖騎士団はレティシアを中央に護り、帝都の城門を後にした。
目指すは、戦火の渦巻く東部戦線。
そこには、行方不明となったクリストフと、そしておそらくは、彼を狙う黒幕の真の目的、そして“虚無喰らい”ザルゴスの影が待ち受けているはずだった。

旅路は過酷を極めた。戦況は刻一刻と悪化しており、イルーナ軍の進撃は予想以上に速い。
レティシアたちは、敵の目を避け、間道や山道を選んで進まなければならなかった。
道中、何度もイルーナ軍の斥候や小部隊と遭遇したが、そのたびに聖騎士団の騎士たちが勇猛果敢に戦い、レティシアを守り抜いた。
レティシアもまた、ただ守られているだけではなかった。
負傷した騎士がいれば、彼女はすぐに駆け寄り、その聖なる力で傷を癒した。
彼女の慈愛に満ちた手当ては、騎士たちの肉体的な苦痛だけでなく、精神的な疲労をも和らげ、彼らの士気を大いに高めた。

また、彼女の持つ「闇の探知」能力は、敵の伏兵や罠を事前に察知し、幾度となく一行の危機を救った。
聖騎士団の騎士たちは、当初は若く美しい皇太子妃を戦場へお連れすることに戸惑いを感じていた者もいたが、彼女の勇気と献身、そして何よりもその人知を超えた聖なる力に触れるうちに、心からの尊敬と忠誠を捧げるようになっていった。彼女は、まさに戦場に舞い降りた聖女だった。

特に、騎士団長のベネディクト将軍は、レティシアの存在に深い感銘を受けていた。
彼は、かつてクリストフが闇の精霊に憑依された経緯や、その苦悩を誰よりも理解していた。
そして、レティシアこそが、クリストフを救い、帝国を導く唯一の希望であると確信するようになっていた。

「妃殿下、我ら聖騎士団は、妃殿下と皇太子殿下のため、そして帝国の未来のために、この命を捧げる覚悟でございます。いかなる困難があろうとも、必ずや殿下を救出し、この戦いに勝利をもたらしましょうぞ」

野営の焚き火を囲みながら、ベネディクト将軍はレティシアに力強く誓った。
その言葉には、騎士としての誇りと、揺るぎない忠誠心が込められていた。

「ありがとうございます、将軍。皆さんの勇気と忠誠心が、私の何よりの支えです。私たちは必ず、クリストフ様を助け出しましょう」

レティシアは、騎士たち一人ひとりの顔を見渡し、感謝の言葉を述べた。
彼女の周りには、確かに信頼できる仲間たちがいた。
しかし、戦況は依然として厳しく、クリストフの行方は杳として知れなかった。
イルーナ軍の猛攻の裏で、何か別の、もっと邪悪な力が蠢いているような不気味な予感が、レティシアの胸を締め付けていた。
ザルゴスの影は、確実にこの戦場にも忍び寄ってきている。
そして、クリストフは、その闇の力の中心に囚われているのではないか。

ある夜、レティシアは夢を見た。
暗く冷たい石造りの部屋で、クリストフが鎖に繋がれ、苦悶の表情を浮かべている夢だった。
彼の周囲には、おびただしい数の黒い影が蠢き、彼の魂を喰らおうとしている。
そして、その中心には、巨大で、形容しがたいほど恐ろしい、漆黒の闇の存在がいた。
それが、“虚無喰らい”ザルゴスなのだと、レティシアは直感的に理解した。

「クリストフ様…!」

レティシアは叫びながら目を覚ました。
全身は冷や汗でびっしょりと濡れ、心臓が激しく鼓動している。
夢はあまりにも鮮明で、現実と区別がつかないほどだった。

(クリストフ様は、やはりザルゴスの手に…! あの場所はどこ…? 手がかりは…)

彼女は、夢の中で見た光景を必死に思い出そうとした。
石壁の模様、鎖の形状、そして何よりも、クリストフが囚われていた場所から感じた、独特の「気配」。
それは、以前、皇宮の地下宝物庫で感じた、あの強烈な闇の気配と酷似していたのだ。

(まさか…皇宮の地下と、クリストフ様が囚われている場所が、繋がっている…? それとも、同じような性質の闇の力が働いているということ…?)

新たな手がかりと、同時に深まる謎。
レティシアは、ナタリアを揺り起こし、自分の見た夢と、感じた気配について語った。
ナタリアは、妃殿下の言葉を真剣に聞きながら、ある可能性に思い至った。

「妃殿下…皇宮の地下宝物庫には、古代の遺物が多数収められていると聞き及びます。その中には、もしかすると、空間を繋ぐような特殊な魔法具や、あるいはザルゴスに関連する何らかの品が存在するのかもしれません。そして、黒幕はそれを利用して…」

その時、野営地の外れで見張りをしていた騎士の一人が、慌てた様子で駆け込んできた。

「将軍! 妃殿下! 前方に、イルーナ軍とは異なる、不気味な気配を放つ一団が…! まるで、亡霊の軍勢のような…!」

亡霊の軍勢? レティシアとベネディクト将軍は顔を見合わせた。
それは、通常の戦争ではありえない報告だった。
ザルゴスの力が、ついに戦場にもその影響を及ぼし始めたというのだろうか。
そして、その亡霊たちは、クリストフの魂を完全に闇に引きずり込むための、ザルゴスの先兵なのかもしれない。
レティシアは、腰の剣の柄を強く握りしめた。聖女としての、そして愛する人を守るための、本当の戦いが始まろうとしていた。
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