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最終章 

最終話~6

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─ ジュリア

自分を呼びかける人の声が聞こえる。低くて張りのあるその声は、抑制が効いているのに、どことなく晴やかな─

ああ、そう。私はその声を知っている。いつも包み込むような愛情を向けてくれる人・・・

・・・ジョルジュ・・・

彼が自分に向って手をさしのべているのが見える。ジュリアはその手を取りたいのに、彼の元に駆け寄りたいのに、足がすくんでしまって彼との距離が一向に縮まらない。

ああ、彼の所に戻りたいのに。彼の手をとってそっと頬にあて、自分が彼をどれだけ愛しているのか、まだ言ってなかったような気がする。いつも彼から何かを与えてもらうばかりで・・・・

ジュリアは目をつぶったまま、大きく呼吸を繰り返した。意識が少しずつ覚醒していく・・・

そうして、凍えるような感覚が和らぎ、何か柔らかくて暖かいものに包まれているような気がした。まだ夢の中で彼がジュリアをじっと見つめていた。その顔をずっと見つめていたかったのに・・・

─ ぱちりと暖炉の炎がはぜた音が聞こえた。

「う・・・」

意識が戻った瞬間、最初に感じたのは酷い激痛だった。どこか負傷しているのに違いない。ジュリアは、酷い苦痛に顔を歪め、うっすらと目を開ければ、見たこともない部屋に自分がいることに気がついた。暖かな毛布にくるまれ、近くの暖炉には薪が景気よく燃えさかり、室内へと暖かな熱を運んでいた。

「やっとお目覚めかね?」

低い男の声が聞こえた。聞き覚えのないその声の主は、暖炉の近くの壁に肩を持たれ掛け、自分をじっと観察しているが、ジュリアには、その男には全く見覚えがない。

慌てて身を起こそうとしたジュリアだったが、その途端、全身に激痛が走った。

「くっ・・・」

肩だけでなく、足にも激痛が走り、全身の筋肉が痛む。

そうだ。エリゼル様をかばって、矢に射られ、崖から転落したのだと、すぐに思い出した。あの高さから転落したのだ。きっと、打撲の後がそこかしこにあるはずだ。

ジュリアがかつてないほどの痛みに顔を顰めていると、その男は片手に酒の入ったグラスをもてあそびながら、彼女に言った。

「肩には矢が刺さっていたし、足の骨は砕けている。崖から落ちて、よく助かったものだな」

気がつけば頭の後で一つに束ねていた髪は下ろされ、顔の周りでゆったりと流れているのが分かる。いい香りがするから、きっと、風呂にも入れられたのだろう。

「・・・まだ動くのは早い」

半身を起こしてただけなのに、それが酷く重労働のように思えて仕方が無い。ジュリアはさっさと無駄な努力を諦め、寝台の上に再び身を沈めた。痛みをこらえながら苦しい息の下から視線で相手の素性を問う。気づけば、見覚えのない寝間着を着せられているだけでなく、肩の傷は手当されていて、足には添え木と包帯が巻かれている。こんな丁寧な手当は決して捕虜が受ける待遇ではない。

─ ここはどこだ? そして、この男は何者なんだろう?

ここに一人でも騎士団の人間がいれば、安心出来るのだが。

「貴方はどなたなのですか?私には全く面識のない方のように見受けられますが・・・」

「自己紹介はまた後にしよう。それより君に聞きたい。これは一体何だね?」

単刀直入に切り出した男がジュリアの目の前にぶら下げたのは、あの指輪だった。婚約が確定した日、ジョルジュがそっと差し出してくれた大切な指輪だ。

「返して!」

ジュリアが自由が効かない手を伸ばしてそれをつかみ取ろうとすると、男はぱっとその指輪を取り上げて立ち上がってしまった。

「くくくっ、けが人の分際で、これが取り返せると思っているのか?」

あざ笑うような嘲笑をジュリアに向ける。

「それは・・・私の・・・」

大切な指輪なんです、と言おうとしたが、男に遮られた。男はジュリアの顎を掴み、全く躊躇することなしに、ぐいと上を向かせた。ジュリアはそれに抗えないまま、男と真正面から視線がぶつかった。男の薄いグレーとブルーの光彩が否応なく目に入る。

整った顔立ちだったが、どことなく冷たい感じでジュリアは好きになれなかった。

そんなジュリアに容赦なく、男は声を荒げた。

「言え。何故お前がガルバーニ家の紋章の入った指輪を持っている? もし、お前が公爵家の直系であれば、なぜ指につけず首元に隠すような真似をしているのだ?」

「それは・・・」

まさか本当のことを見知らぬ男に打ち明ける訳にも行くまい。何と言うべきかジュリアは躊躇した。今の状況を理解しようとして、室内へ視線を彷徨わせれば、壁に立てかけてあった剣の柄が目に入った瞬間、ジュリアは全てを悟った。

─ ここは敵国だ。

剣の柄に掘られた文様は、その国によって異なるのだ。自分は、今、味方や同盟国ではなく、敵地にいる。

それに気がついたことをジュリアには悟られないように、無表情を決め込んだ。部屋の中には、敵国を思わせるようなものは何一つない。巧妙にセッティングされた部屋は、おそらく自分を油断させ、情報を引き出すための仕掛けなのだろう。しかし、剣だけは簡単に交換できない。きっとこの男は負傷している女とは言え、敵の騎士と素手で差し向かいでは話したくなかったのだろう。この男の狡猾で慎重な性格が伺える。

ジュリアは素早く頭を回転させた。身なりや振る舞いから、この男はかなり身分が高い者だろうと察する。つまり、この男は敵国の貴族だ。こんな辺鄙な場所にいる限り、偶然でこの場所に来た訳ではあるまい。

と、なると、この男は名前こそわからないが、襲撃を指令した者か、それに準ずるものだ。

名前こそ知らないものの、相手の素性に確信を持った今、この男に話すべきことは何一つとしてない。頑と口を塞いだまま、いつまで経っても口を開かないジュリアに、男は痺れを切らせたようだ。嘲るような口調でジュリアに言った。

「どうした? 突然、口が聞けなくなったか?・・・まさかガルバーニ公爵から盗んだ訳でもあるまい?」

もし、自分がジョルジュの婚約者であると知ったら、この男は一体どうするつもりだろう? 言葉の端々から、彼がジョルジュを激しく憎んでいることが伺える。彼の婚約者を自分の手中に収めた知れば、この男は歓喜に震えるだろう。

「騎士ともあろうものが、盗みを働くとはな」

その男はジュリアに対して蔑んだ視線を向けたが、おそらく、これも誘導尋問なのに違いない。名誉を重んじる騎士が盗みを働いたなどと言われれば、決して我慢ならないはずだ。もしかしたら、その誤解を解こうと口が軽くなるかもしれない。公爵家から何か盗んだと疑いをかけられれば、平気でいられるものは稀有だ。

しかし、それは、自国内に限っての話だ。

「・・・どうした? 言いたいことがあるのか?」

小声で何かを呟くように言ったジュリアの声を聞き取ろうと、男が彼女に向って身をかがめた瞬間、ジュリアは折れていないほうの足で、男の鳩尾を強く蹴り上げた。

ガシャンと大きな音が鳴り響き、男は後ろ向きにテーブルにぶつかった後、床の上へと倒れ込んだ。その瞬間、ジュリアは素早く壁に立てかけてあった剣を抜き、素早い動きで男の首元へと剣をあてた。傷やあちこちが痛み、苦痛に顔を歪めてしまったが、形勢逆転とばかりに、男へと尋問した。

「静かにしろ。ここはどこだ?」

低い声で、男の首を後から片手で羽交い締めにして、負傷した手で、剣を握る。

「ふふふ・・・」

男の首を抱え、鋭い口調で問うジュリアに男は勝ち誇った笑みを浮かべた。

「・・・敵地に捕らえられたと悟ったか。女にしてはなかなか賢いな」

男は捕らえられていると言うのに、余裕の笑みを口元に浮かべた。その瞬間、扉口から多数の敵の騎士がなだれ込んで来た。男達は剣を抜いて、ジュリアを取り囲んだ。

「・・・そろそろ手を離してもらおうか。女騎士さん」

脅すような口調の男に、ジュリアはため息をつき、潔く開放した。騎士達がジュリアを強い力で掴み引きづりだそうとした時、その男は騎士達に鋭い声で命令した。

「待て。いざとなった時の切り札として、使えるかもしれん。この女はそのままにしておけ」

しかし、たとえ一瞬だったとしても、ジュリアに優勢になられた男の怒りは収まらなかったのだろう。突然、男はジュリアの折れている足をぐっと掴んだ。

「くっ・・・・」

痛みのあまり顔が歪む。その手を払いのけたいが、負傷した腕では大したことは出来そうにない。

苦痛に顔を歪ませたジュリアの足を掴んだまま、溜飲が下がった様子で男は小気味よさそうに眺めている。折れた骨の部分を掴まれているのだ。ジュリアは苦痛のあまり冷や汗が出て、抗えないまま、大きく喘ぎ、顔を顰めてじっと耐えた。

「・・・今後、私には一切抗うな」

男の声には固く冷たい響きが含まれていた。そして、男はジュリアの足からさっと手を離し、立ち上がり様に、彼女へと冷たい一瞥を投げかけた。

「今度、同じことをしたら、もっと痛い目にあわせる」

そう言って男は立ち上がり、落ち着いた様子で体についた埃を手ではらい落とした。

「女だと思って甘くみていたな。全く、油断も隙もない」

吐き捨てるような口調で言って、男は、扉のほうへと踵を返した。そうして、小屋の外で待機していた騎士達にオーティスは鋭い口調で命令した。

「この女は何をしでかすかわからん。明日、要塞へと移動させるまで、この女から目を離すな」

「はい。オーティス様。ご命令どおりに」

これだけ負傷していながらも、一瞬でも自分を人質に出来るだけの能力があったとは。ただの貴族の娘がお飾りで騎士団にいる訳でなく、正真正銘の職業軍人であったと、男は内心で舌を巻いていた。

これほどまでに戦闘力がある女が回復した時には、この場所では力不足だ。ザビラへ連れていき、じっくりと口を割らせよう。

「明日、この女をザビラへと連行する。出立は、暁の刻。女は馬車で連行する。各自、準備しておくように」

騎士達はその命令を遂行するべく、出立の準備を始めた。



ジュリアが閉じ込められている小屋を取り囲んでいる木立の陰から、フランチェスコとベネットは息を潜めながら小屋の様子をじっと観察していた。数時間前に、医師や侍女が薬湯を持って出入りし、熱い湯を持ち込む従者がいたことから、中でジュリア様が順調に手当をされていることを知り、ほっと胸をなで下ろしていた。

そこに、その騎士を指揮していた身なりのよい男が小屋へと入り、少ししてから、小屋の外で護衛していた騎士達が剣を抜き、血相を変えて小屋へと乱入しているのが見えた。

(ジュリア様が中で抵抗されているのだろうか?)

心配でジリジリしたが、その後、貴族の男は冷静な様子で小屋から出てきたし、騎士達も剣を治めていることから、一悶着あったが、落ち着いたのだろうと理解し、安堵のため息をついた。それでも、中のジュリア様の様子が依然心配だが、これ以上の接近は危険だ。

小屋から出てきた男が周囲の騎士に明日、ザビラへとジュリア様を連れて行くと言う会話が耳に入る。

「・・・フランチェスコ、聞いたか?」

「ああ。奴ら、ジュリア様をザビラへと連れて行くつもりらしいな」

「そうなると厄介だな」

ザビラとは都市全体が高い石の壁に囲まれた難攻不落の要塞だ。中には市井もあり、普段は町として機能する。しかし、戦闘時にはあらゆる門扉は閉ざされ、軍事要塞としての役割を果たす拠点だ。

敵国の中でも、王都を除けば、最も攻め落とすのが難しい。

しかも、今、小屋から出てきた男は、「オーティス」と呼ばれていた。ザビラとオーティスを結びつけるものはたった一つしかない。

ジェラルド・オーティス侯爵。隣国で王族に勝らずとも劣らない有力貴族の一人。最近では、隣国の王家よりも力量があるとも言われているその男。そして、もっと悪いことに、オーティス侯爵は難攻不落であるザビラの要塞都市を治めている男でもあった。

「フランチェスコ・・・ガルバーニ様へ至急連絡しろ。俺はこのまま彼女の後を追跡する」

「了解だ。すぐに公爵様と、騎士団にも通達しておく」

「気をつけろ。ポール・クレオール伯爵が裏切り者であること。隣国のジェラルド・オーティス侯爵が黒幕であることも伝えろ」

「必ず伝える」

周囲に慎重に注意しながら、出発するフランチェスコにベネットは軽く手を振り、その後姿を見送った。ジュリア様が、ザビラへと捕らわれになる前に援軍が間に合えばばいいのだが、と思いながら、

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