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【9】繰り返し何度でも恋をする その1
しおりを挟む二人、目を開いたのは同時。
「兄上!」
「アルマティ!」
こちらを覗きこむ、ガレスとシフの姿があった。アルマティが身を起こすと、ぐいと腕をひかれた。夢の中では鎧に覆われていたが、今は絹のシャツのみに覆われた厚い胸板にぶつかる。
肩を痛いほど捕まれて向き合う。金色の瞳がまっすぐこちらを見ていた。その表情は無く、彼が怒っているのか悲しんでいるのかわからない。
たぶん怒っているのだろうが。
「すべて思い出した」
「そうか」
ウーサーの言葉にアルマティはうなずき、そして覚悟を決める。
夢魔の夢からウーサヘを救い出せば、彼はすべてを思い出す。
忘れ薬によって、二度もアルマティへの恋心をその本人から奪われたことを。
「出て行ってくれ」
ガレス達に向かいウーサーが言う。夢魔から無事に救い出された兄と会話をしたいのに、なぜ? という顔をガレスがするが「わかった」とシフが答えて、夫を引っぱっていく。
戸口まで夫を押していくシフが振り返り訊ねる。
「どれぐらいだ?」
「一晩……いや一日ぐらいはみてくれ。本当は三日ぐらい欲しいが」
「わかった、そのあいだ部屋には誰も近寄らせない」
「ありがとう」
シフがガレスをそのまま引きずるように出て行く。ガレスが「私は兄上と話が……」と言いかけたが、シフが「騾馬にけられたいのか! この気の利かない男が!」と背中を本当に蹴って、ぱたんと扉が閉じられた。
「許さない……」
「許さなくていい」
告げられたウーサーの冷たい声に、アルマティはうつむき顔をあげられずにいた。
きっといつも自分を見ていた金色の瞳から、熱は失われて、あるのは侮蔑と怒りがこもった冷ややかなものだろう。
愚かなものだ……と自分でも思う。忘れ薬を二度も飲ませて、ウーサーの自分への恋心を断たせようとした。
妻を持ち、家庭を持ち、子供を持つ。
人並みの幸せが彼のためだ……なんて大義名分を振りかざしておいて。
己のしたことが発覚して、彼に嫌われることをこんなにも怖いと思う。
「どうしてこんなことをした?」
「私は畏れたのだ……」
ウーサー嫌われることがこんなに怖い。それと同時にアルマティのなかに常にあった恐怖。
「千年生きる長命種なのに、お前に取り残されるたった四十年の孤独が怖かった」
幾人も見送ってきた。盟友たるアーサーの死も淡々と看取った。それなのに目の前のこの太陽が失われることがアルマティには何より怖かっのだ。
そのあとのたった四十年あまりの喪失の時間が……。
「無駄なことを」
アルマティの細い肩がぴくりと震える。その声にすべてを失うことを覚悟した。もう二度と会わないと自分で決意したクセに、彼らからその言葉を告げられることが何よりも恐ろしい。
不意にうつむく自分のあごに手がかかって、強引に上を向かされる。そして自分を見つめる黄金の瞳に、アルマティは湖水の瞳を見開く。
そこには抑えきれない怒りと同時に、あの熱があった。ひとつも冷めることもなく、いや増した炎のように燃えている。
「あんな薬ごときで俺があなたへの想いを忘れると? 本当に憎たらしいのに愛おしい」
「ウーサー?」
アルマティは疑問の声をあげる。自分への怒りはある。なのになぜお前はまだ……。
私に恋する瞳を向ける?
「あの雨の宿で一度目、あなたにあなたへの想いを奪われたとき」
「…………」
ウーサーの大きな手がアルマティの頬をそっと包みこむ。十歳の柔らかな子供の手は、やがて剣を握る硬い手となった。それでもこの熱いぬくもりは変わることはなかった。
「それでも目を覚まして、あなたを見た瞬間に“美しい”と思ったのだ。やはり、俺が見たなかで一番美しいものはあなただ。
そしてまた、あなたに恋をした」
「…………」
「二度目もそうだ」とウーサーは続ける。
「『ねぼすけ』と鼻を摘ままれて目を覚まして見たあなたはやはり美しかった」
「そして、またあなたに恋をした」とウーサーは笑う。その目尻のしわは少し深くなったが、その笑顔は少年の頃の純粋さのままで。
「お前は私をいつも美しい美しいというな。そんなにこのエルフの外見が好きか?」
「ひどいことをいう。あなたでなければならないのだ。アルマティ。その姿だけではない。その美しくも、俺に酷いことをしてくれてなお、愛おしい心もなければ」
「酷い事をして“美しい”のか? 矛盾しているぞ」
「結局、なにをしたって、俺はあなたに恋をするということだ。何度忘れようとも、繰り返しあなたに恋をする。
あなたを想う心は永遠に消えはしない。
愛してる、アルマティ。あなただけが、俺の星だ」
『愛してあげる』とあの夢魔が扮した偽物のウーサーは言った。
だが本物のウーサーはいつだって、アルマティにその愛のみをささやく。あなたは美しい。あなたが好ましい。大好きだ。愛してる。至上の星であると。
いくらアルマティがつれない態度をとろうとも、あげくその恋心の記憶を取り上げようとも、自分を愛し続ける男。
それは夢の中でも散々に思い知った。どうしてそこまで自分を愛してくれるのか……いまだわからないが。
失えない……いや、いつかは失われる。
この太陽は自分を残していく。
だが、このあとの黄昏の時がいくら長く暗くとも……。
「愛してる……」
このささやきをこの声を、この姿をぬくもりを忘れることはない。
ならば……もう怖くはなかった。
この熱が目の前から失われようとも“思い出”はアルマティのなかにあり続けるならば。
「私も愛してる」
初めて応えることが出来た。
愛してるといわれて。
愛していると。
「ああ、アルマティ。俺も愛してる。何度忘れようとも、恋するのはあなただけだ」
ウーサーが感極まったようにアルマティの細い身体を抱きしめる。顔中にその熱い唇を押し当てられて、アルマティはくすくすと笑う。
「まったくお前の執念深さには降参だ。何度忘れさせても、こんなエルフの爺に惚れるだなんて」
「もう忘れ薬は二度とゴメンだ」
「馬鹿につける薬がないぐらい無駄だとわかったから使わんさ」
「ひどいな」
会話の内容は少しも甘くないのに、ちゅっちゅっという口づけの音の合間に、くすくすと笑いあう。その響きはまるで睦言のように甘い。
そして、唇の重なる時間も徐々に長く。舌を絡ませあい、甘い唾液を交換しあって、こくりと呑みほして。
「アルマティ……」
「っ……あ……」
銀の糸をはなれた唇。ひたいにまなじりに唇がおしあてられて、こめかみに滑った唇は、終着点を見つけたとばかりに、エルフ特有の尖った耳の先を甘く噛む。
「馬鹿ぁ……耳は……弱い……」
「初めて聞いたな」
「言わなかった……んだ。口にすればお前が調子づいて、耳ばかり……ふぁ……よせっ!」
尖った先から、長い耳の輪郭をたどるように舌先でなぞられて、アルマティがしなやかに背をのけぞらせて、びくびくと震える。そのまま耳たぶをちゅっと吸われて。
「本当だ。アルマティ、すごく感じている。もう片方もしていい?」
「よ、よせ……んあっ! や! このっ……馬鹿っ……このっ!」
言葉通り、今度は右から左の耳へと、耳たびをはむりと噛んで、今度は遡るように舌先で舐めるのではなく、軽く小刻みに歯を立てられた。痛みを感じるか感じない程度に、犬歯が柔らかな耳の縁をかすめるたびに、びくびく身体がはねた。
最後に尖った耳の先をちゅうっと吸われて「きゃう!」なんて己でも信じられない声を出してしまった。千年生きた爺なのに、なぜ生まれ立ての仔犬みたいな声を出せねばならぬ。
「このアホッ!」
「イテッ!」
「おしまい」なんてニタリと笑う男のひたいをぺしりと叩いてやった。本気ではない。というより弱い耳をさんざんいじられて、力がはいらない。
「耳はダメだといっただろうが!」
「閨の“ダメ”は“イイ”って意味だろう?」
「なんだ、その勝手な解釈は?」
「こういう場合のアルマティの“イヤ”も“ダメ”も無視していいと、俺が決めた」
「本気で私が嫌がっていたらどうする!?」
「それはちゃんとわかる、アルマティのことだから」
「…………」
目の前でニヤリと笑う男にいえば、次には真剣な顔で見つめてそんなことをいう。
「ああ、耳だけでこんなになってる。本当に弱いんだな」
「あ、よ、よせ! うあっ! く、口でいきなり……するな……っ!」
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