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第三部 竜の棲む村編
75 弟の記憶と
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「竜神さまの言うことに耳を貸すな」
「でも……」
半歩ほど前を歩くロウは短くそう言って、先を促すように私の手を引いた。
立ち止まりかけた私の足はそれにつられて前に歩く。
「待ってください! 地上に行くのなら、私から案内させてください!」
再度、焦った様子の竜神さまが叫んだ。
同時に、繋いでいた手がロウにギュッと握り締められた。
「案内は必要ない。俺がやってきた道を戻ればいい話だ」
取り合わないつもりのロウに、竜神さまは声を張り上げる。
「――ロザリーと離れるのは、とても名残惜しいんです!」
「そんな理由か。……今回は結果的にかすり傷程度で済んだが、衝動的な行動で人に危害を与えたのは神として失格だ。そんな神にロザリーを近づけたくない」
ロウの言うことには一理あったけれど……。
血の気を失い、青白い顔を強張らせた竜神さま。このまま放っておいてもいいのだろうか。
疑問に思いつつも、竜神さまから距離を取るように前へ前へと歩いて行く。
海藻ののれんをくぐり、広間から通路に出た。
答えは出ないまま、その先をロウに手を引かれるままに歩いていたら……。
「いけません! 竜神さま! 心を鎮めてください!」
遠くで、ドジョウの叫び声が上がった。
振り返ると、海藻ののれんが大きく翻り、竜神さまの姿がチラリと見えた。
それは一瞬のことだったけれど、異様な姿が目に焼きついた。
陶磁器のような顔の肌に、竜の鱗が浮かんでいた。首には、まるでその紋様の服を着ているかのように、灰色の鱗が肌にビッシリと敷き詰められている。
まさか、竜の姿になろうとしている……?
「感情のまま、竜化しないでください! 安定していない状態で竜になると、力が暴走してしまいます! この前の、お嬢さまを見つけたときの暴走と二の舞になりますよ!」
ドジョウの大声が聞こえた。
その説得はうまくいかなかったようで、竜の魔法の気配は増していくばかりだ。頬にピリピリとした圧力を感じる。
……連れ去られたときに湖が大きく荒れていたのは、暴走したからだったの?
もし、今、暴走してしまったら。
私は最悪の事態を想像して、背中がヒヤリと冷たくなった。
「ギァアアアア!」
咆哮に似た竜神さまの叫び声が響き渡った。
危険をいち早く察知したロウに、手をグッと引っ張られ抱き寄せられる。
私がそれまで立っていた位置に、凄まじいスピードで飛んでくるものがあった。移動して無事だったけれど、危機一髪だ。
全身を鱗で覆われた竜神さまが一瞬で距離を詰めてきて、私たちが向かおうとしていた道に立ち塞がったのだ。
身にまとう怒りの気配は、竜神さまというよりは、討伐対象のモンスターのようだ。
「……竜神さま。俺たちは約束通り、ここを出ていくだけだ。そこをどいてくれないか」
ロウは私を守るように私の肩に手を回しながら言った。竜神さまを刺激しないようにと、冷静に話している。
その言動には、ここで戦闘を避けられるのならば避けたい、そんな気持ちが見えた。
しかし、ロウの言葉が耳に届かなかったのか、竜神さまは大きな口をクワッと開けた。かろうじて顔のパーツは人の形を保っているが、口の端が今にも切れそうだ。
「ギャウウウウウッ!」
竜神さまは瞳だけでなく、白目を含んだ目の全体を赤く光らせて大きく唸った。
この取り乱して不安定なこの状態。身近なところで見たことがある。
年の離れた弟が幼少期に、お絵描き用のチョークが床に転がっていたとか、小石の形が気に入らなかったとか、大したことでもないことで大泣きした。
竜神さまの見た目は麗しい風貌の成人男性だが、親に気持ちを理解してほしいがために癇癪を起こしている子どものようにしか見えなかった。
「……私、ちょっと行ってくるね」
「ロザリー! 危ないぞ!」
「大丈夫、絶対に無事に戻ってくるから」
止めようとするロウから離れて、竜神さまに近づく。
このままでは暴走して、私たちは無事に帰れないだろう。
どうも放っておけない。
「ギァヤヤヤ!」
怒りのままに咆哮を上げて、私の姿は全く目に入っていないようだ。
届くかわからないけれど、声をかける。
「……竜神さま。急にお別れするなんて、寂しかったよね」
私は手を伸ばし、竜神さまの背中に手を回して、ポンポンと撫でた。私の背が低かったから、竜神さまの腰の辺りだったけれど。
「ギ、ギャウウウウッ!」
体を震わせて抵抗されようとしたが、私は両手を回したまま背中を撫で続けた。
竜神さまの背中からは今にも竜の翼が飛び出しそうで、背中は石のように固かった。
弟が大泣きしたときは、よくこうやって抱き締めて、それで泣き止んだわ。
今回これが効くかは勘だけれど、竜神さまの理性が戻ってくるんじゃないかとね。
ロウは私に何かあったらただじゃ置かないと、戦闘の構えのままだ。
と、ブルッと竜神さまは体を震わせて、回した手を剥がされてしまう。その拍子にヨロッとふらついた。
「ロザリー!」
「大丈夫よ、ロウ……もう少しだから……」
足の裏に力を入れると、なんとか転ばずに済んだ。
私はもう一度、竜神さまの背中に触れる。
まるで暴れ馬を鎮めるようだ。
「私とロウは冒険者だから、長くはここにいられない。だけど、竜神さまの気の済むまでここにいるわ」
「ギャウウウッ!」
ただ、落ち着くのを願いながら背中を撫でていく。
「私も――ユキちゃんと離れるのは、あの時も今も寂しいわ」
かつて呼んでいた名前が急に懐かしくなって、そう声をかけた。
怪我をしたトカゲに付けた、竜神さまとは知らずに付けた名前。
竜神さまはそう呼んでくれるように、と望んでいるみたいだったから――。
すると、咆哮が止んだ。
これで良かったのかな……?
翼が飛び出しそうで盛り上がった背中は、みるみる収縮していく。
しばらく背中をさすっていると、竜神さまは落ち着いてきたのか、白目部分が赤色から戻った。
「でも……」
半歩ほど前を歩くロウは短くそう言って、先を促すように私の手を引いた。
立ち止まりかけた私の足はそれにつられて前に歩く。
「待ってください! 地上に行くのなら、私から案内させてください!」
再度、焦った様子の竜神さまが叫んだ。
同時に、繋いでいた手がロウにギュッと握り締められた。
「案内は必要ない。俺がやってきた道を戻ればいい話だ」
取り合わないつもりのロウに、竜神さまは声を張り上げる。
「――ロザリーと離れるのは、とても名残惜しいんです!」
「そんな理由か。……今回は結果的にかすり傷程度で済んだが、衝動的な行動で人に危害を与えたのは神として失格だ。そんな神にロザリーを近づけたくない」
ロウの言うことには一理あったけれど……。
血の気を失い、青白い顔を強張らせた竜神さま。このまま放っておいてもいいのだろうか。
疑問に思いつつも、竜神さまから距離を取るように前へ前へと歩いて行く。
海藻ののれんをくぐり、広間から通路に出た。
答えは出ないまま、その先をロウに手を引かれるままに歩いていたら……。
「いけません! 竜神さま! 心を鎮めてください!」
遠くで、ドジョウの叫び声が上がった。
振り返ると、海藻ののれんが大きく翻り、竜神さまの姿がチラリと見えた。
それは一瞬のことだったけれど、異様な姿が目に焼きついた。
陶磁器のような顔の肌に、竜の鱗が浮かんでいた。首には、まるでその紋様の服を着ているかのように、灰色の鱗が肌にビッシリと敷き詰められている。
まさか、竜の姿になろうとしている……?
「感情のまま、竜化しないでください! 安定していない状態で竜になると、力が暴走してしまいます! この前の、お嬢さまを見つけたときの暴走と二の舞になりますよ!」
ドジョウの大声が聞こえた。
その説得はうまくいかなかったようで、竜の魔法の気配は増していくばかりだ。頬にピリピリとした圧力を感じる。
……連れ去られたときに湖が大きく荒れていたのは、暴走したからだったの?
もし、今、暴走してしまったら。
私は最悪の事態を想像して、背中がヒヤリと冷たくなった。
「ギァアアアア!」
咆哮に似た竜神さまの叫び声が響き渡った。
危険をいち早く察知したロウに、手をグッと引っ張られ抱き寄せられる。
私がそれまで立っていた位置に、凄まじいスピードで飛んでくるものがあった。移動して無事だったけれど、危機一髪だ。
全身を鱗で覆われた竜神さまが一瞬で距離を詰めてきて、私たちが向かおうとしていた道に立ち塞がったのだ。
身にまとう怒りの気配は、竜神さまというよりは、討伐対象のモンスターのようだ。
「……竜神さま。俺たちは約束通り、ここを出ていくだけだ。そこをどいてくれないか」
ロウは私を守るように私の肩に手を回しながら言った。竜神さまを刺激しないようにと、冷静に話している。
その言動には、ここで戦闘を避けられるのならば避けたい、そんな気持ちが見えた。
しかし、ロウの言葉が耳に届かなかったのか、竜神さまは大きな口をクワッと開けた。かろうじて顔のパーツは人の形を保っているが、口の端が今にも切れそうだ。
「ギャウウウウウッ!」
竜神さまは瞳だけでなく、白目を含んだ目の全体を赤く光らせて大きく唸った。
この取り乱して不安定なこの状態。身近なところで見たことがある。
年の離れた弟が幼少期に、お絵描き用のチョークが床に転がっていたとか、小石の形が気に入らなかったとか、大したことでもないことで大泣きした。
竜神さまの見た目は麗しい風貌の成人男性だが、親に気持ちを理解してほしいがために癇癪を起こしている子どものようにしか見えなかった。
「……私、ちょっと行ってくるね」
「ロザリー! 危ないぞ!」
「大丈夫、絶対に無事に戻ってくるから」
止めようとするロウから離れて、竜神さまに近づく。
このままでは暴走して、私たちは無事に帰れないだろう。
どうも放っておけない。
「ギァヤヤヤ!」
怒りのままに咆哮を上げて、私の姿は全く目に入っていないようだ。
届くかわからないけれど、声をかける。
「……竜神さま。急にお別れするなんて、寂しかったよね」
私は手を伸ばし、竜神さまの背中に手を回して、ポンポンと撫でた。私の背が低かったから、竜神さまの腰の辺りだったけれど。
「ギ、ギャウウウウッ!」
体を震わせて抵抗されようとしたが、私は両手を回したまま背中を撫で続けた。
竜神さまの背中からは今にも竜の翼が飛び出しそうで、背中は石のように固かった。
弟が大泣きしたときは、よくこうやって抱き締めて、それで泣き止んだわ。
今回これが効くかは勘だけれど、竜神さまの理性が戻ってくるんじゃないかとね。
ロウは私に何かあったらただじゃ置かないと、戦闘の構えのままだ。
と、ブルッと竜神さまは体を震わせて、回した手を剥がされてしまう。その拍子にヨロッとふらついた。
「ロザリー!」
「大丈夫よ、ロウ……もう少しだから……」
足の裏に力を入れると、なんとか転ばずに済んだ。
私はもう一度、竜神さまの背中に触れる。
まるで暴れ馬を鎮めるようだ。
「私とロウは冒険者だから、長くはここにいられない。だけど、竜神さまの気の済むまでここにいるわ」
「ギャウウウッ!」
ただ、落ち着くのを願いながら背中を撫でていく。
「私も――ユキちゃんと離れるのは、あの時も今も寂しいわ」
かつて呼んでいた名前が急に懐かしくなって、そう声をかけた。
怪我をしたトカゲに付けた、竜神さまとは知らずに付けた名前。
竜神さまはそう呼んでくれるように、と望んでいるみたいだったから――。
すると、咆哮が止んだ。
これで良かったのかな……?
翼が飛び出しそうで盛り上がった背中は、みるみる収縮していく。
しばらく背中をさすっていると、竜神さまは落ち着いてきたのか、白目部分が赤色から戻った。
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