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第04話 うちへ? 主任に押しかけられました(中)
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――ピピピ、ピピピ。
スマホのアラームが鳴る。まほろは億劫な手でそれを止める。
外は明るいが、もう少し寝ていたい。昨夜の泣き疲れがまだとれていない。身体もだが、心がどうしようもなく重い。
――ほんと根暗でうざったいね。そんなんで、本当に会社でやっていけてんの?
(うるさい……っ)
耳の奥で、姉の唯依佳の声が呪うようにまほろにまとわりついてくる。
――まほろはさ……ほら、お姉さんのことがあるじゃない。
続いて、昨夜の芽衣の声もまほろの脳裏で再現される。
幼少期からずっと、姉ばかりがかわいがられてほとんど放置されて育ったまほろは、大学時代、姉よりも自分を好きだと言ってくれた大翔に依存した。結局は一年で別れたが、その際に芽衣から懇懇と説教されたものだ。いわく、篠崎家の家庭環境はまほろ一人の力ではもうどうにもならない。母も姉も、今から何かを言って性格や態度が変わるわけではない。でも、そんな家族に言われてきたことが世の中のすべてではない。まほろはもう家族から離れて、もっと自分を大切にしていいんだよ、と。
大学を卒業して就職したら一人暮らしをしようと決心できたのは、根気強く励ましてくれた芽衣のおかげだ。そして実家を離れ、社会人一年目として右往左往しながらもどうにか仕事に慣れようと日々を過ごしていたおかげで、家族から受けた呪縛は少しとけたように思えていた。けれども、昨夜のように姉の声を聞いてしまえば、途端にまほろの心はしぼんでいく。母や姉の言うことは絶対で、彼女らの正義や価値観に自分が合わせなければいけないと、無意識のうちに義務的に感じてしまうのだ。そうしないと、自分の生きている意味や自分の存在意義が失われてしまうような気がして。
そんな自分はおかしい。いや、心が未成熟だ。その自覚はある。けれども、その状態からどうやってどこに行けばいいのかわからない。どう変わればいいのか、未来の自分を思い描けない。昨夜の姉からの電話を受けて、行きたくないと思っているはずなのにその一方で、実家に「行かなければ」と思ってしまう義務感は、自分でコントロールできないのだ。
――ピコン。
安いベッドの上で布団にくるまってごろごろしていたその時、まほろのスマホがメッセージを受信した。まほろは重たい指先でタップして、メッセージアプリを起動させる。
――おはようございます。いま本条西駅に向かっています。少しでいいから会えませんか。
「なっ……えっ!?」
送り主は伊達聡介。そしてなんと、彼はいま、まほろのこの安アパートの最寄り駅に向かっているという。
(え、待って……会えないって……送ったのに……)
昨夜はっきりと、聡介には「会えない」とメッセージを送った。返信はなかったが既読マークがついたので、聡介は理解してくれたのだと思っていた。それがいったいどうして、こちらの駅に向かうことになるのだろうか。
(わからない……伊達主任の頭の中、本当にわからない)
告白されたあの日の勢いと発言もだいぶ突飛で困惑したものだが、付き合い始めてからはそこまでびっくりするようなおかしな言動はなかったので油断していた。聡介に関しては「おかしな人」と思って対応しておかないと、こうしてまるでこちらの裏でもかくかのように風変わりな行動に出るのだ。
「えっと……どうしよう……」
会えないとは送ったが、それは明確な理由があるわけではない。対面を拒否したい理由を挙げるとすれば、昨夜泣き腫らした目元がメイクでごまかせないほど不細工になっていることぐらいだ。
「目は……ちょっと対処すればなんとかなる……けど……」
会ってどうしろというのだろうか。とてもではないが、どこかに出かけて楽しめる気分ではない。かといってこうして一人で布団にくるまってミノムシになっていても腐敗した気持ちがますます腐るだけで、何ひとついいことがないということはわかる。
「会う……だけ……」
意義を考えるのが面倒になったまほろは、深く考えることを放棄した。そもそもあの聡介のことだから、一目でもいいから顔を見せなければおそらく帰らないだろう。立ち話で申し訳ないが、駅に行って挨拶をして、体調があまりよくないとでも言えばきっと引き下がってくれるはずだ。
――準備しますので駅で待っていてください。家を出たら連絡します。
まほろはそうアプリに打ち込んだ。すぐに既読マークがつき、「わかりました。待っています」という返事がくる。
「準備……準備……」
まほろはのろのろとベッドから抜け出して、まずは腫れた目をどうにかすべく、ホットタオルを作って温めるところからスタートした。
◆◇◆◇◆
「あのっ……お待たせ、しました」
それから約一時間後、お昼時の少し前。
まほろは軽装で自宅を出ると、徒歩十分のところにある最寄り駅の改札に向かった。背の高い聡介はすぐに見つかり、小走りで駆け寄って声をかける。すると聡介は、まほろを見るなり嬉しそうに目を細めた。
「ああ、まほろ……すみません、押しかけてしまって」
「いえ……あの、でも……」
「ああ、大丈夫です。どこかへ行こうとかのお誘いはしませんから」
「あ、はい……」
ここまで来た勢いでどこかへ連れていかれるかもしれないとまほろは恐れたが、聡介にその気はないようでひとまず安心した。
とはいえ、こうして合流したのにどこにも行かないとなると、本当に「じゃあ、これで」と、会ってから一分もしないうちに解散という流れになってしまう。それで本当にいいのだろうか。
「聡介、さん……」
「はい」
「はい、じゃ……なくて……その……どうして……」
今日は会えないと、はっきりと伝えたのに。
会えないかもしれないのに。
なぜわざわざここまで来たのだろうか。
「まほろが俺に会えなくても、俺はまほろに会いたい。その欲望に忠実に従っただけですが……そうですね。昨夜の君の様子がおかしかったので気になったんです」
「えっ?」
「何かつらいことがあったのではないかと……」
「っ……」
聡介はじっとまほろを見つめた。
まほろは悪いことをしたわけでもないのに、聡介に的確に見抜かれたことがなんだかいたたまれなくて、ふっと顔を横に向けて視線をそらした。
(なんで……わかるの……)
昨夜の君の様子、と聡介は言ったが、昨夜の聡介とのコミュニケーションは通話に出られなかったことと、会えませんか、会えませんというメッセージのやり取りだけ。たったそれだけで、なぜ「様子がおかしい」と思えたのだろう。「何かつらいことがあったのではないか」と、なぜピンポイントで予想できるのだろう。
「困りましたね、図星ですか。そうとわかったら、そんな傷ついた表情をしている君を一人にしておけないですね。まほろ、申し訳ありませんが家にあげてくれませんか」
「えっ!?」
「どこかのお店に入るよりは、君が安心できる場所で話した方がいいでしょう」
「え、あの……話す……って?」
「話して……教えてください、君のこと。君を苦しめているもののことを。俺は、心から愛するまほろのことを全部知りたいんです」
聡介のぶっ飛びスイッチが入ってしまったようだ。丁寧な物腰でありながら、ものすごく押しの強い勢いに、早くもまほろは気持ちが後退ってしまう。しかし聡介はそんなまほろを逃がす気はないようで、気付けばこちらの手を掴んで「さあ、どちらですか」と、断る隙をまったく与えてくれない勢いで進路を求めてきた。
「あ、あの……家の、中……散らかってて……ですねっ」
「そうですか、お任せください。掃除は得意です」
「え? いえ、あの……掃除をしてほしいわけではなくてっ」
「なら俺の家に行きますか? 少し時間はかかりますが、電車移動ですみますし」
「へっ? だって、そんな……これまでそんなこと……」
「ああ、今まではいくつか線引きをしていましたからね。でも、今日はその線のひとつを消す日です」
「そ……そう……なんですか?」
何を言っているのだろう。聡介の爆走ペースにすっかり思考を乱されて、まほろは正常な思考ができない。これはもう、とにかく一番面倒でない方向で聡介のペースに流されるしかないのかもしれない。
「あの……じゃあ……狭いですが、うちへどうぞ」
「ありがとうございます。掃除しますよ」
「へっ……平気、です! ……たぶん」
家の中が散らかっているというのはあくまでも方便だ。決して整っているとは言えないが、しかしそれほど物が多いわけでもない部屋なので、聡介一人を座らせるスペースぐらいはあるだろう。まほろはため息をつきながらも自宅のアパートに向かって歩き出した。そんなまほろの手を握ったまま、聡介もおとなしく歩き出す。
「ちょ、ちょっとだけ……待ってください」
そうしてアパートに到着すると、まほろは聡介を外で待たせて最低限の片付けをした。それからおずおずとドアを開けて、聡介を招き入れる。そしてテレビの前の座椅子に聡介を座らせて、自分はベッドの縁に腰掛けた。
スマホのアラームが鳴る。まほろは億劫な手でそれを止める。
外は明るいが、もう少し寝ていたい。昨夜の泣き疲れがまだとれていない。身体もだが、心がどうしようもなく重い。
――ほんと根暗でうざったいね。そんなんで、本当に会社でやっていけてんの?
(うるさい……っ)
耳の奥で、姉の唯依佳の声が呪うようにまほろにまとわりついてくる。
――まほろはさ……ほら、お姉さんのことがあるじゃない。
続いて、昨夜の芽衣の声もまほろの脳裏で再現される。
幼少期からずっと、姉ばかりがかわいがられてほとんど放置されて育ったまほろは、大学時代、姉よりも自分を好きだと言ってくれた大翔に依存した。結局は一年で別れたが、その際に芽衣から懇懇と説教されたものだ。いわく、篠崎家の家庭環境はまほろ一人の力ではもうどうにもならない。母も姉も、今から何かを言って性格や態度が変わるわけではない。でも、そんな家族に言われてきたことが世の中のすべてではない。まほろはもう家族から離れて、もっと自分を大切にしていいんだよ、と。
大学を卒業して就職したら一人暮らしをしようと決心できたのは、根気強く励ましてくれた芽衣のおかげだ。そして実家を離れ、社会人一年目として右往左往しながらもどうにか仕事に慣れようと日々を過ごしていたおかげで、家族から受けた呪縛は少しとけたように思えていた。けれども、昨夜のように姉の声を聞いてしまえば、途端にまほろの心はしぼんでいく。母や姉の言うことは絶対で、彼女らの正義や価値観に自分が合わせなければいけないと、無意識のうちに義務的に感じてしまうのだ。そうしないと、自分の生きている意味や自分の存在意義が失われてしまうような気がして。
そんな自分はおかしい。いや、心が未成熟だ。その自覚はある。けれども、その状態からどうやってどこに行けばいいのかわからない。どう変わればいいのか、未来の自分を思い描けない。昨夜の姉からの電話を受けて、行きたくないと思っているはずなのにその一方で、実家に「行かなければ」と思ってしまう義務感は、自分でコントロールできないのだ。
――ピコン。
安いベッドの上で布団にくるまってごろごろしていたその時、まほろのスマホがメッセージを受信した。まほろは重たい指先でタップして、メッセージアプリを起動させる。
――おはようございます。いま本条西駅に向かっています。少しでいいから会えませんか。
「なっ……えっ!?」
送り主は伊達聡介。そしてなんと、彼はいま、まほろのこの安アパートの最寄り駅に向かっているという。
(え、待って……会えないって……送ったのに……)
昨夜はっきりと、聡介には「会えない」とメッセージを送った。返信はなかったが既読マークがついたので、聡介は理解してくれたのだと思っていた。それがいったいどうして、こちらの駅に向かうことになるのだろうか。
(わからない……伊達主任の頭の中、本当にわからない)
告白されたあの日の勢いと発言もだいぶ突飛で困惑したものだが、付き合い始めてからはそこまでびっくりするようなおかしな言動はなかったので油断していた。聡介に関しては「おかしな人」と思って対応しておかないと、こうしてまるでこちらの裏でもかくかのように風変わりな行動に出るのだ。
「えっと……どうしよう……」
会えないとは送ったが、それは明確な理由があるわけではない。対面を拒否したい理由を挙げるとすれば、昨夜泣き腫らした目元がメイクでごまかせないほど不細工になっていることぐらいだ。
「目は……ちょっと対処すればなんとかなる……けど……」
会ってどうしろというのだろうか。とてもではないが、どこかに出かけて楽しめる気分ではない。かといってこうして一人で布団にくるまってミノムシになっていても腐敗した気持ちがますます腐るだけで、何ひとついいことがないということはわかる。
「会う……だけ……」
意義を考えるのが面倒になったまほろは、深く考えることを放棄した。そもそもあの聡介のことだから、一目でもいいから顔を見せなければおそらく帰らないだろう。立ち話で申し訳ないが、駅に行って挨拶をして、体調があまりよくないとでも言えばきっと引き下がってくれるはずだ。
――準備しますので駅で待っていてください。家を出たら連絡します。
まほろはそうアプリに打ち込んだ。すぐに既読マークがつき、「わかりました。待っています」という返事がくる。
「準備……準備……」
まほろはのろのろとベッドから抜け出して、まずは腫れた目をどうにかすべく、ホットタオルを作って温めるところからスタートした。
◆◇◆◇◆
「あのっ……お待たせ、しました」
それから約一時間後、お昼時の少し前。
まほろは軽装で自宅を出ると、徒歩十分のところにある最寄り駅の改札に向かった。背の高い聡介はすぐに見つかり、小走りで駆け寄って声をかける。すると聡介は、まほろを見るなり嬉しそうに目を細めた。
「ああ、まほろ……すみません、押しかけてしまって」
「いえ……あの、でも……」
「ああ、大丈夫です。どこかへ行こうとかのお誘いはしませんから」
「あ、はい……」
ここまで来た勢いでどこかへ連れていかれるかもしれないとまほろは恐れたが、聡介にその気はないようでひとまず安心した。
とはいえ、こうして合流したのにどこにも行かないとなると、本当に「じゃあ、これで」と、会ってから一分もしないうちに解散という流れになってしまう。それで本当にいいのだろうか。
「聡介、さん……」
「はい」
「はい、じゃ……なくて……その……どうして……」
今日は会えないと、はっきりと伝えたのに。
会えないかもしれないのに。
なぜわざわざここまで来たのだろうか。
「まほろが俺に会えなくても、俺はまほろに会いたい。その欲望に忠実に従っただけですが……そうですね。昨夜の君の様子がおかしかったので気になったんです」
「えっ?」
「何かつらいことがあったのではないかと……」
「っ……」
聡介はじっとまほろを見つめた。
まほろは悪いことをしたわけでもないのに、聡介に的確に見抜かれたことがなんだかいたたまれなくて、ふっと顔を横に向けて視線をそらした。
(なんで……わかるの……)
昨夜の君の様子、と聡介は言ったが、昨夜の聡介とのコミュニケーションは通話に出られなかったことと、会えませんか、会えませんというメッセージのやり取りだけ。たったそれだけで、なぜ「様子がおかしい」と思えたのだろう。「何かつらいことがあったのではないか」と、なぜピンポイントで予想できるのだろう。
「困りましたね、図星ですか。そうとわかったら、そんな傷ついた表情をしている君を一人にしておけないですね。まほろ、申し訳ありませんが家にあげてくれませんか」
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「話して……教えてください、君のこと。君を苦しめているもののことを。俺は、心から愛するまほろのことを全部知りたいんです」
聡介のぶっ飛びスイッチが入ってしまったようだ。丁寧な物腰でありながら、ものすごく押しの強い勢いに、早くもまほろは気持ちが後退ってしまう。しかし聡介はそんなまほろを逃がす気はないようで、気付けばこちらの手を掴んで「さあ、どちらですか」と、断る隙をまったく与えてくれない勢いで進路を求めてきた。
「あ、あの……家の、中……散らかってて……ですねっ」
「そうですか、お任せください。掃除は得意です」
「え? いえ、あの……掃除をしてほしいわけではなくてっ」
「なら俺の家に行きますか? 少し時間はかかりますが、電車移動ですみますし」
「へっ? だって、そんな……これまでそんなこと……」
「ああ、今まではいくつか線引きをしていましたからね。でも、今日はその線のひとつを消す日です」
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何を言っているのだろう。聡介の爆走ペースにすっかり思考を乱されて、まほろは正常な思考ができない。これはもう、とにかく一番面倒でない方向で聡介のペースに流されるしかないのかもしれない。
「あの……じゃあ……狭いですが、うちへどうぞ」
「ありがとうございます。掃除しますよ」
「へっ……平気、です! ……たぶん」
家の中が散らかっているというのはあくまでも方便だ。決して整っているとは言えないが、しかしそれほど物が多いわけでもない部屋なので、聡介一人を座らせるスペースぐらいはあるだろう。まほろはため息をつきながらも自宅のアパートに向かって歩き出した。そんなまほろの手を握ったまま、聡介もおとなしく歩き出す。
「ちょ、ちょっとだけ……待ってください」
そうしてアパートに到着すると、まほろは聡介を外で待たせて最低限の片付けをした。それからおずおずとドアを開けて、聡介を招き入れる。そしてテレビの前の座椅子に聡介を座らせて、自分はベッドの縁に腰掛けた。
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