熱烈に溺愛してくる主任の手綱が握れません!(R15版)

矢崎未紗

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第01話 助けて! 主任の様子がおかしいです(中)

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 やばいやばいやばい。聡介の表情が尋常じゃないほど真っ黒になっていく。薄ら笑いを浮かべているが、それはどう見ても、どんな風にターゲットを始末しようかと考えている表情だ。彼はエージェントではなく殺し屋なのかもしれない。

「前園くん」
「はい……なんですか」
「田口くんと浅川くんって、確か酒癖が悪いよね?」
「まあ……そうですね」
「そのうえ、飲み会ですぐ女性をつぶしたがるよね?」
「まあ……そうですね」

 あ、そういえば昔、平日のちょうどお昼時にやっていた生放送の番組で、こんな風に司会者に対して観覧者が「そうですね!」を繰り返すお決まりのやり取りがあったなあ。前園は現実逃避したい気持ちでふとそんなテレビ番組を思い出した。

「これまでに何人を持ち帰ったか、競ってるらしいじゃないの」
「そう……ですね。あ、でも一応、そういうのはうちの会社の人が相手じゃなくてよそでの合コンとかでの話らしいですから」
「でも、そういうことを好む軽薄な男たちであるってことに変わりはないよね?」
「そう……ですね」

 やべえ。確かにそんな話をしていたのを聞いたことがある。
 同期入社というだけで公私においてそこまで彼らと親密なわけではないが、それでも前園は、田口と浅川の酒の席での様々な話を耳にしている。それゆえに、聡介の追及は否定できなかった。

「そんな彼らと篠崎さんが一緒にご飯? どうして止めないんです?」
「いや、だから、篠崎さんが一緒に行ったかどうか……俺はわからなくてですね」
「でも行ったかもしれないんですよね?」
「さ、さあ……どうでしょうか」

 前園は泣きそうな表情で俯いた。「なんで篠崎さんに対して何もしてない俺がこんなに詰められているのだろう?」と、心底疑問に思いながら。

「どうしますか」
「えっ」
「えっ、じゃないですよ。考えなさい。対策をとらねば」
(え、なんの?)

 前園は顔を上げた。しかし間の抜けたその表情には疑問符がこれでもかと噴出している。
 そもそもなんの話だったか。えっと、新入社員の篠崎まほろという女性のことが聡介はいたく気になると。だから田口、浅川のような軽薄な男性社員と一緒に飲んだ彼女が、間違ってもお持ち帰りされてほしくはないと。それならば飲み会禁止令でも出すべきか? それか、一人三杯までとかルールを作るべきか?
 しかし、いくら先輩とはいえ後輩同士が飲みに行くのを禁止するというのはおかしい。おまけに聡介は経理部で、まほろも田口も浅川もオペレーション部だ。妙な禁止令を発することができるような関係ではない。というか、そもそも聡介はまほろのことが好きなのだから、付き合って束縛しちゃえばいいんじゃないの。そこまで惚れているのなら、こんな同性の後輩相手に無意味にくだを巻いていないで、さっさと告白して交際を申し込めばいい。一年中ダークスーツを着ているちょっと変わった人柄ではあるものの、聡介は高身長で顔もそれほど悪くはないのだから、丁寧に接して距離を詰めれば決して悪くは思われないだろう。
 早くこの場を終わらせて聡介から逃げ出したいと思った前園は、その結論に至ってしまう。もうこの際、当人であるまほろの意思は無視だ。

「あの、伊達主任」
「なんですか」
「たぶん、伊達主任は篠崎さんのことが好きなんですよね?」
「……は?」
「だから彼女のことが気になるんですよね?」
「……え?」
「篠崎さんに好きだって告白して付き合って恋人になって、俺以外の男と一緒にご飯も飲みもするな、って言っちゃえばいいんじゃないですかね」
「……前園くん」

 これから獲物を仕留めようとしていたエージェントの強い視線に射抜かれて、前園は背筋をピンと伸ばした。何かまずいことを言っただろうかと、冷や汗がたらたら流れる。

「たまにはいいことを言いますね、君」

 聡介は眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げると、不敵にほほ笑んだ。

「ははっ……ありがとう……ございます?」

 褒められた? え、褒められていい場面だっけ? しかもたまに? 俺、たまにしかいいこと言わない? 伊達主任ほどではなくとも、そこそこ仕事は頑張ってるつもりなんだけどなー? あーなんかもうよくわかんない。いっか、そもそも伊達主任がよくわからない。でもとりあえず、伊達主任と篠崎さんがくっつけばふわっと丸くおさまるんじゃないかなー。この意味不明なサシ飲みももう付き合わされることはなくなるはずだよなー。ははっ、うん、そうすれば俺がこんな風にエージェントに狙われることはもうないよな。はー助かった。篠崎さーん。頼むー、早くそうなってくれー。
 酔っているのか思考がまとまらない前園は、そんな風に自分を納得させた。

「好き……そうですね。俺は篠崎さんのことが……いや、まほろのことがとてつもなく好きなんですね。愛していると言っても過言ではないくらい、彼女のすべてが愛おしく感じます。たいして話してもいないのにこんな風に思うなんて……やはりまほろは変です。でもそれがいい。そこがいい。好きでたまらないですね」
「はっ……ははっ」

 好きなんですよね? という前園の言葉は、すとんと聡介の腹に落ちたようだ。
 ナスの一本漬けを口にしながら怖いぐらいにやついている聡介に、前園は乾いた笑いを返すのが精一杯だった。自覚させたらさせたで、どうもこのエージェントは引き続き、なんだか斜め上方向に猛スピードで突っ走っている。大気圏突破は目の前だ。

(大丈夫かな、これ……会社でいきなり篠崎さんのことを名前で呼ばないかな)

 関わりのない部署の、たいして話したこともない主任から突如名前で呼ばれてしまったら、きっとまほろはウサ耳を垂らして怯えるだろう。そんな彼女の姿を想像した前園は、聡介を焚きつけてしまったことを少しばかり後悔し、罪悪感に襲われた。
 しかし、調子の狂っているこのおかしなエージェントを前にしていると、自分の身を守ることに精一杯になってしまうので仕方がない。このおかしなコイバナに付き合わされるのはもうそろそろ勘弁願いたいのだ。今はちょっと様子がおかしいが、仕事はできるし一応紳士的なタイプの男ではあるはずだし、恋人にするのにそう悪い物件ではない。まほろにとってデメリットしかない、ということはきっとないだろう。
 そう自分に言い聞かせて、前園はまほろの健闘を祈った。


   ◆◇◆◇◆


「田口~、店の予約はしたか?」
「おう、ばっちり」
「さんきゅ」
「今日こそ落としたいね~、ウサちゃん」
「俺は愛子ちゃんの方だな~」
「ま、お互いできるアシストはするってことで」
「へいへい~」

 トイレは「公」の場である。扉の閉まっている個室の中には誰がいるかわからないし、手洗い場スペースにもいつ誰が来るかわからない。狭い空間なので声が反響して、実は意外と廊下側に声が漏れ出ている。秘密の雑談をする場所には到底向いていないのに、しかし学生生活を終えて社会人になってもまだ、未熟な者たちは迂闊なほどにそこで「私」の話をする。

(これは……もしかしてまずいのでは)

 個室の中で少しばかり硬めの便と格闘していた前園の表情に焦りが浮かんだ。
 いま聞こえてきた会話は、声からして間違いなくオペレーション部にいる同期の田口と浅川だろう。そして彼らが今夜飲む相手の「ウサちゃん」とは、おそらく新入社員の篠崎まほろ。「愛子ちゃん」というのは、経理部会計課の新入社員、大橋愛子だろう。どうやら新入社員の女性二人はいま、ギラギラと光る牙を持つ肉食獣に狙われているようだ。

(これを伊達主任が知ったら……)

 たいした接点があるわけでもないのに、どうも異常なほどにまほろを好いているらしい聡介。まほろを狙っているという点では田口と変わらないが、しかし少なくとも田口と違って、女性なら手当たり次第という軽薄さはないはずだ。まほろにとって伊達聡介という男は、おそらく「何度か見かけたことのある人」くらいでしかないだろうが、すけこましの田口に食われるくらいなら、おかしな面もあるが女性に対しては誠実であろう聡介につかまってしまった方がいいのではないかと前園は思う。

(とりあえず探りを入れるか)

 前園は硬めの便に別れを告げ、手洗い場にいた田口と浅川が出ていった気配を確認してから個室を出た。そしてしっかりと石鹼で手を洗ってハンカチで入念に拭いてから、愛子がいるはずの会計課のデスクを訪れる。

「大橋さん」
「はい」

 まだフレッシュさがただようミディアムロングヘアの愛子に前園は声をかけた。
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