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1章 暗殺者から冒険者へジョブチェンジ!
2、暗殺者ギルドは散歩ついでに壊滅される(※軽いキスシーンあり)
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まるで蛇に睨まれたカエルのように、僕は一歩もその場から動けなかった。身体に仕込んだ得物はまだいくつもあるのだが、それを出すことも出来ず、ただ奥歯の痛みに耐えながら震えることしかできない。
レオンハルトは僕に噛まれた手の指を舌でべろりと舐め目を細めた。
「んんーーっ、やっぱ甘ぇなこりゃ」
まるで美味しいものを食べた時のような蕩けた顔をしたレオンハルトに、恐怖を一瞬忘れて目を奪われた。と、同時に僕の身体はレオンハルトに包まれていた。よく鍛えられた胸筋が目の前にある。
「やめっ……! 離せっ!」
「あ~~いい匂い。美味そう。今すぐ犯して貪り食いてぇ……。でもまだガキかァ……」
何か不穏なセリフが聞こえてきたような気がする。ぎゅうぎゅうとしがみついてくるレオンハルトから、震える身体でなんとか逃げようともがいたが、さすが竜人、びくともしない。
くんくん、すんすん、と犬のようにあちこちの匂いを嗅ぐ。何がそんなに気になるのかは知らないが、特に耳の後ろ、うなじと呼ばれる部分を執拗に嗅がれた。
「ひっ!」
べろん、とレオンハルトが不意に僕のうなじを舐めた。身体の中を稲妻のような何かが走ったような感覚がして身体に力が入らなくなる。その場に崩れ落ちそうになる僕の背中をレオンハルトが抱きとめる。
「……まさかなぁ、こんなガキが俺のつがいだとは……」
ぐいっと引き寄せられ、温かいものが唇に触れた。
「あっ…うン……」
腰を抱かれ、後頭部を押さえられて顔を避けることは許されなかった。
ぬるり、と分厚い舌が入ってくる。その舌は奥歯が抜けたばかりの孔を宥めるように優しく撫ぜた。口の中に感じていた錆びのような味が完全に消えたあと、再び動き出した舌が頬の裏を舐め、歯列をなぞり、僕の舌を引き摺り出し絡め取った。それは捕食者によるキスだった。抱き留められたままの腰が疼き、頭の芯が痺れて僕は一切の抵抗を止めた。
すでに奥歯の痛みも身体の震えも治まっている。どうやらキスの最中に回復魔法をかけられたようだ。
僕はただなす術もなく、瞼を閉じて甘い痺れの海の中を揺蕩った。
「……ぷはっ、ん……」
唇を離すと二人の間に銀の糸が繋がって、そして落ちた。お互い無言のまましばらく二人で見つめ合った。レオンハルトの紅い瞳に顔を紅潮させた自分のしどけない姿が映っている。それを見て途端に冷静になった。羞恥で顔が赤らむ。僕は生死の境目に暗殺対象者と何をやっているんだ。何だこの自分の蕩けきったみっともない顔は!
ベルトのバックルに仕込んだ小柄をさっと取り出し、レオンハルトの腕に斬りつけた。暗殺者は冷静であることを求められるのに、この時の僕は完全に頭に血が上っていた。固いうろこに阻まれて刃が届かない。すぐに手首を掴まれ、すごい力で捻り上げられる。
「おいおい、おいたすんなよな。ま、そんなやんちゃなとこも可愛いけどなあ」
子供に言い聞かせるような優しい口調だったが、掴む手の圧はどんどん増していく。ぎりぎりと音が鳴るくらい強く掴まれ、ぽとりと小柄を取り落とした。レオンハルトは僕の手首を掴んだまま床に引き倒し、仰向けの僕の脚の上に馬乗りになった。
「おまえ、どんだけ得物仕込んでやがるんだ」
手が襟ぐりに伸び、フード付きのローブを剥ぎ取られた。ぽろぽろと仕込み刀やナイフ、クナイ、小さな針など、隠し持っていた暗器が床に落ちて散らばる。ローブの下に着ていたシャツに手をかけられた瞬間、僕はシャツが脱げないように慌てて前を掻き合わせた。
この服の下、胸元に奴隷印が魔法で刻まれている。なぜかこれを見られたくないと思った。暗殺者ギルドではメンバーが裏切らないように、幹部以外は全員暗殺者ギルドと奴隷契約をしている。僕も例外ではなく、隣国の孤児院から暗殺者ギルドに売られた時に付けられた。
ちらりと見えたそれに、レオンハルトは眼を眇めて舌打ちした。
「ちっ、アイツら俺のものに何をしてくれるんだ……」
「………え?」
呟くような小声だったので、僕にはレオンハルトが何と言ったのか聞きとれなかった。
シャツを脱がせるのは諦めたようだけど、服の上から上半身を弄る手は止める気がないようだ。時折りソフトタッチで敏感な部分を触れてくる、その手つきがものすごくいやらしい。
……というか、なんか硬いものが僕の脚に当たってるんだけど!
ガキに欲情するのかこの変態は!!
「よ~~おっし、次は下だな!」
「おいっ、ちょっと待………ッ」
「ぶへっ!!」
円を描くように腹を撫で回していた手がズボンの中に侵入してきそうになり、ついレオンハルトの頬を拳で殴った。僕の拳を止めようと思えば簡単に止められたはずなのに、避けることはなく拳を受けた。少しは自身の行いを反省する気があったのだろうか。
「ご、ごめん! あ、あとは靴に仕込んでるだけで、もう武器は隠してないからっ!」
「なぁんだ、残念」
素直に残りの得物の在処を話すと、レオンハルトは僕の上からようやく退き、年寄りのように「よっこらしょ」と言いながら立ち上がって背筋を伸ばした。
武装解除され、毒も奪われた僕にはもうこれ以上、何もできることはなかった。身体を起こして膝を抱えるように座り、顔だけを上げて周りを見渡した。
そういえばここはどこだろう。
戦いの最中は周りの景色を気にする余裕もなかったけれど、こうして落ち着いて見てみると、この部屋の異常性がよく分かる。
空っぽの箱の中ーー。
一言で言えばそんな感じの空間だった。
確か僕は家の中に引き摺り込まれたはずだ。けれどこの場所は明らかに屋内と違う。白くて高い壁が四方を囲み、天井を乗せただけの、空っぽの箱の中。家具や柱など何もなく、僕が入って来たと思しい木の扉が、壁にぽつんと一つだけ付いている。明かりはないはずなのに、壁が発光しているのか仄かに明るい。あちこちに戦闘の爪痕が残ってはいるが、無機質で殺風景な部屋だった。
「ここは……?」
僕の呟きにレオンハルトがすぐに答えを教えてくれた。
「ああ、ここ? ここは異空間だよ。アイテムボックスって分かるよな? その中みたいなもんさ。入ってきたあの扉を見てみろ」
木の扉を見ると、ちょうど真ん中のあたりに大きな魔法陣が浮かび上がっている。
「壁でも扉でも、何なら自然物でも、あの魔法陣を使えばそん中が異空間へと繋がる仕組みになってるんだ。無属性の空間魔術師が考案したやつでな、すげぇだろ! ちょーっと変わったところがある奴だが、今度紹介してやるよ」
ぷくくと思い出し笑いしながら言われたが、僕に今度なんてものはあるんだろうか? 自死できなかった暗殺者は捕らえられ、持っている情報全てをありとあらゆる手段で吐き出させてから処刑される。痛みにはある程度慣らされてきたし、死ぬのも怖くない……はずだったのに、今は死ぬのが怖いと感じはじめていた。それはレオンハルトが僕に『恐怖』という感情を植え付けたからだ。
恐怖、屈辱、羞恥、恋情……。
さまざまな感情を、出会ってたった数時間でレオンハルトは僕に教えた。
「さぁてと、おまえ、所属は『深海』だろ。この前ハニトラしてきた暗殺者ギルドは二度と俺に手が出せないように躾けといたからなあ」
「え、なんで僕が『深海』だって………」
レオンハルトが言ったように、僕の所属は『深海』だ。王都にある暗殺者ギルドは、『地下』『大地』『深海』『天空』『宙』の全部で五つある。そのうち『天空』と『宙』の二つは王国が管理しており、王国の依頼を受けた騎士団の仲介で、主に盗賊や犯罪者など罪を犯した者を狩る。
そして僕の所属する『深海』、それに『地下』『大地』の三つは、依頼人が誰でも、暗殺する相手が誰であっても、金さえ積めば無差別に暗殺する。王国が管理する暗殺者ギルドが国営なら、こっちは民営だ。
「お前みてぇなすげぇ暗殺技術を持ったヤツなんて『地下』にはいねぇだろ」
レオンハルトは確信を持って僕の所属が『深海』だと言い当てた。
やり方はどうであれ、暗殺者をきちんと養成する『深海』とは違い、暗殺技術をほとんど持たず、暗殺者というよりは盗賊の集まりような、数を頼みにした人殺しの集団が『地下』だ。
「ーーってことで俺はちょいっとそこらを散歩してくるわ」
「はいっ!?」
え、散歩? 今?
手をふりふりと振りながらレオンハルトは部屋を出て行った。僕はその様子をただ見送った。
「ーーはっ!? 今ならここから逃げられるんじゃ……」
慌てて起き上がり、唯一の出入り口である扉に手をかけたーーが、押しても引いても蹴っても叩いても、何をしても扉はぴったりと閉じられたままだった。扉に浮かび上がっていた魔法陣もすでに消えている。
「しまった。逃げる機会を逃した……」
それにしても、散歩って何だろう。レオンハルトの考えが僕にはよく分からない。僕は改めて箱の部屋の中をあちこち見て回った。壁と天上と床に隙間は全くない。まさしく蟻の這い出る隙間もない、ってやつだ。
「凄いなあ、ここ。一体誰が作ったんだろう。気になるな……」
本来、マジックバッグには生物を入れることが出来ないはずなのに、この空間はそのデメリットが解消されている。
「…………でもその前に、」
きゅう、とかわいらしく腹が鳴った。隙間も、音すらない空間だからか、いやに腹の音が響いた。
「……おなか、空いたなぁ。これからどうなるんだろう僕」
魔力を大量に使うと腹が減る。レオンハルトは散歩と言っていたし、すぐに戻って来るだろう。でないと困る。
僕は壁に背を付けて座り込み、膝を抱えて空腹に耐えた。
*
どれくらい時間が経ったのだろう。空気の流れが変わったのを肌で感じ、僕は目を開けた。
目の前の扉に魔法陣が再び大きく浮かび上がっている。レオンハルトが帰ってきたのだろう。ずいぶんと時間がかかった。散歩だなんて嘘だろう。カチリと歯車が噛み合うような音がしたかと思うと、勢いよく扉が開かれた。
「よっ、お待たせ」
出て行った時のように手を振りながらレオンハルトが戻ってきた。服があちこち破れ、どす黒く汚れている。剥き出しになっている鱗の生えていない皮膚には切り傷や擦り傷があり、まだ血が流れたままの所もある。僕は慌てて立ち上がり、レオンハルトに走り寄った。近くで見るともっとひどい。全身傷だらけだ。
「ど、どうしたんだよお前! 怪我してるし、それは返り血か? 散歩に行ったんじゃなかったのかよ」
痛いだろうにレオンハルトは平然とした顔で、脇に抱えていた羊皮紙で出来た書類を僕に差し出して、驚くことを言った。
「それ、お前の奴隷契約書。散歩ついでに『深海』へ立ち寄って貰ってきた」
「え、え? は、はぁ!?」
クリップで留められた羊皮紙には、今まで飽きるほど見てきた模様が描かれていた。それは僕の胸に刻まれた魔法陣と全く同じもの。
「【解除】」
レオンハルトが詠唱をした途端、僕の胸が一瞬熱くなって、身体に刻まれた魔法陣と、羊皮紙に描かれた魔法陣が浮かび上がって重なった。そしてパリンという音と共に二つの魔法陣が粉々に割れて消えていった。
「よぉっし、綺麗になった! さてと、お前の身柄は俺が預かることになったからな。もうお前は暗殺者でもなけりゃ犯罪者でもねぇ。んじゃ行くか!」
呆然としている僕にレオンハルトは手を差し出した。
「いや待って!! 何が何だか……。えっ、ええ? だってギルドの場所とか、この契約書とか……。えっと、そもそも『深海』ってどうなったの?」
この時以上に動揺したことは後にも先にもなかった。口調がしどろもどろになり、頭の中にたくさんのクエスチョンマークが飛び交った。
僕の質問に対してレオンハルトはこともなげに答えた。
「ん? ああ、酒場で俺に薬を盛ったヤツを優し~く問い詰めたら別の拠点を教えてくれてな。そこ行ったら前のギルド長がいてさ、一発殴っただけでそいつがペラペラと色々教えてくれたぜ。で、散歩がてら本拠地に乗り込んで、お前の奴隷契約書を貰ってきたんだ。向こうさんは泣きながら喜んでそれを差し出してくれたぜ」
つまりレオンハルトは暗殺者ギルドの場所を力尽くで聞き出し、一人でギルドに乗り込んで暗殺者集団と渡り合い、僕の奴隷契約書を出させたということか。
数ヶ月後、ライムライトの冒険者ギルドで、レオンハルトから『深海』がその後どうなったのかを聞いて、自分の推論が間違っていなかったことを知った。
あの日、レオンハルトはたった一人で『深海』に乗り込んだ。そこでギルドにいた首領含む全員と戦闘になり、全員を打ち倒してから知り合いの第三騎士団を呼んで捕縛。
その後の暗殺者たちへの尋問で、その場にいなかった暗殺者たちの素性も判明し、追手がかかって捕縛されることとなった。それでも未だ逃亡している暗殺者もいる。その中には僕の師匠も含まれていた。あの人はおそらく捕まらないだろう。
捕縛された暗殺者たちの方は、処刑判決を受けた幹部を除いて国営の暗殺者ギルド『天空』に接収されたため、『深海』は今はもうない。年端もいかない子供の暗殺者たちは、奴隷印を解除したのち、レオンハルトが懇意にしている辺境の孤児院へと移された。
そして成人するまで僕の身柄はレオンハルトが引き受けることになった。魔王討伐の褒章の一つ、レオンハルトの希望を出来うる限り叶えるという王様との盟約を使った結果だ。僕がまた犯罪に手を染めるようなことがあれば、レオンハルトにも罰が下されることになる。
「ということで肉食いに行こうぜ、肉!!」
ひょいっと抱き上げられた僕はレオンハルトに部屋から連れ出されることになった。
レオンハルトはバタバタと暴れる僕をものともせず、お姫様抱っこで食事処まで運んだ。僕は恥ずかしくてしばらく顔を上げることが出来なかった。
…………………………
【おまけの補遺】
(side.『踊り子』レイア 踊り子は美しく、艶めかしくバフをかける)
はぁい♪
あたしの名前はレイアよ。踊り子でバッファーをしているの。よろしくね。
踊り子の職業について、あたしが今からベッドの上で優しく教えてあ・げ・る。
バッファーって知ってる? バフ、デバフって言った方が分かりやすいかしら。まず「バフ」って言うのはね、攻撃力や防御力なんかの効果を高めること。そのバフを自分以外の相手にかけられる人のことを「バッファー」って呼ぶの。踊り子は優雅に美しく踊れば踊るほど、相手の能力を高めることが出来るわ。
あたしはベールをかぶって薄い衣を纏って、ふさふさな扇を持って踊るの。踊るたび足に嵌めたアンクレットがシャランシャランと音を立てて、自分で言うのもなんだけどとっても綺麗よ。娼婦みたいな格好って言われるけれど、身体の線を出してなまめかしく踊った方がバフが多くかかるの。
逆に「デバフ」というのは相手の能力を弱体化させることね。デバフをかければ相手の動きが悪くなるから、その隙に攻撃ができるわ。
え? ああ、ギルマス? あの人は竜人だから、鱗に魔力を弾く効果、え~っと魔力抵抗力が高くてバフもデバフもかからないの。まあバフをかけなくてもあの人は強いからあたしは必要とされないわよね。ギルマスだけじゃなくて、あまりにもバッファーとの力の差が大き過ぎる相手だと、バフはかかりづらいの。だからケイくんもヴィクター様もギルマスと同様にほとんどバフはかからないのよ。
……あらあなた、おはよう。ようやく起きたのね。昨日の夜はなかなか良かったわ。次も勃起状態が長く続くように下半身の持続時間強化と早漏対策として耐性UPしてあげるからまた閨に呼んでね。待ってるわ♪
…………………………
レオンハルトは僕に噛まれた手の指を舌でべろりと舐め目を細めた。
「んんーーっ、やっぱ甘ぇなこりゃ」
まるで美味しいものを食べた時のような蕩けた顔をしたレオンハルトに、恐怖を一瞬忘れて目を奪われた。と、同時に僕の身体はレオンハルトに包まれていた。よく鍛えられた胸筋が目の前にある。
「やめっ……! 離せっ!」
「あ~~いい匂い。美味そう。今すぐ犯して貪り食いてぇ……。でもまだガキかァ……」
何か不穏なセリフが聞こえてきたような気がする。ぎゅうぎゅうとしがみついてくるレオンハルトから、震える身体でなんとか逃げようともがいたが、さすが竜人、びくともしない。
くんくん、すんすん、と犬のようにあちこちの匂いを嗅ぐ。何がそんなに気になるのかは知らないが、特に耳の後ろ、うなじと呼ばれる部分を執拗に嗅がれた。
「ひっ!」
べろん、とレオンハルトが不意に僕のうなじを舐めた。身体の中を稲妻のような何かが走ったような感覚がして身体に力が入らなくなる。その場に崩れ落ちそうになる僕の背中をレオンハルトが抱きとめる。
「……まさかなぁ、こんなガキが俺のつがいだとは……」
ぐいっと引き寄せられ、温かいものが唇に触れた。
「あっ…うン……」
腰を抱かれ、後頭部を押さえられて顔を避けることは許されなかった。
ぬるり、と分厚い舌が入ってくる。その舌は奥歯が抜けたばかりの孔を宥めるように優しく撫ぜた。口の中に感じていた錆びのような味が完全に消えたあと、再び動き出した舌が頬の裏を舐め、歯列をなぞり、僕の舌を引き摺り出し絡め取った。それは捕食者によるキスだった。抱き留められたままの腰が疼き、頭の芯が痺れて僕は一切の抵抗を止めた。
すでに奥歯の痛みも身体の震えも治まっている。どうやらキスの最中に回復魔法をかけられたようだ。
僕はただなす術もなく、瞼を閉じて甘い痺れの海の中を揺蕩った。
「……ぷはっ、ん……」
唇を離すと二人の間に銀の糸が繋がって、そして落ちた。お互い無言のまましばらく二人で見つめ合った。レオンハルトの紅い瞳に顔を紅潮させた自分のしどけない姿が映っている。それを見て途端に冷静になった。羞恥で顔が赤らむ。僕は生死の境目に暗殺対象者と何をやっているんだ。何だこの自分の蕩けきったみっともない顔は!
ベルトのバックルに仕込んだ小柄をさっと取り出し、レオンハルトの腕に斬りつけた。暗殺者は冷静であることを求められるのに、この時の僕は完全に頭に血が上っていた。固いうろこに阻まれて刃が届かない。すぐに手首を掴まれ、すごい力で捻り上げられる。
「おいおい、おいたすんなよな。ま、そんなやんちゃなとこも可愛いけどなあ」
子供に言い聞かせるような優しい口調だったが、掴む手の圧はどんどん増していく。ぎりぎりと音が鳴るくらい強く掴まれ、ぽとりと小柄を取り落とした。レオンハルトは僕の手首を掴んだまま床に引き倒し、仰向けの僕の脚の上に馬乗りになった。
「おまえ、どんだけ得物仕込んでやがるんだ」
手が襟ぐりに伸び、フード付きのローブを剥ぎ取られた。ぽろぽろと仕込み刀やナイフ、クナイ、小さな針など、隠し持っていた暗器が床に落ちて散らばる。ローブの下に着ていたシャツに手をかけられた瞬間、僕はシャツが脱げないように慌てて前を掻き合わせた。
この服の下、胸元に奴隷印が魔法で刻まれている。なぜかこれを見られたくないと思った。暗殺者ギルドではメンバーが裏切らないように、幹部以外は全員暗殺者ギルドと奴隷契約をしている。僕も例外ではなく、隣国の孤児院から暗殺者ギルドに売られた時に付けられた。
ちらりと見えたそれに、レオンハルトは眼を眇めて舌打ちした。
「ちっ、アイツら俺のものに何をしてくれるんだ……」
「………え?」
呟くような小声だったので、僕にはレオンハルトが何と言ったのか聞きとれなかった。
シャツを脱がせるのは諦めたようだけど、服の上から上半身を弄る手は止める気がないようだ。時折りソフトタッチで敏感な部分を触れてくる、その手つきがものすごくいやらしい。
……というか、なんか硬いものが僕の脚に当たってるんだけど!
ガキに欲情するのかこの変態は!!
「よ~~おっし、次は下だな!」
「おいっ、ちょっと待………ッ」
「ぶへっ!!」
円を描くように腹を撫で回していた手がズボンの中に侵入してきそうになり、ついレオンハルトの頬を拳で殴った。僕の拳を止めようと思えば簡単に止められたはずなのに、避けることはなく拳を受けた。少しは自身の行いを反省する気があったのだろうか。
「ご、ごめん! あ、あとは靴に仕込んでるだけで、もう武器は隠してないからっ!」
「なぁんだ、残念」
素直に残りの得物の在処を話すと、レオンハルトは僕の上からようやく退き、年寄りのように「よっこらしょ」と言いながら立ち上がって背筋を伸ばした。
武装解除され、毒も奪われた僕にはもうこれ以上、何もできることはなかった。身体を起こして膝を抱えるように座り、顔だけを上げて周りを見渡した。
そういえばここはどこだろう。
戦いの最中は周りの景色を気にする余裕もなかったけれど、こうして落ち着いて見てみると、この部屋の異常性がよく分かる。
空っぽの箱の中ーー。
一言で言えばそんな感じの空間だった。
確か僕は家の中に引き摺り込まれたはずだ。けれどこの場所は明らかに屋内と違う。白くて高い壁が四方を囲み、天井を乗せただけの、空っぽの箱の中。家具や柱など何もなく、僕が入って来たと思しい木の扉が、壁にぽつんと一つだけ付いている。明かりはないはずなのに、壁が発光しているのか仄かに明るい。あちこちに戦闘の爪痕が残ってはいるが、無機質で殺風景な部屋だった。
「ここは……?」
僕の呟きにレオンハルトがすぐに答えを教えてくれた。
「ああ、ここ? ここは異空間だよ。アイテムボックスって分かるよな? その中みたいなもんさ。入ってきたあの扉を見てみろ」
木の扉を見ると、ちょうど真ん中のあたりに大きな魔法陣が浮かび上がっている。
「壁でも扉でも、何なら自然物でも、あの魔法陣を使えばそん中が異空間へと繋がる仕組みになってるんだ。無属性の空間魔術師が考案したやつでな、すげぇだろ! ちょーっと変わったところがある奴だが、今度紹介してやるよ」
ぷくくと思い出し笑いしながら言われたが、僕に今度なんてものはあるんだろうか? 自死できなかった暗殺者は捕らえられ、持っている情報全てをありとあらゆる手段で吐き出させてから処刑される。痛みにはある程度慣らされてきたし、死ぬのも怖くない……はずだったのに、今は死ぬのが怖いと感じはじめていた。それはレオンハルトが僕に『恐怖』という感情を植え付けたからだ。
恐怖、屈辱、羞恥、恋情……。
さまざまな感情を、出会ってたった数時間でレオンハルトは僕に教えた。
「さぁてと、おまえ、所属は『深海』だろ。この前ハニトラしてきた暗殺者ギルドは二度と俺に手が出せないように躾けといたからなあ」
「え、なんで僕が『深海』だって………」
レオンハルトが言ったように、僕の所属は『深海』だ。王都にある暗殺者ギルドは、『地下』『大地』『深海』『天空』『宙』の全部で五つある。そのうち『天空』と『宙』の二つは王国が管理しており、王国の依頼を受けた騎士団の仲介で、主に盗賊や犯罪者など罪を犯した者を狩る。
そして僕の所属する『深海』、それに『地下』『大地』の三つは、依頼人が誰でも、暗殺する相手が誰であっても、金さえ積めば無差別に暗殺する。王国が管理する暗殺者ギルドが国営なら、こっちは民営だ。
「お前みてぇなすげぇ暗殺技術を持ったヤツなんて『地下』にはいねぇだろ」
レオンハルトは確信を持って僕の所属が『深海』だと言い当てた。
やり方はどうであれ、暗殺者をきちんと養成する『深海』とは違い、暗殺技術をほとんど持たず、暗殺者というよりは盗賊の集まりような、数を頼みにした人殺しの集団が『地下』だ。
「ーーってことで俺はちょいっとそこらを散歩してくるわ」
「はいっ!?」
え、散歩? 今?
手をふりふりと振りながらレオンハルトは部屋を出て行った。僕はその様子をただ見送った。
「ーーはっ!? 今ならここから逃げられるんじゃ……」
慌てて起き上がり、唯一の出入り口である扉に手をかけたーーが、押しても引いても蹴っても叩いても、何をしても扉はぴったりと閉じられたままだった。扉に浮かび上がっていた魔法陣もすでに消えている。
「しまった。逃げる機会を逃した……」
それにしても、散歩って何だろう。レオンハルトの考えが僕にはよく分からない。僕は改めて箱の部屋の中をあちこち見て回った。壁と天上と床に隙間は全くない。まさしく蟻の這い出る隙間もない、ってやつだ。
「凄いなあ、ここ。一体誰が作ったんだろう。気になるな……」
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「…………でもその前に、」
きゅう、とかわいらしく腹が鳴った。隙間も、音すらない空間だからか、いやに腹の音が響いた。
「……おなか、空いたなぁ。これからどうなるんだろう僕」
魔力を大量に使うと腹が減る。レオンハルトは散歩と言っていたし、すぐに戻って来るだろう。でないと困る。
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どれくらい時間が経ったのだろう。空気の流れが変わったのを肌で感じ、僕は目を開けた。
目の前の扉に魔法陣が再び大きく浮かび上がっている。レオンハルトが帰ってきたのだろう。ずいぶんと時間がかかった。散歩だなんて嘘だろう。カチリと歯車が噛み合うような音がしたかと思うと、勢いよく扉が開かれた。
「よっ、お待たせ」
出て行った時のように手を振りながらレオンハルトが戻ってきた。服があちこち破れ、どす黒く汚れている。剥き出しになっている鱗の生えていない皮膚には切り傷や擦り傷があり、まだ血が流れたままの所もある。僕は慌てて立ち上がり、レオンハルトに走り寄った。近くで見るともっとひどい。全身傷だらけだ。
「ど、どうしたんだよお前! 怪我してるし、それは返り血か? 散歩に行ったんじゃなかったのかよ」
痛いだろうにレオンハルトは平然とした顔で、脇に抱えていた羊皮紙で出来た書類を僕に差し出して、驚くことを言った。
「それ、お前の奴隷契約書。散歩ついでに『深海』へ立ち寄って貰ってきた」
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呆然としている僕にレオンハルトは手を差し出した。
「いや待って!! 何が何だか……。えっ、ええ? だってギルドの場所とか、この契約書とか……。えっと、そもそも『深海』ってどうなったの?」
この時以上に動揺したことは後にも先にもなかった。口調がしどろもどろになり、頭の中にたくさんのクエスチョンマークが飛び交った。
僕の質問に対してレオンハルトはこともなげに答えた。
「ん? ああ、酒場で俺に薬を盛ったヤツを優し~く問い詰めたら別の拠点を教えてくれてな。そこ行ったら前のギルド長がいてさ、一発殴っただけでそいつがペラペラと色々教えてくれたぜ。で、散歩がてら本拠地に乗り込んで、お前の奴隷契約書を貰ってきたんだ。向こうさんは泣きながら喜んでそれを差し出してくれたぜ」
つまりレオンハルトは暗殺者ギルドの場所を力尽くで聞き出し、一人でギルドに乗り込んで暗殺者集団と渡り合い、僕の奴隷契約書を出させたということか。
数ヶ月後、ライムライトの冒険者ギルドで、レオンハルトから『深海』がその後どうなったのかを聞いて、自分の推論が間違っていなかったことを知った。
あの日、レオンハルトはたった一人で『深海』に乗り込んだ。そこでギルドにいた首領含む全員と戦闘になり、全員を打ち倒してから知り合いの第三騎士団を呼んで捕縛。
その後の暗殺者たちへの尋問で、その場にいなかった暗殺者たちの素性も判明し、追手がかかって捕縛されることとなった。それでも未だ逃亡している暗殺者もいる。その中には僕の師匠も含まれていた。あの人はおそらく捕まらないだろう。
捕縛された暗殺者たちの方は、処刑判決を受けた幹部を除いて国営の暗殺者ギルド『天空』に接収されたため、『深海』は今はもうない。年端もいかない子供の暗殺者たちは、奴隷印を解除したのち、レオンハルトが懇意にしている辺境の孤児院へと移された。
そして成人するまで僕の身柄はレオンハルトが引き受けることになった。魔王討伐の褒章の一つ、レオンハルトの希望を出来うる限り叶えるという王様との盟約を使った結果だ。僕がまた犯罪に手を染めるようなことがあれば、レオンハルトにも罰が下されることになる。
「ということで肉食いに行こうぜ、肉!!」
ひょいっと抱き上げられた僕はレオンハルトに部屋から連れ出されることになった。
レオンハルトはバタバタと暴れる僕をものともせず、お姫様抱っこで食事処まで運んだ。僕は恥ずかしくてしばらく顔を上げることが出来なかった。
…………………………
【おまけの補遺】
(side.『踊り子』レイア 踊り子は美しく、艶めかしくバフをかける)
はぁい♪
あたしの名前はレイアよ。踊り子でバッファーをしているの。よろしくね。
踊り子の職業について、あたしが今からベッドの上で優しく教えてあ・げ・る。
バッファーって知ってる? バフ、デバフって言った方が分かりやすいかしら。まず「バフ」って言うのはね、攻撃力や防御力なんかの効果を高めること。そのバフを自分以外の相手にかけられる人のことを「バッファー」って呼ぶの。踊り子は優雅に美しく踊れば踊るほど、相手の能力を高めることが出来るわ。
あたしはベールをかぶって薄い衣を纏って、ふさふさな扇を持って踊るの。踊るたび足に嵌めたアンクレットがシャランシャランと音を立てて、自分で言うのもなんだけどとっても綺麗よ。娼婦みたいな格好って言われるけれど、身体の線を出してなまめかしく踊った方がバフが多くかかるの。
逆に「デバフ」というのは相手の能力を弱体化させることね。デバフをかければ相手の動きが悪くなるから、その隙に攻撃ができるわ。
え? ああ、ギルマス? あの人は竜人だから、鱗に魔力を弾く効果、え~っと魔力抵抗力が高くてバフもデバフもかからないの。まあバフをかけなくてもあの人は強いからあたしは必要とされないわよね。ギルマスだけじゃなくて、あまりにもバッファーとの力の差が大き過ぎる相手だと、バフはかかりづらいの。だからケイくんもヴィクター様もギルマスと同様にほとんどバフはかからないのよ。
……あらあなた、おはよう。ようやく起きたのね。昨日の夜はなかなか良かったわ。次も勃起状態が長く続くように下半身の持続時間強化と早漏対策として耐性UPしてあげるからまた閨に呼んでね。待ってるわ♪
…………………………
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毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
婚約破棄を提案したら優しかった婚約者に手篭めにされました
多崎リクト
BL
ケイは物心着く前からユキと婚約していたが、優しくて綺麗で人気者のユキと平凡な自分では釣り合わないのではないかとずっと考えていた。
ついに婚約破棄を申し出たところ、ユキに手篭めにされてしまう。
ケイはまだ、ユキがどれだけ自分に執着しているのか知らなかった。
攻め
ユキ(23)
会社員。綺麗で性格も良くて完璧だと崇められていた人。ファンクラブも存在するらしい。
受け
ケイ(18)
高校生。平凡でユキと自分は釣り合わないとずっと気にしていた。ユキのことが大好き。
pixiv、ムーンライトノベルズにも掲載中
竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて幸せすぎっ!【完結】
ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。
魔王の息子を育てることになった俺の話
お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。
「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」
現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません?
魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL
BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。
BL大賞エントリー中です。
中年冒険者、年下美青年騎士に番認定されたことで全てを告白するはめになったこと
mayo
BL
王宮騎士(24)×Cランク冒険者(36)
低ランク冒険者であるカイは18年前この世界にやって来た異邦人だ。
諸々あって、現在は雑用専門冒険者として貧乏ながら穏やかな生活を送っている。
冒険者ランクがDからCにあがり、隣国の公女様が街にやってきた日、突然現れた美青年騎士に声をかけられて、攫われた。
その後、カイを〝番〟だと主張する美青年騎士のせいで今まで何をしていたのかを文官の前で語ることを強要される。
語らなければ罪に問われると言われ、カイは渋々語ることにしたのだった、生まれてから36年間の出来事を。
給餌行為が求愛行動だってなんで誰も教えてくれなかったんだ!
永川さき
BL
魔術教師で平民のマテウス・アージェルは、元教え子で現同僚のアイザック・ウェルズリー子爵と毎日食堂で昼食をともにしている。
ただ、その食事風景は特殊なもので……。
元教え子のスパダリ魔術教師×未亡人で成人した子持ちのおっさん魔術教師
まー様企画の「おっさん受けBL企画」参加作品です。
他サイトにも掲載しています。
前世が教師だった少年は辺境で愛される
結衣可
BL
雪深い帝国北端の地で、傷つき行き倒れていた少年ミカを拾ったのは、寡黙な辺境伯ダリウスだった。妻を亡くし、幼い息子リアムと静かに暮らしていた彼は、ミカの知識と優しさに驚きつつも、次第にその穏やかな笑顔に心を癒されていく。
ミカは実は異世界からの転生者。前世の記憶を抱え、この世界でどう生きるべきか迷っていたが、リアムの教育係として過ごすうちに、“誰かに必要とされる”温もりを思い出していく。
雪の館で共に過ごす日々は、やがてお互いにとってかけがえのない時間となり、新しい日々へと続いていく――。
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