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キスで始まる二人

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 ――その昔、その”獣”を見た”人”の男は彼女に求愛し、彼女はそれを受け入れた。彼女が孕んだ九人の”人”の仔はそれぞれがまた愛を探しに旅に出てそして世界は”ヒト”と”ケモノ”で満たされた――

「お前の婚約が決まった、支度をしておけ」
 そう言って父は俺の部屋を出ていった。父とはもう何年も会話らしい会話をしたことがなく、俺は突然の話に困惑した。
 婚約?俺が?
 相手が誰かも告げずに去った父に詰め寄ろうにもすでに父はこの敷地からも出ていったようだ。門扉が開く音と馬の嘶きが遠くで聞こえる。

 俺が生まれてしばらくして父は俺をこの塔に閉じ込めた。正真正銘父の子であるにも関わらず、俺の存在は父の中にはないものとして扱われていた。

 俺がケモノだから。

 父は生粋のヒトであり、そのことを誇りに思っている。政略結婚で結ばれた母を選んだ理由も、先祖代々ヒトだったから、それだけだったそうだ。しかし、母が俺を出産し、しばらく経ち俺の髪が伸びた頃、俺がケモノであることが判明した。すると父は母と母の家族に詰め寄った。

『なぜ、ケモノが生まれたんだ!他の種か?それとも騙したのか?』

 そんなことはないと母の両親、つまりは俺の祖父母は自分たちの家系に問題はない、母が不貞を働いたのだと主張した。母は違う、無実だと何度も繰り返したものの結局父は母をそして俺を塔へ幽閉することにした。放逐するには世間体を気にする父らしい対応だった。
 しばらくは母と二人、なんとか暮らしていたらしいが、あるきっかけで母は精神を病み、やがて心を壊して屋敷の塔から飛び降りたそうだ。その塔の一室が現在の俺の住処だ。物心が付く前の出来事だからそのことに思うことはないが、何もその部屋に住まわせる必要はないんじゃないだろうか?悪趣味な父を恨んだことも合ったがこの部屋は俺には適していた。
 辺境にある領地の更に端、海岸線の突端の断崖絶壁に立てられた要塞の両翼にある塔。その一方東側にその部屋はある。その昔、海からの侵略や海賊への備えに建てられた要塞だがここ数十年、その役割は果たされていない。幾人かの兵士はいるものの、平和な世に取り残された要塞と家族から見捨てられた俺はなかなか相性がいいように思う。
 高い塔の窓からは街が一望出来るし、友達も遊びに来てくれる。母の唯一の趣味だったらしい書物がたくさんあり、知識はそこから得られる。
 要塞の中ならば自由に動き回ることが出来るし、兵士たちは気さくに遊び相手になってくれるし、数人の召使いがいるので生活には困らない。
 産まれてから15年ずっとこの環境だったから、俺にはコレが不幸だとは思わないのに、乳母のリタは俺の髪を切りながら涙ながらに訴える。

「旦那様はひどすぎます。奥様が不貞を働いたわけではないのにこんな仕打ち、ソラハ様だって本来ならこんな場所にいるべき方ではないのですよ。ああでもご婚約ということはソラハ様も幸せにおなりになれますわ」

 肩まで伸びた薄茶色い髪を耳下までざっくりと切りそろえ、服についた毛を払う。
 そうは言ってもなぁ……俺は何不自由なく生きていけるだけで十分だった。
 彼に会うまでは、そう信じていた。


 結納のために身なりを整えた俺は本屋敷に出向いた。
 聳え立つ門扉は秀麗な蔦の柄で装飾されているが俺はその横の通用門からそっと入る。門扉から巡るように設えられた馬車寄せの横を通り、こっそりと屋敷に入り込む。義母と義妹に見つかると面倒だからだ。俺は彼女たちが嫌いではないが彼女たちからすれば俺は目の上のたんこぶだろう。
 母が死んですぐ、父が義母を迎え入れた。その義母とは普段会うこともないのだが、たまにこうして本屋敷に出入りするたびに嫌味を言われた。

 「あら、あなたまだお帰りになりませんの?困りましたね、臭いが取れなくなったらどうしましょう……」

 毎度義母から言われるが俺からすれば義母の香水のほうがきつい。なんであんなに変な匂いを付けているのか神経を疑う。娘である義妹も着飾ることばかりに夢中で同じように香水を漂わせ始めたのは女であることを自覚した証拠のように感じる。

 使うことの滅多にない俺の本屋敷の部屋に通される。手持ちの衣装で小奇麗にしてきたが、本屋敷の侍女たちからすれば及第点ではないのだろう。新調したらしい衣装が渡された。濃い茶の丈の長いジャケットは金のボタン、縁を金糸で刺繍された豪華なものだ。同じ色の七分丈のキュロットにもふんだんに金糸が刺され、派手な作りになっている。顔立ちも髪色も地味で平凡な俺にはお世辞にも似合うとは言えないが、父が用意したものを着ないわけにもいかず、渋々袖を通した。

(やっぱり似合わないなぁ)

 焦げ茶の髪が衣装に埋没する。全身まっちゃっちゃな俺は地面に寝そべると見つけられないのではないだろうか?あ、そのための金糸の刺繍?そんなわけはないのにどうでもいいことばかり考えてしまう。
 
 じゃないと俺は俺で居られなくなりそうだ。

 さっきから感じるこの香り……いつも義母たちの臭い香水で充満しているこの屋敷にそれとは違う。爽やかで柑橘系の甘い香りの中に仄かに掠める淫靡な、それでいて嫌らしさを感じさせないそれ。とくっと心臓の鳴る音が聞こえた。これは噂に聞いていた番の香り……?まだ会ってもいないのに、会ってしまったらどうなるのだろう?
 いやいや、考えちゃダメだ。俺は頭を振って意識を遮った。

 侍従の案内で応接間へ足を踏み入れる。緊張で身体が震える。濃密な香りが部屋を満たし、俺の鼻から肺を通り全身に回った。さっきから父がなにか言っているのにそれがまるで聞こえてこない。目の前の男から目が離せず、動くことも出来ない。

「こんな礼儀も知らない息子だが……これで君も我が家との縁を得て、出世の足がかりになるだろう。我が家に泥を塗るようなことだけは避けてくれたまえ」

 父が部屋を出る気配がする。取り残されたのは俺と彼の二人きり。彼が、俺の婚約者。
 銀糸の長い髪が緩く結われ、肩から零れ落ちている。鋭い目つきに真一文字に結ばれた唇。高い上背が纏うのは黒地に銀糸で刺繍された詰め襟の軍服。左肩に並ぶボタンも銀に輝いている。引き締まった身体を包み込むその先に銀の光が煌めく。

(ふわふわしてる……)

 下半身に煌めく光に目を奪われているとそれがゆらゆら揺れていた。ボリュームのあるそれが動くたび、香りが俺の身体に届いて、立っていられないくらいに目眩がした。

「危ないっ」

 そう言って彼が俺の身体を支えに近寄って、腰を抱いた。ついでとばかりに身体に巻き付いたのは先程目にしたふわふわ。

「しっぽ?」

 俺の足に絡みつくそれの正体はしっぽだった。彼の身体から伸びたしっぽが俺の足を撫でる。ふわふわとした感触が服越しにも伝わって思わず微笑むと、突然頬に手が触れそのまま、キスされた。
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