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第1章

15.お花畑

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「エスティ嬢」

名前を呼ばれふと意識が現実に戻る。

その声はなぜか私の耳にはっきりと届いた。
まるですぐ近くで呼ばれているみたいに。

「殿下……」

いつの間にか彼が近くまで来ていた。
目元は赤くなっているが、もう涙は流していない。

彼を見てなぜか少しだけほっとした。

「すみません、ハンカチ。ありがとうございました」

「いいえ、お役に立てたのなら持ってきていて良かったですわ」

受け取ろうと彼に手を差し出す。
しかし、ハンカチを返す素振りを全く見せない。

「あの、汚してしまったのでまた今度、近々、お会いするときにお返ししてもよろしいでしょうか」

「え?えぇ、それは構いませんけど」

上目遣いでお願いする彼はなんともいえない可愛らしさがあった。

もともとがきれいな顔でどんな表情をしていても目を惹くのに、今の彼は瞳が若干うるみ、少し困り眉になっている。そして極めつけの上目遣い。きっと世の女性が見たら卒倒するに違いない。

あれ?私も一応女性ではあるはずなのだけど。
おかしいわね。

というかそんなハンカチごとき、別にそのまま処分してくれてもいいのだけど。
律儀な方ね。

「ありがとうございます。絶対に、すぐに、直接お会いして、お返ししますね」

一区切りごとに力強く宣言する彼の迫力に若干顔が引きつる。
しかも満面の笑みだからなお怖い。

(なんか急に距離が縮んでいない?)

それは少しだけ嬉しくはあるけれど、今だ彼の心の内は見えないだけに不安しかない。
できればあまりお互いに心を打ち解けあう前に、有利な情報をポロっとだしてくれればいいのだけど。
そうすれば、心の傷が浅いうちに彼と決別できる。

人間深く付き合った人であればあるほど、別れる際には深い傷を負うもの。
私は、別れるのを目的にして動いているからかすり傷程度で済むだろうが、彼は恐らく多少なりともダメージを負うはずだ。

一応婚約相手だし。

「殿下、あちらのお花畑まで行ってもよろしいかしら?」

彼から目線を離し、先ほどから気になっていたお花畑へと話題を移す。

これ以上この綺麗な顔が近くにあるのもキツいし。

「はい、ご案内します」

すっと手を差し出される。

(この手何の手?)

その意味が分かりかねてぽかんとしたまま、その手を見つめていると、痺れを切らして私の手を掴むとズイズイとお花畑へ連れて行ってくれる。

(手を繋ぎたかったのかしら?)

ここまで仲良くなるつもりはなかったため、なんとも言えない顔になりながらも連れられるまま目的地へ向かった。

「わぁ、綺麗」

すぐ近くまでくると、その素晴らしさに思わず声が漏れた。
遠くで見ていても素晴らしかったが、近くで見ると圧巻だ。

色とりどりの花たちが、色ごとに分けられて咲き乱れている。
おそらく種類ごとに植える場所が別れているのだろう。

ピンクや黄色、紫から白まで様々な色が目を楽しませてくれていた。

「すごい、すごいですわ!私の屋敷の庭よりも!」

「本当ですか?喜んでいただけてよかったです」

駆け寄って近くで花を観察する。
遠くで見ると迫力があるのに、近くで見ると可愛らしい花が顔を見せる。

そのギャップが不思議で面白い。

花を見ながら周りを歩き回る。

彼はというといつも見ているものだからか、私とお花畑から少し離れたところでこちらを見つめていた。
花にこんなに喜んでいる娘を見たら、両親はきっと驚くだろう。
久ぶりにこんなにはしゃぐ。きっと、王子以外の人の目がないせいだろう。

両親がいると私が変な行動をして怖がられないように配慮していたし、他の貴族たちがいるときは心の距離を保つようにしていたから。この2年間ずっとそうしてきて、いつの間にか慣れて忘れていたが、きっとずっと窮屈だったのだろうと気づいた。
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