36 / 133
第三章 紅に深く染みにし心かも
第八話 金曜日の紅い輝き
しおりを挟む
週末になるまで、一冴はプロットに悩み続けた。
四月十八日――金曜日の昼休憩。
一冴は学食で昼食を摂っていた。菊花や梨恵も一緒だ。最近は猫うどんをローテーションしている。すごくおいしいというほどではないが、妙な中毒性があるのだ。
食事中、菊花は驚いたような声を上げた。
「いちごちゃん、まだ何も思いつけてないの?」
うん――と言い、どんぶりの中に目を落とす。
「けれど、そろそろやばくない? 何も思いつけませんでした――なんて、部室に行くたびに言うのも申し訳ないでしょ。私、今月中には執筆に入れそうなんだけど。」
梨恵は苦笑する。
「やっぱり大変だな――文藝部は。」
一冴は軽く溜息をつく。
――百合を書くなんて言わなけりゃよかったか?
少女同士の恋愛を書きつつ、ごく一般的な少女と思わせるなど至難の業だ。
加えて、時代背景も分からないことが多い。
自分が好きなものは女らしくない――戦鬪機や軍隊に詳しい女子などいない。だから、そのようなものはなるべく遠ざけた。そしたら、何を書いたらいいか分からなくなってしまった。
――どうすればいいんだろう。
ふと、食堂の端へと目をやる。
そこには紅子がいた。前髪には紅い星が輝いている。
紅子の姿は寮でもあまり見ない――どうやら部屋に籠っているらしい。むしろ学校でよく見る。クラスメイトとも関わりを持っていない。食事もいつも独りだ。――話しかける機会はない。
早月の声がよみがえる。
――誰か詳しそうな人いないの?
分からない。
三人は食事を終えた。
返却口へとトレーを返し、出口へ向かおうとする。
途中、紅子とすれ違った。少し遅れ、トレーを返しに行くところだ。
襟足で二つに結われた長い髪を目で追う。
――まあ、この際だ。
一冴は立ち止まる。
梨恵は不思議そうな顔をする。
「どしたん、いちごちゃん?」
「いや――ちょっと。」
振り返り、こちらへ歩いてくる紅子へと声をかけた。
「あの――筆坂さん?」
紅子は足を止める。いわゆる「たぬき顔」が一冴を向いた。
「――何?」
「いや――ちょっと訊きたいことがあるんだけど。」
前髪へと目をやる。
金色の枠で囲われた紅い七宝の星――中央では、金色の鎌と槌が交差していた。
「筆坂さんの前髪にあるやつ、ソ連軍の帽章じゃない? 舟型略帽の。」
紅子は軽く目を見開く。
「判るの?」
「うん――鎌と槌もあるし。」
「そうじゃなくって――舟型略帽のって判るの?」
「え――うん。筆坂さんのヘアピンが気にかかったから――調べてみたの。そしたら、舟型略帽って出てきたんだけど。」
「あ、そう。」
調べただけかというような顔を紅子はした。
女子らしくないかと思いつつも一冴は問う。
「あと、先週の朝食当番のとき――筆坂さん、鼻歌を歌ってたでしょ? もしかして、あれって『赤軍に勝るものなし』じゃない?」
紅子は顔を上げる。
「え――知ってるの?」
「まあ――。私、そっち方面の音楽、中学の頃に聴いてたから。」
梨恵は首をかしげた。
「いや――どっち方面? 何の話なん?」
「ソ連の音楽。」
ぐいっと紅子は身を乗り出す。
「『祖国は我らのために』とか?」
「うん――まあ。」
どこまで知っているのだろう――紅子は。
「あとは、『カチューシャ』とか『三人の戦車兵』とか『スターリンの砲兵行進曲』とか。」
菊花は不可解な顔をする。
「そんなもん何で聴いたの?」
「いや――ソ連の音楽は迫力があるっていうか――」
「うん! そうだよね!」
紅子は大きな声を上げ、目を輝かせた。
「やっぱりソ連の音楽は違うよね! 力強さがあるっていうか、愛国心を揺さぶられるっていうか――聴いているうちにパワーが出てくる感じ。」
紅子の勢いに驚きつつ、一冴は相槌を打つ。
「うん。国歌とか――大勢で力強く歌ってるやつ。」
「そうそうそう!」紅子は軽く跳ねる。「私、最初にあれ聴いて好きになったんだ。最初に、こう、デエェェェェン! ってなって、Союз нерушимый республик свободных(自由な共和国の揺ぎ無い同盟を)――」
紅子の歌声に合わせ、一冴も口ずさむ。
「「Сплотила навеки Великая Русь!(偉大なルーシは永遠に結び付けた)」」
おおおおおおおおおっ、と、紅子は歓声を上げた。
「凄い凄い凄い! 一緒に歌える人なんて初めて見た! しかもロシア語! 上原さんって私と同じ趣味者? それともミリオタ? まあ、私もミリオタだけど! こういうこと語れる人ってリアルでいないよねえ。私なんか語りたいこといっぱいあるのに――」
ハイテンションな紅子に、一冴はたじろぐ。
「あ――あの、筆坂さん?」
周囲の視線を一身に集めている。
「できれば、その――別の処で話さない?」
視線に気づき、紅子は今さら赤面した。
四月十八日――金曜日の昼休憩。
一冴は学食で昼食を摂っていた。菊花や梨恵も一緒だ。最近は猫うどんをローテーションしている。すごくおいしいというほどではないが、妙な中毒性があるのだ。
食事中、菊花は驚いたような声を上げた。
「いちごちゃん、まだ何も思いつけてないの?」
うん――と言い、どんぶりの中に目を落とす。
「けれど、そろそろやばくない? 何も思いつけませんでした――なんて、部室に行くたびに言うのも申し訳ないでしょ。私、今月中には執筆に入れそうなんだけど。」
梨恵は苦笑する。
「やっぱり大変だな――文藝部は。」
一冴は軽く溜息をつく。
――百合を書くなんて言わなけりゃよかったか?
少女同士の恋愛を書きつつ、ごく一般的な少女と思わせるなど至難の業だ。
加えて、時代背景も分からないことが多い。
自分が好きなものは女らしくない――戦鬪機や軍隊に詳しい女子などいない。だから、そのようなものはなるべく遠ざけた。そしたら、何を書いたらいいか分からなくなってしまった。
――どうすればいいんだろう。
ふと、食堂の端へと目をやる。
そこには紅子がいた。前髪には紅い星が輝いている。
紅子の姿は寮でもあまり見ない――どうやら部屋に籠っているらしい。むしろ学校でよく見る。クラスメイトとも関わりを持っていない。食事もいつも独りだ。――話しかける機会はない。
早月の声がよみがえる。
――誰か詳しそうな人いないの?
分からない。
三人は食事を終えた。
返却口へとトレーを返し、出口へ向かおうとする。
途中、紅子とすれ違った。少し遅れ、トレーを返しに行くところだ。
襟足で二つに結われた長い髪を目で追う。
――まあ、この際だ。
一冴は立ち止まる。
梨恵は不思議そうな顔をする。
「どしたん、いちごちゃん?」
「いや――ちょっと。」
振り返り、こちらへ歩いてくる紅子へと声をかけた。
「あの――筆坂さん?」
紅子は足を止める。いわゆる「たぬき顔」が一冴を向いた。
「――何?」
「いや――ちょっと訊きたいことがあるんだけど。」
前髪へと目をやる。
金色の枠で囲われた紅い七宝の星――中央では、金色の鎌と槌が交差していた。
「筆坂さんの前髪にあるやつ、ソ連軍の帽章じゃない? 舟型略帽の。」
紅子は軽く目を見開く。
「判るの?」
「うん――鎌と槌もあるし。」
「そうじゃなくって――舟型略帽のって判るの?」
「え――うん。筆坂さんのヘアピンが気にかかったから――調べてみたの。そしたら、舟型略帽って出てきたんだけど。」
「あ、そう。」
調べただけかというような顔を紅子はした。
女子らしくないかと思いつつも一冴は問う。
「あと、先週の朝食当番のとき――筆坂さん、鼻歌を歌ってたでしょ? もしかして、あれって『赤軍に勝るものなし』じゃない?」
紅子は顔を上げる。
「え――知ってるの?」
「まあ――。私、そっち方面の音楽、中学の頃に聴いてたから。」
梨恵は首をかしげた。
「いや――どっち方面? 何の話なん?」
「ソ連の音楽。」
ぐいっと紅子は身を乗り出す。
「『祖国は我らのために』とか?」
「うん――まあ。」
どこまで知っているのだろう――紅子は。
「あとは、『カチューシャ』とか『三人の戦車兵』とか『スターリンの砲兵行進曲』とか。」
菊花は不可解な顔をする。
「そんなもん何で聴いたの?」
「いや――ソ連の音楽は迫力があるっていうか――」
「うん! そうだよね!」
紅子は大きな声を上げ、目を輝かせた。
「やっぱりソ連の音楽は違うよね! 力強さがあるっていうか、愛国心を揺さぶられるっていうか――聴いているうちにパワーが出てくる感じ。」
紅子の勢いに驚きつつ、一冴は相槌を打つ。
「うん。国歌とか――大勢で力強く歌ってるやつ。」
「そうそうそう!」紅子は軽く跳ねる。「私、最初にあれ聴いて好きになったんだ。最初に、こう、デエェェェェン! ってなって、Союз нерушимый республик свободных(自由な共和国の揺ぎ無い同盟を)――」
紅子の歌声に合わせ、一冴も口ずさむ。
「「Сплотила навеки Великая Русь!(偉大なルーシは永遠に結び付けた)」」
おおおおおおおおおっ、と、紅子は歓声を上げた。
「凄い凄い凄い! 一緒に歌える人なんて初めて見た! しかもロシア語! 上原さんって私と同じ趣味者? それともミリオタ? まあ、私もミリオタだけど! こういうこと語れる人ってリアルでいないよねえ。私なんか語りたいこといっぱいあるのに――」
ハイテンションな紅子に、一冴はたじろぐ。
「あ――あの、筆坂さん?」
周囲の視線を一身に集めている。
「できれば、その――別の処で話さない?」
視線に気づき、紅子は今さら赤面した。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
64
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる