上 下
1 / 27

【1】エルじぃは900歳 その1

しおりを挟む


   

「湖のアルマティよ、あなたは美しい。初めて見たときよりあなたは俺の心をとらえてはなさなかった」

 建国五百年の歴史を誇るレジタニア王国の白亜の王城。
 二階の王の居室から続くバルコニーには、長身の影が二つ。エルフの正装である白の長衣に、特徴ある長い耳に腰までの髪が縁取るのは卵型の小さな顔。エルフの姫であった母からの伝来の銀水晶の額飾りサークレットの輝きに負けず、その下の白い面も精巧な芸術品のように美しかった。
 サークレットのはまる広すぎることも狭すぎることもない形の良いひたい。細い眉はいささか神経質に跳ね上がり気味であるが、それが彼の涼やかな美貌をいっそう際立たせていた。通った鼻梁に、その下のほの赤い唇。厚みのない下唇が酷薄そうにみえるが、それがまたやはり背筋が凍るほどの美を際立たせている。
 ハーフエルフである本人、湖のアルマティからすれば、己の容姿を称賛する言葉など生まれてから数百年聞き飽きたが。
 湖の……と二つ名で呼ばれるようになったのは、切れ長、長すぎるほど長いまつげに縁取られた、二つのアクアマリンの瞳ゆえだ。その他にも、白鳥の……だの、ヒヤシンスの……いわれかけたが、それは絶対零度の視線で黙らせた。それでもなお口にしようとする愚か者は、得物である銀の矢をその頭髪のてっぺんを削るすれすれに射かけることで、よく動く無駄口を凍らせてきた。
 すれすれどころか髪の毛を削られて、そこから毛が二度と生えてこずに、一生、カツラが必要になった? そんなものは知るか! 一見姫君のようにたおやか。外見だけでか弱いと馬鹿にして、自分の尻を汚い手で触ろうとした報いである。

「あなたの瞳に輝く二つの湖水の宝石。いや、それは宝石などではない。氷のように冷ややかな眼差しのクセをして、そのうちにはあの北の果てのバルドスの火山のように燃えさかる熱き心を秘めている、その魂があればこそだ」

 目の前で吟遊詩人のように流麗な言の葉を並べ立ててかき口説く美丈夫を、アルマティは文字通り“冷ややか”に眺めた。
 紅玉を溶かしたような赤い髪。金色の瞳は戦闘時の高揚には、遥か昔の竜の血を引くことを現すように瞳孔が縦長になる。太い眉に、彫り深い顔立ち、なめし革のような金色に日焼けした肌。
 四十の男盛りなのになぜか未だ独身。この男がたとえ王でなくとも、王国中の純潔の乙女どころか、人妻さえもその足下に裸となって身を投げ出して愛を懇願するだろう男。
 レジタニア王国、国王ウーサー・ラ・グランゼ。長身に広い肩幅に厚い胸板、引き締まった腰にそこから続く長い足。白貂アーミンの白いに黒い斑点がある毛皮の緋色のマント姿も威風堂々としている。頭に王冠はないが、その燃える様な赤毛こそ、彼の王冠だとこの“英雄王”を臣下も民も讃える。彼の獅子のたてがみのような髪が風になびく、それだけでその背に続く兵士達は先を行く獅子と同じ勇気ライオンハートを持てると。
 その王が“古き盟友”たるエルフの、雪のように白い繊手を両手で至宝のごとく捧げ持ち、その身にあふれてやまない愛をささやく。
 王の私室より漏れる光に照らし出された、白いバルコニーで寄り添う二人の姿は、下に流れる夜の川面にも写し出されて一つの絵のよう。

「あなたの美しい白銀の髪は、どんな奥深い高山の新雪の清らかさにも、月光の輝きにも敵わない」
「……昔は金色だった。これは白髪だ」
「初代始祖王アーサーの盟友であった頃のあなたの髪は、たしかに戦記の絵にあるとおり暁の黄金の輝きだった。その頃のあなたも見たかったが、いまの俺の目の前にいる気高き白銀のあなたこそが、俺にとっての愛しい貴方だ」
「…………」

 目の前にいるのは白髪のジジイだぞと告げてやったのに、男は一瞬もよどむことなくまたもや詩的な口説き文句を並べ立てた。
 ほんとうにこいつは吟遊詩人にでもなったほうがいいんじゃなかろうか? ……にしても並べる言葉はいささか陳腐すぎて、王宮お抱えの詩人にはなれないだろう。所詮は地方を回る三流詩人で街角に立って騎士物語に憬れる子供達や婦人達をよろばせる程度か。
 まあ、たしかに十歳の彼に初めて出会ったときも、さかんに初代アーサー王の英雄譚を彼は聞きたがった。
 当初の二人きりの放浪時代には、一弦の竪琴にもなる弓のつるを静かにはじいて、古の王と騎士達の歌を子守歌代わりに聞かせてやったものだが。
 しかし、今はその彼こそが“英雄王”だ。
 父王と母王妃を闇の魔道士に殺され国を乗っ取られ自身も、流浪の王子となった、アルマティとの長い放浪と成人してのちの挙兵と戦いの末に国を取りもどし王となり、再びその栄光に国を輝かせた。

「お前はよく知っているだろうが私は九百歳だ。ハーフエルフの寿命は千歳と言われているから、定命じょうみょうをまっとうしたならば、あと百年は生きるだろうが……」
「ああ、それだけが心残りだ。俺は竜族の先祖返りであるが、その血は遥かに遠く、寿命は只人と同じく長く生きて百年。四十の今ならば、あと六十年だ。そのあと、あなたを四十年も一人“未亡人”として残していくことを思うと……」
「誰が“未亡人”だ!」

 男の熱い手で握りしめられていないもう片方で、高い鼻をピンと指ではじいてやる。「いてっ!」とウーサーは叫び手を離した。

「私はエルフだが男で九百歳の爺だ! ウーサー!」
「そんなことはわかっている。“十五年前”もあなたに言われたからな。

 そのときあなたは俺に言ったではないか! その気持ちが十年変わらなければ考えてやると! 五年前にも俺はあなたに愛を告白した。
 そのときあなたは答えた。

『五年待て』

 と……。
 俺は五年待った! これ以上待てないぞ!」

「なら答えは簡単だ。あきらめろウーサー。なにもこんな爺さんに求愛しなくとも、英雄王たるお前の前には、清らかな乙女も妙齢の美女も選び放題で列をなしている」
「いやだ、俺はあなたがいい! あなたがはっきりと俺を嫌っているならともかく!」
「大っ嫌いだ、ウーサー! これでいいか?」

 きっぱりいってやったが「よくない!」とウーサーが返す。

「それで、俺があなたをあきらめると思うのか?」
「なぜだ? はっきり答えてやっただろうが!」
「“はっきり”わかる様な嘘をつかれて、俺が『はいそうですか』とひきさがると? あなたと俺は何年の付き合いだと思っている」
「…………」

 千年の寿命のハーフエルフからすれば“たった”三十年のつきあいだが? とはいえなかった。
 これと出会ったのはこれが国を追われた十歳の時。古き盟友たる始祖王アーサーの言葉に従い、アルマティは初めて人間の子供を保護し。
 そして“育てた”。
 たしかに百年の寿命の人間にとっては長い付き合いだろう。それも子供の頃からだ。二人できりでいた期間も、これが十歳で国を追われ、十五で挙兵するときまで……アルマティにとっては瞬き一つほどの時間だが、人の子にとっては十分だろう。
 始祖王の盟友である憧れのハーフエルフ。それへの敬慕を“恋情”と誤解するほどに。

「あのな……諦めろ、ウーサー。王であるお前が愛をささやくべきは、エルフの爺さんではなく、国母に相応しい貴婦人……」
「俺はもう王ではない。先の宴にて退位を宣言した! 世継ぎの問題はもうない! あなたへの愛のみに生きる!」
「お前なあ! そんな馬鹿な目的であんな唐突な退位宣言をしたのか!」

 アルマティは痛む頭を抱えた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 時はいささかさかのぼる。
 レジタニア王国の王城、その大広間にて建国五百年と王国復興二十年の祝いが開かれていた。
 その中心にいるのはもちろん、ウーサーだ。
 王国復興二十年とあるように。この国は一度亡国の憂き目にあった。始祖王アーサーが倒した魔王の配下の闇の魔道士。それが長い潜伏の末にいつのまにか王宮に潜り込んでいた。陰謀を巡らせた末に、当時の王と王妃を惨殺し国を乗っ取ったのだ。
 そして、幼いウーサーは独り王宮を脱出し、始祖王アーサーとの古の盟約によって彼を助けに現れたアルマティに拾われて長き放浪をしながら育てられた。
 十五で成人したのち諸侯をまとめ、魔物軍との戦いの末、国を取りもどし英雄王と呼ばれるようになったウーサー・ラ・グランゼ。
 燃える様な赤毛に金色の瞳の美丈夫の王が姿を現すと、それだけで彼の周りに花開くように廷臣達や外国の使節が集まり、口々に祝いの言葉をのべる。
 そんな彼の姿をアルマティはすこし離れた場所から眺めていた。彼と出会ったときは十歳のきかん気のやんちゃ坊主だった。それがよくもまあ、立派に育ったものだと。
 ウーサーはいまや四十の男盛り。長身に見事な体躯の苦み走った美丈夫だ。その性格は陽気にして快活、ときに自らも冗談で人々を笑わせる気さくな王は、国を取りもどした英雄王というだけでなく男女問わず廷臣達や民にも慕われている。
 まあ、それだけでなく今宵は、その周りには華やかに着飾った若い婦人達が多いのだが。この国の姫君達だけでなく、諸外国の王女達まで祝いにかこつけて着飾りやってきた。
 齢四十の王はいまだ独身。華やかな恋の噂はたびたびあれど、いまだ彼は正妃を娶っていない。
 英雄王の王妃という名誉、国同士の繋がりという利益以上に、ただこの美丈夫に恋い焦がれる貴婦人は多いだろう。
 なにより廷臣達のお世継ぎをもうけて、次代の安定をという声は、彼が二十歳で即位したときからあり、それは年々強くなっている。




しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

もふもふ好きのお姫様

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:156

ある公爵令嬢の生涯

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:5,964pt お気に入り:16,126

悪役令嬢になったようなので、婚約者の為に身を引きます!!!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,192pt お気に入り:3,277

【Stay with me】 -弟と恋愛なんて、無理なのに-

BL / 完結 24h.ポイント:85pt お気に入り:627

もしかして俺の主人は悪役令息?

BL / 連載中 24h.ポイント:902pt お気に入り:41

処理中です...